3・25辺野古県民集会に翁長県知事が知事就任後はじめて参加
県内外から三五〇〇名超が結集!
知事は辺野古埋め立て承認撤回を主張


開会前に山城博治さんがあいさつ

 「違法な埋め立て工事の即時中止・辺野古新基地建設断念を求める県民集会」(辺野古に新基地を作らせないオール沖縄会議主催)が三月二十五日、名護市辺野古の米軍キャンプ・シュワブゲート前で開かれた。集会には三五〇〇名超が結集した。この日は早朝から雨だったが、キャンプ・シュワブ前では、七時半から高里鈴代さんのリードで雨具を着て座り込みが始まっていた。九時をまわると一九市町村が組織した送迎バスが次々と行きかい、キャンプ・シュワブ周辺三〇〇メートルの道路側は家族づれ、孫と共に参加する人など老若男女が集会開始を待っていた。驚いたことに開会三〇分前になると晴れて陽射しも出てきた。色とりどりののぼり旗がはためく。日本政府の弾圧の不当さを手作りのプラカードで抗議する集会参加者たちの憤りを共に感じた。
 開会前にのぼり旗が降ろされ、山城博治さんのあいさつがあった。博治さんを迎えた喜びの歓声がうずまいた。一五二日間の勾留で痩せた姿だったが「抑圧される者がくじけないで頑張り続ける姿をわたしたちは発信しよう」と、熱い博治さんの声が辺野古に響いた。今後は威力業務妨害などの罪に対して闘いの正当性を裁判で争うことになる。不当逮捕されて、まだ勾留中の一名をとりもどすためにも重要な闘いだ。

翁長知事の訴え

 翁長知事は、就任以来初めて辺野古の集会に参加した。知事はうちなーぐちを交えながら、次のように話した。
 「辺野古新基地阻止の闘争は新たなステージに入っている。今日を期して沖縄の新しい闘いが始まる、という意味でわたしも参加した。
 国のやり方は、米軍占領下を思い出す。銃剣とブルドーザーで家屋敷をたたき壊し、新しい基地を造り県民の住む場所を奪った。いまの国はまったく同じ手法で、あの美しい大浦湾を埋め立てようとしている。
 わたしたちは、保守革新を乗り越えるだけでも大変だ。しかし子や孫のために、沖縄の歴史、伝統、文化をいかに発揮していくか。われわれは包容力をもって、心を一つにし、新辺野古基地は絶対に造らせないということをやっていきたい。
 沖縄の辺野古新基地を止めることによって、日本の民主主義、県民の自由・平等・人権をかち取っていくことでなければならない。
 国は岩礁破砕の許可にいろんな申請があるのも無視して通り過ぎようとしている。わたしはあらゆる手法をもって、撤回を力強く必ずやる。そのなかでお互いの思いを日本国民にも世界にも話して、お互いの地方自治、県民の一人ひとりの安心安全をみなで守っていこう。
 ちばらなやーさい。なまからどぅやいびんどー(頑張りましょう。これからですよ)。」聴衆は知事の決意をひと言も聴きもらすまいと真摯な表情だった。話し終えた時の拍手と手笛と大歓声がわたしの耳にいまも残っている。あいさつに登場した衆議院議員の照屋寛徳、赤嶺政賢、玉城デニー、仲里利信、参議院議員の糸数慶子、伊波洋一とオール沖縄会議共同代表で島ぐるみブロック代表が、新基地建設阻止の決意を述べた。

国の卑劣な脅しには屈しない

 採択された大会決議文中には、瀬長亀次郎の言葉「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ」があった。現在辺野古ゲート前と海上から、オール沖縄会議を中心に県内外から結集した人民の「不屈の闘い」が展開されている。翁長知事は「抑止力のために、秋田県の十和田湖を、宮城県の松島を、びわ湖を埋め立てるのか」とヤマトに問うた。沖縄の問題だからと人ごとのように言う現状ではないのだ。
 『琉球新報』の報道によると、県民大会で埋め立て承認「撤回」を表明した翁長知事に、二十七日、菅義偉官房長官が「撤回」した場合は損害賠償請求もあり得ると述べた。それに対して、翁長知事は「移設」阻止という「公約を実行する」と改めて強調した。なりふり構わず新基地建設に猛進する安倍政権に対しひるまずに共に闘っていこう。【大館まゆみ】

(『思想運動』999号 2017年4月1日号)