基地をなくすため日米政府に迫る闘いを

 昨年、雑誌『家庭画報』(十一月号)に、「アメリカの家族の絆と愛情に思いを寄せて ケネディ大使の感謝祭」との記事が出た。在日米大使館の豪華な晩餐のグラビアに、着任した年には大使館の海兵隊員と感謝祭を祝った、日本の若い女性には「自らの夢を追求し、仕事と家庭を両立させてほしい」などの元大使の言葉があった。ほんの数か月前に二〇歳の女性が元海兵隊員の米軍属によって性暴力のすえ殺害・遺棄されたことは欠片も意識していない記事だった。退任前のビデオ(米大使館)では、昨年の慰霊の日での目を伏せた姿や「北部訓練場返還式典」が映り、「沖縄の苦闘や歴史を教えてくれた県民の皆さんにも感謝します。日米は過去三〇年で最大の土地返還を実現しました。連携の継続を願っています」と話している。日本社会に米軍や基地を許さぬ無言の圧力があれば、こんな知らんふりはできなかっただろう。
 「史上初の女性駐日米大使」は去った、日米地位協定の抜本改正を求める沖縄の声を無視して。帰国直前に事件の再発防止策として、米国に優先的裁判権のある米軍属の対象範囲を縮小する地位協定の補足協定に署名して。米軍オスプレイ用ヘリパッドと海からの上陸と陸海空統合訓練を可能にする宇嘉川河口ルートを手土産に、「最大の土地返還を実現」と熨斗までつけてもらって。
 安倍政権はオバマ政権のうちに「返還式典」を行なう日程ありきで、北部訓練場のヘリパッドを突貫工事で強行した。ずさんな工事のため、いまも修復のための建設工事が続いている。警察庁主導で六都府県の機動隊五〇〇人を動員して座り込む人たちを痛めつけ、砂利を積んだ業者の車を警護し、違法な検問を行ない、自衛隊ヘリを抗議する人びとの頭上に飛ばして重機を運び、抗議運動のリーダーと仲間を現場から引きはがし三~五か月も不当に長期勾留した。また事件の再発防止パトロールと称して昨年七月に沖縄に派遣した防衛省職員六、七〇人を米軍ではなくヘリパッドに抗議する市民の監視にあたらせた。じっさいこれらのことがなければ、ヘリパッドは見せかけだけであれ、できなかった。
 いま沖縄の現場にも行きながら、自分たちの責任として安倍政権を追及し、世論を変えていくさまざまな取り組みが行なわれている。具体的な課題を共有しあい日米政府に迫るたたかいを模索しよう。【日向よう子】

(『思想運動』999号 2017年4月1日号)