地域問題に矮小化される原発問題
矛盾を暴露し原発廃止の世論を盛り上げよう!
福島第一原発収束作業・帰還政策は福島だけの問題ではない
東電福島第一原発事故から五年半、原子炉建屋には状態不明の核燃料デブリがあり、高濃度汚染水が滞留・漏出している。台風や地震が来るたびに、作業員は大丈夫か、現場状況はどうなったかと心配しなければならない。東電が公表しているだけでも、福島第一原発事故収束作業員の死者は現在までに一六人、寮で就寝中に心筋梗塞で亡くなったなどの例は含まれないので、実際はもっと多い。未払いの危険手当を求める裁判も起こされている(九月三日、福島第一収束作業にあたった四名が、東電と下請け一七社を提訴)。多重下請け構造は温存されたままだ。
また、台風による大雨で凍土壁が二か所溶け、原子炉建屋の近くを通って汚染された地下水がその穴を抜けたと報道された(九月二日)。凍土壁は当初から根本対策ではなく無効といわれていた。それより深刻なのは、原子炉建屋から漏れたデブリ冷却後の汚染水が地下水と混じり、ポンプでくみ上げ還流処理した以外の汚染地下水は、ずっと海に流れ続け、放射能海洋汚染はまったく止められていないということだ。この事実が薄められている。
安倍首相がアンダーコントロールと放言して東京五輪を誘致したが、どこまでも隠し通せるものではない。五輪を見据えた復興演出の帰還政策は、棄民政策そのものだ。このように問題山積なのに、どこか福島のこととして矮小化されているのではないか。
原発再稼働は立地地域の問題なのか
二〇一二年九月十九日に原子力規制委員会が環境省の外局として発足して四年になる。東京・六本木の高級オフィスビルに家賃月額四四〇〇万円の事務所を構え、田中俊一委員長いわく「われわれの任務は新規制基準への適合性審査であり、安全審査ではない」、つまり、適合性審査以外は他人任せという無責任ぶりで、原子力「寄生」委員会と書くのがふさわしい。
新規制基準は、司法からも「穏やかにすぎて合理性欠く」(二〇一五年四月、樋口英明裁判長、高浜原発再稼働差止仮処分福井地裁決定)、「公共の安寧の基礎とならない」(二〇一六年三月、山本善彦裁判長、高浜原発差止仮処分大津地裁決定)とされた。泉田裕彦新潟県知事も「国際基準を満たしていない」と批判し、「東電福島第一原発事故を検証しない限り、再稼働については議論しない」と頑張ってきた。
福島原発事故を検証し、また熊本・大分地震の新知見を踏まえたなら、立地の選定、設計の時点では地震についてほとんど考慮されていなかったのだから、「そもそもこのような場所に、この程度の耐震設計の原発を設置したことは間違いではなかったのか」という点をまず議論すべきである。しかし、規制委員会は立地不適や設計不備といった「そもそも論」には触れず、電力会社が申請しやすいように、後付けの補強工事や可搬設備の追加でよいとする新規制基準を策定し、「基準に適合している」とのお墨付きを与えている。これまで、川内原発一、二号機、高浜原発三、四号機、伊方原発三号機の適合性審査・検査を終えた(ただし、高浜三、四号機は運転差止仮処分で停止中)。稼働中の川内原発、伊方原発(図1参照)の直近には巨大活断層があり、有効な避難計画は立てられず、原発事故になったら住民は切り捨てられるしかないことが明白なのに、鹿児島のこと、愛媛のこととして問題が矮小化されているのではないか。
自然災害はとめられないが、原発はとめることができる
いざ事故になったら誰も責任をとらず、被害者切り捨てとなることは、福島第一原発事故で示された。原発があることにより、住民は生存権、生活権、生業、故郷、未来、等々、かけがえのないものを失うリスクを背負わされることになる。そうまでして原発を動かそうとするのは、根底に支配層の潜在的核保有願望、すなわち、核に頼って強がりたい幼稚な動機があるからだと思う。破綻が明らかで、税金の無駄使いでしかない核燃料サイクル政策にしがみつくのは、愚かな動機につけ込む利権構造があるからだ。沖縄を捨て石にして米軍に奉仕する国策の根底にあるものと相通じる。
原発は人民に重すぎるリスクを押しつけなければ成り立たないので、政府はあの手この手のアメとムチを使ってくるが、原発被害者救済の発想はない。リスクは平等でも被害は弱者ほど大きい。地震大国で原発をやろうというなら、少なくとも避難弱者が逃げ込めて、放射能がおさまるまでの数か月間を過ごせるような、地下核シェルターを各所に多数用意してからにするべきである。そんなことはできそうもないなら、原発はやめるしかない。やめれば原発リスクはゼロ、原発避難計画は不要だ。
原発問題は立地地域だけの問題ではない。断片化された情報がとびとびに流されるためか、全体状況が捉えにくくなっている。特に、原発のない大電力消費地では、よそ事になっていないか。目的のためには人民の被害など意に介しない支配層の真意を見抜き、全体に通底する問題点をクリアにし、原発廃止の世論を再度盛り上げていかなければならないと思う。【中村泰子】
(『思想運動』987号 2016年9月15日号)
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