発言台 運動に関するひとつの考察
「支援」と「共闘」とを隔てるもの
参院選直後の七月二十二日。安倍政権は機動隊を五〇〇名規模で導入し沖縄・高江で、ヘリパッド拡充阻止のために抗議する住民を排除した。その弾圧の映像には、機動隊のカマボコ車両、新帝国警備のヘルメット、その背後に暴力的に並ぶ工事フェンス、殴る蹴るの暴行を加えながら座り込みで立ち向かう人たちを引きずる野蛮な光景が映し出された。そして、ことの大小はあるとはいえ二〇年前にわたしが経験した光景と重なり、怒りを中心とするさまざま感情が甦ってきたのである。
「寮シンパ教授」の限界
かつて、東京大学の学生寮の廃止反対を当事者として闘ったことがあった。平等と自由に価値を置く民主主義者を曖昧に自負していた当時のわたしは、正義感に従って入寮し住み抜き闘争に加わった。ちょうど大学側が入寮募集の停止を宣言した年でもあった。
早朝突然、何百人というガードマンに取り囲まれ、工事車両が建物の一部を破壊し始めたので、考える間もなく、座り込みや車両の搬入阻止の実力阻止行動に取り組んだ。そんな「知性の府」の欺瞞を何度か体感したことによって、自己実現的な欲求をいくらかあきらめ、自分の曖昧な思想に変更をせまられた。
学生が自主的に運営する「自治寮」の廃止は教授会により決定され、直接には「大学当局」の攻撃だったが、その実態は国策的攻撃であり、当然われわれは一つの学生寮廃止反対にとどまらず「大学自治」「学生自治」を懸けた闘いであると訴えていた。その過程で大学教授の中にも見るに見かねてということか、ことの終息を画策し動いてくれた幾人かの教授が現れた。かれらは良心的に行動し、われわれ寮生たちは「寮シンパ教授」などと呼んでいた。しかし、国立大学の独立行政法人化、大学の「競争的環境化」政策の下準備としての教授会の形骸化がほぼ完成に近づき、「大学の自治」、「学問の自由」という理念すら空しく響き始めていたときでもあった。だからこそ(最も良質であるからこそ)「寮シンパ教授」たちには、先ずは自分たちの組織である教授会が真の敵との闘いに立ち上がるよう、インテリ的良心の枠組から一歩踏み出し、われわれと共に座り込み、学生と教授(一部だとしても)の共闘をつくることを望んだが、結局それには至らなかった。わたしは、十分に行動しなかったという自戒と同時に、そのとき「支援」を「共闘」へと転化することの必要を見たのだった。
問題は「闘争の欠如」
先日、『AERA 』六月二十七日号に目取真俊(作家)と高橋哲哉(哲学者)の対談が掲載されていた。本土の無関心に矛盾を突きつけるために「県外移設」論の必要を唱える高橋氏に対して、目取真氏は七一年間も無関心でいられるように基地を沖縄に集中して来たのだから、「県外移設」論で矛盾を指摘されたぐらいで多数の人が変化することはあり得ない。今、最も必要なのは一四〇万の沖縄県民が目覚めて行動に立ち上がることだと説き、その観念的な視点から抜け出すためにも現場の座り込みでもなんでも参加することを高橋氏に要請していた。
目取真氏の主張はそのまま、本土に住む活動家に向けた支援要請ではなく共闘の呼びかけにわたしには聞こえた。
闘争的な社会運動には、当事者への支援が必要である。そのとき支援者の生き方はどのようなものでなければならないだろうか?
最も有効な支援を追及しようとすれば、それは自分の生活や労働現場を省みさせ異なる場面ではあるが共通の課題、共通の敵を見出し、自らが当事者となる闘争へと向かわせる。「支援」は「共闘」にならざるを得ない。その過程には自分が属する階級を意識する可能性が在る。
しかし、専らに「支援」の内に留まろうとすると、すなわち自らが当事者となるべき闘争を忌避するとき、「支援者」は「調停者」とならざるを得ない。「調停者」はゲームの審判になったつもりで一段上の「中立」な位置から状況を見下し、そこに自己実現的欲求が重なると、かれは、抑圧者へは免罪を、犠牲者へは妥協と屈服を当然に要求し始める。常に権力を掌握しているのは抑圧者であり、「中立」などは存在しないという当たり前の現実が無視されるからである。
悲惨や野蛮への大多数の無関心を捉え、「想像力の欠如」を謂う良心的知識人をよく見るが、それは現象であって本当は「闘争の欠如」なのではないだろうか。誰でもそうであるように、闘争の場面に置かれることなしにはその必要を感じることはできないし、日常生活を批判的に省みて真実を学習しようする動機は起こらない。仮に想像力を働かせ、同情し、時間と労力を割いて支援に駆け付けたとしても、その次には支援の枠に留まるのか、そこから一歩踏み出すのか自問自答を迫られる。そして今日の社会状況は、いよいよ誰しも自分自身の生活や職場でも共通の敵による野蛮がまかり通っているのではないだろうか。「闘争」は必要とされているのである。
「支援」と「共闘」の勘違いは、そこここに見ることができる。朴裕河の『帝国の慰安婦』という装いも、これを支持する日本の「知識人」諸氏もこの勘違いを犯しているようにわたしには見える。かれらは「支援」を口にしながら、日本政府に本当の謝罪を要求しつ続ける不屈の元「慰安婦」たちに向かって、左右の手に「謝罪」と「金」を持ち脅している。
戦争法反対運動で立ち上がった「学者の会」や「シールズ」が国会内への「支援」から一歩踏み出すためには、残酷なほどに高騰する学費、「持たざる者は働け、持つものは支払え」という足元の野蛮との闘争が不可欠ではなかろうか。
日本労働運動への攻撃の一環としての国労弾圧の過程においても、多くの労組は「支援」を口にしたが(口にするだけまだいい)自らの闘争課題として組織を懸けて闘うことができなかった。職場で労働者の身の上に起こる「不幸」への労働組合執行部の対応が高々「支援者」にとどまることにも共通の勘違いがあらわれている。その常日頃の繰り返しが「支援」する側にしろされる側にしろ、組合員の一人ひとりの意識を支援者の枠内に限定する。
この勘違いが国際連帯の課題に向けられると朝鮮半島情勢や社会主義への態度に、それが表れてくるのではないだろうか。「かつてわたしもマルクスを読んだけど……」とソ連邦の崩壊には自らの責任を痛痒すら感じられず、支配階級といっしょになって運動内部から「社会主義」思想への追い打ちを掛けるような宣伝をしている輩があまりに多い。それが朝鮮民主主義人民共和国への米日韓による執拗な攻撃を見ようとすらしない態度の要因であり、「われわれは攻撃されている!」とのデマ宣伝を鵜呑みにする脆弱さを真の敵の前に曝している。われわれの思想的闘争課題はこんなところにもあるのではなかろうか。【藤原 晃・神奈川 教育労働者】
(『思想運動』986号 2016年9月1日号)
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