元海兵隊員の米軍属による女性暴行・殺害事件と「日本人」の人権・政治感覚
                          佐々木辰夫(アジア近現代史研究)


 元米海兵隊員による日本人女性殺害遺棄事件を知ったとき、わたしはある種、身体の震えるような感覚におそわれた。それは深刻なものでありながら複雑な思いを伴なっていた。
 わたしは犠牲者に心から哀悼の念をささげる。不法・不当なる条件下で無辜の生命が絶たれたことに誰しも深刻・真剣にならざるをえないのだ。強かんを企て、やがて凶器をもって立ちむかって殺害し、その遺体を山中に遺棄していた。狂暴・残酷・野蛮のきわみであるといわねばならない。
 わたしは、やがて冷静さをとり戻して、強い憤りを覚えるようになってきた。周知のごとく沖縄は第二次大戦の主戦場となって以来、米国の軍事占領という内実をもつ支配の下におかれ、それが現在まで厳然とつづいている。

頻発する性暴力事件

 戦闘・占領下では、社会的弱者なかんずく婦女子に対する加害の度合は極度に大きい。1944年米・英連合軍がナチスドイツ支配下のフランス、ノルマンディ上陸作戦(戦闘員50万規模)展開中ですら、ノルマンディ、ブルターニュ地方のフランス女性に暴力を加えていた夥しい例は有名である(『兵士とセックス』 メアリー‐ルイーズ‐ロバーツ著)。敗戦後、沖縄在住の女性に米兵らによってなされた人権侵害件数は無数である。本年になってからも、すでに3月、那覇市内で女性への性暴力事件がおこった。加害者はキャンプ・シュワーブ所属の海軍兵である。
 ちなみに沖縄県警が昨年末に発表した米兵による暴力事件の摘発件数は復帰(1972年)以来129件、147人におよぶという。この数字だけでも年平均3件である。しかしそれは氷山の一角である。それ以上に数えきれない人権侵害・性暴力事件が発生している。なぜ多発しているのか。米軍人らが事件をひきおこしておいて基地や米国施設に逃げこめば、日本の司法権は及ばないという取り決めになっている。このことにわたしはたびたび言及してきた。

国連人権規定に違反する行政協定

 日米地位協定は日本国憲法より上位に位置づけられている。在日米軍部隊が日本に入国するさい、ビザを必要とせず、国内を移動する場合、米軍専用の車輌(Yナンバー)をつかう。一度入国すれば私服着用の場合でも常に身分証類を所持しているわけではない。
 かれらは日本国内を自由に移動できる。沖縄では本島の20%に基地が存在する。領空ではどうか。米軍の低空飛行圏は100%である。つまり民間機の離着陸を含む低空飛行圏は予め決められたコースのみである。オスプレイは沖縄では自由自在に飛行している。本土上空でも飛行できる。では、なぜこのような戦力・暴力容認もしくは基地の完全自由使用の協定が存在するのか。
 1951年9月調印の対日講和条約・日米安保条約にもとづいて取り決められた行政協定(のちの地位協定)は52年に発効した。当時まだ日本には連合軍の占領部隊が残存していた。とりわけ沖縄では朝鮮戦争の開戦とともに「冷戦」体制の強化と基地の拡大強化が進められた。米軍存続の大きな理由はそれだけではない。米国防省(ペンタゴン)やCIAなどの占領軍根性である。「ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカの青年の血を流して占領した土地はわれわれのものだ」。それはルーズベルト、チャーチルによって合意された大西洋憲章ジ・アトランティック・チャーター声明(両国は領土その他の拡大を求めない)にも違反していた。同憲章は国連憲章にも継承された。国連の「人権にかんする条項」に限っていえば、それは現在の国際社会の人権をもっとも広汎にカバーし、かつもっとも崇高なものといわれている。
 在日米軍およびその兵士らに特権を与える協定は、きわめて明白な国際法違反・逸脱のそれである。逆にいえば沖縄住民が渾身・鋭意求めている要求は、普遍的・国際的な人権である。
 わたしが心底から怒りを覚えるのは、暴力や特権を行使する米兵犯罪者当人らに対してだけでなく、それらの事案を隠蔽するか、知らないかのごとく見せかける日米の政治家や高級役人らの立ち振る舞いである。たとえばさる5月25日に来日したオバマ大統領は、「日米地位協定が日本の法体系のもとで完全な捜査や司法に必要な措置を何ら妨げていないと指摘しておきたい」(『朝日新聞』5月26日付朝刊 第一面)と表明している。何をもって日本官憲による捜査がオールマイティと言っているのか。たとえば、「日本国の当局は(略)所在地のいかんを問わず合衆国の財産について捜索・差し押さえ、または検証を行なう(略)権利を行使しない」(「日米行政(地位)協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録」1953年9月29日)ここに在日米軍に付与された治外法権合意が確認できる。米国防省は在日米軍基地の自由かつ排他的使用権が合衆国にあるというのだ。この治外法権・基地自由使用権に阻まれて、日本の司法は米軍人らの犯罪を取り締まることができない。したがって迷宮入りや検挙不能の犯罪事例や泣き寝入り現象がとめどもなく発生する。

ビル‐クリントンの訪沖の時

 オバマに限らず歴代米国大統領のだれ一人として沖縄を含む在日基地付近住民の心情を正しく理解したものはいない。たとえば2000年7月、九州・沖縄サミットに出席したビル‐クリントンは「平和の礎」を訪れて、その場所で演説をおこなった。かれは琉球王国最後の国王が亡国の悲哀を琉歌にこめたとされる詞句を引用して、自分は沖縄に深い共感と理解をもっているのだぞ、と。
 そのサミットの前から、すでに沖縄と日米両政府間でぬきさしならぬ厳しい緊張と対立が顕在化していた。95年の、いわゆる少女暴行事件、その被害少女が決然とカムアウトして、県民総決起大会にまで進展、翌年普天間基地の返還が合意された。しかし沖縄では普天間の代替基地を同県に設置することにたいして、基地の盥回しであるといって反対運動がおこり、さらに名護市で基地移設の賛否を問う住民投票が実施されて反対派が勝利した。クリントンやオバマの言説が県民にこびを売り、本土人民のウケを意識していることは明らかである。前述のオバマの声明に対応して安倍首相は、「米軍再編をすすめるにあたって沖縄県民の気持ちに寄りそっていく」と語った。これはさしづめ鰐(ワニ)の涙である。
 沖縄県民が基地の縮小・撤退を求めるのは、基地過重負担と治外法権を駆使するという米国の条件のもとで、根底からの理性にもとづく基地嫌悪・忌避感のゆえであり、それは「構造的不服従」(※)である。しかし地位協定は沖縄協定でなく、まぎれもなく日米のものである。独立国日本の人民ならば治外法権を内在する協定を破棄する権利をもっている。くりかえすが沖縄問題はマイナーな問題でなく、日本人民総体の人権回復の課題である。本土日本人はそのことに不作為になってはならない。わたしたち本土日本人が、地位協定のもつ不法性を本当に理解すること、そのことが県民とともにあり、かれらの心情に近づく道である。

髙嶋氏の「宣言」

 最後に、本紙前号に掲載された髙嶋伸欣先生の「私の恥宣言」についてふれさせていただきたい。私見では先生は日本の近現代史をたいへん深く研究されており、沖縄のおかれている状況を科学的客観的に熟知・精通しようと研鑽を積まれてきた。しかしご自身でそれだけでよいのかと問いかけておられる。本土日本人にむかって、県民に「掛け声以上」の行動を示すことをもとめ、「本土民主主義」の改革的実践をよびかけておられる。わたしは心から賛意を表します。「宣言」が広く普及し「本土平和主義」のあるべき姿の出現することをねがってやみません。

 ※「構造的不服従」……構造的差別という言葉が多用されている、ならば差別を許さないものも必要でないか。不服従disobedience 、わたしは英国植民地下のインド人民が非暴力抵抗運動をやっていたときに使用していたものを想起して、この言葉をつかってみました。

(『思想運動』982号 2016年6月15日号)