「謝罪」なきオバマの広島訪問
日米同盟強化の「ショー」に騙されるな


5月27日夕刻、G7伊勢・志摩サミット開催を機会に被爆地広島を現職米国大統領としては初めて訪問したオバマを、日本政府・メディアは歓迎一色で迎えた。まるで、広島平和記念公園におけるオバマの17分間の演説によって、核兵器廃絶への第一歩が踏みだされたかのように。
またアベノミクスの失敗を糊塗するため、世界経済リスクに責任転嫁しG7サミットを最大限利用した安倍政権は、戦争法を強行突破した張本人であるにもかかわらず、日米同盟を「希望の同盟」と放言し、その強化と戦後71年となる日米「和解」への演出に躍起となった。これを日米合作・共同脚本による「一大ショー」とみるのはわたしたちだけであろうか。

「和解」賛美の俗論

残り少ない大統領職任期となったオバマの「謝罪」なき広島訪問をめぐっての、NHKをはじめとしたメデイアの異様な報道ぶりには、日本社会の病根がはっきりと示されている。
『毎日新聞』5月28日付朝刊一面で、論説委員長小松浩は「真の和解への道」と題する記事を書き、冒頭、「被爆地で『核なき世界』への決意を示したことだけではなく、日米両国の真の戦後和解への第一歩を刻んだという点で、歴史的である。」と評言した。そして結論の前段の箇所で、「歴史を相対化し、ひとつの歴史空間をつくりあげる。そのことほど、和解の名にふさわしい作業はない。その意味で、日米の和解は、日本とアジアの和解を改めて考えるきっかけにもなろう。/『被害者の示す度量と、加害者の慎み』。それが出合ったとき、歴史の和解が可能になると書いたのは、朴裕河・韓国世宗大教授だ。(『和解のために』平凡社)/20世紀の歴史の中で、日本は被害者でもあり、加害者でもあった。度量と寛容。慎みと勇気。これらはすべて、あらゆる国と国の和解の、前提となる要素である。」と書いた。
かれの思考の根底には、被害者と支援者の厳しい責任追及こそが、日本軍「慰安婦」問題「和解」の障害となっているとする朴裕河の論を下敷きにして、誰が誰を、何故、といった具体的な歴史を踏まえない俗論がおかれている。
米国では、広島、長崎への原爆投下は戦争終結をはやめ米軍兵士の犠牲を最小限に抑えることができたという「原爆神話」が、いまだに広く信じられている。
第二次世界大戦末期、熾烈な独ソ戦を戦い抜き、破竹の勢いで東ヨーロッパ戦線を進撃したソヴィエト赤軍は、1945年5月、ナチス・ドイツの牙城であったベルリンを解放する。米国大統領トルーマンは、日本を無条件降伏させるため、ヤルタ協定にもとづいてソ連が対日参戦することがとどめの一撃になると期待していた。
7月15日にはじまった爆撃の爪痕生々しいベルリン郊外のポツダムでの会談にトルーマンが参加した主な目的は、スターリンに対日参戦を確約させることにあった。ところが、その最中に水面下で進行していた米国の初の原爆実験成功の報をうける。もはやソ連の参戦は不要になった。戦後のソ連の、日本をふくんだアジア諸国への影響力を削ぐため、トルーマンは、日本が降伏条件(国体の護持)を模索していた情報を把握しつつも、原爆を投下した。ダグラス‐マッカーサーやアイゼンハワー元帥ですらも「日本はすでに敗北しており、軍事的にはまったく不必要」と考えていたにもかかわらず……。この形容しがたい大量無差別破壊兵器を広島、そして長崎に投下した米国政府の責任は免れない。
「あの閃光が忘れえようか
瞬時に街頭の三万は消え
圧しつぶされた暗闇の底で
五万の悲鳴を絶え(略)」
(峠三吉『原爆詩集』)
いっぽう沖縄を捨て石とし「本土決戦」を呼号していた天皇制軍部支配体制が、国体護持のために無謀な戦争終結を遅らせ、東京大空襲・沖縄戦・原爆投下の犠牲拡大をもたらした責任も同様に免れない。
わたしたちは、そうした戦前の日本軍国主義による侵略戦争にたいする戦争責任追及と、それを果たしえていない戦後責任を、常に自覚することから出発する以外にない。

「核なき世界」とは

七7年前の2009年、オバマはプラハ演説によって核兵器廃絶のビジョンを語り、ノーベル平和賞を受賞した。オバマは以後、核兵器廃絶の演説とは裏腹に、核兵器の近代化とその運搬手段開発として今後30年で1兆ドルの予算を承認している。CTBT(核実験全面禁止条約)の批准もしていない(米国の核の傘にある日本政府も同様だ!)。その「未来志向」は信じ難い。
中東政策においては、反テロ戦争を名目にイラク、アフガニスタンからの撤退を膠着化させ、NATOとともにリビア・カダフィ政権の暴力的転覆、シリア、ウクライナ危機への介入と反ロシア政策にみられるその戦争政策は、とどまるところを知らない。強いて積極面をあげるとすれば、イランの核開発制限合意があるが、それもロシアによる仲介支援があってのことである。
アジアではリバランス政策のもと、南シナ海問題における中国への挑発と牽制、中国包囲網の形成に余念がない。朝鮮敵視政策にもとづき最大規模の米韓合同軍事演習を実施し、朝鮮政府からの休戦協定を平和協定に転換するようにとの提案を拒否し続けている。朝鮮半島の非核化ではなく「朝鮮の非核化」を一方的に求める姿勢は、任期内における朝鮮問題の解決を困難にしている。
沖縄における米軍の占領支配、引き続く施政権返還後の沖縄の米軍基地の現状をみると、それが沖縄県民に、日米同盟強化の橋頭保としての役割を押しつけていることがはっきりとわかる。
直近では、またしても沖縄嘉手納基地の元海兵隊員による残忍な女性レイプ殺害、死体遺棄事件があった。沖縄にある米軍基地の存在が、問題の根源である。そこには、米海兵隊が沖縄に着任した兵士らを対象にした研修で、沖縄の世論は「地元メディアの恣意的な報道によって色眼鏡で物事を見ている」と説明するなど、沖縄民衆を見下すような「軍事植民地支配者」としての感情が横たわっている。いま、辺野古・高江の新基地建設に反対する沖縄民衆の声は、海兵隊の沖縄からの撤収要求から、すべての米軍基地の撤去へとつき進んでいる。
今回の日米首脳会談において、オバマは遺憾の意を表明したが、明確な謝罪もせず「日米地位協定」見直しにも一切触れなかった。安倍は普天間飛行場の移設問題は「辺野古が唯一」と伝達した。わたしたちは、日米両国政府の犠牲者と沖縄県民にたいする不誠実な態度と、問題先送りの怠惰な姿勢を許してはならない。

安倍政権の「戦争国家化」を許すな

いまから66年前、ポーランド・ワルシャワで結成された世界平和評議会が、核兵器廃絶のための「ストックホルム・アピール」(1950年3月)を発し、世界のひとびとに核兵器の不使用を訴えた。アピールは「人民の大量殺戮と恫喝の道具である原子兵器が違法であると宣告することを要求する」「原子兵器の厳格な国際管理を要求する」「原子兵器の使用は、戦争犯罪人として扱われるべきだ」などと述べ、全世界に署名をよびかけ、短時日に五億人の署名を集めた。1950年5月の反イールズ闘争、10月の反レッドパージ闘争をたたかっていた日本学生運動は、新たな全面講和締結と再軍備反対のために、このストックホルム・アピールに呼応した平和擁護運動を展開する。
原爆投下を賛美するアメリカ映画にたいして、当時、武井昭夫全学連委員長はつぎのように述べた。「原爆投下の賛美という傾向にたたかいかつためには、広島、長崎の悲劇が、反ファシズム統一戦線の戦争目的とは無関係であり、8・15以後今日に至る日本占領とその植民地化計画への政治的布石であったこと、それゆえ、これは世界史上かつてない非人道的行為であったこと、この歴史的事実の正当な把握をも必要とする。」(「日本平和擁護運動への批判と展望」)と、原爆禁止闘争と占領下の独立闘争を結びつける課題を提起していた。
この先駆的たたかいにならい、わたしたちは、日米の軍事同盟の強化、日本の戦争国家化に反対し、反核・反原発のたたかいを、断固進めよう。【逢坂秀人】

(『思想運動』981号 2016年6月1日号)