《発言台=戦争法案・派遣法改悪との闘い》
労働組合はいかに闘うべきだったか
田沼久男(民間・退職者組合員)

 2015年は、永田町国会周辺と霞ヶ関地区では、「戦争法案廃案の闘い」、「労働者派遣法改悪阻止」、「辺野古新基地建設反対」、「JAL争議団などへの争議支援」、「原発再稼働阻止」、「東京地裁・高裁での裁判闘争」等、多くの行動が展開された。わたしは民間企業で働いていた退職者組合員だが、これらの行動に参加した一人としてこの間の闘いについての感想を述べる。

多様な運動が生まれたことは前進だが、参加者の大半は労働者・労働組合

 「戦争法案廃案」から始まり「安倍内閣退陣」を求めた運動は、「戦争させない1000人委員会」「解釈で九条壊すな!実行委員会」「戦争する国ストップ!憲法を守り・いかす共同センター」の3団体が中心になり、「戦争させない・九条壊すな!総がかり行動実行委員会(以下、「実行委員会」)」を発足させた。実行委員会は、9月に戦争法案が強行「採決」され「成立」した以降も、2016年夏の参議院選挙を焦点にして運動を継続している。
 実行委員会は10月29日に中間総括として「総がかり行動実行委員会が発足、行動することにより、60年安保に匹敵する運動を作り上げることができ」「日弁連、立憲デモクラシー、学者の会、シールズ、ママの会など多様な運動が東京はじめ全国で生まれ、(中略)確実にさらに運動を拡大する展望が見えた」「従来の組織動員型の運動を担ってきた団体は、運動の基礎を支えると同時に、組織の強化と活性化を実現しつつある」と発表した。「総がかり行動」のうち、8月30日(12万人)、9月14日(4万5千人)など数回の国会包囲行動は労働組合に属さない市民・労働者の参加が多かったと思われる。しかし、毎週木曜日に行なわれた国会前行動の参加者の大半は労働組合の取組によるものであった。「運動の基礎を支えた従来の組織動員型」の運動を担ってきた団体の大半は労働組合であることは何本もの組合旗が立っていたことから読み取ることができる。
 ところが、実行委員会は「運動の発展は一般市民の自主的な参加の拡大にあった」とする市民運動に、より重きをおいた総括をしている。集会では労働組合を代表しての発言者はほとんど皆無であり、その他の発言でも労働者や労働組合の活動に触れた者がいなかったことから、実行委員会の総括は当然の帰結だろう。わたしも今回の戦争法案廃案の闘いの中で、多様な運動が生まれたことを前進と評価している。同時に、戦争法案廃案の闘いに労働組合がしっかり取り組めたのか、大衆運動を下支えするような職場討議がなされて、組合としてどう闘い、組織強化につながったかどうかに強い関心があり知りたいと思っている。
 日本の大資本・大企業は、海外進出のいっそうの強化を抜きにしては利益の確保が難しい状況にある。同時に米国から、主にアジア地域において米軍の肩代わりを求められている。資本が海外進出し、それを守る目的で米軍といっしょに行動する自衛隊の海外派兵が行なわれようとしているが、それを阻止できる中心勢力は、労働者予備軍の学生か、退職した年配層か、あるいは専業主婦たちだろうか。
 わたしは、労働者階級からの搾取と収奪を強化するために自衛隊の海外派兵を目論む今回の憲法破壊・戦争法案立法化を阻止する闘いの主戦場は、労働現場にあると考える。職場で労働者・労働組合が経団連を頭目とする資本の憲法改悪・自衛隊の海外派兵の攻撃に反対する闘いに取り組まなくては、大資本とその意を受けた政府の攻撃に勝つことは不可能だからだ。
 戦争法案反対の闘いに取り組んだ多くの労働者・労働組合、そして組織的な行動を行わなかった労働組合の真摯な討議を期待する。

組合員は労働者派遣法改悪反対などの闘いに参加したか、労働組合はストライキで闘ったか

 「安倍政権の雇用破壊に反対する共同アクション」が取り組んだ労働者派遣法改悪反対の闘いも、国会前・厚労省前での改悪法案反対・労政審抗議や院内集会が中心になった。昼休み時間帯などに行なわれた行動には、残念ながら現役の労働者・組合員はほとんど参加していない。
 国会前・厚労省前抗議行動や院内集会も重要な闘いではあるが、やはり労資が直接対決する職場での闘いがないと、労働法制改悪阻止の闘いは前進しない。たとえば派遣や非正規社員の導入に対し、職場での反対の闘いが取り組めてこそ、労働運動総体としての反対の闘いになる。当該職場ではストライキを構えた闘いが必要だし、ナショナルセンターの指導はそこを目指すべきだと、闘いに参加するたびに思った。昼休み時間帯に取り組まれたJAL争議解雇撤回などの争議支援も、参加するのは組合役員や被解雇者、退職者など日中時間のある人に限られているようだった。わたしを含めていつも「金太郎飴」のようだ。霞ヶ関近隣の組合から一般組合員が支援参加している様子も、ほとんど感じられなかった。
 わたしが所属する組合が霞ヶ関にいた1996年頃までは、国鉄分割民営化反対・1047名解雇撤回の集会や抗議行動や千代田区労協の丸の内昼デモなどに、多くの組合員が昼ごはんの時間を削って支援に行った。支援に行くことは日常茶飯事のことだった。組合員が支援活動に取り組むかどうかは、執行部に支援活動の方針があるか、そして地域に支援組織が存在しているかどうかだと思うが、今日では両方が存在していないところが多いようだ。組合幹部と退職者だけの支援では、争議に勝利することは困難だ。労働組合の闘いのバロメーターは、ストライキで闘えるかどうかだと思っている。厚労省の統計では、ストライキは減少し続けている。最近の数字では2013年で、「全国の争議件数はわずか71件、人数は1万2910名、労働喪失日数は7035日(1974年は966万日)」である。この統計は、各地の労政事務所が集計しているようだ。わたしが現役だった6~7年前では、毎月地元の労政事務所に「何日に何名が何時間何分のストを実施」と報告していた。最近のストイライキの統計はさみしい限りだ。
 こうした状況では、職場・生産点で労働者が主人公になれることは遠い夢だろう。まず職場から、憲法28条にある労働三権(団結権、団体交渉権、団体行動権)を行使することが、戦争を生み出す資本主義の根源に迫る闘いに直結する。
 2016年も、当面の戦場になっている国会周辺に、まだまだかよわなければいけないようだ。

(『思想運動』972号 2016年1月1日・15日号)