安倍70年談話は戦争法案の強行突破宣言
日本労働者階級人民の敗戦後70年をこそ問う
           

 8月14日、日本国首相・安倍晋三は日本軍国主義が敗北した敗戦後70年を「戦後70年」と言いくるめ、談話を発表した。
 帝国主義国家・日本が今後、いかなる方向性をもって世界と向き合おうとするのか? 空疎なことばの羅列の端ばしに、狡猾な帝国主義者の本音がすけて見えるこの安倍談話の真意を見抜くことは、われわれ日本労働者階級人民にとって避けて通れぬ喫緊の課題である。

反帝国主義の観点に立脚して

 まず一読して分かることは、近代の叙述においてアイヌ・琉球王国の内国植民地支配とともに日本帝国主義の台湾、朝鮮への侵略・植民地支配の歴史的事実がなかったことにされていることである。代わりに、前段で世界の近代史をふりかえり、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と叙述している。また、「第一次世界大戦を経て」「戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれ」「当初は、日本も足並みをそろえ」たが、のちに「日本は、世界の大勢を見失って」「満州事変、そして国際連盟からの脱退」「進むべき針路を誤り、戦争への道を進んでいきました」とも叙述している。
 この、まるで大日本帝国は満州事変から針路を誤り戦争への道に突き進んだかの言いようは何か? 江戸期の松前藩からつづくアイヌ支配、そして1868年の明治維新以降、明治政府は武力による琉球処分(1879年)を行ない、大日本帝国憲法の発布(1889年)をへて大日本帝国が成立してからは、日清戦争(1894年)で台湾を植民地支配(1895年)し、日露戦争(1904年)をへて朝鮮を植民地支配(1910年)し、第一次世界大戦(1914年)、ロシア革命への反革命干渉のシベリア出兵(1918年)、満州事変(1931年)、日中戦争(1937年)、アジア太平洋戦争(1941年)と、ほぼ10年おきに侵略・干渉戦争を繰り返してきた。いわば、日本近代の成立期から進むべき針路を誤っていた。この歴史認識を意識的に糊塗して、満州事変以前のアイヌ・琉球・台湾・朝鮮への侵略・植民地支配を「正当化」しているのが安倍談話なのである。
 さらに談話の中段において、1995年の村山談話、2005年の小泉談話に盛り込まれ、今回の安倍談話でも注目された「痛切な反省」「心からのおわび」「侵略」「植民地支配」の四つの単語がちりばめられているが、いずれも没主体的な客観表現にすぎない。だれがだれに対しておこなった「侵略」であり、「植民地支配」であったのか? だれがだれに対しておこなう「痛切な反省」であり、「心からのおわび」であるのか? この主語と対象が意図的に曖昧化ないし一般化されている。そして、それが談話後段の「寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができ」「和解のために力を尽くしてくださった」国々、方々に「感謝の気持ちを表し」「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」の叙述につながるのである。なんたる帝国主義者の手前勝手さか! 日清戦争からアジア太平洋戦争にいたる日本軍国主義による戦争犠牲者・被害者が、「寛容の心」「和解」を安倍から言われる筋合いはない。
 日本政府が行なうべきことは、過去の侵略・植民地支配の歴史に向き合い、謝罪と償いを行なったうえで、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにする」(日本国憲法前文)ために、義務教育においてこの事実を子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに伝えていくことである。われわれ日本の労働者階級人民の立場からすれば、その反帝国主義の観点に立脚した歴史的関係性を土台にしてしか、抑圧民族の労働者階級と被抑圧民族の労働者階級のインターナショナルな連帯は築き得ない。
 また談話の後段に、女性にかんする叙述が出てくる。それは「私たちは、20世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、わが国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい」という行くだりだが、ここもだれによって「傷つけられた」のか、主語と対象が曖昧化されている。安倍談話では、河野談話(1993年)で対象とされたいわゆる従軍慰安婦=戦時性奴隷制被害者にたいする謝罪と償いを正面から引き継ぐことを避け、「胸に刻み」「寄り添う」などと、ただただ抽象的な美辞麗句が並んでいるだけである。われわれは国内の歴史修正主義者と歩調をあわせ戦時性奴隷被害者をなかったことにする安倍談話を決して許さず、日本軍国主義の戦時性奴隷制度で被害を受けた南北朝鮮、中国、フィリピン、インドネシア、オランダ等々の被害者に対して、日本政府が謝罪と償いをただちに行なうよう強く要求する。
 さらに安倍談話の最後には、「わが国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、『積極的平和主義』の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります」と、ここでは本音を語っている。「自由、民主主義、人権といった基本的価値」は日米同盟の合言葉だ。その「基本的価値」基準から外れる中国・朝鮮には、現在参議院で審議中の戦争法案を通過させ、「積極的平和主義」=「集団的自衛権」行使で対応するという態度表明に他ならない。つまり、「70年談話」をつうじて安倍は、戦争法案強行突破を日本と世界の人民にむかって宣言したのである。われわれは、この安倍談話における態度表明を断固として排撃する。

朝鮮をないものとして扱う意図

 安倍談話全体を見渡して、ぜひ言っておかねばならないことを二点指摘する。
 一つは、安倍談話の中に出てくる戦争被害者の数字についてである。初めこそ「この戦争(第一次世界大戦)は、1000万人もの戦死者をだす、悲惨な戦争」とあるが、その後は「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われ……」「戦後、600万人を超える引揚者が……」「中国に置き去りにされた3000人近い日本人の子どもたちが……」と日本人戦争被害者のみ数字が挙げられている。しかし、日本軍国主義がアジア太平洋地域で引き起こした2000万人にのぼる戦争犠牲者のことについてはまったく触れないのである。ここに安倍の歴史観があらわれている。こうした安倍談話の発表に対して、翌日8月15日の全国戦没者追悼式における平成天皇アキヒトの発言を高く評価し、普段、戦争法案や沖縄・新基地建設に反対している新聞(例えば、『東京新聞』や『琉球新報』)を含めてすべて「右へ、ならえ!」している。しかし、この《平和主義者・平成天皇と戦争法案の安倍晋三》とは、コインの裏表で支えあっていることを見抜くことが必要だ。戦後日本の成り立ちは、アメリカ帝国主義のアジア支配の構想のもと、《天皇‐九条‐沖縄》の関係性の中で形成された。われわれは天皇制こそが、戦前・戦後の日本労働者階級人民の解放を妨げてきた元凶であり、この制度・イデオロギーから脱却する闘争を抜きに真に日本労働者階級人民の解放はない。日本国憲法第一章「天皇」は廃棄されねば、人民共和国の日本はあり得ないと主張する。
 もう一つは、談話の中に朝鮮民主主義人民共和国が一言も出てこないことだ。敗戦時、昭和天皇ヒロヒトの「玉音」放送を聞いて、当時の首相・東久邇宮の口から出てきたのが「一億総懺悔」だった。だが、当時の日本人人口は約7215万人であり、残る約2785万人のなかに、大日本帝国が侵略・植民地支配した朝鮮人民を含んでいた。日本の敗戦は、「皇国臣民」であることを強制した朝鮮人民にも「総懺悔」させることから始まったのである。本紙姉妹誌『社会評論』最新号(181号)の巻頭エッセイ特集《いま青年が問う敗戦70年の「美しい国」》10本のなかに、3人の10代~30代の在日朝鮮人青年がエッセイを寄稿している。かれらは異口同音に、在日朝鮮人は「戦後ではなく、戦中に生きることを強要されている」と告発している。このような屈辱と植民地支配の今日的強制は、朝鮮学校の無償化を一貫して排除しつづける日本政府の姿勢にはっきりとあらわれている。日本支配階級は、朝鮮学校の教育が、反帝闘争をたたかう朝鮮民主主義人民共和国と密接不可分の反日本帝国主義教育を行なっていることを階級的に見抜いているからこそ排除しているのである。それは、安倍談話が朝鮮民主主義人民共和国をないものとして扱う姿勢につながっている。敗戦から70年がたつこんにちもこうした状況をゆるし、そればかりか政府・マスコミの「敵視」政策にのって朝鮮バッシングをつづける日本の労働者階級人民は、近現代に日本帝国主義が朝鮮に対して行ない、いまも行なっている歴史と現状況を見極めることをなくしては、みずからの解放もないことを知るべきである。

インターナショナルな視点をもって

 最後に、安倍談話は8月14日に閣議決定をへて日本政府の意志として発表された。その真意はどこにあるか?
 いま文科省は、学習指導要領の全面改訂にあたり高校における近現代史の新設を検討している。そこに安倍談話の歴史観を反映させること。さらに、海外に向けては「日本型教育の海外展開官民協働プラットフォーム」(仮称)を設立して日本型教育をアジアや中東、アフリカ諸国に輸出(関連して学校法人や教育関連企業も進出)する計画もすすめている。こうした、国内外に安倍談話を基本にすえた歴史修正主義教育を植え付け、日本の多国籍独占企業の国際展開を有利にすすめる。そしてそれに従わない価値観をもつ国には戦争法にもとづいて行動する。この筋書きが、そのまま適応されるだろうか? それはひとえにわれわれ日本労働者階級人民が、《われわれの敗戦後70年談話》を、戦争史観ではなく階級闘争史観によって構築できるか否か、それにもとづいてインターナショナルな視野にたって行動できるか否かにかかっている。いま、連日取り組まれる戦争法案阻止! 安倍政権打倒! の闘いにも、このことを念頭において参加していこう! 【土松克典】

(『思想運動』964号 2015年9月1日号)