編集委員座談会 壊憲阻止闘争の前進のために
反中国・反朝鮮の「脅威論」と徹底的に闘おう!

運動の広がりの追求とともに問題の本質をとらえた原則的な主張を

座談会参加者  逢坂秀人(文化活動家)、沖江和博(国際問題研究)、高橋省二(文化活動家)、土松克典(韓国労働研究)、日向よう子(HOWS受講生)、広野省三(編集者)、山下勇男(社会主義研究)、米丸かさね(編集者)

 わたしたちは“いま”をどうとらえ、何をなすべきか。運動の方向をどう見定めてゆくか。それは自明のものではなく、絶えず共同の討議の場で議論しながら掴んでいくべきことだろう。この間の安保法制反対・改憲阻止闘争の成果と課題、反中国・反朝鮮の「脅威論」の克服を中心に、本紙編集部で座談会を行なった。
 座談会では、姉妹誌『社会評論』最新号(181号)に掲載された広野省三論文「米中逆転時代の到来と日本人民の進路」で提起された問題意識を引き継ぎつつ討議が行なわれた。広野論文では、この間の国際的国内的動向を踏まえながら、安倍政権が何を、なぜやろうとしているのかを明示しながら、その認識を運動論につなげる論理が展開されている。この座談会と合わせて、いま運動に携わっている多くの人に読んでほしい。 【編集部】

個と集団/若者がかかえる困難

土松 戦争法案が衆院で可決される前後に、国会前座り込みや集会・デモに参加してきた。運動の内部にある課題や困難を考える上で、60年安保闘争や三井三池闘争と、今日の戦争法制案反対の闘いとの比較がなされることがある。そこでは60年代は「組織の頭」が潰されたら解体してしまったが、今回の動きには「自立した個」の立ち上がりが見られる。その点に希望がもてるという意見がある。
 ダラ幹が支配する既成の労働組合は展望がない、組織的動員など古い、といった観方が支配的だ。集団の力が十分に発揮されるためにはその集団を支える下部の活動家の役割が重要だ。三井三池、60年安保以後の闘いがすべてそうであったとは思わないが、たとえば幹部請負主義的な傾向があった。動員費を交通費・弁当付きで払うといった習慣が労働運動の堕落を生み、それが労働組合の組織的参加を好まない、今日の「市民主義」意識の状況につながっているのではないか?
 しかし、個と集団を対立的に捉えるのではなくて 歴史的役割を自覚した個が、集団とどのように連携し、運動を拡大させていくのかという思考が必要ではないか。そこでは運動が下部から鍛えられていくスタイルが求められる。そして行動の統一と同時に相互批判、自己批判が運動内部で保障され、論争が起こってくるような運動のあり方が追求されるべきではないだろうか。いま、こうした観点が見失われていることが、運動のダイナミックな発展を運動自身が阻む要因のひとつになっているのではないか。
沖江 「天皇―9条―沖縄」の三角関係を紙誌で暴露していくことが、運動の核になることを強調していくべきだ。
 象徴天皇制批判などはこの状況ではするべきでないという考えもあるが、戦後日本をつくってきたこの三角関係を暴露することを通して資本主義体制を基礎とする日本国憲法を突き抜け、日本人民共和国憲法を追求していくような思想的基礎をつくり得るのではないか? そしてその基軸は、職場生産点での闘いにおかれるべきだということが強調されなければならない。全印総連、全日本金属情報機器労組、出版労連などが戦争法案反対でスト権を確立してきている。医労連も近々確立すると聞いている。このような動きに可能性を感じる。
土松 いま、戦争法案反対の声を学生・青年が挙げ出している。それは学生が置かれている状況が大変厳しいことをも示している。産軍官学共同に巻き込まれる状況がいっそう進んでいる。防衛省が研究費で釣って研究を公募していたり、「日の丸」までも大学に揚げろと圧力が加えられている。
米丸 大学内や職場ではビラや立看板は禁止が当たり前になっている。自分の日常的な場所での閉塞的状況に押し出されるような感覚で、自分たちの問題意識を主張・表現する場を切実に求めているのではないか。
逢坂 若年層が置かれている今日の状況――幼少期から青年期に至るまで、また親世代ですら大衆運動や労働組合運動が解体された後の世代――にもかかわらず、戦争に向かういまの政治状況に危機感をもち、正義感にしたがって行動している。その動機自体はとても大切で尊重されるべきものだ。同時に、かれらが、かれらの足元の問題を見て闘いが起こっていけば、そして今日の大学がなぜこのような攻撃を許すような状況に追い込まれて来たのか、その歴史を顧みることができれば、さらにいいのではないか。
高橋 私学にしろ国公立にしろ、学生が自主的に活動する場、自治組織が解体させられた状況は本当にひどい。しかし、学生なら自治会、労働者なら労働組合をもう一度新しい形でつくり直す方法論の研究と、それに基づくねばり強い活動がないと、根本的にひっくり返すことはできない。
沖江 学生自治会をどうやって再建するのかが基本だと思う。自治会ではなくとも、部活やサークルの部屋を大学当局に要求することも重要だ。難しいのは重々承知の上だが、しかしもうダメだと諦めてしまうのではなく、そうした原則と現状との乖離から、自分たちがいま何をすることが必要なのかをつかんでいくことが重要ではないか。自治会で自分たちが闘って教授会なりに要求していく運動があって初めて、学外の運動体とも協働できるのでないだろうか。
逢坂 ある意味では、戦前の、一部有志による学生運動があった東大新人会などの時代、いまはそれぐらいの意識でやらなければ、状況を打開できないくらい大学の状況は過酷だ。しかし、だからこそ焦らず、近視眼的にならず、戦後の全学連結成とその運動実践の歴史を学ぶことが必要ではないか。

米の世界戦略の変遷をどう見るか

米丸 沖縄をはじめとして、全国各地でねばり強く闘われてきた運動が有機的に結びついて、現在の壊憲闘争の広がりができている。このことをリアルにとらえるには、どういう視点が必要だろうか。国会前に数万人が集まっている状況はすごいとも感じるが、職場や大学内での活動との温度差をどう考えればいいのか。
 先日の『朝日新聞』の記事に、ある自民党議員が「国民はすぐ忘れる」と漏らしたと書いてあった。いま支持率がかなり低下しているが、それをも見越して、安倍政権は9月中旬には強行成立させるのではないか。国会前の集会でも「支持率が下がれば廃案・退陣に持っていける」との見方が話されているが、果たしてそうか? 日米の支配階級は、いざとなれば安倍の首をすげ替えれば良いというくらいに考えているのではないか? 
 政府は戦争法案が必要な理由として「安全保障環境の変化」を持ち出しているが、それに中国や朝鮮の「脅威論」を使っている。労働者階級の観点に立った歴史認識を獲得しなければ、安倍らの戦争政策と本当に闘っていくことはできないと思う。
 また中・朝の「脅威論」の裏返しとして、アメリカを「善玉」と見る「好意的な見方」がある。敗戦直後から行なわれてきた沖縄や朝鮮でのアメリカの蛮行を見れば、アメリカが「善玉」でないのは明らかで、この点も改めて強調する必要がある。
 日本国内での朝鮮や中国の報道は、100%と言わないまでも、常に、歪まないはずはない。そもそも安倍たちの好きな資本主義の「普遍的価値観」と、社会主義を目指す中・朝の価値観は違うのだ。こういったことを丁寧に伝えていくべきで、日朝のストックホルム合意にしろ尖閣諸島の報道にしても、商業紙では意図的に敵意を煽る報道で足並みを揃えている。これも安倍政権のメディア操作の影響ではないだろうか?
広野 それはもちろん追求・暴露していくべき課題だと思うが、アメリカの日本占領政策とアジア・世界戦略の変化をどう見るかがポイントではないか。
 その場合にはソ連・東欧社会主義との対決そしてその倒壊、中国革命の成立と社会主義市場経済を推進する中国社会主義の現在、そしてアメリカ内部をはじめとする資本主義国の階級闘争がどう展開されたのかを検討する必要がある。そういった歴史全体が、今日の日本の政治・社会状況につながっている。
日向 アメリカのことだが、沖江さんが「天皇―9条―沖縄」の三角関係を指摘しているが、日米安保の問題を問わないで、この問題を明らかにすることはできない。国連憲章が憲法にも反映されているというのだけれども、それがなぜ日本国憲法に反映せられたのかといえば、社会主義を追求する国際的な運動・闘いがあったからだ。しかし、民主主義や平和を求める国際的な運動の歴史のなかで、社会主義運動が果たした役割の認識がまったく欠落してしまっているため、憲法の民主主義といえばGHQ民生局=アメリカという見方が支配的だ。ファシズムと日本軍国主義を打倒した世界人民の声が、米・英・ソ、そして中国がつくったポツダム宣言には、反映している。
 朝鮮戦争によって日本の再軍備が始まり、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約で反共・反社会主義の立場を鮮明にし、今日、日本は軍事大国化に向かってきたのだけれども、戦争責任については、アメリカは、連合国対敗戦国として厳しい立場をとっている。一方で反共・反社会主義という面では日本と一致してやっている。こうした相矛盾する両面を押さえて、日米安保の問題をきちんと位置づけなくてはいけない。

反改憲論の本質とは

広野 「自衛隊は既に国民に認知されている。」「安保は日本を守ってくれている。」「天皇制に反対と言う人もいません。」と安倍は言っている。つまりそれらを形成・維持する途中では「左翼や労組や学者がうるさく言ったけれども、いまは国民みんなが認めているでしょ。」と言うわけだ。マスコミ上の反対論の多くを見ても、「日米安保は大事だけれど、何でホルムズ海峡までいくの?」、という本質的な論点を外れた話が多い。
 つまり、いまの大勢の論調は「自衛隊の存在や朝鮮有事、個別的自衛権はみんな賛成、でもホルムズ海峡や集団的自衛権まで言い出すのだったらちゃんと改憲しましょうよ。」というものであって、反対の根拠は立憲主義と手続き論が多い。
 だから学者の多くが、法的安定性がなくなったら「朝鮮や中国と同じになりますよ」との論調だ。理想論で切り捨てられるのが現状だが、しかし、なぜ戦争と武力を否定した憲法9条がつくられたのか、その歴史と思想をわれわれはもっと深く考えるべきではないか。さらに言えば、戦争と天皇制に反対した共産主義運動は、どうしてあれだけ弾圧されなければならなかったのか? と問う必要がある。敗戦から日本占領期の50年代の階級闘争は熾烈だった。50年から始まる朝鮮戦争では南朝鮮軍は、釜山まで追い詰められて、日本まで落とされるという状況になった。これにたいするアメリカ側の反撃は、核兵器の使用も検討されるなか、凄惨をきわめるものだった。日本国内では「朝聯」(朝鮮総聯の前身)の解散、レッドパージ、共産党の非合法化まで行なわれたのだ。
日向 7月25日のHOWS講座で浅井基文さんが、戦争法案が通った後、運動がなえてしまうのではいけないから、次の政権で取り消しを求める目標を立てていくことが大事だという意見にはうなづける。
 安倍政権を打倒するというスローガンで退陣に追いこむ、そして閣議決定取消を次の政権に迫る、と。
 ここから先はわたしの意見だが、そのためには一点共闘ではなく安倍政権の問題をさまざまに論議していく必要がある。そのなかでなぜ日米政府は中国・朝鮮を敵視するのか、そして反共・反社会主義という同じバイアスが人民の側をもおおっているのではないか、という問題を提起することが大切だと思う。論議するなかで、敵視政策に巻きこまれず反戦を貫く層を広げられないか。
沖江 ギリシャの政治・経済状況が連日話題になるが、日本の報道ではギリシャ共産党の活動がほとんど出てこない。資本主義の改良を掲げるSYRIZAと、そうではない道があるのだと提示し続けているギリシャ共産党の主張を絡めて、いまのような問題を論じていけば、資本主義、民主主義、社会主義といった関係ももう少し見えてくるのではないか。
山下 広野さんが提起している「改憲論者が運動の中心に進出してきている状況」という表現は正確さに欠けるのではないかと考えている。それは広野さんの論文のなかでも指摘されているのだが、つまり運動の全体の水準がそれに収斂されている。自衛隊は合憲、個別的自衛権は9条でも認められているという考えがベースにあって、その上で法案の推移の論理的整合性のなさをついている。そうなると、相手の土俵に乗っての「論戦」ということになる。だから、改憲論者が運動の中心に出てきているというよりかは、知らず知らずのうちに運動全体が改憲論にシフトしているということではないか。つまり、先ほども言われたが集団的自衛権をと言うならば堂々と改憲論を言えよ、ということになる。
 日本共産党の創立93周年記念講演会に小林節がビデオメッセージをもらっているが、小林はそこではこういったことには触れないで(そりゃそうだ)「ぶれない共産党」を信頼するということだけを強調している。小林は最近でも「9条にしがみついているのはバカだ」と言っている。
 が、こういったことは表に出さない。「違憲」のかれらが登場したことによって、運動の質がそのレベルに収斂されないよう注意がいる。だから広野さんが統一戦線の考え方で言っていることに賛成で、それぞれの政治的主張はあってしかるべきだ。運動の内部でそれは多いに検討されるという関係が保障されるべきだ。
 いまの運動にはそれがなくて、ベターッとお互いが癒着することで成り立っているように見える。たしかに運動の広がりをつくり出すことが、敵の攻撃に一定のブレーキを掛けるということは認めたうえで、しかしこの論で言ったらこの先の壊憲反対闘争の展望はどうなるのか? と問わざるを得ない。
日向 いまの運動が改憲論に収斂されているというのは言い過ぎだろう。先日話した人は、改憲論者ですらも「違憲だ」と言い出したことが発火点になったといっていて、個別的自衛権も問題だとの主張も当然ある。
山下 逆に言えば、わたしたちもそういった主張をはっきり出して、一石を投じることが必要だということ。
高橋 この機会に個別的自衛権や安保の歴史、憲法成立の歴史に遡って主張していくことが大事だと思う。
広野 個別的自衛権の問題では、もし、尖閣で事件が起きたらどうなるのか。沖縄では本土のように「集団的自衛権は違憲である」とさえ言っておけば済む話ではない。日米安保破棄で「オール沖縄」とはならないけれど、論は論として、個別的自衛権も違憲であることを、われわれははっきりと主張すべきだと思う。
日向 日米安保があるからこそ、地位協定で基地被害がもたらされているという考えは浸透しているのではないか。
広野 その認識がありながら、辺野古に基地はつくらせないという一点で「オール沖縄」が成立し、小選挙区の全部で自民党候補を倒す。そのような闘いのあり方にわれわれ本土の運動は徹底的に学ぶ必要があると思う。
日向 運動が改憲論者の物言いに収斂されているとの指摘だが、その恐れがあるなかで、安倍たちの思惑通りにいったとすると在日朝鮮人に真っ先に被害が及ぶ。ここを見ておかなければいけない。この点を曖昧にした運動では在日朝鮮人の歴史と闘いと権利の問題が欠落してしまう。
広野 そういった本質的な議論を内部でしない。そういった難しい議論を出すとまとまらないから、なんにしろ大勢が集まればいい、という話になりがちだ。だから有名人を柱に集会を計画し、権力との非妥協的な闘いの質が薄められる。大衆的広がりをもった運動に意味がないわけではないが、安倍たち支配階級の危機意識、攻撃の質は、まったくレベルが違う。

核心は中国・朝鮮「脅威論」の克服

山下 戦争法案は中国と朝鮮、とくに中国の仮想敵国視が基軸になっている。衆議院の議論ではそれを押し出す展開にはなっていなかった。しかし参議院に移ってから政府側はこの点をクローズアップしてきている。安倍はよく「安全保障環境の変化」と言う。「力による現状変更は認められない」……という言い方もされる。尖閣問題などが念頭にあるのだろうが、防衛白書はついに中国の名指し批判を出した。ホルムズ海峡、ホルムズ海峡と馬鹿の一つ覚えのように言っていた口実が破綻したため、中国・朝鮮脅威論を全面に出し始めた。
 アジアとの関係、とくに中国との関係を平和の構築という観点から妨げているものはいったいなんなのか?
 たとえば石原慎太郎が、都が尖閣を購入するなどと言い出して、その挑発に乗って野田政権が国有化に踏み切った。
 これが決定的な転換となった。72年の日中国交回復の精神を破壊してしまった。ポツダム宣言との絡みで言えば、日中共同声明では、第3項で「日本政府は中華人民共和国の立場を十分理解し尊重し、ポツダム宣言第8項にもとづく立場を堅持する」と書いてある。ポツダム宣言の第8条では、日本の領土は本州、北海道、四国、九州、連合国が決定する諸小島に局限されている。敗戦国日本に自国の領土の範囲を自国で決める権限は与えられていない。
 尖閣諸島が「固有の領土」などと言うこと自体がおかしい。こんな自明のことを共産党まで含めて前提にしてしまっている。これでは中国敵視論、安倍の言う「安保環境の変化」に対抗できない。
 小林節は「……こんなことやっていたら日本は北朝鮮の様になってしまう……」などと批判している。長谷部恭男も『朝日』で「……だんだん中国に似てきている……」などと言っている。このような言い方で本当に対決できるか?なぜ中国、朝鮮を引き合いに出さねばならないのか? 安倍政権がしつらえた土俵に立っているのと同じだ。今年は敗戦七〇周年の節目の年だが、日本の戦前戦後の在り様が内外から厳しく問われている。
 秘密保護法制定のとき、われわれは治安維持法の復活、新たな戦前の始まりだと主張した。この点で言えば『思想運動』の前号において明治の世界遺産の問題で日本社会を批判した李英哲さんの歴史感覚は鋭いと感じた。あのような意識が抑圧されている側からしか発信されてこない状況が、日本人民の現状ではないか。陰に陽に言論の自由、表現の自由に圧力がかけられている。戦前的な抑圧体制が日常的に浸透してきている。朝鮮、中国に似てきているか、いないかといった視点ではありえない。
 われわれが中国、朝鮮バッシング、とりわけ中国脅威論と対抗するためには、われわれの視点も研ぎ澄ませなければならない。新聞等を読んでいても中国の経済力、軍事力が強大化しているのを取り上げて安倍たちは中国脅威論をあおっている。こういった論にきちっと対立できなければ闘いにならないのではないか。
広野 賛成です。安倍は「支持率のために政治をやっているのではない」などと言ったらしいが、むしろその点は正しいと受け止めるべきではないか。それに対して民主党にしろ共産党にしろ、支持率のために動いているだけのように見える。支配階級の側の階級意識と、われわれ労働者階級の側の階級意識との差が、歴然と表われているといっていい。その意味でも「戦後70年、日本は平和の道を歩み続けてきた」という微温的歴史観を、朝鮮分断・敵視、アジアへの経済侵略、沖縄米軍基地の現状などを具体的に学習・検討していくなかで再度立て直していく必要がある。

職場生産点から闘いの構築を

逢坂 かれらは安全保障環境の変化というは「学者じゃなくて、政治家が決めるのだ」とも言っている。中国脅威論から、抑止力を強化するためには戦争法制が必要なのだとも言っている。領土問題を軸にアメリカが仕掛けた罠を歴史的実証的にし説明していく必要がある。国会の議論では争点隠しがされている。ホルムズ海峡とかなんとか言っても、安倍の九月の訪中の話や日ロの洋上会談などがある。経済的関係があるから、一方で関係改善はやらざるを得ない。このような二面性がある。
山下 その通りで、日本資本は中国とは決定的に決別できない。にもかかわらず、国内の支配を強めるためには次々とトリックをつくり出す。朝鮮からミサイルが飛んでくるとか……。
逢坂 安倍としては日中関係を正常化にもっていきたい。でも支持率が下がってくるから防衛白書やガス田開発の問題を出すわけです。そして危機感を煽り、現在の自分たちの本当の危機をごまかしたい。
日向 浅井基文さんはHOWSの講座で朝鮮問題はダミーと言っていた。しかし、わたしが強調したいのは、ダミーとして取沙汰されることによって朝鮮人民がどれだけ危険な状況におかれるのかという想像力をもつべきだということだ。中国が本命であることを強調して、朝鮮への抑圧を軽視するような論になってはいけない。
逢坂 その点で言えば、浅井さんが懸念、危惧といっていたのは朝鮮の人工衛星やミサイル実験の問題だ。それに対して、中国はどのような態度をとるのか?
 安倍たちは、中・朝を標的にしているが、朝鮮民主主義人民共和国の問題だけではなくて、在日朝鮮人にも軍事的圧力がかかる。日向 中国は撥ねかえすだけの経済力・軍事力をもつが、朝鮮は自分の国をもちこたえるだけの経済力・軍事力しかないなかで、アメリカや日本から圧力をかけられ、それと全力で対峙しているのだという想像力が必要だ。
広野 イデオロギー問題を考えたい。「あなたは日本が中国や朝鮮のようになっていいの。そこで暮らせるの」と言われたときに、日本人の大半が「やだー」と言ってしまう状況が問題なのではないか?
 政府に逆らったら殺されるとか汚染だらけとか、日本のほうが福島第一原発の爆発で、よっぽど危険なのに、日本の人民の大半はそういった意識をもたない。
沖江 世界の情勢を正確に捉えるなかで、日本の置かれた状況を掴むこと。そして支配階級がこの危機をどう突破しようとしているのかを暴きだし、労働者階級人民の闘いの進路を示すこと。われわれの原則的主張を出すことが大切だ。
広野 運動が一過性のガス抜きになりかねない。支配者階級はよく見て考えている。もちろんこれは必ず成功するというわけではないが……。現在の戦争反対運動も、あれぐらいやらせていても、「問題ない」と思っているのかもしれない。われわれはそうではない、資本と労働が直接対決する職場・生産点から闘いを再構築していかなければならない。 
土松 参院選の投票行動はかなりばらけるだろう。投票率も下がるだろう。いったん自民党政権から民主党政権になったが、これが崩れた経験があるから、いまは受け皿がない状況。われわれは選挙至上主義ではないが、この点もどう闘っていくべきか、大いに議論が必要だ。 (終)

(『思想運動』963号 2015年8月1日・15日号)