敗戦70年のメーデーに際して呼びかける
基地建設に徹底して抗あらがう沖縄県民に学び壊憲・改憲反対闘争を粘り強く闘おう!


 アジア各国の2000万人の人民、そして日本人民310万人という、途方もない数の死者をもたらしたアジア・太平洋戦争の終結から70年目を迎える今年のメーデーで、日本本土の労働者・労働組合は、なにを課題に掲げるべきか。
 それを、あえて一つだけ挙げるとすれば、それは辺野古・高江の新基地建設に徹底して抗う沖縄県民の非暴力抵抗闘争に学び、みずからの思想と組織を鍛え直し、安倍政権による改憲攻撃と正面から闘うことではないだろうか。
 昨年7月1日、安倍政権は「集団的自衛権の行使を容認する閣議決定」を行なったが、これは明白な憲法違反行為であり、無効である。しかし衆議院選挙で「圧勝」した安倍政権は、集団的自衛権の行使を法的に可能にする安保法制の改悪を今国会中にも成立させるべく、全力を挙げている。
 こうした流れに抗して沖縄の反基地闘争は、11年に及ぶ辺野古での座り込み行動(96年から続く「命を守る会」の活動を含めれば19年間)に見られるように大衆的実力闘争によって自民党安倍政権と直接対峙し、反戦平和という一面に限らず、国民主権、基本的人権の尊重といった日本国憲法の三つの基本原理を掲げ、平和的生存権・平和憲法を実現させる闘いの、まさに最前線に位置して闘い抜かれている。合わせて沖縄県民は、こうした大衆闘争を基礎にして、昨年行なわれた名護市長選挙、名護市議会選挙、沖縄県知事選挙、衆議院選挙の沖縄小選挙区のすべてで、基地建設反対の候補者を勝利させたのである。
 『沖縄タイムス』による4月3日~5日の菅義偉官房長官の来沖に伴う緊急県民世論調査によると、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に反対し、岩礁破砕許可の取り消しなどを検討している翁長雄志知事の姿勢を「支持する」と答えた人は83.0%に上り、「支持しない」の13.4%を大きく上回っている。辺野古での新基地建設の賛否は「反対」が76.1%で、有効回答数の四分の三以上を占めた。「賛成」は18.2%。

復古と新自由主義の両面を持つ改憲攻撃

 70年前、天皇制下の政治・軍事指導部が国力・軍事力を科学的に考えていれば、当時も世界最強の力を持っていたアメリカとの戦争に突き進むことはなかったであろう。70年後のこんにち、13億の人口と2020年代半ばにはアメリカの経済力を上回るであろうという中国と、人口減少が進行し、経済規模も次々に新興国に追い抜かれていくと予想される日本との間での戦争を考えるのは、非科学的で現実的ではない。しかし安倍政権は、日米ガイドラインの再改定で全世界的規模で日米軍事同盟を強化し、文民統制をなきものにし、武器の製造・輸出を推進し、政府開発援助(ODA)で他国の軍隊への支援を認め、宇宙空間を軍事利用し、宮古・与那国に陸上自衛隊・ミサイルを配備し、自衛隊の装備の高度化、海兵隊化などを真面目に検討・実行しているのである。これを時代錯誤と笑えないところに、その「神がかり的思考」の恐ろしさがある。
 安倍政権による戦争推進政策は、現代の日本帝国主義――全世界で活動する日本の多国籍独占企業――の利権を守るために必要不可欠のものと捉えるべきだ。自民党安倍政権は、明確に独占資本=大金持ち層の代理人として行動している。繰り返される法人税の引き下げ、各種優遇税制と補助金のばら撒き、日銀を通じたすさまじい金融緩和と株高・円安の演出で株を持つ資産家層は大儲け。貧富の差は拡大の一途を辿っている。その一方で人民の生活はなんら改善されず、消費税の増税、実質賃金の目減り、社会保障の切り捨てが有無を言わさず強行されている。株に縁のない労働者人民は、株価つり上げのために自分たちの年金資金まで株の運用に充てられる始末だ。


自己弁護の二重基準増幅される政治不信

 そうした中で「政治とカネ」の問題が引きを切らずに発生し、「最後は金目でしょ」や「わが軍」「八紘一宇」などの暴言・妄言が飛び出しても、それが辞任を含めた大騒ぎにもならず、首相や官房長官に「完全にコントロールされ」たり「まったく問題ない」と強弁されておしまいになる。マスコミが政府の介入と支配を受け、官報化する。労働者・勤労人民の不満をそらすために歴史が偽造され、一方的な朝鮮・韓国・中国非難が煽られ、安倍や小泉や一時の石原や橋下などの強いリーダーが持てはやされ人気を得る。アジア重視、最低でも県外移設を掲げていた民主党は腰砕け。最後は消費税値上げで解散ときた。これで政治不信になるなと言われても、とても無理な話だとも思えてくる。
 安倍首相の「未来志向」「積極的平和主義」の応援を買って出る作家の曽野綾子は、『産經新聞』四月二十六日号の1面コラムで「戦後の日本人は、国中焦土になった中から復興し、誠実に働いて優良な製品を作り、人道にもとる行為もせずに生きてきた。それが過去に対する反省であり、贖いでもあろう」と記しているが、彼女は、戦後の日本が1950年から3年間つづいた朝鮮戦争の特需で復活したこと、さらに65年の日韓条約で朝鮮民主主義人民共和国を国家として認めず、いまなお植民地支配の謝罪も賠償も行なわず、恥ずべきバッシングを続けていることを、世界の人民が忘れているとでも思っているのか。
 東日本大震災と福島原発事故への対応や、最近の天皇夫妻のパラオ訪問が美談一色で報じられているように、天皇の政治利用もはなはだしい。

九条と沖縄と天皇制

 しかし日本国憲法の成立過程を研究している古関彰一・独協大学名誉教授が指摘するように、「戦争放棄を掲げる憲法九条は、沖縄を本土から切り離すことで成り立った……
 連合国軍最高司令官マッカーサーは、天皇の戦争責任を問おうとした各国に対し、政治権力がない『象徴』にして天皇の地位を残すものの、九条によって本土を非武装化することで納得を得ようとした。九条は象徴天皇制を定めた一条と不可分の関係にある」(4月9日『琉球新報』)のである。
 さらに言えば、沖縄戦は、1945年2月に近衛文麿元首相が「国体護持」の立場から早期和平を天皇に進言したが、天皇は「いま一度戦果を挙げなければ実現は困難」とし、その結果沖縄は日本防衛の「捨て石」にされ、当時の沖縄県民の4人に1人、12万人以上ともいわれる人びとが犠牲になったのだし、47年9月には、天皇は米側にメッセージを送り「25年から50年、あるいはそれ以上」沖縄を米国に貸し出す方針を示したのである。
 そして51年にサンフランシスコ講和会議がひらかれ、同時に日米安保条約が締結され、翌52年4月28日に本土は主権を回復したが、沖縄は72年5月15日の復帰まで米国の施政権下に置かれてきたのである。沖縄県民は4月28日を「屈辱の日」として胸に刻んでいる。
 しかし、第二次安倍政権はこの日を「主権回復の日」と定め、2013年4月28日、天皇夫妻出席の下「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」を実施したのである。そして、天皇夫妻が退席する際、なんと「天皇陛下万歳」の三唱が行なわれたのである。
 沖縄県民の気持ちをかえりみることなく、それを足蹴にするに等しい行為である。沖縄県民の憤りがいかばかりであったかは、想像するに余りある。

真実射抜く知事発言

 こうした歴史的経緯を踏まえて、就任後4か月にしてようやく実現した翁長・菅会談や翁長・安倍会談(翁長知事の発言の途中から非公開にされた)での発言「沖縄は自らの意志で基地を提供したことは一度もない」「安倍総理が2度目の政権を担ったとき『日本を取り戻す』という言葉があった。わたしはとっさに、そこに沖縄が入っているだろうかと思った。/『戦後レジームからの脱却』とも言っていたが、沖縄に関しては『戦後レジームの死守』をしているかのようだ」を読むとき、われわれは、まさにこの翁長発言が現在の沖縄県民の声を代弁し、ことの真実をえぐり出していることを理解できるであろう(沖縄の地元紙『琉球新報』『沖縄タイムス』は両者の発言全文を報じている。3面にその全文を掲載)。佐藤学・沖縄国際大学教授は、「安倍首相が、これほどまでに辺野古基地建設を強行する理由は、辺野古が日本国内に向けての『戦後レジームからの脱却』政策、および今後明らかになる持続的経済成長の失敗に備えた動きであり、対外的には、米国を安倍首相の狙う方向での対中軍事対立へ引き込み、また米国が打ち立てた戦後世界秩序への挑戦を米国に看過させる意図があるため」と分析する(『琉球新報』3月30日)。
 しかし「『安倍談話』が目指すのは、日本の第二次世界大戦への歴史、大戦中の行為に対し、一切の『責任』は無いという主張を、米国に認めさせることである。それはアメリカが打ち立てた戦後世界秩序と戦後日本の価値の全否定であり、米国が受け入れるわけはない」(同前)。われわれは、こうした不都合な真実が暴かれ、闘いが組織されたとき、一見盤石に見える安倍政権がきわめて不安定な、砂上の楼閣であることも見えてくるだろう。

あきらめずに学び、考え、行動しよう

 政府・マスコミは、労働者・勤労人民に、辺野古に限らず原発再稼働でも、労働法制の改悪でも、TPPでも農協「改革」でも、現状の「改革」案でしかやりようがない、時の流れだとあきらめさせ、金が万能の資本主義の世界の枠の中でしか問題を考えることができないように、毎日、毎時、毎秒、さまざまな手をつかってイデオロギー攻撃をかけてくる。
 しかしわれわれ労働者には、資本家が求める利潤獲得のために、中国や朝鮮や中東の労働者と戦争し、血を流す理由はない。われわれは、安倍自民党がいう天皇を元首として戴き、国防軍を持って戦争し、公益・公の秩序が基本的人権に優先する社会・憲法を拒否する。
 沖縄の反基地現地闘争を連日担っている小説家の目取真俊さんは、『朝日新聞』3月13日付のインタビューで「日本では国民の圧倒的多数が政治に無関心になった。大変なことが起きていても、すべて他人任せの国になってしまったのです」「本当に考えないといけないのは、この無関心です。ニヒリズムなのか、あきらめか、無力感か」。しかし「工事が始まったとしても、仮に基地が完成したとしても、それでわたしたちの闘いが終わりだとは思いません。絶望したときがおわりです」と答えている。
 翁長知事は日米安保を認めている。しかし沖縄の反基地闘争は、いま日本と世界の歴史に、非暴力大衆運動の一つの典型をえがきだそうとしている。そのことへの恐怖感が、安倍らや海上保安庁や防衛省沖縄防衛局員の露骨な暴力的対応に示されているのだ。
 天皇条項や私有財産制の是認など、社会主義の観点から見て日本国憲法は問題点を持っている。
 しかし敗戦70年のこんにち、安倍らの改憲攻撃に抗し、日本の労働者階級人民が改めて人民主権・戦争放棄・基本的人権の尊重を掲げて改憲反対闘争を具体的に展開するならば、そこに非暴力のあたらしい社会主義像が立ち現われてくるのではないか。それは本当に困難な闘いなのではあるが。
 日々の生活に流されるままでなく、考えること、学ぶこと、討論すること、行動すること、そして決してあきらめることなく、現状は変えられるという確信を持ちつつ闘いつづける意味を、沖縄の反基地闘争は教えている。沖縄の反基地闘争に学び、本土でもできることはなにかを考え、一つでも実行すること。これは単に沖縄県民への連帯にとどまらず、社会の変革、そして搾取のない平和な社会を目指す日本と世界の労働者人民の変革運動につながる道である。そしてなによりもこれは自分自身を変革する闘いとなる。【広野省三】

(『思想運動』957号 2015年5月1日号)