労働者通信 郵政 赤字の原因は人件費なのか?
日本郵政の中間決算から見えてくるもの 
              

 その日、わたしは朝からの勤務だった。午前8時すこし前に出勤すると深夜勤専担で働いている非正規雇用のAさんと顔を合わせた。かれはその朝、6時までの勤務のはずなのに、その時間も職場にいるということは……。
 「超勤かかっちゃって。今晩もまた出てくるのに」
 30歳前後の若いAさんが、さすがに疲れきった表情である。去年11月末のことだ。
 深夜勤が連続し、その夜また出勤という朝に超過勤務をかけるな。これは深夜勤そのものには反対しないJP労組だって会社に求めてきたし、会社もそう努力すると回答してきたはず。深夜労働の健康への悪影響は明らかなのだから、そのうえ超勤は身体がきついというのみならず危険なことである。ところが、ここへきて、その深夜勤と深夜勤の間の超勤がまた目立ってきた。業務量に見合った人員配置がされていないからだ。わたしが働いている部では、11月25日から予定していた年末短期アルバイトが12月1日時点で夜勤8名のところ3名、深夜勤も8名のところ5名しか集められなかった。これでは服務線表に定められた休息もとれない場合が出てくる。状況は全国どこの郵便局でも似たようなものだろう。

赤字は10倍に

 去年11月14日に発表された日本郵政の2014年9月期中間決算によれば、日本郵政グループ全体の売上高は前年同期より5.7%減の7兆1056億円、純利益は同1.2%減の2171億円である。親会社・日本郵政の下に郵便・ゆうちょ・かんぽの三社でグループを形成しているわけだが、この中間決算の特徴は、ゆうちょ・かんぽの金融二社はどちらも売上高は減らしつつも(ゆうちょ3.6%、かんぽ7.6%の減)黒字である(ゆうちょ1817億円、かんぽ509億円)のに対して、郵便のみは売上を0.7%増やしたというのに純損失を前年同期の10倍にも拡大させていることである。前年の37億円から膨らんで386億円の赤字だという。下半期には歳暮や年賀状の需要を見込めるにしても、それでも2015年3月期通期の純損益も260億円の赤字が予想される。
 このことを大きく報じた『朝日新聞』の去年11月15日付朝刊記事は「人件費高騰が響く」と小見出しを付けて、おそらく会社の言い分そのままに「日本郵便は、ゆうパックなどの取り扱い数が増えて売り上げを伸ばしたが、人件費などがそれ以上かかった。
 景気が上向いたことで配達員を十分集められず、賃金を上げたことが響いたという」と解説した。
 この記事が出て数日後、深夜勤を一晩ともにした非正規のBさんに訊いてみた。
 「今年になって時給どれくらい上がった?」
 「スキル評価が上がって50円と基本給が20円上がって合わせて70円です。それでもまだ1060円ですけど」
 去年の春闘で郵政の時給制はごく一部が10円上がっただけである。ただ東京の最低賃金が19円上がった(869円→888円)から、Bさんの基本給20円増はそれに連動したのだろう。スキル評価による50円増は、習熟度が増せば上がるのは当然(しかしわたしの職場ではこれも1100円台で頭打ちになる)で、人手不足による人件費高騰云々とは別の話だ。
 年末繁忙に対応するための短期募集の場合はどうか。わたしの職場では昼間帯(9時~16時45分)の時給は900円で、これは前述の東京における最低賃金888円をかつかつ上回るに過ぎない。夜勤帯(13時45分~21時30分)が1000円、深夜勤(21時~翌8時の実働10時間)が1100円である。ゆうパック部はもうすこし良くて深夜勤実働10時間だと1170円。地域の最低賃金よりビタ一文上げない会社よりはいいですよ、とは短期で来ている人から聞きもしたけれど、そうだとしてもこれが全国に展開する「大企業」であるところの日本郵便の経営を揺るがすほどの「人件費高騰」であろうか。
 つまり、第一に、郵政非正規雇用労働者の賃金は、前掲『朝日新聞』記事が具体的な数字も挙げず書いているほどには上がってはいない。低賃金のままである。
 第二に、そのことの当然の結果として人も充分に集まらない。なるほど団塊の世代が労働市場から退出しつつあるし、人口減は進むし、いっぽう正規雇用が絞り込まれてきたということは非正規の需要は拡がるということだから、全体状況として「人手不足」というのはたしかにあるだろう。しかし現時点の郵政について言うならば人手不足だから賃金を上げたというより、賃金が低いから人も集まらないというのが正確だ。

民営化こそ問題

 それにしても、要員は充たされていないままで売上げは伸ばしたのに、それでも赤字が膨らんだということは、その赤字の原因は人件費云々ではなく、もっと構造的なものなのではないだろうか。
 「金融部門がなかったならば郵便事業の将来はない」
 この語は、つい去年も『アベノミクス批判』という優れた警世の書(岩波書店)を世に問うた経済学者・伊東光晴氏が2010年に発したもの(雑誌『世界』2010年8月号)。当時、民主党中心の政権交代が実現したことによって小泉民営化はいったん宙に浮いた。過疎地であろうと分け隔てなく公平にというユニバーサル・サービスを義務づけられている郵便は営利企業として採算がとれるものではない。そこで利益が見込める貯金・保険の金融部門とセットでなければならない。郵便の収益の悪さを金融部門の収益性で補うのである。諸外国の多くもそうであるし、例外的に金融部門を持たないアメリカ郵政は、あの民営化万々歳の国が郵便に限っては国営だ。収益性の高い部門とくっつけるか、国営でいくかのどちらかでなくては郵便事業は生き残れない。民主党中心政権で当初、郵政改革を担当した亀井静香氏の考えもそうしたものであった。もちろんわたしたちの立場はケインジアンの伊東氏や亀井氏とは違う。郵便も金融も併せて郵政は国営であるべきだと考える。働く者にも利用者の便益にとっても利潤原理から遠いにしくはない。それはさておき亀井氏は、率いる国民新党の内紛もあって影響力を失い、民主党中心政権も終わりに近い2012年春に成立した改正郵政民営化法は結局、小泉民営化と同じレールを走ることになる。違いは、小泉民営化が金融二社の株完全売却まで10年と時間を区切ったのに対し、改革郵政民営化法はその期限は設けていない。そのぶんスピードは緩む。日本郵政の西室泰三社長は、日本郵政・ゆうちょ・かんぽ三社の株式上場は今年秋と発表した暮れの記者会見で「金融二社の株式は(保有比率が)50%を切るところまでは売却し、そこで一休みする」と語ったが、なるほど小泉時代と比べたら悠長な話だ。しかし向かう方向は同じ。ゆうちょ・かんぽが一部上場され株式売却が始まれば、親会社・日本郵政(国が株式の三分の一を保有)が全株を持ち続ける日本郵便と金融二社の関係は、株が売れるほど薄れていく。そのとき郵便事業はどうなるのか。株式上場後も過疎地におけるサービス提供をとりやめることは現時点では予定していないというのが会社の説明だけれども、「現時点」と但し書くのを忘れないところが意味深長である。いずれユニバーサル・サービスの放棄を視野に入れているのだ。そしてそれまでの間、ユニバーサル・サービスと収益性という両立せぬものを最大限ムチとして活用し労働者を搾りにかかる。中間決算発表時の記者会見において市倉昇・日本郵政常務は日本郵便の不振について「収益の拡大、効率化など目に見える形での改善が必要だ」と語った。人手不足と言いながら効率化でまずやられるのはいっそうの人減らしである。株式売却は悠長にしか進まなくとも、こうして利潤原理で労働現場を脅しつけることに成功すれば、民営化の元は充分にとれるのだ。
 であれば、労働者階級にとっては問い直されなければならないのは民営化そのものである。郵政中間決算の数字はこのことこそを示しているのではないだろうか。【土田宏樹】

(『思想運動』951号 2015年2月1日号)