労働者座談会――闘いの現場を訪ねて
反基地闘争の不撓の歴史ひきつぐ辺野古の闘い
基地を造らせない! 二〇一五年、共に闘おう


 今年8月以降、辺野古の闘いに参加した30代、40代の労働者数名で座談会を行なった。それぞれ福祉や郵政など職種は違うが、非正規や試用期間など不安定雇用で働く者たちだ。
 滞在は短い者で3日、長い者で9日と限られた時間ではあったが、貴重な衝撃をともなう体験をかれらに持ち帰らせた。その一端はそれぞれが帰京後紙面での報告で伝えている。今回はさらに、沖縄の闘いに何を学び活かせるのかを、共同して掘り下げる場としてこの場を設けた。【編集部】

 遠藤 今回初めて沖縄に行った。まず率直に感じたのは、辺野古新基地建設阻止の闘いだけでも18年もやってきたことに頭が下がる思いだ。命と生活をかけるとは、こういうことだと。暑さひとつをとってもその凄まじさ。しかし水や食べ物から機材を結ぶ紐まで、細やかさが感じられる。そうしたものの上に〝現場〟が成り立っている。その雰囲気の良さ。相手のとてつもない不条理に対する粘り強い闘いにこちらが力を与えられた。
 野田 わたしも今回が初めてだった。地域で沖縄や原発問題などを一緒に取り組んでいる人が支援してくれて。沖縄の基地問題を知ったのは、2003年のイラク戦争の時で、沖縄の基地からイラクに派兵するということで、初めて沖縄基地問題のデモに行った。基地の押し付けは酷いじゃないかと、自分なりに怒りがあり、最近では沖縄の反基地運動や沖縄音楽について調べたりしていた。
 自分は、泳ぎや体力では協力できないのではないかと不安だったのだが、行ったときは防衛局がちょうど引いた時だった。闘い以外の日常的な姿に触れられたのではないかと思う。
 米丸 わたしは沖縄基地問題を知ってから15年ほどたつ。学生の頃数年、集会・デモや防衛省行動に参加した。政府の強権的横暴はもちろん、基地押しつけを許している本土住民の加害性ということを考えていたつもりだったが、振り返ると自分の生活から遊離していたように思う。働き始めると変則勤務で夜勤や土日勤務が入る。周囲にも社会問題に関心を寄せる人はいたが、そもそも勤務時間の都合で集会・デモに参加できない。働きながら問題と向き合うとはどういうことだろうと考えた。集会・デモは大事だが、それが無理な労働者にはそれ以外の意思表示の方法・場、問題との向き合い方が必要だと思った。
 また一方で、出会った多くの労働者はそうした話をしないし、職場でモノを言ったり安全を確保するとかの労働運動もやらない。それが「当たり前」になった既成事実の堆積の上に自分たちがいる。政治・社会・労働、全般への「無関心でいいんだ」という根。それは沖縄への態度にもつながっている。沖縄基地問題だけが本土で広がらないのではない。労働運動も広がらない。それらは地続きの問題なんだと感じ考えるようになった。
 日向 わたしは2002年に韓国で起きた米軍装甲車による二人の少女の轢殺事件を機に、防衛省前の行動に参加するようになった。沖縄に行くのは四回目で、前の二回は韓国の労働者と平和行進に参加し、一度は辺野古の基地建設を許さない実行委員会(辺野古実)主催の闘いの現場を訪ねるツアーに参加した。今回は本紙942号(9月1日号)の伊佐眞一さんの「今こそ辺野古へ」という文章を読み、行きたいという思いを強くした。わたしはたまたま仕事の都合をつけることができたが、多くの人は難しいだろう。座談会をするにあたり考えたのは、たとえば、沖縄に平和行進で行った人も、そのときは参加している労働者はみな一生懸命やっていると思うが、生活に帰って日常の中では継続してできない、だけどなんとかして行きたいとか、そういう後ろめたさや迷いがあるのではないか。
 労働や生活の時間的・物理的な問題と同時に、沖縄のことをどう位置づけるか。この座談が、やらなくちゃいけないと思いつつできないと思っている人たちに届くようなものになればと思う。

労働者の日常とテントの日常

 遠藤 辺野古で右翼と遭遇したことについては9月の報告(9月15日号)で書いた。その補足で言うと、辺野古の浜のトイレでかれらとばったり会ったりして、間近で観察する機会があった。
 「辺野古新基地建設容認」Tシャツをお揃いで着て、わたしのことを自分が罵っている側の人間だともまったく気づかず、というか周囲を気にすらしていない。全体では30人くらいで、バックは田母神だから金は潤沢、組織的な配置をされているのだろう。年齢層は中高年層が多い。雰囲気に目的のさもしさがにじみ出ていた。中には「自分は名護市民だ」というのもいた。住民運動の逆手をとっているつもりのようだ。辺野古の座り込みを前にして、よくもそんなことが言えると、相当に刷り込まれてくるのだろうが、ここまでさもしくなれるものかと思った。
 日向 辺野古の闘いを前にしたら、かれらはその心の貧しさをさらすだけかもしれない。けれど本土では、まだ大手を振って歩いているような状況があり、そこに引っ張られる労働者がいるのも事実だ。わたしには隣の同僚がいつヘイトスピーチの側に行ってしまうかもしれないという危機感がある。そういう労働現場の日常とテントの日常は断絶されているように思う。
 米丸 日向さんの報告(11月15日号)で、「日々の闘いのなかでつくられる規律があった」とテントでの闘いについて書いていた。「規律」というと、なにか硬直したイメージが流通しているように思うが、テントでの規律はまったく逆のものですね。柔軟で運動内部から作られてきたもの。
 日向 それは浜のテントでもそうで、たとえば、簡易椅子のたたみ方でも一番コンパクトにたたんで、排除されないように鎖でつなぐ。それが見た目にも美しい。すぐにそういうかたちで始まったのではなく、だんだん自分たちにとって良い必要なかたちが求められてきてそうなったような、作業の一つひとつに日々の積み重ねが感じられる。集団の闘いの中で作られてきたものを感じた。
 野田 みなで闘うということは個々が考えて動く、自発性、助け合い、そこに規律が生まれるのだと思う。誰かの言うことを聞いて従うだけでは規律は生まれない。
 日向 規律というのは、様々な活動に通じることだと思う。集団的な継続した活動があって個人の闘いが支えられる。逆もいえる。遠藤さんが山城博治さん、安次富浩さんのリーダーシップについて書いていていた。こちらの闘いの強さ・正しさを見せつけながら、県警の若者に語りかけて説得し、さらにそうした様子を見せつけながら民間の警備会社をも動かし、引くところは引かせるとか、手を出させない。そうした全体を二人は牽引・掌握している。
 遠藤 本土の運動ではアジテーターは生まれるが、オルガナイザーが生まれていないのではないか。山城さんや、安次富さんはオルガナイザーであり、それぞれ魅力的だ。そういう人が現われないと運動は変わらないのではないか。本土の山城さん、安次富さんをどうつくるか、自分たちがそうなっていけるかが重要だ。かれらは沖縄の闘いの歴史に学んでいる。こちらは闘いの断絶がある。運動のトータルプランニングができるオルガナイザー、そこを学ぶべきではないか。
 日向 そういうことは遠藤さんが書いてくれたので、わたしは闘いの現場が苦しいものではなく、明るいものであることを紙面で伝えたかった。厳しい局面で闘っていると自分は言葉で言ったり、書いたりしてきた。それは事実だが、だからといって苦しく悲愴ではない。ともにいる中で感じたのは、正しいことをしている自信に満ちた明るさだった。一人でも多くの人が辺野古に行きたいと思うような紙面をつくれたらとああいうルポを書いた。
 野田 辺野古区での賛成派・反対派の分断の話を笑い話のように言っていたのが印象的だった。ひょっこりきたヤマトンチュに深刻な顔は見せないのかもしれないが。けれどわたしたちがそこから汲み取るべきは、過酷な状況自体を笑い飛ばすじゃないけど、へこたれてない、やられてないという強さだろう。不当すぎる状況をずっと何度もくぐってくる中で、突き抜けた明るさ、それは強さだと思う。
 そうした雰囲気は、那覇からバスで来るような支援者にも伝わっていると思った。老若男女さまざまな人が来る、爪をきれいに伸ばしているような若い女性とか。闘いに大衆性をどう獲得していくかを模索するなかでのひとつのかたちが、その明るさだとも思った。
 一方で、警察権力の言うことを聞いて枠から出ないようにするとかということはない。波型鉄板のある場所は基地外だと、逐一抗議して絶対譲らない。妥協しない。ちゃんと闘っているところから出てくる明るさだ。やっつけてやるじゃなく、基地を造らせたくないからやっている。そのために、常に道理を説いてこちらの方が正しいのだからこちらに従えと言うことを、絶対欠かさないのがすごい。硬軟両方ある。「非暴力」というと手向かいません、両手を挙げて逆らわないという曲解があるが、そうではない。頭を使う。相手に言うことを聞かせられるか、それが非暴力なんだ。純朴さがありつつしたたかだ。
 東京の運動もいろんなのがあるが、逆だ。非常にすれているけどひ弱だ。「コース」が決まっていて指示に従うようなかたち。
 遠藤 なぜ沖縄の運動は明るいのか。これまで不当な「壁」にぶち当たり何度もそれを押し返してきたが、闘いの正しさに加えて、選挙をふくめ勝っている、政治状況を動かしているという自信が力になっているだろう。本土のマスコミ報道はそれを伝えない。
 沖縄の闘いが勝っていることに学ぼうということを示し、発信していく必要がある。安倍・自公政権を依然として倒せない中でわれわれが沖縄に行った意味がそこにある。こちらでは運動がシステマチックになり、統制を警察権力に委ねるしかないような闘い方しかできない。
 日向 わたしはキャンプ・シュワブのゲート前で初めてゴボウ抜きにあい、四肢を持ち上げられてじたばたし、ヤメロー! ハナセー! と乱暴に叫んでしまった。警察権力といえども、沖縄の人たちは同じウチナンチュとして相対し、説得している。「ヤマト」が基地を強いて沖縄の人たちを対立させてきたなかで非暴力の粘り強い闘いが続けられてきたことを、改めて考えずにはいられなかった。

命どぅ宝と生存権

 日向 「命がかかってるんだぞ」、辺野古で何度も聞いた言葉だが、闘いの正しさというのはそこからでてくるのではないか。
 自分は高齢者と障害者の支援をする職場で、その人たちの命を守るという側面がある。なのに働くわたしたちは時に夜中まで残業で、仲間もおかしくなりそうな状態で働いていた。
 普通に働いて生活できるように労働者の生きる権利を守ることと、国家と資本が結びついて米軍基地をつくり日本が軍事大国化する動きと闘い、平和に生きる権利を守ること。二つは地続きだ。敵は地続きなのだから。そして自分自身の生存権が脅かされてるというところからでないと、沖縄の人たちの生存権が脅かされてるということだけでは闘いきれない。
 米丸 それは、自分自身の生活や労働と、沖縄のことがほんとに結びついてないと続かないということですね。そこがゆるかったり中途半端だと、自身のことで手一杯になってくれば沖縄が見えなくなる。
 日向 切羽詰ってないと闘えない。わたしが行ったときアスベスト問題もあった。肺に石綿の繊維が刺さるような大変なことなのに、米軍基地の中だから明らかにされない。本当に住民の命が軽く見られている。命がかかっている。だから訴えがすごく切羽詰っていると感じた。自分が切羽詰ったところでこれまで沖縄のことを闘ってきたかというとそういいきれない。ではそれは何なのかといったら労働の問題に行き着く。
 米丸 なぜ、本土の労働者の多くは沖縄闘争を闘えないのか。「切羽詰って」いない、自分のところまで迫ってきてないと感じているから。
 本土の人民が沖縄への基地押しつけを許している加害性、沖縄差別を黙認している加害性の自覚は重要だし、感じている人もそれなりにいると思う。しかしそれでも切羽詰ってこないのは、沖縄を抑圧している敵と自分を抑圧している敵が同じだということが見えにくいからではないか。
 多くの労働者が、本当は切羽詰ったもの、命がかかったものに直面したりはらんでいる。それを突き詰めていったら、被搾取・被抑圧の当事者としての自分たちを取り巻く状況が見えてくるはずだ。その大元締めは誰なのか。
 しかし日本ではそういう階級性がぼやけているから、自分たちの当事者性が見えにくい。自分たちの被抑圧のその先に、同じ相手からとてつもない抑圧を受けている沖縄の人々がつながっていることが。そうしたことをあらゆる局面で訴えていくことが必要だ。
 この状況はいつから始まったのか? 本土の労働運動の問題を歴史を遡って見ていくことが肝要だ。本紙創刊号一面では、本土の革新陣営が69年沖縄二・四ゼネストに共闘できないどころか、ゼネスト切り崩しを策動し、中止追い込みに加担したことを追及している。現状と引き比べてみたとき、本土の運動のはらんでいる問題は深まっている。
 日向 困難でも、運動の原動力となる考え方を強くしていくことが大切だ。一方で、沖縄の場合は現場がはっきりしている。生活の場でもあり、闘う相手もそこにいる。これをやることで次の獲得目標が設定でき、その現場を中心に全部情報が入ってくる。
 防衛省前行動。そこは現場なのかというと、少なくとも、沖縄の現場の意味とは違う。それでもさまざまな人の努力で運動が継続できている。ここを生かし、より多くの労働者に結集を呼びかけたい。防衛省前に「郵政ネット」ののぼり旗をもって来てくれる郵政労働者の仲間も新しくできた。
 米丸 所属労組の違いをこえた郵政労働者のネットワークである「郵政ネット」では、その機関誌『伝送便』の発送時に、辺野古へのカンパ用紙を織り込んでいただいた。とても協力的で、日頃から心を寄せておられるのを感じた。

シングルイシューをつなぐ

 遠藤 沖縄の基地建設を止めるために、われわれの喫緊の課題は何かと考えると、わたしは「安倍政権打倒」だと思う。
 日向 辺野古の基地は米軍基地だが、南西諸島の自衛隊の強化を通して、安倍政権はいまそこをテコに、資本とも結託し、辺野古を日米共同の一大軍事拠点としようとしている。具体的な過程が今、軍事訓練などで始まっている。わたしたち「本土」の「平和」は沖縄の犠牲の上に成り立ってきた。沖縄から朝鮮、ベトナム、イラクへ出撃したにもかかわらず、多くの日本人は「日本は戦争してこなかった、平和だ」という認識だ。
 わたしたちが安倍政権と対決しないことによって、今まで以上に沖縄の人民に命の危険を強いていく。しかし安倍政権との対決とか打倒とか、どうすることなのか。デモや集会をやっても一個一個ばらばらでは積み重ねても打倒にはならない。労働者も市民運動も一緒にやっていく運動を、沖縄を見本にやっていきたい。
 野田 沖縄の「命どぅ宝」という言葉。本土の労働者がそれをどう共有するか。
 日向 沖縄戦の責任を主体的に受け止めると同時に、「生存権」ということからも考えたい。それはわたしたちが生きられない現実に抗する権利だ。原発や労働問題をはじめ、それらをつなげていかないと安倍政権打倒の道にはならない。そうした運動の結集が必要だということを下から突き上げていきたい。そこで大事なのは労働者の連帯だ。壊憲阻止の闘いを労組が闘っていくことによって、自分たちの労働を搾取している資本やそれと結託する安倍政権に対して、基地つくるな、原発やめろと言える。
 野田 シングルイシューといった考え方がある。原発なら原発だけやればいい。他のものを入れなければわかりやすくていいとか。そういうやり方がなぜでてきたかといえば、むりやりいろんな課題をくっつけて、これをやるならあれもやってと上から指示してやらせる運動、その反動でできたのではないか。
 けれども、個別の課題だけをやっていても限界があり、全体の状況は変わらない。参加者は望んでいないはずだが客観的に見ると、反対することが目的化してしまっている。だから、参加者自身が自主的に、課題同士をつなげていくことが必要だ。なぜなら、闘いの相手が共通しているからだ。そうするには、つなげる論理ができていることが大事だ。じゃないと大衆的に広がりができない。課題を混ぜるのではなく、必然的なつながりを解明する。
 米丸 それを解明していくと、安倍政権の問題だけでなく、かれらを政治的代弁者として結託・操作している日米資本の姿、さらには肥大化の一途をたどる国際マネー資本の構造が浮き彫りになる。それらは軍事基地を拡大しようとする勢力ともつながり重なってくる。
 野田 辺野古に基地を、誰が何のために作ろうとしているのかをどれだけ深く解明できるか、それをわかりやすく自分たちで伝えられるかが鍵だろう。
 日向 シングルイシュー、一点共闘とよくいうが、沖縄の人はそう言っているかというとまったくそうではない。思いやり予算は被災地に、とは沖縄から出てきた言葉だ。金武湾闘争が石油備蓄基地の埋立てを縮小させるとともに原発設置計画を止めた歴史をもっている。核持ち込みの密約もあった。そしていま、翁長県知事も原発設置に反対だ。核(原発)の問題と基地問題が、一定の層の人たちの中で結びついていて闘いの中でそれが生きている。本土の方で問題を寸断・分断し、別々の問題としてやることのおかしさが浮き上がる。
 野田 労働組合運動をやってきた人たちは、現役・退職者問わず辺野古の闘いを相当支えていることがわかった。平和運動センター、沖退教、関西からは全港湾労組の人が来ていた。職場で運動することって、生活や日常がかかるから一番きつい。そうしたことをくぐってきた動じないものがベースにある。
 米丸 沖縄平和運動センターが山城さんを支えているのもそうだし、現場に来られない労組の仲間が職場を通じて辺野古問題を伝える役割を果たしている。本土との系列化や労働強化で労働運動が衰退する中での貴重な動きを、絶やさないために自分たちも努力していきたい。

インターナショナリズムから沖縄へ

 遠藤 中国人留学生が辺野古の話を聞かせてくれとやって来たことを、山城さんは喜んでいた。
 「中国が攻めてくるかもしれない」。それを口実に基地が正当化されている、その国の人がきて辺野古の闘いを見たいという意義は大きい。われわれの紙面で「脅威論」の暴露はこれまでも力を入れてきたし、これからも必要だ。
 新崎盛暉さん著『沖縄を超える』で描かれていたイメージは、インターナショナリズムではないか。新崎さんは沖韓連帯の反基地闘争の可能性に思いを強くしていると思う。本土の連帯はもちろんだが、米軍基地をアジアから追い出すという視点で捉えれば、「アジアぐるみ」にならざるをえない。
 これから根本的な問題として出てこざるをえないのは、辺野古反対だったら、では県外か、国外か、グアムならいいのか。
 それを超える論理を作るのは、アジアぐるみの視点だと思う。アジアのどこにも米軍基地はいらないのだと。これを大所高所の非現実的な話としてしまうのではなく、そこを目指すのでないかぎり、根本的な対決はない。そうした可能性は胎動しているし、すでにそうした取り組みも始まっている。沖縄だけでなく、韓国やフィリピンはじめアジアをフォローしないと。
 日向 敵の側は見ているわけだ。安倍はそれを視野にあちこち外遊してインドやオーストラリアと今年は特に訓練を強化している。日米さらに世界の帝国主義が考えているいまの状況について、沖縄~アジアを結んで明らかにしていくことが、インターナショナリズムの種になる。
 野田 「県内か県外か」と日本国内で基地を押し付けあう話と、外国が攻めてくるという話とが、政権のレトリックとして使われ、それが国益という名で粉飾されながら、沖縄に基地を強いる構造が強められている。
 アジア周辺の外交・経済・軍事問題と絡み合っているわけだから、そういう視野を広げるほどに基地の問題からそれていくのではなく、国際情勢の話が基地とべったりくっついている。それを見ることによって、ローカルな問題を解決する道筋が見えてくる。決して浮き上がって観念的に考えるのではなく、具体的におさえていくことが大事だ。
 日向 そのことが、隣の非正規をヘイトスピーチの側にもっていかれないことにもつながる。
 野田 それも、接続するポイントとしては経済だ。経済的には実はこういう裏があるんだという話をしていくことで、いろんな課題をつなげていくことができる。逆に権力・資本の側の動機・目的がそこにあるんだと。それを説得力をもって暴いていけるか。いますぐはなかなか難しいかもしれないが、それを養っていく勉強が役に立つ。
 「勉強」ばかりしてなんだと言われがちだが、それがないと同じことを繰り返しているだけになる。
 辺野古の闘いがもっているのは、国際的にも歴史的にも明るい視野と知恵だ。それは単なるお勉強では身につかない、闘いの中で掴まれてきたものだ。切り縮められた視野は、敵の側に有利なだけだ。基地をつくる動機をたぐっていくことによって、他の課題にも同じ構造があるじゃないかと、差別的構造を明らかにしていけるか、それをどれだけわかりやすく伝えられるかは、この紙面の課題でもあり、それぞれの職場や地域での課題だ。
 日向 今回、高江に行った仲間が座談に参加できず残念だった。また四人とも海上での抗議行動にはほとんど参加できていない。今後の紙面でとりあげられることを希望する。1月5日にも浮き桟橋設置・海上作業再開との報道がある。一人でも辺野古・高江に行かれるよう呼びかけ、地域での活動に参加していこう。【思想運動編集部】

(『思想運動』950号 2015年1月1日・15日号)