新春座談会 自公三分の二状況を打破する道
日本軍国主義敗北70年の意味


 『思想運動』編集部では、2015年の闘いの課題を明確にするため、本紙常連執筆者による新春座談会を企画した。12月14日に行なわれた総選挙をめぐる状況をどう考え、今後どのような闘いをつくり出していくか。そして、今年2015年が反ファシズム闘争勝利・日本軍国主義敗北70周年にあたるので、その意味をこんにちの状況に照らしてどう考えるか。今回の座談会では、この二つのテーマで論議してもらった。 【編集部】

今次の衆院選をめぐる状況批判

 司会 今回の解散・総選挙は、安倍政権が自らの延命をはかるためだけに仕掛けた、まさに計算づくしの政治的茶番劇といってよい。そしてその思惑どおり、自民・公明の与党が定数の三分の二を超える議席を獲得した。
 最初に広野さん、この結果を含めて、今回の総選挙をめぐって、また今後の闘いについて、口火を切る発言をお願いします。

資本主義の危機と「選挙民主主義」

 広野省三 持てる者と持たざる者の間の格差の極大化。貧困の蔓延。削減され続ける社会保障費と慢性的な失業。そして絶えることのない戦争。腐りきった資本主義世界の現実は、少しでも自分の目で見、頭で考えようとする者には、わかりすぎるほどわかる、欺瞞と矛盾に満ちている。にもかかわらず、世界ブルジョワジー、そしてそれと激烈に対立・競争しつつ、一方で固く団結する日本独占資本、やつらによるブルジョワ独裁が、いまなお継続している。
 新興国の通貨と株価が下落し、景気悪化が表面化している。原油価格は半年の間にほぼ半値に下がった。一方、日本では数年前まで想像すらされなかった円安・株高が「アベノミクス」の下つくり出され、銀行をはじめトヨタなど多国籍独占資本が「ぬれ手に粟」の大もうけをしている。労働者はといえば、賃上げなどどこふく風。一六か月連続の実質賃金の減少という数字以上に、労働者人民の生活感覚はひっ迫している。消費税の値上げと物価上昇で景気回復のきざしなどまったく感じられない。それがわたしを含めた労働者大衆の実感だろう。そんななかでの、降ってわいたような年末の選挙である。それを日本の支配階級の政治的代理人である安倍政権、そしてそれを下支えるすマスコミが手をつなぎ、「この道しかない」キャンペーンを大々的に繰り広げながら「選挙民主主義」を演出した。今回ほど、バカらしくて投票に行く気がしなかった選挙はこれまでなかった。選挙運動とか議会闘争といった枠組みとは違った新しいこと、といって「これだ」という妙案があるわけではないが、そうした新しい運動をなんとかしてつくっていかなければ状況は突破できない、と改めて痛感している。
 共産党が伸びたといっても、475の定数の内、共産と社民を合わせてもわずか23議席、国会が改憲勢力の圧倒的支配下に置かれている状況に変わりはない。自公が再び衆議院の三分の二以上の議席を獲得したことの持つ意味を、われわれは危機感と責任感をかみしめながら再確認する必要がある。しかし同時に、議会選挙一般を否定するわけではないが、議会選挙にのみ依拠して何かができると考えるのはもうやめよう、と訴えたい。
 繰り返し主張してきているように、われわれは職場・生産点をはじめ、それぞれの持ち場・現場での大衆的闘いの再生・強化、それを通した労働者・勤労人民の政治意識・階級意識の再形成、そうした闘いを進めていく以外にこの状況を根本から打開していく道はないと考えている。

棄権の意味をどう捉えるか

 ところで、今回の選挙では、「棄権をしないで投票に行こう」式のキャンペーンが、これまでになく大々的に行なわれた気がする。「棄権をすることは良くない」と。果たしてそうか。選挙に行かないことも一つの意志表示であり、今回は、こんなバカらしい政治劇に付き合っていられない、投票をしたところで何も変わらないといった気分が蔓延していたのではないか。インターネットを使った『毎日新聞』の「えらぼーと 2014衆院選」における利用者18万1575人(20歳未満含む)に対する政治感情調査では、36%が「イライラする」、「かなしい」が21%、「なんとも感じない」が15%にのぼったという。こうした意識が、戦後最低の投票率(52・67%)をもたらした。しかし、そうした意識と政治状況を作り出したのも、ブルジョワ国家日本の政治家たちやマスメディアなのである。
 ブルジョワジーの政治支配を打ち破る方向性を、労働者階級の側がはっきりと打ち出せない、そこにいちばんの問題がある。
 共産党は今回の選挙を「国民の世論と運動に追い詰められての解散」と「分析」し、「自共対決」を盛んに宣伝し、8議席から21議席へと「大躍進」、大喜びしている。しかし、自民・安倍だけはいやだ、他に入れるところがないから共産党へ、という有権者も少なからずいたのではないか。共産党は安倍政権に対する表面的な批判はするが、根本的な社会変革の方向=社会主義革命の実現という課題になると、口をつぐむ。「それは遠い将来の話で、われわれではなく国民の多数が決めることです」と逃げを打つ。
 共産党や社民党、そして民主党の一部も含めて、「左翼」が言うことは、いわば「皮も斬らせずに、肉を断と」うとするに等しいへっぴり腰。ストライキを軸に大衆的実力闘争を展開する任務を放棄し、ブルジョワ議会での議席獲得を通じて社会変革が可能であると夢想する坊ちゃんたちのきれいごと、おためごかし。
 労働者大衆は、「左翼」の掲げる「政策」を、眉につばをつけながら、そのように聞いているのではないか。
 こいつらに入れたって世の中、そして自分たちの生活は変わりはしない。棄権に回ったり自民党に投票したりした大衆のなかには、そういう受け取めをしている人も多いのではないか。今回自民党に投票した人の中にも、「白紙委任」したわけではない、との声が多くあるという。
 われわれは、人民内部にあるこうした感情をきちんと掴む必要がある。しかし、そうした上でもなお、支配階級やそれに連なる右翼、あるいは社会主義の旗を投げ捨て資本主義の枠の中に組み込まれた新・旧「左翼」、エセ知識人の反社会主義の大合唱に加わることを拒否する。いくら、「時代遅れ」と揶や揄ゆされようとも、プロレタリア国際主義を掲げた原則的な活動こそが労働者階級の未来を切り拓くと確信するからだ。
 今度の解散・総選挙がまさにそうだったように、支配階級は、政治・イデオロギー状況を完全にコントロールしており、自分たちのやりたいことを、自分たちのやりたいようにやっているように見える。
 しかし、「大勝」「圧勝」といっても、自民党は解散前の293議席から291議席に減らしている。自民党の全有権者に対する得票割合を示す絶対得票率は、比例で16・99%、小選挙区でも24・49%にすぎない。やつらはそうした事情も十分認識している。だからこそ自らの支配の徹底的強化を図ろうとしているのだ。この点では、「圧倒的多数」の議席を持ちながら、あえて解散・総選挙に持ち込んだ安倍たちブルジョワ政治家の手くだは、あなどりがたいものがあるといえよう。
 安倍たちは集団的自衛権行使容認のための法整備を進め、四月の統一地方選挙の後に関連法案を国会に提出するとしている。山場は六月といわれるが、今回の選挙の勝利で、壊憲攻撃に一段と拍車がかかるのは確実だ。攻撃の本質の暴露とともに、これまで積み上げてきた労働者・労働組合を軸にした改憲阻止の闘いをいっそう前進させていきたい。「壊憲NO!96条改悪反対連絡会議」の強化、全労協、戦争をさせない1000人委員会との連帯をいっそう強めたい。

沖縄の闘いから何を学ぶべきか

 沖縄の選挙区では、一区から四区までのすべての区で、反自民の候補が勝利した(自民党と維新の党の候補は、全員、比例代表で復活した)。沖縄では、安倍政権がゴリ押ししている辺野古基地建設の問題を争点化させ、それに対する県民の怒りを組織化する大衆的政治運動が行なわれ、それが選挙闘争と結びついている。またそれを、沖縄の地元新聞『琉球新報』と『沖縄タイムス』が積極的に報道している。その点が本土とは違うし、われわれが沖縄の闘いから学ぶべき点だ。
 司会 山下さんは、今回の選挙をどう捉えていますか。

「アベノミクス」は破たんしている!

 山下勇男 安倍は選挙中の遊説で、日本経済が15年間苦しんできたデフレから脱却するチャンスをつかみかけている、「この道しかない」と、馬鹿の一つ覚えのように言い続けていた。野党に代案がないことも見通していた。安倍は争点を経済政策に絞った。まるで小泉の仕掛けたシングルイシューの郵政選挙を彷彿とさせた。不人気な特定秘密保護法の強行や憲法違反の集団的自衛権の行使容認の閣議決定、原発再稼動などから有権者の目をそらす意図がありありとうかがえた。
 「アベノミクス」は客観的に見れば破綻している。馬脚をあらわし、誰の目もだましとおせなくなる前に解散・総選挙に打って出て、向こう4年の白紙委任状をとりつけるつもりだった。共産党が「国民が安倍政権を解散に追い込んだ」と言っていたのにはあきれた。
 低投票率も計算済だったに違いない。業界団体を味方につけた自民党と、創価学会の組織票で固めた公明党に有利に働くことは見えていた。安倍の目算はあたったことになる。議会制民主主義という衣をまとったブルジョワ独裁の正体が明るみに出された。
 昨年11月14日、内閣府の有識者会合に一通の報告書が提出された。そこには「人口減少で2040年にはマイナス成長に陥り、脱することが難しくなる恐れがある」と書かれていた。人口減少は歴代の自民党政権が資本の強欲を野やに放ってきた結果である。
 経済成長を社会的富を増やすことと解するなら、その富を生み出すのは、労働者の労働をおいてない。アメリカがかろうじてプラス成長を維持しているのは移民労働者が流入し続けているからだ。労働力人口が減少し続けるなかでの経済成長はありえない。
 10月31日に日銀が追加の金融緩和を発表したとたん、株価が急騰した。政府が新規に発行する国債の、実に90%を日銀が買い占めていることになった。日銀法上の禁じ手である「財政ファイナンス」(日銀による国債の直接引き受け)と差がなくなった。アメリカ連邦準備制度理事会(FRB)は先ごろ「量的緩和」の「出口」にたどり着き始めた。それでもゼロ金利であることに変わりはない。欧州中央銀行(ECB)はマイナス金利でも行き詰まりを打開できず、「量的緩和」に踏み込む可能性が取りざたされている。
 日銀はいまだ「出口」戦略を明らかにしていない。「異次元の金融緩和」をいつまでに停止すると発表したとたんに株価が暴落する。そのときいったい誰が国債を買い支えるのだろう。国債暴落(金利急騰)の可能性が一気に高まる。日銀は「異次元の金融緩和」をやめたくてもやめられなくなっている。万策はつきた。これが真相である。
 司会 他の方は、今回の選挙をどう見ておられますか。
 逢坂秀人 低投票率についてだが、これもつくられたものだ。マスメディアは投票日の二週間前ぐらいから一斉に「自民圧勝」のキャンペーンを展開した。これでは誰も投票に行く気がしなくなる。
 大橋省三 安倍政権の二年間で、政治権力によるマスコミ支配は大きく進んだ。11月20日には、自民党が報道の「公平中立ならびに公正の確保について」なる文書をTV各局に送りつけたが、こんな不当な圧力をかけられても手も足も出ないのが実情。その結果、マスメディアは安倍政権に「右に倣え」で、安倍政権が争点化したくないテーマは取り上げなかった。NHKと民放五社の選挙報道に割いた時間は二年前の総選挙の三分の一。「争点がなかったから」がその言い訳。争点は何かを提示するのが、本来、国民に真実を知らせるとともに権力を監視する立場にあるジャーナリズム。メディアの役割とその責任がまったく放棄されている。

沖縄の反戦・反基地闘争と統一戦線

 日向よう子 (衆院選公示を伝える『琉球新報』12月3日付第一面の大見出し「衆院選公示⋮⋮辺野古最大争点に」を見せて)このように沖縄での選挙戦は、辺野古基地建設問題を最大の争点として闘われた。選挙期間に入っても大衆的闘いは続いた。防衛省・沖縄防衛局は、辺野古沿岸の埋立てに係わる沖縄県への環境影響評価書変更申請を強行したが、これを承認しようとする仲井真知事に抗議し、12月4日には2200人が県庁を包囲する行動を展開した。知事は結局これを承認したが、9日の退任式では抗議の怒号を浴びせられながら県庁を去らねばならなかった。選挙期間前後、米軍による犯罪が相次いで起きたことも、基地はいらないと県民が確認することにつながっただろう。
 『琉球新報』で反基地陣営四候補の政策を見ると、オスプレイ導入、高江基地建設、南西諸島への自衛隊配備、憲法改悪、九条改悪、集団的自衛権行使容認、特定秘密保護法、閣僚の靖国参拝にはみな反対。普天間基地については赤嶺候補が無条件閉鎖撤去の主張で他の三候補は国外・県外移設で一致。消費税増税、「残業代ゼロ法案」、原発再稼働、カジノ誘致、これらすべてに反対で一致(TPP、日米安保は玉城デニー氏が違う回答)。これらは四候補が県知事選をともに戦った翁長知事の政策とも一致している。
 広野 四区で当選した仲里利信氏は保守と言われるが、元は県議会議長も務めた自民党の最高幹部の一人。2012年の衆院選では自民党の西銘恒三郎陣営の後援会長を務めたが、西銘議員や自民党県連が「県外移設」の公約を撤回したことに抗議して、自民党を辞めた人だ。このように今回の選挙では自民党が割れた。
 これまで地方にカネをバラまいて国の政策に従わせるアメとムチの政策が、沖縄でも露骨・執拗にやられてきたが、ここに来て沖縄では、観光産業などを中心に、基地に依存しない産業を伸ばしていく方が雇用確保も含めてうまくいく、自立も達成できるという考えが影響力を強めている。そうした変化が今回の知事選や衆院選の背景にはあるように思う。
 一方、本土では、うちわを配ったり政治資金で歌舞伎を見に行かせたりした「政治とカネ」疑惑の候補、あるいは福島第一原発の除染で出た汚染土などを保管する中間貯蔵施設の建設をめぐって、「最後は金かね目め でしょ」と発言した議員などが、一人残らず通っている。これらを見ると「地方の時代」などまったくのまやかしで、本土ではいまだに地域とのつながりよりも中央とのつながり具合ですべてが決まる、そんな政治がまかり通っている。そこが今の沖縄とはぜんぜん違う。
 米丸かさね 県知事選でも衆院選でも一〇万票の大差がついたが、26万(知事選)なり21万(衆院選)なりの人びとが基地容認候補に票を入れている現実はリアルに見ておく必要がある。土建業界など中央政治と結びついた古い体質をもった経済界も、新しい経済基盤の形成を策しているのではないか。
 大橋 沖縄選挙区での勝利は、共産党が自民を倒すために幅広い勢力と共同するというスタンスをとったことも大きいと思う。沖縄で共産党が全部の選挙区に候補を立てるというようなセクト的対応をとらなかったのは、沖縄には戦後の運動の積み重ねの上に築かれた反戦・反基地闘争の大衆的基盤があり、革新統一の伝統があるからで、共産党もそれに縛られざるを得なかった。しかし、共産党が反自民・護憲統一でなく「自共対決」といった路線に軸足を置いている限り、他の地域ではそれは望めない。
 米丸 先日、沖縄の反基地闘争支援に行ってきたメンバーで話し合いをもったところ、沖縄で闘いを担っている人たちの明るさが話題となった。闘いの空間にある、明るさ、楽しさ、生きているという実感。そういう魅力が沖縄の闘いにはあり、本土の闘いには欠けているように思った。この違いは何なのだろう。
 広野 はっきりとしたことは言えないが、辺野古の浜のテント周辺にしても、キャンプ・シュワブのゲート前にしても、自分たちの仲間が支配する空間を作り出している、そこは敵の思うままにさせないスペース、それを確保しているところから来る自信、連帯感、そうしたものが運動の明るさを生んでいるのではないか。それは市町村議会や県議会と広げてもよい。同じ志をもつ者が支配している領域があるということ。反原発の闘いなど例外はあるものの、本土ではそうした力関係にあるスペースを十分作れていない。個々人が、いわばバラバラに「組織化」されている。
 もうひとつ大事なことは、沖縄では闘いの歴史がしっかりと継承されていることだ。現在沖縄で運動を担っている人たちは、伊江島の阿波根昌鴻さんたちの過去の闘いを良く知っている。辺野古の人たちの非暴力の闘いは、阿波根さんたちの乞食行進などの闘いの伝統を受け継いでいる。過去の運動をちゃんと知らなくては新しい運動、まして安倍政権の狂暴な攻撃と真に対決しうる、現実的で有効な運動は生まれない。
 わたしが最初に言った、選挙に限定されない、新しい闘いを実践したいという思いは、こうした発想に基づくものだ。正しいことは正しい、そのことを決して手放さず、あきらめない。「沖縄に基地はいらない、この道しかない」のゆるぎない信念が沖縄の人びとの闘いのなかにある。
 本土では、とりわけ1975年のスト権スト以後、労働者の闘いの継承がなされず、断絶している。そこをどうつなぎ、運動を回復させていくかが課題だ。もっと言えば戦前の闘い、あるいは自由民権運動などの再検証もどんどんやる必要があると思う。もちろんこれは国内に限らない。
 昔の話は昔のことで、現在とは関係ない、という姿勢では創造的な運動はできない。沖縄では闘いを継承するという意識があるから、生き生きとした魅力ある運動ができているのではないか。
 山下 安倍たちは、今度の選挙で「勝利」し、自分たちの政治路線が信任されたとして、より強引に反動的諸政策を押し進めてくるだろう。沖縄では二つの選挙結果などお構いなしに辺野古基地建設を進めると言っているし、集団的自衛権行使合法化に向けた法整備にも取りかかると明言している。選挙後の記者会見で、安倍は明文改憲に向けて努力することも強調した。また「成長戦略」に名を借りた大胆な規制緩和を断行するとして、臨時国会では廃案となった労働者派遣法の改悪法案や「残業代ゼロ」法案を次期通常国会には出してくるだろう。
 司会 中村さん、原発再稼働の現状はどうですか。

自民党の原発政策と原発再稼働問題

 中村泰子 自民党の原発政策は、世論の六割が反対なので最大の弱点だが、今回の選挙では争点から見事にはずされた。選挙後は原発政策も信任されたとして、再稼働を加速させようとしている。「アベノミクス」破綻回避のための活路を、武器輸出とともに原発輸出に見い出そうとしている。そのためには、国内の原発が止まっていては海外に売れないので、何が何でも再稼働を実現させたいのだ。
 現在、新たな安全神話が浸透し始めている。一つは、原子力規制委員会が定めた新規制基準。これにパスすれば「安全」であるかのように思われているがまったくそうではない。事故は起こらないという前提から、「事故は起こりうるので安全対策を追加するが、最悪の場合に備え原子力災害対策をよろしく」に変わったのだ。
 もう一つは、再稼働にいたる手続きがメチャクチャなこと。新規制基準が求める機能を備えるための補強工事等は、本来なら設置認可→工事計画・保安規定認可→着工→使用前検査→起動となるべきところを、ひたすらスピードアップのため、必要書類の一括申請・一括審査に変えた。これまで提出された申請書の中にある工程表を見てみると、申請と同時に工事開始となっている。つまり、規制委員会が審査中に工事は勝手に進められ、工事終了後に後追い的に規制委員会がOKを出すというバカげたことがまかり通っている。審査中、電力会社に補正書を提出させたりしているが、まったくの茶番だ。他の建設業界では決してありえないデタラメの極致が行なわれているのだ。
 この二つの問題点をはじめ政府や電力会社がついているウソをあきらめずに暴いていきたい。川内に続いて高浜原発も再稼働の動きが急になっている。原発立地地域の運動と結びついて反対運動を広げていきたい。

反ファシズム闘争勝利70周年

 司会 今日の座談会の第二のテーマに移りたい。逢坂さん口火を切る発言をお願いします。
 逢坂 「戦後70年」というテーマを論じる際には、まず第一に第二次世界大戦の基本的性格を押さえておく必要がある。この戦争は、第一次大戦と同様、資本主義国間の帝国主義戦争としてはじまったが、ソ連邦の参戦によって、反ファッショ・民主主義擁護の戦いという性格が前面に出てくる。この戦いに全世界のコミュニストを中心にした反戦・反ファシズムの活動家たちが合流していく。
 ナチスやほかの枢軸国の敗戦が色濃くなるなかで、戦後処理の問題を討議する連合国首脳の会議がテヘランやカイロ、ヤルタ、ポツダムで開かれるが、そこで論議された戦後世界の秩序・枠組みの構想には、それぞれの国家の思惑も働いているが、ファシズムと闘った全世界の人民の意志も反映されていくのである。
 そうした意味で日本国憲法も世界的な反ファシズム闘争の所産といえる。
 この平和と民主主義を基調とした戦後の世界秩序を破壊しようとする逆流が、特に1990年代初頭に社会主義世界体制が崩壊して以降、世界中で強まっている。日本においてもそれは例外ではない。
 そうした動きへの海外からの警告の例として、中国の『人民網日本語版』(2月27日付)に載った「中国人民抗日戦争記念日」に際しての論評から文章を抜粋し紹介してみよう。
 「戦争後期のカイロ宣言とポツダム宣言は世界反ファシズム戦争の勝利を象徴する国際的法律文書であり、戦後国際秩序の確立の基礎を固めた」「安倍は首相就任以来、極東国際軍事裁判の審判に疑問を呈し、靖国神社を参拝し、平和憲法改正を企て、釣魚島(日本名・尖閣諸島)の主権を中国から略奪しようと企てている。戦争の罪を徹底的に反省しないばかりか、国内右翼勢力を再三放任し、さらにしばしば率先してもめ事をおこす。このような日本の政府と政治屋を、アジアと世界の人々が信頼することは困難だ」「四年前、中露両国元首は『第二次世界大戦終結65周年に関する共同声明』を発表し、第二次大戦の歴史を改竄し、ナチスと軍国主義者およびその共犯者を美化する企てを断固として譴責した」「これによって第二次大戦の勝利の成果と戦後国際秩序を断固として守るとの両国の決意がはっきりと示された」安倍政権の閣僚のほとんどが、アジア太平洋戦争を美化・正当化する「日本会議」の同調者で占められ、この日本会議は地方議会などを舞台に戦争責任を追及する運動や護憲運動への卑劣な攻撃をエスカレートさせている。
 歴史認識の問題では、従軍慰安婦問題での「河野談話」「村山談話」に対する攻撃、『朝日』叩き等、日本の戦争犯罪を否定し戦争責任を追及する運動を封殺しようとする歴史修正主義・報復主義の流れが強まっている。国連の常任理事国に日本を入れさせようという策動もこうした文脈のなかに位置づけることができると思う。
 「戦後70年」はさらにこうした攻勢が勢いを増すだろうし、それは安倍政権が進める軍事大国化の動きと表裏の関係で進むだろう。今年一年、われわれはこの分野でもきびしい闘いを迫られることを覚悟しなければならない。

アジア太平洋戦争の評価を巡る闘い

 山下 安倍たちは、自らの進める壊憲・軍事大国化をイデオロギー的に正当化するためにも、アジア太平洋戦争の評価や反戦・反ファシズムを基本理念とした戦後の世界秩序の評価をひっくり返そうとしているのではないか。あのような間違った戦争を二度と起こしてはならないという痛切な戦争否定の思い・思想が、日本国憲法に結実したし、戦後の平和運動にも社会思想や国民感情全般にも貫かれてきた。安倍たちが新たな戦争国家体制を築くためには戦後社会の共通認識であった「間違った戦争」という評価自体を突き崩すことが必要なのだと思う。
 広野 しかしアジア太平洋戦争を美化・正当化する安倍たちの言動は、アジア諸国はもちろん、アメリカだって認められないだろう。安倍のそうした姿勢はすでにアジアで、世界中で大きな軋轢を生んでいる。それを日本のマスコミは、きちんと伝えない。世界中に金をバラまき、多国籍独占大企業の営業に奔走する外交路線を、安倍の自画自賛だけでなくマスコミがこぞって「地球儀俯瞰外交」などと讃える様は、グロテスク以外の何物でもない。そうした動きを通じて、あたかも安倍たちの考えが世界中で支持を受けているという間違った認識が、日本社会に定着させられようとしているのだ。
 山下 そこのところには確かに矛盾があり安倍たちの弱点でもあるので、われわれはその矛盾をどんどん衝いていくことが必要だ。しかしグローバルな資本間・帝国主義国間競争の激化のなかで日本資本主義が生き残っていくためには、憲法改悪と日本の軍事国家化を推進するというのが日本の政府・独占資本の基本戦略なのであって、それを実現するためのイデオロギー攻撃もやめることはない。海外向けと国内向け、表向きと実質的内容、硬と軟とを使いわけながら確実に推進してくるだろう。
 日向 日本の軍事国家化は、日本独占資本の要求であるとともに、一方ではアメリカ帝国主義の要求でもある。日米は、矛盾の面と利害が一致する面、両面あるということだ。日米は、オバマ政権は、財政的事情から従来のように自国の軍隊を世界各地に送って戦争をするのではなく、その地域の同盟国の軍隊を活用していくという路線をとっている。この間、日米の軍事協力関係が非常に緊密になっているのもそれと関係している。そこのところも見ておかなければならない。
 大橋 イデオロギー攻撃といえば、権力の側が振りまくナショナリズム、国益主義の危険性をいかに訴えていくかが大事だと思う。戦前、満州事変までは『朝日』は軍部批判をしていたが、この事件が関東軍の謀略であったにもかかわらず「日本の国益のため」という軍部に屈服し、転向していった。新聞だけでなくラジオもこの事件を境にすべて戦争推進にむかって横並びの報道をするようになる。
 第一次大戦の勃発に反対していたドイツ社民党が、実際に戦争が始まると祖国防衛主義に拝跪していったのも同じことだ。そうした意味で、今回の『朝日』叩きのなかで、「国益を損なった」「国賊」「売国奴」といった表現が使われ、それが抵抗なく受け入れられる状況が生まれているのは非常に恐ろしいことだ。
 ヒットラーの側近ヘルマン‐ゲーリングが「本来、普通の人々は、戦争など望まない。だが人びとを指導者に従わせることはいつでも簡単可能だ。国民に対しては『我々は外国から攻撃されている』と叫び、平和主義者に対しては『愛国心の欠如だ』と罵倒し、自国を危険に晒すことだと訴えることだ」と裁判で述べている。
 インターナショナリズムの思想と感性を人々に伝えていくことが、今ほど求められている時はないのではないか。
 もう一つは、ファシズムに対するわれわれの科学的認識をしっかりと持つことだと思う。ファシズムは一般にいわれているような「野蛮性」「非合法性」「上からの抑圧・強圧」といったことでは正確に捉えられない。ナチ党は「選挙」で国民の支持を得て合法的に政権をとったのだから。根っ子にある資本主義、所有関係の危機を回避していくために、人民を下から組織していく政治システム・からくり、ナショナリズムの利用などを階級的に暴露していく作業が大事だ。
 司会 新しい年も、厳しく困難な状況が続くと思いますが、みなさんの精力的な執筆をお願いします。【思想運動 編集部】

(『思想運動』950号 2015年1月1日・15日号)