翁長勝利の背景に反基地闘争の盛り上がり
「沖縄保守」の分裂と「オール沖縄」の課題


沖縄知事選の結果と反戦平和・反基地運動


 さる11月16日(日)注目の知事選挙がおこなわれた。その投票結果は以下のとおりである。
 翁長雄志 氏   360,820票
 仲井真弘多氏 261,076票
 下地幹郎氏    69,447票
 喜納昌吉氏    7,821票
 投票率は64.13%で、前回の60.88%から3.25ポイント上まわった。ひと言でいって翁長氏の大勝である。さらに同時におこなわれた那覇市長選で、前市長翁長氏の市政をひきつぐ城間幹子(副市長)が101,052票で、自民・公明推薦の与世田兼稔氏(57,768票)を破って当選した。翁長氏と城間氏の今回のダブル選挙圧勝で、県民の「反基地、辺野古移設阻止」はより明確になった。
 今回のダブル選挙勝利の意義は、昨年12月安倍内閣が一括交付金をふるまうことにたいする代償として仲井真知事が辺野古への基地移設を承認した、そのことの是非を審判するものであった。結果はノン。この一年間、反戦平和をめざした、たたかう意識的な有権者のみならず、政府有力者の言動に安易に変節させられる県民代表の議員諸氏のその無節操ぶりに、広く一般県民の憤怒の意思を示すものであった。
 もうすこし翁長候補勝利の原因をみておこう。4年前の知事選(仲井真弘多対伊波洋一)以来、県内では大きな動きがあった。とくにオスプレイ普天間基地配備にたいする反対・阻止闘争のもりあがりである。宜野湾市民大会や県民大会、普天間基地ゲートのたび重なる封鎖活動。その大山と野嵩ゲート前では実力行使寸前まで緊張感のほとばしる非暴力行動がおこなわれ、県民の感涙をさそった。今ひとつは、いわゆる「オール沖縄」とよばれ、県議会・市町村議会議員全会一致で在沖米軍基地の県外移設の『建白書』を政府・安倍首相に提出したことである。かれら議員はその後、東京都内をパレード行進した。これらも県政史上、特筆すべきものだと賛意がよせられた。
 さらに本年1月名護市長選において稲嶺氏が再選され「辺野古への移設拒否」をいっそう明確にした。新基地建設予定地所管の市長と知事(ザ・メーヤー・アンド・ザ・ガバナー)がともに反対を示したことの国際的意味は大きい。
 ユナイテッド・ステーツ・オブ・アメリカ政府と国民へのインパクトは無視できない。
 また世界40か国、70か所に米軍基地が設置されている。そこでは在沖米兵犯罪・事故と同質・類似の事件が頻発している。たとえば最近、フィリピンで米兵が婦女暴行をおこなって住民からきびしい抗議をうけている。これらの国々や米軍駐留地付近住民へ「沖縄からのメッセージ」が届けられている。

今回の勝利の基底要因

 今回の選挙戦で特筆しなければならないことは、その期間中も辺野古漁港から大浦湾へカヌー隊による防衛施設局の基地予定海域の調査・測量を阻止する活動とキャンプ・シュワーブゲート(第一、第二、新ゲート)前における作業用車輌その他への阻止およびテント村活動である。それらは果敢かつ激烈になされていて、その様子は本紙前号に掲載されている。連日数百人が県内各地や本土からはせ参じてたたかう。夕暮れテントをたたむと、たちまち群舞がはじまる。互いのたたかいを祝福するのである。
 そのたたかいは県内のみならず鹿児島県徳之島にまで影響を与えている。辺野古基地建設などの土砂・岩石を徳之島から搬入しようとする東京の土建会社が島の漁港に「土砂運搬用桟橋建設許可」をもとめて、漁協理事会から拒否されている。「地域をあげて世界自然遺産登録への取り組み」に逆行するというのだ。
 「美ら海」を守ることは沖縄単独の営為ではない。たたかいなくして勝利なし。

「沖縄保守」の分岐

 沖縄県における保守が今回の知事選で分岐した。「沖縄保守」は「本土」もしくは他府県にみられる「万世一系の天皇制」を支持したり、いにしえの「大和政権」をはるか憧憬する保守ではない。つまりヤマトと沖縄をへだてる一線がここにある。ついでながら琉球・沖縄史に若干ふれておく。その歴史には、いわゆる「鎖国」や天皇制・みかどとなるものが存在しなかった。
 あのかまびすかしかった尊皇攘夷・開国をめぐる争いもなかった。沖縄は古琉球時代以来、「開国」をつらぬいてきた歴史的主体である。
 では沖縄における保守とはいかなるものか。それは戦後米軍基地やその統治施設建築の業務をひきうけながら経済力をつけてきた親米傾向のつよい「経済保守」(※)である。
 それがその基盤のうえで復帰政治勢力を形成してきた。そのなかで、いわゆる「オール沖縄」に参加している人びとは、新しい、どちらかといえば良識のある保守として現われた。だが今回の知事選で仲井真候補を支持する新聞広告一面に登場した県下市町村長27名などは、「オール沖縄」ではくくれない。(『沖縄タイムス』11月14日11面参考)この広告に書かれているキャッチ・コピーでは「オール沖縄、建白書は私たち市町村長から疑問」「『革新』県政に戻すな」とある。つまり「保守」県政を主張している。
 もうひとつの分岐は、沖縄経済界もしくは業界団体の分裂である。国場組を筆頭とする土建業界とホテル経営者の集まりにわかれてしまった。前者が仲井真を支持し、辺野古基地建設推進の旗をふっている。かれらは米軍当局や防衛施設局に基地事業をもっとよこせ、指名入札では地元業者に優先させよと深くぬかづいてる。いわば沖縄の典型的保守である。国場組などは沖縄戦以前には友軍飛行場(事実上滑走路のみ)建設に参加していた。その飛行場が国場空港といわれたほどである。国場組は戦後いち早く米軍基地建設の下請けからはい上がってきたのである。
 他方、ホテル経営者のグループはそのような拝米従属・基地依存でないウチナンチューの観光をめざすという。
 これから「沖縄保守」がどのように変わっていくか、「オール沖縄」がどのような立ち位置を定めていくのか、それはわからない。ここで言えることは、目下展開されているたたかいに代表される反戦平和・反基地運動が「本土」側人民との連帯を視野にいれながら強く前進するならば「良識の保守」は「革新」とブリッヂを築いていくことができるであろうということである。
 ※経済保守は米軍統治下の買弁勢力と規定したいが、今後の研究をまつ。

たたかいが継承されない山原

 筆者は翁長氏の当選を祝福し、県有権者が示した賢明な投票結果に敬意を表する。その上でなお懸念することをいわせていただきたい。それは辺野古と高江との関係である。高江付近での海兵隊の練習は基本的には普天間基地が閉鎖され、辺野古への移設を阻止したならば、ほとんどなくなるであろう。だが海兵隊が沖縄あるいは日本、グアムなどに駐留するならば山原の山地は、演習・訓練にふさわしいエリアとして米軍は既得権益を頑強に主張するであろう。とすれば高江などは訓練基地として自由気儘に踏みあらされる。そうなれば「沖縄のアイデンティティー」は沈黙するわけにはいかないのではないか。国頭郡東ひがし村高江地区のたたかいについて、今回の知事選において、翁長氏は、「公約発表」で「高江のヘリパッドはオスプレイの配備撤回を求めている中で連動して反対する」とのべ、それは県内メディアでも報道された。むろん高江の住民は翁長支持でたたかっている。だが現地紙をみるかぎり、特段の報道はみあたらない。仲井真候補は高江問題について黙して語らない。
 山原(国頭郡)では1970年代後半から米軍の「低水準戦争」戦術、つまり途上国における社会主義指向の革命運動にたいして攻撃するための反革命訓練地と本土からの海兵隊の移駐によって激しい演習が実施されるようになった。たとえば県道104号線越えの実弾砲撃演習である。
 生活困難と危険性から現地住民と原水協を中心に73年から恩納村喜瀬原闘争としてたたかわれていた。また国頭村安田地区では、地区内のハリアー・パッド建設に、地区大会で「在沖米軍基地の完全撤去」を決議してヘリポート設営を断念させた(その代わり87年伊江島射爆場に変更された)。宜野湾村議会は、都市型ゲリラ戦訓練施設設営に抗議の決議をおこなって撤去させた。西銘保守県政(79〜90年)下で復帰しても基地はまったく縮小しないどころか、逆に増加しつつあった。復帰運動の高揚のあと、民主主義・反戦運動は後退していた。その時期に上述の現地住民は意識的な労働者や民主団体とともにたたかって辺境の山原一帯をまもってきた。過去のたたかいを羅列することは説教じみて恐縮であるが、沖縄のこれまでの反基地闘争には、つねに自然環境破壊防止の問題が随伴してきた。そのあらわれが辺野古問題である。高江もまたその意義が大きい。「オール沖縄」の課題は重い。今後の健闘を祈る。【佐々木辰夫】

(思想運動 948号 2014年12月1日号)