ロシア十月社会主義革命九七周年記念集会開催される
山下勇男の講演の大要
社会主義か野蛮か、資本主義との訣別を。それが合言葉だ

 今年の集会はHOWSの公開講座として開催するようになった2002年から数えて13回目に当たります。しかし本集会には前史があり、〈活動家集団 思想運動〉として単独開催をした1980年からの通算では、34回目となります。82年には5団体で実行委員会をつくり参加者1500名、翌83年には東京と大阪の7団体で実行委員会をつくり東西合わせて1000名の参加でした。往時を思い起こすと「隔世の感」があります。
 いまや、社会主義や共産主義の政治理念を掲げている団体ですら「社会主義」を口にすることを憚り、1917年のロシア十月社会主義革命はおろか、1991年のソ連崩壊すら忘れ去られる状況です。
 しかし、ソ連崩壊後われわれ人民にとって、世界がどれほど酷い状況になったかを顧みる必要があります。
 社会主義世界体制が存在し、資本主義がその存在を意識せざるを得なかった時代は、世界の人民に大きな恩恵を与えてきたのでした。
 HOWSは歴史から学び、歴史を受け継ぐことを重視して十数年間活動してきました。改めてこの機会に二〇世紀の現代史におけるロシア十月社会主義革命勝利の意味を学び確認し、新しい社会を創造する糧としていく。毎年本集会を開催している意味はここにあります。

資本主義の歴史的限界の露呈――試される闘う側の現状認識

 資本主義にもはや発展の余地はなく、腐り果てた現状を三つの指標で示したい。
 第一に、1930年代以来の、資本主義をコントロールしようとする国家政策の破綻についてです。
 現在、日本政府が抱える累積債務は1000兆円、GDPの約2倍にあたります。国民一人当たりに換算すると一人818万円にもなり、財政破綻が問題となったギリシャを上回ります。なぜここまで財政赤字が膨らんだのか。その原因を確かめることなく、「財政危機」が所与の前提として強調され、その脅しを梃に消費税増税不可避、正当化キャンペーンが張れています。資本主義は社会主義に対抗するために恐慌の爆発を避けねばならず、景気が悪くなれば政府が国家財政をつかって景気を刺激してきました。その政策が連綿と続けられてきた必然的結果が今日の状況をもたらしているのです。
 1964年に東京オリンピックがあり、合わせて東海道新幹線も開通させました。64年から翌65年は戦後最大の不況と言われ、戦後初めて赤字国債が発行されました。それから、わずか50年間に1000兆円に達したことになります。この事実は政府などが吹聴している少子高齢化による増税不可避なる騙りを根底から覆すものです。
 政府はとうとう償還期間が40年の国債まで発行するようになりました。スペインでは50年もの、イギリスでは55年ものの国債まであります。まさに狂気の沙汰というほかありません。国債とは将来の税収を担保とした国の借金ですから、40年、50年、55年後に予測される需要の先食いです。このように将来へツケを回して資本主義はなんとか生き永らえてきたのです。
 もう一つ中央銀行が担ってきた金融政策についても、打つ手がなくなっています。日銀のゼロ金利政策はすでに20年近くにもなります。これまでなら金利を下げることで景気を刺激してきたのですが、それも不可能になっています。そこで量的緩和です。昨年の3月からは「異次元の緩和」を始め、10月末の「追加緩和」では、政府が発行する新規国債の約九割を買う計算にすらなっています。
 このようにいまや日銀が過剰マネーを注入し続けるしか資本主義経済は生き延びられなくなっている点です。
 二点目は、人間生活に不可欠な商品を生産し社会を維持していく経済活動から遊離した投機的金融取引が主役となり、人民の生活を破壊していることです。
 1971年に金とドルの交換が停止されて、資本主義の世界秩序を形成していたIMF体制が行き詰まりました。その結果、金の裏づけのない不換紙幣が過剰に流通する世界経済の現在の仕組みができあがったのでした。独占資本主義の下で必然的に生じる過剰資本とが相俟って投機的な金融取引が独り歩きし、世界経済の主役にまでなる状態が作り出されてしまっています。
 三点目は、国境を越えて暗躍する多国籍企業、金融独占体が国家を通じて支配・収奪を行ない、国民経済を犠牲にしていることです。それが格差の拡大や労働者・人民間の窮乏化をもたらしています。
 いわゆるアベノミクスとは、グローバル市場で競争する日本の独占資本を国家が全面的に後押しし、それがあたかも国民全体に恩恵が及ぶかのように偽装した政策にほかなりません。
 207兆円にも及ぶ内部留保を抱える企業に対して、さらに法人税を下げながら、その穴埋めにわれわれ人民には増税を強いている。このような政策がわれわれの恩恵となるわけがないことは明らかです。この嘘を見抜く眼を持たなければなりません。
 行き詰った資本主義体制を維持するためには人民の収奪を徹底するしかありません。収奪の強化は社会的な矛盾をいよいよ顕現させます。残された手段は国家が人民の日常生活を監視することと、暴力の行使以外にありません。それが特定秘密保護法や集団的自衛権行使の問題の本質なのです。
 自衛隊を海外に派兵し自由に戦争できるようにすることは、同時に国内の弾圧体制が強まることです。つまり、軍隊の武器は実はわれわれ人民に向けられているのです。軍隊の階級的本質を見失ってはなりません。

帝国主義の世界支配のいま――中東・北アフリカ情勢の見方を中心に

 以上のような現状認識に立ったとき、ソ連が崩壊してからの23年間で世界はどのように変わってきたのでしょうか。それをヨーロッパ、中東、北アフリカの情勢を中心に振り返ってみます。
 EUは解体させられた旧東欧の社会主義国家を吸収して2004年に25か国体制となり、その後も膨張を続けて現在では28か国にまでなっています。この膨張は経済的政治的統合に留まらず、NATOという軍事同盟の東方への拡大を伴なっていました。ロシアの国境線まで拡大した帝国主義的資本主義支配は、軍事的支配の拡大でもあったのです。社会主義連邦国家ユーゴスラビアの解体は、その首都ベオグラードへの国連未承認のNATOの空爆により強行されましたし、ウクライナ問題も本質的にこの延長線上にあることを見落としてはなりません。
 中東でも、アメリカ帝国主義が国連を利用できるときは利用し、承認を得られなければ有志連合をつくって侵略戦争を進めてきました。かれらがなんら手を縛られない状況が作り出されてしまいました。
 今日の中東、北アフリカの混乱のもとはなにか。それは1978年のアフガニスタン四月革命をアメリカ帝国主義が謀略的に潰したところから始まります。
 このときアメリカは資金と武器の提供から軍事訓練までしてパキスタン経由で反革命軍を送り込みました。そしてソ連参戦を誘いこむことに成功するのですが、これがタリバーンの台頭をも準備しました。
 イラン革命(1978年)を潰すためにアメリカはイラクのフセインをそそのかし、武器の売却、偵察衛星による軍事情報提供をし、国内法で禁止されている武器の密輸まで行ないました。それがイラン・イラク戦争(1980年~88年)でした。
 最近では「アラブの春」をリビアを潰す切っ掛けに利用しました。現在リビア国内は内戦状態にあり、国家の体をなしていない混乱のさなかにあります。その目的は市場の開拓と天然資源の略奪です。
 これらの事実は帝国主義支配の限界を示すと同時に、戦争がなければ成り立たたない資本主義の本質を示しています。アメリカは現在、財政破綻の制約もあり、これ以上の軍事支出を増やせない状態にあります。そこで「同盟国」を巻き込むことで戦争遂行能力を補強、維持しようとしています。安倍政権はこれに便乗して独自の帝国主義的利益を獲得しようとしているのです。
 アメリカは民主・共和の二大政党制ですが、どちらであろうと戦争国家としての本質に変わりありません。少しはましなように思われていたオバマ政権も同断です。政権を背後で支配しているのは軍産複合体であり、まるで中毒のように戦争国家から抜け出せなくなっている姿が浮き彫りになっています。

社会主義か野蛮か!それが合言葉だ ―いまこそ「社会主義」の旗を掲げ直すとき

 このスローガンはかつてローザ‐ルクセンブルクが掲げたものですが、現代の課題を的確に言い表わしています。
 冒頭で資本主義の行き詰まりについて述べましたが、とくに70年代以降は資本主義が本領を発揮する野蛮な世界に放り込まれてしまいました。武井昭夫はこの状況を「地獄への道」と表現したのでしたが、まさにわたしたちは地獄への道に引きずり込まれています。
 しかし、残念ながら大部分の人たちはそのような認識には立てずに、一人一人が孤立せられ、自分の殻に閉じ込もっているため、抵抗しようとする者の間ですらこの世界についての共通の見方をつくりだすことができなくなっているのが現実です。
 ではこの閉塞状況を許している原因はなにか。それは、ソ連の崩壊と社会主義世界体制が消滅したことで、運動主体の側がどういう社会を築くために闘うのか目標を喪失し、価値観が混乱している結果ではないでしょうか。現に日本では社会主義の旗印を明確に掲げている団体はほとんど見当たらなくなっています。また、この混乱が、先ほど触れた中東や北アフリカでは、イスラム原理主義の台頭として現われているのではないか、とわたしは考えます。
 困難は2010年以降のヨーロッパにおいてもはっきりと見てとることができます。この年はギリシャの債務危機が起きました。そのツケを人民になすりつける攻撃に対して、ギリシャの労働者人民は波状的なゼネラルストライキで闘ったのでした。そして、その中心を担っていたのがギリシャ共産党とPAME(全ギリシャ戦闘的労働者戦線)でした。
 ギリシャ国内では、もちろん日本に比べれば、はるかに労働者の抵抗は激しかったとはいえ、社会主義の旗を掲げて闘うまでには至りませんでした。ヨーロッパにおける共産党・労働者党を名乗る組織のほとんどは、ギリシャ共産党が批判する改良主義・日和見主義の党に変質してしまい、政治的影響力も失っている状態でした。そのような状況下での、ギリシャの果敢な闘いが直面した困難は、やはりわれわれが直面している困難と質的には同じでした。
 ただし、このような困難に立ち向かいながらもギリシャの労働者が闘い続けることができている理由は、社会主義の旗を掲げ原則的に闘うギリシャ共産党がその中心を担ってきたからなのです。
 この状況を立て直すために、ギリシャ共産党はみずからイニシアティブをとって共産党労働者党国際会議を開催し、国際共産主義運動の再建に努力しています。わたしたちも、微力ではありますがこれに結びつこうとしてきました。
 こうした状況は、社会主義を防衛している諸国にも影を落としています。それは直面する困難を打開するための試行錯誤、模索を含む苦難として映し出されています。
 朝鮮とキューバは、帝国主義の包囲の中で経済封鎖に耐え、闘い続けています。朝鮮はいまだ戦時下にあり、米日韓帝国主義による核戦略を含む軍事的圧力のもとで、社会主義防衛の困難な課題に取り組んでいます。わたしたちにはこのような苦難を朝鮮人民に強いている責任があります。朝鮮の社会主義についてあれこれ批判はあるかもしれませんが、帝国主義の包囲の中で社会主義を防衛する闘いに連帯することが基調に据えられなければなりません。
 キューバは第六回党大会(2011年4月)において経済社会政策路線と呼ばれる資本主義に譲歩する政策を予想外のテンポで進めています。中南米はかつて「アメリカの裏庭」と呼ばれていましたが、社会主義を目標に掲げた政権が誕生するなど、そうした地位から抜け出しつつあります。
 しかしベネズエラでは、アメリカ帝国主義と結びついた反革命勢力の攻勢が激化し、人民の闘いは大きな困難に直面しています。
 この状況とキューバが始めている政策は無関係ではありません。もしベネズエラ革命がひっくり返されるような事態が起きれば、ベネズエラからキューバに供給されている石油が止まる可能性があるからです。ソ連崩壊時に貿易の85%が消滅し、あらゆるものが欠乏した最悪の状況を経験したキューバでは、資本主義世界との関係を変えざるをえないのが現実です。経済特区をつくって外資を入れる政策は朝鮮でもとられています。
 朝鮮やキューバ、その他、社会主義を防衛する人民の闘いに注目し、心からの連帯を表明します。
 わたしたちを取り巻く思潮を見てみますと、社会主義でもない資本主義でもない中間段階についての議論や、「健全な」「よりましな」資本主義が可能であるかのような考え方が横行し、社会主義を口にすることすらはばかれる事態が全体を覆っています。
 社会主義を現実政治の日程にのせることが可能な状況ではないことは明らかだとしても、どういう社会を目指して闘うのかが不明確になっています。この状態を変えるためにわたしたちは全力を傾けるべきです。
 社会主義思想をよみがえらせることを抜きに「地獄への道」から抜け出す方策はありません。このことをあらゆる機会をつうじて人びとに伝えて行く必要があります。
 資本主義の発展の限界が明らかになっている現在、社会主義の目標を真正面に掲げた闘いをよみがえらせなければ未来はありません。社会主義は、歴史的経験――そこには誤りや弱点が含まれています――に学びながら、労働者階級自身の主体的実践をとおして創造していく事業にほかならないのです。
 社会主義は資本主義とは違い、人間の理性によって築き上げるものです。理念と原則を労働者階級の主体的実践によって現実化する過程です。したがって、わたしたち自身の日常の運動や生活においても、資本主義的価値観を問い、社会主義的な価値観に立ってみずからを律する実践が求められます。
 わたしたちはいま、志を同じくする人びととともに、労働者・労働組合を主軸とする憲法改悪阻止の闘いに全力を傾けています。明文だろうと解釈だろうと憲法破壊を阻止する闘いは、憲法が規定する平和的生存権や民主的諸条項を闘い取る実践をつうじてのみ、真に内容が与えられる過程です。そのような闘いがいまわたしたちに欠けているのではないでしょうか。
 九条を守りさえすれば、「戦争をする国」を阻止できるというのは間違いです。そのことは戦後史の経験が教えるところです。現に安倍政権は憲法を踏みにじり続けています。ですから闘いをとおして憲法上の権利を実現する闘いを抜きに未来を展望することはできません。
 沖縄県民の新基地建設を阻止する闘いは、憲法の上位に君臨する日米安保条約体制下で闘われています。つまり、沖縄の闘いは人民が憲法を取り戻し、実現する闘いにほかなりません。この闘いの内実にこそ本来の意味での憲法闘争があります。わたしたちの改憲阻止闘争が、この沖縄の闘いに学ばなければならないのは、この教訓です。
 安倍政権がやっているのは、日本帝国主義を完全復活させ、アジアにおいて他民族に抑圧的にふるまう地位を取り戻すことであり、それを日米同盟強化を隠れ蓑にして実現しようとしています。わたしたちはこの攻撃の全面的かつ階級的性格を捉えなければなりません。
 わたしたちの闘いは、個別課題ごとの枠に閉じ込められ、敵がしつらえた土俵の中で分散させられたままです。憲法闘争は本来それらの個別闘争の集約点足りうるはずですが、現状ではそうなりえていません。
 この状況から脱するためには、あらゆる課題で闘う諸勢力が憲法問題を基軸にして統一されていく道筋を示さなければなりません。そして改憲阻止の統一戦線形成の一翼を担いつつ、社会主義をめざす諸潮流・諸勢力が、思想と理論を鍛えるために協働することが切実に求められています。この闘いの先にわたしたちがどういう社会をつくりあげるのか、認識を共有するために努力を傾けねばなりません。
 ロシア十月社会主義革命を記念する意味は、ここにあると考えます。

2015年、第二次世界大戦 終結70周年 ―歴史認識をめぐる攻防を闘い抜くために

 最後になりますが、来年は「反ファシズム闘争勝利70周年」にあたりますので、歴史の歪曲をめぐる課題について述べます。
 今年6月6日にノルマンディー上陸作戦開始から70周年を記念する行事がフランス西北部ノルマンディーで開かれました。
 アメリカ・イギリス・カナダを中心とした連合軍がナチス・ドイツ占領下のフランス・ノルマンディー地方の海岸に上陸した「史上最大の作戦」が連合国の勝利を決定づけたことを強調し、記念しようとする式典でした。
 しかし、ナチス・ドイツがソ連に侵攻したのは1939年であり、ノルマンディー上陸作戦は1944年、つまり連合国がナチス・ドイツと戦闘したのは終戦前のたった一年間だったのです。その間、社会主義ソ連はナチス・ドイツと独力の闘いを余儀なくされ、2000万人の死者を出す壮絶な戦闘を耐え抜いたのでした。
 このような式典一つとっても、ファシズム打倒の戦いにおいて社会主義ソ連が決定的に貢献した歴史的事実を無視したりぼかしたりすることが平然と行なわれているのです。ヨーロッパでは、社会主義世界体制の崩壊以降、社会主義とファシズムを同列視するキャンペーンが、EUや欧州会議を舞台に執拗に繰り返されていきました。第二次世界大戦の性格と、その全経過を階級的観点に立って再確認する作業が必要不可欠です。
 日本ではどうでしょうか。2014年、第二次安倍政権下で民族排外主義の嵐が吹き荒れ、安倍政権の歴史観は反ファシズム民主主義擁護の闘いであった第二次世界大戦の性格を根本から覆す報復主義そのものです。これに後押しされた歴史の歪曲がマスメディアで大手を振ってまかり通っています。
 たとえば安倍政権はいま、国連憲章の旧敵国条項を削除し、国連安保理常任理事国入りを画策しています。ファシズム支配を終わらせるために、世界人民の血であがなわれた闘いの意義を安倍政権はひっくり返そうとする、文字通り歴史的反動そのものです。
 わたしたちはいま、戦後最悪の極右反動の安倍政権と向き合っています。改めて二〇世紀の現代史を問い直す仕事に取り組まねばなりません。反ファシズム闘争の勝利のために奮闘した世界の人民と連帯し、この日本の地において安倍政権の繰り出す反動攻勢と闘う決意を表明して、報告を終わります。

(思想運動 947号 2014年11月15日号、948号 2014年12月1日号)