<ルポ>正念場を迎える沖縄現地の闘いで考えたこと
「本土」労働者として沖縄と職場をつなぐ
                 

わたしは、今月8日から沖縄・辺野古の新基地建設反対の座り込みに参加し、9日は那覇の沖縄県庁包囲行動、10日と11日は座り込みに参加する予定であった。が、台風19号の影響で10日以降の座り込みは中止となった。行動は2日間の短いものになったが、沖縄の闘いに触れた貴重な体験を以下に報告し、今後「本土」での運動の一歩としたい。

ゲート前テントの座り込み
8日午後、キャンプシュワブゲート前のテントに着くと、ゲート前抗議団責任者の山城博治さんがマイクを回しながら、50名ほどの参加者がアピールをしている。カンパを国内はじめ韓国、ブラジルなど海外からも募り、辺野古にカヌーや軽トラックを贈った千葉の方々、カヌー隊と同宿したのをきっかけに旅程を変更し、県知事選まで長期滞在すると決めた神奈川の方、北海道からの宗教者の方……。さまざまな立場から辺野古に連帯するアピールに対し、それへの「感謝・喜びの表現として」皆でカチャーシーを踊り、「ジンジン」という沖縄民謡が知事選になぞらえた替え歌で披露された(ジンジンは蛍の意)。
辺野古の浜からカヌー隊の方々も合流し、波が高くこの日カヌーは出せなかったことが報告された。県知事選前に工事を進め、基地建設の既成事実化をはかりたい政府・防衛局にとり、台風によるボーリング調査の遅滞(その後の大荒れでフロートの損傷・再設置まで加わった)は、大きな痛手になるはずだ。

沖縄県庁を包囲する
翌9日、辺野古の新基地建設に反対する「止めよう新基地建設!10・9県庁包囲県民大行動」が行なわれた。稲嶺名護市長の抵抗にあい当初の計画が狂った沖縄防衛局が、県に対して行なった埋め立て工法の変更申請を、承認するなと知事に要求するものとして呼びかけられた。
正午前、すでに県庁前は参加者が埋め尽くしていた。平日の昼間にもかかわらず、3800名が参加した。公・民さまざまな労働組合、米軍基地爆音訴訟団や反基地を掲げる運動団体、政党の旗やのぼりが林立し、横断幕が色とりどりに敷き詰められている。
国際通りの入口に面し、修学旅行生をはじめ多くの観光客や労働者・市民が注目する中で、新基地建設の暴挙、その不当性を力いっぱいに訴えた。主催は県議会野党四会派と県内市民団体などでつくる実行委員会。キャンプシュワブ内での工事が7月1日に強行されて以降、8月23日のキャンプシュワブゲート前、9月20日の辺野古の浜での反対集会に続き、今回で3回目の行動だ。
集会は、平和市民連絡会共同代表の高里鈴代さんのあいさつで始まった。参加者は「県民は屈しない」「辺野古新基地建設NO」と書かれたプラカードを、「日の丸」はためく県庁に向けながら、シュプレヒコールをあげるアクションを2度行なった。
一方、国道58号を隔てて向こう側には機動隊が、ステンレスプレートの入った黒い防護スーツを着込み待機している。その異様な存在は、この沖縄人民の非暴力の行動に対して、それを冒涜し、踏みにじる暴力だ。辺野古の海での海上保安庁の殺人的暴力弾圧とつながる、安倍政権がいかに人民の闘いと向き合うかを示す姿だ。
行動の最後には、参加者全体でウェーブをやり、ヘリ基地反対協議会の安次富浩さん、高江の「ヘリパッドいらない住民の会」の石原理絵さんが、基地建設を阻止して闘い抜くことを呼びかけ、参加者全体でそれを確認し行動を終えた。沖縄の闘いに呼応し、そこに参加したことを「本土」に持ち帰りながら、職場や地域でどう動くか。具体的に、すでに抱えている課題と切り結びながらやっていくことが求められている。
沖縄の闘いに苦難を強いる「本土」の状況、その要因のひとつとして、労働運動の弱さがある。たとえば郵政非正規の職場で、労組の弱体化・御用化を背景に、不当な競争や差別の中に叩き込まれた個別ばらばらの労働者が、問題解決の糸口を見失う。諦めと同時に同僚や職場なんかどうでもよくなる。自分が、毎日いかに乗り切るかに切り縮められた認識と、沖縄への無関心・黙視は地続きだ。労働三権をはじめ、自らの権利を行使・実現する意欲を低下させた人々の多くは、国家権力に抗い自らの権利を行使・実現しようとする沖縄の声が聞こえない。そこに一穴をあけんとする運動の困難に足をとられるのではなく、20年来新基地を阻止している辺野古の闘いの持続的な力強さとその意味に学ぶことが必要だ。
安倍政権による壊憲策動の重要環である日米安保の強化、その最前線としての辺野古・高江の新基地建設。一方、同時に強行されようとしている労働法制改悪は、一層の搾取・収奪を通じて、闘う労働組合・もの言う労働者の抑圧・排除を狙う。それは、沖縄を無視することで反動政権を支える「本土」労働者・人民をさらに広範に強固につくりだす環として響きあっている。
それらを見据えて闘わなければ労働者の解放はない、沖縄と向き合い続け、あるいは何度でも向き合い直すことが求められていると感じた沖縄行だった。【米丸かさね】

(『思想運動』945号 2014年10月15日号)