悪辣・異常な『朝日』叩きの狙いは何か
『朝日』叩きは一新聞社だけを標的にしていない
戦後民主主義・平和主義総体への破壊攻撃だ 
            

朝日新聞による慰安婦を強制連行したとする吉田証言に関する「慰安婦問題検証」、福島第一原発事故に対する「吉田調書」報道、池上彰連載コラムの対応問題など、この間の一連の『朝日』記事をめぐって異様な『朝日』叩きが行なわれている。歴史修正主義が跋扈する風潮のなかで、『朝日』は『産経』や『読売』、週刊誌四誌、月刊誌など右派メディアによる四面楚歌の攻撃にさらされている。
『朝日』の誤報、訂正記事にこと寄せて、問題の本質を取り違えた暴論が飛び交っている。
「慰安婦が強制連行されたとの主張の根幹は、もはや崩れた」(八月六日付『産経』社説)、「国益を損ねた責任をどう取るのか」(西岡力『中央公論』十月号)、週刊誌などには「反日」「売国奴」などの罵詈雑言が踊る。
こうした右派メディアの暴力的言説をみると、今後、安全保障政策や歴史認識をめぐって、安倍官邸による「報道規制」がより進む可能性を危惧する。

安倍政権の狙いはなにか

まさに治安維持法下、言論活動が封殺され満蒙生命線を理由に泥沼の日中戦争にのめりこんでいった「戦前」の状況を許すのかが、いま問われている。
六〇年代、林房雄による「大東亜戦争肯定論」が生みだされ、進出する反動思想とのたたかいにおいて武井昭夫は、「コミュニズムにおける革命、リベラリズムにおける抵抗の原理を明確化し、国家権力および独占資本主義との対決をゆるがぬ基本として、なし崩し『転向』を逆転させてゆくこと」(『現代日本の反動思想』)と提起した。
なし崩し転向が完了したいま、『朝日』の自滅によってほくそ笑むのは安倍と独占資本である。戦後民主主義の最期の抵抗線であるリベラル層の衰弱は『朝日』の購読者層の間でも例外ではない。焦眉の課題、集団的自衛権の行使容認や原発再稼働に反対する『朝日』の主張への対抗勢力を取り込み、いまなお、“リベラル”の象徴と見なされている『朝日』攻撃に躍起となっているのだ。安倍は「慰安婦問題の誤報によって多くの人が苦しみ、国際社会で日本の名誉が傷つけられたことは事実と言ってもいい」と述べ、報道によって「国内外に大きな影響を与える」(『朝日』8月12日付)と強弁した。安倍に続けとばかりに閣僚や政界からもきわめて悪質な『朝日』批判がなされている。次世代の党などは「朝日新聞の慰安婦報道によって被った我が国の大きな国益の損失を鑑みれば、木村社長の国会への参考人招致の必要性はさらに高まった」と政治的介入を滲ませ、支配権力に抗する言論活動を委縮させようとする安倍政権の狙いを代弁している。

『朝日』叩きの背景とは

『朝日』バッシングの背景には、メディアの「総転向現象」がある。
「日本を取り戻す」といった古色蒼然としたスローガンを引っ提げ登場した第二次安倍政権(2012年12月~)が、教育基本法改悪、国民投票法の制定など反動立法の〝成果〟をあげながら参議院選挙において過半数割れの大敗を喫した第一次政権時(06年9月~07年8月)の教訓として考えられたのが新聞・通信社・放送局などのマスメディア対策であった。
自民党政治からの脱却、少しでもましな改革への幻想が裏切られた民主党政権下、増幅していたのはネット右翼(ネトウヨ)や極右的見解で脚光を浴びる田母神の支持者、「在日特権を許さない市民の会」に代表される右翼排外主義潮流である。
安倍と石破が争った2年前の自民党総裁選では日中関係悪化の焦点となっていた「尖閣問題」において、安倍は公務員の常駐化によって「日本には覚悟があるという意思を示す必要がある」と息巻いた。また、第一次政権時に日本軍従軍慰安婦問題について「強制性はなかった」との閣議決定によって河野談話を修正したことを再確定する必要があるという妄言をふりまき、安倍の別動隊「ネトウヨ」が拍手喝采した事実は記憶に新しい。
第二次安倍政権のメディア・コントロールは、まず『朝日』『毎日』を含めた大手の商業ジャーナリズム経営者と安倍との会食を通じた懇談の事実の報道から知らされる。NHK会長・経営委員会人事にみられるように、露骨にNHK人事に介入するなど、これまで以上のマスコミ支配と懐柔が進められた。支配権力によるイデオロギー機関中枢部の制覇、その困難ななかでの前線の記者たち、マスコミ労働者と支援する仲間の闘いが求められていた。
昨年「特定秘密保護法案」に関する「パブリックコメント募集がひっそりと行なわれ、あっという間に締め切られた。それでも9万件ものコメントが寄せられ、その8割近くが法案に否定的だったにもかかわらず、年末に強行採決され、国会を通過した」(作家・中島京子『朝日』8月8日付オピニオン欄)と述べる中島は、「特定秘密保護法」施行下で、「集団的自衛権」が行使されたら日本は歯止めのない武力行使の時代に突入することに、「毒に体を慣らすように受け入れた『非常時』あのころと似た空気」だと危機感を募らせる。
戦後70年を前に安倍は「地球儀俯瞰外交」と称して、隣国である韓国・中国を除いた世界49か国に、得意のあべこべ論理、「積極的平和主義」という名の積極的軍事主義をふりまいてきた。来年は国連発足70年を迎える。安倍は9月の国連総会で「21世紀の現実に合った国連の姿」にするため安全保障理事会を〝改革〟し「常任理事国となり、ふさわしい役割を担っていきたい」と表明した。
来年は、戦後70年でもある。ポツダム宣言を受諾(45年8月14日)し切り開かれた戦後国際秩序に挑戦し、「戦後レジームからの脱却」を志向する安倍政権にその資格はない。まず第一に右翼ナショナリストを多数抱えた安倍第二次改造内閣は、歴史修正主義の権化である。第二には、日米軍事同盟を結んだ米国の同盟国だ。第三には、「戦争のできる国」として自立した帝国主義国家をめざしている。世界の人民がそれを許すはずはない。今回の『朝日』の訂正報道をめぐるリアクションひとつをとってみても戦後における戦争責任追及の不徹底さに愕然となる。戦後70年を経てもまだなお「戦争は終わっていない」のだ。 【逢坂秀人】

(『思想運動』944号 2014年10月1日号)