<ルポ>沖縄・辺野古現地での座り込み闘争を闘って
反戦平和を要石に全国からの結集を!
9月2日から7日までの約1週間、わたしは沖縄・辺野古を訪れ、辺野古新基地建設に反対する座り込みに参加した。連日30度超の猛暑で、ときに「カタブイ」(沖縄特有のスコール)に襲われ、また一日雨にたたられる日もあったが、わたしたちは暑さや雨に耐えながら、朝から夕刻まで座り込みを続けた。
猛暑の中のゲート前での闘い
キャンプ・シュワブゲート前のテント村は現在、第2ゲートの向かって左横にずらりと1列に張り出されている。テント村の朝はテント張りから始まる。テント張りにはわたしも1回だけ参加したが、朝の9時ごろには気温はぐんぐんと上がり、ブルーシートを張るまでは沖縄のぎらぎらした光に照らされるがままになり、作業する腕や額から汗がしたたり落ちる。テントが張り終わればミーティングが始まり、現在の状況をみなで共有化する。そして参加者からのマイクアピールが回され、日に三、四度テントを出て、ゲート前をぐるぐるとデモを行なう。そのころにはすっかり日も高くなり、ゲート前は思わずテントから出るのを躊躇してしまうような灼熱地帯と化しているが、暑さにめげず老若男女が力強くシュプレヒコールを上げる。16時ごろには皆でテントを畳み、道路を元に戻して帰る。基本的には連日その繰り返しだった。
わたしが参加したころには、7月から8月にかけての、ゲート前での24時間肉弾戦覚悟の緊迫した状況は当面落ち着いて、小康状態となっていた。ゲート前抗議団の責任者である平和運動センターの山城博治議長らと警察との話し合いの末、辺野古の海の埋め立て工事とは直接には関係のない、嘉手納基地から移住する米兵のための兵舎の増築やメンテナンスのための資材の搬入は、苦渋の選択としてやむなくのんだという。資材を積載したトラックやダンプ、生コン車が、抗議の声を上げるわれわれの目の前をいくども通り過ぎていき、民間警備会社の誘導でゲートの中に入っていく。埋め立ての資材ではないとはいえ、われわれはそれを悔しさをかみしめながら見つめていた。しかしそれは権力の圧力に敗北したのではない。あきらめたのでもない。ゲート前抗議団は、悔しさを怒りに変えながら、力を蓄えているのだ。いずれ近い将来必ず来るであろう、大決戦に備えて――。
沖縄防衛局は9月3日、埋め立ての工法を変更する旨を県に伝えた。その変更の一つが埋め立てのための土砂の運搬法である。防衛局は当初、トラック525万台分に及ぶという埋め立てのための膨大な土砂と岩石を、近隣の辺野古ダムの上にベルトコンベアを新設して、上方から米軍敷地内に運ぶことを計画していた。しかしその計画に対して、辺野古ダムを所管する稲嶺進名護市市長は頑として首を縦に振らない。今年1月の名護市長選においての反対運動側の勝利が、ここにきて甚大な効果を現わしたのだ。いつまでも工程が進まない防衛局は業を煮やして、陸路、すなわち国道329号から土砂を運ぶ計画に変更した。「正直、頭上から土砂を運ばれたらわれわれには手の打ちようがなかった」と山城さんは言う。しかし、「道路から土砂や岩石を運ぶとなれば、われわれは止められる。そのときこそ体を張って身を投げ出して何としてでも止める。そしてそのときは沖縄県民が大結集する。この大衆運動によって埋め立て工事を何としても阻止する!」。その決戦の日まで抗議団は、耐えがたき悔しさに耐え、粘り強く辛抱強くゲート前に座り続けているのだ。
海上での海保との激烈な闘い
現在の主戦場はむしろ海上だ。何隻ものカヌー隊が海に出て抗議と海上ボーリング調査阻止行動を展開している。カヌーによっては海上に張り巡らされた、調査作業区域(と防衛局が勝手に決めただけ)を示すオレンジ色のフロート(浮具)を乗り越え、作業用に浮かべられたスパット台船にまでたどり着いた人もいるという。まったくの暴力装置と化した海上保安庁は、躊躇なくカヌー隊を襲撃し、「確保」と称してカヌー隊を拘束しようとする。多い日には10人も拘束されたが、拘束しても法的根拠がもともとないので逮捕・起訴には至らず、すぐに辺野古漁港のヘリ基地反対協議会のテント村の責任者である安次富浩さんに引き渡される。海上保安庁の〝海猿〟どもの暴力にも屈せず、カヌー隊は果敢に闘っている。今後も寄付などによってカヌーは増設され、隊員も訓練を受けてますます増員・増強される見込みである。海の闘いもこれからいよいよ熾烈になることだろう。
〝招かれざる客〞の襲来
9月7日には沖縄で地方選挙が行なわれた。その中でも注目されたのが名護市議選だ。稲嶺与党の議員が27議席中過半数である14議席を獲得できるかが焦点となった。わたしが名護入りしたころから街は選挙カーがひっきりなしに駆け回り、テント村の前にも何台もの選挙カーが走り過ぎていった。そんな中、元航空幕僚長の田母神が右翼を引き連れて選挙投票日の直前に訪沖したという情報がテント村に入った。田母神らは辺野古漁港のテント村を訪れ、われわれの前で弁当を食い、クリーン作戦と称してキャンプ・シュワブの金網に縛られた全国からの寄せ書きを強奪し(できないように事前に回収した)、船をチャーターし辺野古の海に出るという。愚かと言うにもほどがある所業だが、相手にするのも馬鹿馬鹿しいのでわれわれは無視することにした。が、やはり黙ってはいられなかった。「辺野古基地建設容認」というふざけたコピーの入ったTシャツを着て、あほらしいほどデカい日の丸を掲げ、やってくるなりスコールにたたられてずぶぬれになっている右翼連中を尻目に、われわれはこの日最大最高のデモンストレーョンを行ない、辺野古の浜の盛り上がりは頂点に達した。
許しがたいのは、その右翼集団は全国動員、つまりほとんどがヤマトンチュであることだ。基地建設による被害をまったくこうむらない連中が、恥知らずにもわざわざ沖縄までやってきて、訳の分かっていない沖縄の右翼青年を盾にして、言葉遣いは丁寧でも中身としては沖縄への差別に満ちたヘイトスピーチを、辺野古の海浜で叫んでいるのだ。それはおぞましい光景だった。
われわれのアイデンティティーとは
名護市議選挙は稲嶺与党が27議席中16議席を獲得、名護市民は仲井真県政・日米政府にふたたび新基地建設ノー! を突きつけた。11月の知事選勝利に一歩近づく貴重な勝利である。選挙前には両テント村に、次期県知事選に立つとされる翁長雄志那覇市長と稲嶺市長が訪れ共闘を宣言しともにカチャーシーを踊る場面もあった。「われわれの闘いは勝てる! 間違いなく勝つ!」安次富さんはことあるごとに勝利宣言をする。現に、11月の県知事選前までに工事開始のめどをつけたい防衛局による作業の強行、海保・警察の弾圧にもかかわらず、米軍敷地内には埋め立て用の土くれひとつ運び入れられていない状況だ。事実として工事は止められている! そこに県知事選に反対運動側が勝利すれば、工事の進展はまずありえない。その実現のために、沖縄県民はいよいよ奮起し、県民の運動はますます昂揚することだろう。
肝心なのは、本土のわれわれの運動が沖縄の闘争の激化についていけるかどうかだ。名護市議選の報道一つとっても、沖縄の新聞と本土の新聞とでは、温度差があり過ぎる。沖縄現地の闘争はこれからが正念場だ。沖縄との落差を埋めるためにも、本土の闘いの熱度を高めるためにも、ぜひ読者諸兄姉にも沖縄の辺野古、そして高江を訪れて、沖縄の人びとと闘いをともにしてほしい。沖縄の闘いを沖縄だけの闘いにとどめてはならない!
翁長市長は「オール沖縄」で知事選に臨むべく「イデオロギーよりアイデンティティー」の言葉をよく使い、運動内でもたびたび紹介される。その〝アイデンティティー〟は沖縄保革合同・共闘のためにとどまるものなのか。わたしはこう思う――われわれ人民の〝アイデンティティー〟は平和だ! それを要石として、沖縄と本土、そして世界の人民との大規模な連帯運動を実現していこう。テント村には多くの外国人も訪れていた。とりわけ中国からの留学生が参加してくれたことに、わたしはあるべき未来の一つの道筋を見る思いがした。辺野古の闘いは世界的に注目されている。「基地ノー」こそ世界の声だ!【遠藤裕二】
(思想運動 943号 2014年9月15日号 )
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