国際時評 米帝国主義が継続して全面介入するウクライナ情勢
米国・EUの走狗としての現政権支配層
                

ウクライナの記事が商業紙に頻繁に掲載され始めたのは昨年秋である。当時、ウクライナの大統領は、2010年1月の大統領選で勝利したヤヌコビッチであり、かれは、2013年11月末に予定していたEU(欧州連合)との連合協定調印の先送りを表明した。「自由貿易協定(FTA)を含む連合協定が発効すれば、ウクライナ経済の苦境が深まると判断。国内の生産設備や製品の品質をEU基準に合わせるには2017年までに1600億ユーロ(約22兆円)の費用がかかるが、EUからの支援額は約6億ユーロにとどまる」(『日経』2013年11月28日)。
この大統領声明の後、「ウクライナ世論対立。EUかロシアか。関係強化の協定めぐり」「EU加盟デモ20万人。ウクライナ大統領の即時退陣要求」「分裂するウクライナ。『親欧』是非に揺れる国論」などの見出しで、ウクライナの記事が頻繁に掲載され始める。
1月にはウクライナの記事掲載はそう多くはない。2月に入ると急増し、突然「ウクライナ衝突拡大。死者26人、独立後最悪の惨事」(『朝日』2月20日)、「ウクライナ衝突、無数の銃声『これは戦争だ』」(『朝日』2月21日)などの記事が現われる。そして、2月21日のヤヌコビッチ大統領と野党指導者たちの「大統領選挙前倒しなどの合意文書」の署名(ポーランド外相なども同席)記事と、その翌日のヤヌコビッチ大統領のキエフ脱出の報道と「激動」を目にする。
現時点、さまざまな情報を整理してみると、1月中旬以後、反政府デモの性格が激変し、「過激派」が「反政府派」の中軸に踊り出たことが歴然としてくる。
「(反政府)抗議デモは1月17日まではおおむね平和的なデモであった。ところがその日になると突然、デモ参加者が棍棒やヘルメットや手製の爆発物で武装し、警官にたいして野蛮な暴力をふるい、政府の庁舎に突入し、政府の同調者らしいと見ると誰彼となく殴りかかり、キエフの街頭を暴れまわった」(『思想運動』3月1日)。
この「過激派」とは、第二次世界大戦中にナチスと連携してソ連軍と闘い、大戦中に起きた数々の残虐行為にも関与したステパン‐バンデラを信奉する「バンデラ主義者」(ファシスト)たちである。
2月24日に、ウクライナ暫定政権が成立するが、その閣僚に四名のバンデラ主義者たちが、副首相、農業政策・食糧相、環境・天然資源相、国防相として入閣している。
バンデラ主義者たちの「活躍」の事実を知り、各商業紙を丁寧に読むと「極右勢力」の存在が記述してあることにようやく気付く。しかし、欧米では、ウクライナでファシストたちが跳梁跋扈していることは常識のようである。
「NHKの偏向報道はBBC(英国放送協会)と比較するとよくわかる。ユー・チューブにアップロードされたBBCの番組を見て頂きたい。ウクライナの暫定政権がナチスを思わせる過激なナショナリストによって牛耳られている姿が実になまなましく紹介されている」(塩原俊彦「ちきゅう座」5月4日)。

米帝国主義が全面介入

昨年12月、デモ隊が拠点としていたキエフの独立広場(マイダン)に、米国共和党の上院議員ジョン‐マケインや米国務省次官補ビクトリア‐ヌーランドがやってきて、反政府側を支持する声明を出した。この当時すでに反政府側のなかでファシストたちが果たしている役割は明瞭だったにもかかわらず二人は支持を表明し、バンデラ主義者を含めた反政府指導者たちと会談し「恐れる必要はない」と請け合った。
これは決してたまたま起きた事件ではない。米帝国主義が計画を立て、長年にわたって推し進めてきたことが表面に出てきたことなのである。いくつか事実を挙げよう。2013年12月13日、ナショナル・プレス・クラブで、ヌーランド米国務省次官補は、「米国は、1991年のウクライナ独立以後、ウクライナの民主主義支援のため50億ドル以上を投資してきた」と述べている。
「ポーランドの週刊誌『ニエ』が伝えたところによると、ポーランド外務省の招待で86名のウクライナ人が2013年9月、ポーランドで4週間にわたって軍事訓練を受けた。ワルシャワ工科大学と、キエフにある国立工科大学との間の協力に基づくとの名目で招待されたウクライナ人たちが、ヤヌコビッチ政権打倒に重要な役割を果たすことになった。
2013年8月にウクライナに米国大使として着任したジェフリー‐パイアットが、反政府系インターネットTVの設立に約5万ドル援助した。また、ソロス基金(投機王ソロスが設立したウクライナのNGO)から約3万ドル、オランダ大使館から9万5000ドルが設立支援金として渡る。この反政府系インターネットTVは、ヤヌコビッチがEU統合への道を断念した時期に合わせ、大量に反政府情報を流し始める」(塩原俊彦、同)。
米帝国主義は、ウクライナに対し、20年以上前から莫大な資金を投入し、陰に陽に介入を続けてきたのである。

独立と「バランス外交」

ソ連邦および東欧での反革命勝利、ソ連邦解体以後のウクライナの歩みを、「EU・NATOとウクライナ政治」(藤森信吉、『ロシア・拡大EU』ミネルヴァ書房)などを参考にしながら駆け足で追ってみる。
1990年3月ウクライナ議会選挙が実施され、共産党勢力とウクライナ西部・首都キエフで台頭してきた民族主義勢力が拮抗した。そのためウクライナでは、ポーランドやチェコ、ハンガリーのような急激な共産党政権の崩壊や急激な「民主化・経済改革」は発生しなかった。
ウクライナは、1991年3月のソ連邦内で実施された「新連邦条約の是非を問う」国民投票に参加した。新連邦条約は、ゴルバチョフが提案したもので、より緩やかな国家連合へと再編することで、崩壊の過程をたどっていたソ連邦を維持しようという内容だった。
この時、70%を超す人びとが連邦政策に賛成票を投じながら、当時のクラフチュク共産党指導部が民族主義的主張を取り入れ連邦離脱に路線を変更すると、その九か月後の1993年12月には90%以上が独立に賛成票を投じている。足が地についていない人びとの意識状況、社会主義革命の中軸であり人びとを導いていく責務を負う共産党組織の脆弱さがそのまま表出している。
当時のウクライナ支配層は、ペレストロイカ末期に台頭し議会や行政府に浸透していたロシアを自国に対する脅威と見なし、EU・NATO加盟に象徴されるヨーロッパの統合で安全保障を確保しようとする民族主義者と、ソ連邦時代のウクライナの政治的・経済的支配層の混成であった。両者にとって独立に利があった。民族主義者にとっては民族の悲願であり、旧体制支配層にとっては権限をみずからの手中に収める絶好の機会であった。企業の多くは連邦の崩壊により、連邦からウクライナへ管理・所有権が移管されたが、上述の理由により国営企業の民営化は行なわれず、支配層は旧来の地位・特権を維持した。国民の多くは「ウクライナは元来豊かな国だがソ連邦のなかで搾取されていた」との指導層の言葉を信じ独立を支持した。
しかし、ウクライナ経済は社会主義時代にロシアを中軸にした分業体制の中にあり、市場・エネルギー供給でロシアに強く依存していた。ルーブル通貨圏からの離脱による対ロシア貿易の停滞、ロシアからのエネルギー輸入価格の国際水準への引き上げにより、経済のマイナス成長、止めどない物価高に陥る。その結果、人びとは、1993年の世論調査で69%が「ウクライナのロシアとの経済同盟加盟が危機脱出のための最優先課題」と見なした。
1994年の大統領選挙は「ロシアとの経済統合による経済回復」を公約に掲げたクチマが勝利したが、当選後公約を不実化した。その背景には、「ロシアの膨張」を阻止しようとした米国クリントン政権のウクライナ政策がある。米国はIMF(国際通貨基金)に働きかけ、1994年秋、ウクライナの経済改革開始を条件にIMFの信用供与が開始され、ウクライナの対ロシア・エネルギー債務に充当し、ウクライナは経済危機から抜け出した。
クチマ大統領は、「戦略的な」国家目標はEU加盟による「ヨーロッパとの統合」にあり、ロシアとの「経済的な」協力は経済発展寄与のための「戦術的な」目標とした。「親ロシア派」「親欧州派」を問わず歴代の支配層の政策の基本はこの「バランス外交」にあったといっても過言ではない。実際、「親ロシア派」と言われたクマチ大統領の時代、一九九五年頃からウクライナ軍は国内外で実施されるNATO軍との共同演習に部隊を積極的に参加させ始め、以後、政権交代に関係なく、規模・内容ともNATO軍との緊密度を深めていった。

反目しつつ共産党排除で結束

IMFは融資の際、貸出条件(コンディショナリティ)を決めるが、コンディショナリティが課す市場経済化・民営化により、これまでの国営企業主体とは異なる経済支配層が誕生し始めた。政府の一部と結託しみずからに有利な政策を実現させ利益を貪る者たちや、多数の企業を傘下に収める新興財閥(オリガルヒ)が出現した。
対EU貿易は着実に伸びていった。ちなみに、最近のウクライナの貿易相手国は、欧州(32.5%)、米国(2.6%)、ロシア(27.3%)、CIS諸国(ロシアを除く、8.3%)である(『日経』7月12日、2013年実績、輸入+輸出)。
経済支配層の中には、伝統的なロシアとの経済関係ではなく、ヨーロッパ市場との関係に利害を見出す者が増加し、ヨーロッパ統合政策を後押しするようになった。
1998年議会選挙で、ウクライナ共産党は、IMFおよびNATO糾弾、ロシアおよびべラルーシとの連邦復活を掲げ大躍進をした。これに対し、危機感を覚えた民族主義支配層と経済支配層(ロシア重視、欧州重視を問わず)は結束し、その資金力と地方行政への影響力を全面活用し、翌1999年の大統領選挙でクチマが再選された。
支配層はその利害で反目しあいながらも、共産党排除では、一致団結し行動している。かれらが影響力を持つマスメディアや行政機構では、その当時だけでなく、いまも、一貫して反共宣伝が繰り返し展開されている。
支配層にとってこれまでのウクライナ政権はその時々の利害で乗換えるものであった。その一例を示しているのが『朝日』(5月23日)の記事である。
「ウクライナ東部で地元出身の大富豪が動き出した。長年ヤヌコビッチを資金面で支えてきたが、最近、一転して親ロシア派との対決姿勢を強めている。リナト・アフメトフは総資産126億ドルのウクライナ一の金持ちである。ソ連崩壊後、製鉄業や炭田の経営権を手中に収めた新興財閥で傘下に20万人を擁している。東部の港湾都市マリウポリでは『自警団』をつくった。今月9日、傘下の金属工場周辺が親ロシア派武装勢力に占拠されたのがきっかけである。従業員などで構成する自警団は約100班、総勢1000人規模。交代で毎日24時間、市中心部を巡回する。」

民族問題について

ウクライナ情勢を見るとき、民族問題を考える必要がある。
ウクライナ人は、ロシア人、ベラルーシ人とともに東スラブで旧ソ連邦の中核をなす民族である。旧ソ連邦での人口は、一番多いのがロシア人1億4516万人、次がウクライナ人4419万人で、三位がウズベク人1670万人であった(1989年)。
「1922年10月、ロシア革命によって成立したロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ザカフカスの四共和国は、ロシアと対等の立場で結合しソ連邦を形成した。民族問題人民委員スターリンは、ロシア共産党案として、各共和国が自治共和国としてロシア社会主義共和国連邦に加入することを提案したが、グルジア、ウクライナなどの共産党は反対し、レーニンの提案によってこのような形に決まったのである。
1923~33年、教育・出版におけるウクライナ語重視、党・政府機関へのウクライナ人採用の拡大などウクライナ化政策がとられ、一定の成果を収めた。初等教育でのウクライナ語授業は1923年の50%から1928年には82.4%となり、出版では1923年の31%から1930年に78.1%となった」(「『ウクライナ』を解く七つの鍵」木村英亮、『歴史地理教育』2014年7月)。
なお、このウクライナ化政策は集団化の困難の中で終わった。
3月17日に住民投票でロシア編入(賛成95%以上、投票率83%)を決めたクリミアの経緯は複雑である。
「19世紀末にはロシア人の移住によりクリミアの先住民であるクリミア・タタール人は35%まで減少していた。ロシア革命後1921年にクリミア自治共和国となる。1944年、スターリンは、第二次世界大戦中にナチスに協力したとしてクリミア・タタール人20万人をまるごとウズベキスタンなどに強制移住させ、1945年にはクリミア自治共和国を解消して州とし、ロシア人が移住した。1954年、ソ連共産党第一書記フルシチョフは、この州をロシアからウクライナへ帰属替えした」(木村英亮、同)。
クリミア自治共和国と特別市セバストポリを合わせた総人口は約235万人、ロシア系58%、ウクライナ系24%、クリミア・タタール人12%で、住民投票ではクリミア・タタール民族会議の一部が棄権し、ウクライナ系住民の多くはロシア編入に賛成した。
ウクライナ(クリミアを含め)問題における元凶は、米帝国主義の全面介入である。
米国に後押しされたウクライナ支配層は、独立以来一貫してロシア語を話すウクライナ人に対して計画的に迫害を行ない、ウクライナ人民の分断を推進してきた。ペレストロイカ期以後、とくに子どもの養育と教育の場であるラジオ、テレビでのロシア語使用の激減は、ロシア人にショックを与え、1990年から2000年の間に出入りを相殺しても、実に34.1万人がロシアに移動している。
帝国主義は人民を分断し支配するのを基本としている。現在日本国内で、朝鮮・韓国・中国バッシングの思想攻撃が激化しているように、人びとに対し事実を具体的に明示し支配層に対し反撃をしていかなければ、敵の術中にはまりかねない問題でもある。

利潤を追求する独占資本の争い

ウクライナの危機的状況の根本的原因は、いうまでもなく帝国主義諸国、つまり利潤を追求する独占資本が、市場と原材料、エネルギー輸送路の争奪をめぐって繰り広げていることにある。その争いの中で、利益を得ようとウクライナ国内の独占資本が生き残りをかけて策動を行なっている。かれらにとって、個々人の思惑がどうであれ、みずからが生き残っていくためには他を押しのけていくことが必須である。
ウクライナは穀倉地帯である。「2013穀物年度(2013年7月~2014年6月)の生産量は、前年同月比3割増の6000万トンと過去最高になり、小麦とトウモロコシの輸出では世界第2位に浮上する見通し。中国などから資金が流入し、生産性が急速に高まっている」(『日経』1月11日)。中国銀行はウクライナの農業向けに30億ドルの融資を行なっている。
また、ウクライナは、ロシアとヨーロッパを結ぶ石油とガスのパイプラインの中軸(ハブ)として重要な位置を占めている。ウクライナの歴代の支配層は、この莫大な中継代を横取りする「闇のガス財閥」でもあった。暫定政権成立時に汚職で服役中の刑務所から釈放され独立広場(マイダン)に凱旋したティモシェンコは、1990年代初めにすでに「ガスの女王」の異名をとっていた(「天然ガス・パイプラインから眺めたウクライナ騒動」谷口長世、『世界』2014年5月)。
シェールガス開発も活発化している。2013年1月、シェル石油はドネツク州とハリコフ州にまたがるユゾフスク・ガス田開発で100億ドルを投資。シェブロン石油も同年11月、オレスコス・ガス田(リボォフ州とイワノ・フランコフスク州)開発で100億ドルを投資している(塩原俊彦、「ちきゅう座」7月15日)。
その上で、米帝国主義のウクライナへの全面介入、それも20年以上にわたる継続的で莫大な資金を投入した介入が、現状をより複雑にしている。
言語を筆頭として各民族の文化を互いに尊重し合うなかでこそ問題の解決が可能となる。それを全力で妨げているのが米国であり、そこで利益を得ようとしているのがEUであり、その走狗がウクライナの現政権支配層なのである。            【沖江和博】

(『思想運動』941号 2014年8月1日&15日号)