集団的自衛権行使容認で自公が合意
自衛隊の帝国主義軍隊化との対決を

立憲主義の蹂躙

憲法九条が禁じてきた集団的自衛権行使の容認が7月1日にも閣議決定されようとしている。これを許せば、日本国憲法の平和主義に制約された海外での武力の不行使を前提としてきたこれまでの国家政策・軍事政策の基本が根本から崩され、自衛隊が「他国防衛」を口実に地球上のあらゆるところに軍事展開し、武力を全面的に行使できる、実際に人を殺せる軍隊になる道が開かれることになる。戦後史を画する国策の反動的大転換である。
集団的自衛権行使を違憲とする見解は、半世紀にわたって歴代の政権が繰り返し確認してきた事項であり、この見解を変更するには憲法の改正が必要とされてきた。それを憲法改正はむろんのこと一つの法律を通すことなく国会でのまともな審議も行なわずに一内閣の閣議決定のみで強行しようとするのは、立憲主義の野蛮な蹂躙、まさに壊憲クーデターと言わざるを得ない。もとよりわれわれは、「個別的自衛権」によろうが「集団的自衛権」によってであろうが、「自衛」だろうが「他衛」であろうが、日本の国家権力による武力の行使と戦争の発動、それを遂行する軍隊=自衛隊の存在は、明白な日本国憲法違反だと考える。日本国憲法前文に定める「政府の行為によって、再び戦争の惨禍が起こることがないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」、そして「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」「陸海空軍の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」という九条の文言は、いかなる解釈も入り込む余地がないほど明確である。
さらにわれわれが強調すべきは、日本国憲法の戦争放棄の原則には、2000万のアジア人民、310万の日本人民の生命を奪ったアジア太平洋戦争、それを引き起こした日本軍国主義の復活を永久に許さないという国際的な反ファシズム連合、とりわけ中国や朝鮮をはじめとするアジア人民の意志が結実・具現化しているのであり、安倍たち壊憲・戦争勢力が自分たちの「思想」と好みに合わせて勝手に変えられる性格のものでは断じてないということである。そしてそこには、この事態を再び許してしまった日本人民の責任がある。
1954年に自衛隊が創設されて以降、憲法第九条は日米の支配層の一貫した改憲攻撃にさらされ、反動的な拡大解釈を余儀なくされてきた。度重なる自衛隊法の「改正」、90年代以降は、PKO法、周辺事態法、テロ特措法、イラク特措法等によって、自衛隊の海外派兵が強行・拡大され、武器使用の基準も大幅に緩和された。2003年のイラク戦争では戦地派遣が行なわれ、兵站工作や米兵輸送などの戦争行為に参加した。
だがこのように自衛隊の役割が増大したにもかかわらず、九条は自衛隊を戦闘地域の最前線に送り公然と武力行使できない歯止めとなってきた。戦闘で死んだ自衛隊員は一人もいないし(自殺者はいる)、自衛隊が殺した他国の人間もいない。それは憲法九条の縛り、集団的自衛権行使禁止の制約が効力は弱まったとはいえ今日でも厳然と機能しているからだ。解釈改憲をめぐる最後の攻防が集団的自衛権行使をめぐる問題であり、安倍政権は何としてもここを突破しようと躍起になっている。そしてこの攻撃の背景には、日本の資本家たちの階級的欲求がある。経済同友会をはじめとする資本家団体は、かねてより政府に対して集団的自衛権行使容認を強く要求してきた。資本主義の危機を背景に資本間・国家間の国際競争が一段と激化する中で、日本資本の海外での権益の維持とそのいっそうの拡大のためには、これを軍事力でバックアップする、世界中どこにでも展開ができ、武力行使のできる軍隊が必要なのである。それは湾岸戦争で「血を流す」軍隊を送らなかったために中東の石油利権にありつけなかった日本の政府・資本家たちの数十年来の宿願であった。

拡大解釈のおそれ

5月15日に安保法制懇の集団的自衛権行使容認の報告書が出されて以降、安倍政権は閣議決定でこれを成し遂げようと、公明党内の反対論・慎重論をあの手この手で抑え込み、行使容認の合意を取り付けた。政府が6月27日に公表した閣議決定の最終案では、①わが国のみならず、密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、わが国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある、②これを排除し、わが国の存立を全うし、国民をまもるために他に適当な手段がない、③必要最小限度の実力を行使する、という集団的自衛権を含む武力行使のための新たな三要件が明記された。
どれも表現が非常に曖昧でいくらでも拡大解釈しうる。しかもこれらの要件を満たし武力行使が必要と判断するのは、時の内閣、それもごく少数の「国家安全保障会議」のメンバーであって、そこでも恣意的な解釈が行なわれる危険性が高い。
三要件の①でいう「密接な関係にある他国」の筆頭はもちろんアメリカであるが、この国が戦後行なった数々の戦争はまぎれもない帝国主義的侵略戦争であり、その多くが集団的自衛権の行使として遂行された。1960年代のベトナム戦争、1983年のグレナダ侵攻、89年のパナマ侵攻、91年の湾岸戦争、92年のソマリア派兵、99年のユーゴ空爆、01年のアフガン戦争、03年のイラク戦争、11年のリビア空爆。ベトナム戦争では200万人以上のベトナム人民が犠牲となり、イラク戦争では一九万人以上の人びとが殺された。アフガニスタンやイラクでは戦争はいまもなお継続中だ。安倍やオバマのねらいは、集団的自衛権行使容認で日米が共同して帝国主義戦争を遂行できる体制を築くことであって、自国の「防衛」や「安全保障」は方便にすぎない。

安倍こそが脅威

この最終案と同時に、政府が作成した集団的自衛権に関する想定問答集の存在とその内容も明らかにされた。こちらでは、最終案から明らかに逸脱する政府の本音が語られている。
今回の最終案には、先に政府が示した集団的自衛権行使の八事例(邦人輸送中の米艦防護、武力攻撃を受けている米艦の防護、日本近隣有事が発生した際の強制的な船舶検査〔臨検〕、米国に向け日本上空を横切る弾道ミサイルの迎撃、有事の弾道ミサイル発射警戒時の米艦防護、米本土が武力攻撃を受け日本近隣で作戦を行なう米艦防護、国際的な機雷掃海活動への参加、民間船舶の国際共同護衛)や国連の決議にもとづき侵略国とされる国家への制裁などを行なう集団安全保障への参加についての言及はなかった。だが、想定問答集では、八事例のそれぞれで「三要件を満たす場合には集団的自衛権の行使としての武力行使は憲法上許される」と記されている。
八事例の大半はたとえば朝鮮が米国に対して先制攻撃することを想定する現実には起こりえない絵空事ばかりだ。集団的自衛権行使容認の最大の理由として安倍らは「我が国を取りまく安全保障環境の変化」、具体的には中国と朝鮮の軍事的脅威の増大をあげる。だが真実はまったく逆だ。自衛隊を増強し米韓豪と組んで大規模な軍事演習を繰り返すなど、中国、朝鮮への軍事的対決姿勢をあらわにしているのはほかならぬ安倍政権である。根拠のない脅威を煽り立て両国を敵視する安倍たちの排外主義的キャンペーンとの闘争は、改憲阻止の闘いにおいて、われわれがもっとも重視すべき課題の一つにほかならない。
また集団安全保障への参加についても、想定問答集は、国連安保理が武力行使容認の決議を上げ、新三要件を満たすならば、憲法上は許されるとした。集団安全保障は九条が禁じる「国権の発動たる戦争」にあたり、これへの参加は重大な憲法違反である。安倍たちはペルシャ湾などでの機雷掃海活動への参加に執着しているが、最終案には記載のないこの問題にも、想定問答集では公海上だけでなく「他国の領海内でも許される」といっそう踏み込んだ内容が記されている。機雷掃海活動は明らかな戦闘行為であり現在は認められていない。
この間、首都圏では国会周辺を中心に連日連夜、集団的自衛権行使容認に反対する抗議行動が行なわれている。地方都市でもデモが行なわれ、地方議会では多くの反対決議が上げられている。各紙の世論調査でも行使容認反対が賛成を大きく上回っている。それでも安倍たちは閣議決定を強行するであろう。残念ながらこれを阻止する力関係の転換はいまだなされてはいない。今後の闘いの山場は秋の臨時国会での個別法改悪との闘いである。
集団的自衛権を具体的に行使できるようにするためには自衛隊法やPKO法などの関連法の改悪が不可欠となるからだ。われわれが結集している96条改悪反対連絡会議は、他の団体とも共同して、秋の闘いの山場の時期、10月17日の闘いの先頭に立つべき労働者と労働組合を中心とした大衆集会を計画している。多くのみなさんの賛同と結集を呼びかけます。【大山 歩】

(『思想運動』939号2014年7月1日付)