国際政治時評 軍事クーデターで矛盾を深めるタイ
権力争いのなかに胎動する人民の闘い
          

5月22日、タクシン派と反タクシン派が両者一歩も引かず相対峙するなか、タイ国軍はまたもや軍事クーデターを決行した。今回、2006年のクーデターから8年ぶりだが、25年間続いた軍事政権が打倒された1973年「10月14日政変」以降、41年間に、実に今回を入れてクーデターは5回、憲法の制定は6回、政権の交代は30回近くにもなる。
日本の商業各紙は連日、タイの状況を大きく報道している。なぜなら、いまや、タイは日本独占資本にとってなくてはならない経済拠点なのである。タイは、日本の自動車メーカーの東南アジアでの一大生産拠点で、部品メーカーも集積する。タイにおける自動車生産台数は250万台(2013年実績)だがその90%を日系メーカーで占める。電機メーカーにとっても重要な拠点で、東芝は家電製品や半導体など10の工場を配置している。その東芝の広報部は、「万一、工場が止まれば日本向けの家電製品もストップしてしまう」(『朝日』5月23日)と述べる。

軍事クーデター決行と民政移管

5月20日、タイ陸軍が戒厳令を発令した。タイは王国(立憲君主制、人口6900万人)で、戒厳令発令の権限は国王と陸軍司令官が持つ。
なお、国王は国会の開催、内閣の任免、法律の制定、軍の統括、戒厳令の施行や官庁の局長以上の人事の任免権を持つ。国会の決定ではなく国王が署名することで、すべての法律や人事が発効される。
そして、先に記したように、タイ国軍は5月22日夕刻、クーデター決行を発表。5月30日夜、軍が立ち上げた「国家平和秩序評議会(NCPO)」議長のプラユット陸軍司令官がテレビ演説で、民政移管への工程を発表した。第一段階として、来年度予算の執行が始まる今年10月1日までに暫定政権を発足。第二段階として、暫定政権のもと、「立法評議会」が新憲法を起草し、「改革評議会」で選挙制度などの改革を実施する。それらを踏まえ、第三段階として、今から15か月程度後に、総選挙の実施と民政復帰を目指す、との内容であった。
「『中立の調停者』を装ってきた軍だが、実情は王党派や官僚、企業経営者などとならぶ既得権益層の代表で、反タクシン派の急先鋒」(『日経』5月23日)が軍の考えを簡潔に記している。実際、国家平和秩序評議会は、タクシン派が多数を占める警察幹部の更迭を開始し、タクシン派の地方の県知事や国営企業首脳の入れ替えにも着手している。タクシン首相は政権担当時、極端なまでに親族・知人を優遇する縁故政策を推進した。
5月25日午後、プラユット陸軍司令官は、バンコク日本人商工会議所や外国企業などを招いた説明会を実施し、「治安維持が最優先だが、経済活動には最大限配慮する」(『日経』5月26日)と強調した。この背景には、タイの今年1月から3月の国内総生産(GDP)は前年同期比0.6%減となり、洪水被害のあった2011年以来、初めてマイナスに転じている状況がある。
クーデター直前の政権は、二月の総選挙が反政府デモ隊の妨害で無効になったため、選挙管理内閣であり、予算や人事に多くの制約を受けていた。そのため、予算処置や投資認可などが滞っていた。タイ国内の独占資本、日本などの海外資本の危機意識に後押しされ軍は強権を用いて行政機能の正常化に動き出している。国家平和秩序評議会は、5月25日午前、経済関係省庁や中央銀行、証券取引所、タイ工業連盟などの首脳を招集し、今後の経済政策を協議。旧政権による農家からのコメの実質的な高値買い上げ政策で、農家に未払いとなっている900億バーツ(約2800億円)の全額を二か月以内に支払うことを指示。タイ農業協同組合銀行は500億バーツの緊急融資の実施を表明した。また、7000億バーツ(約2兆2000億円)を超す国内外からの認可待ちの投資申請も迅速に処理することを指示している。
軍がクーデターを宣言した直後から、米国をはじめ各国が非難を相次いで表明している。米国の声明を追って見ると、逆にタイの軍と警察が米国によって育てられ支えられてきた事実が赤裸々になってくる。
5月23日、米国防省は、タイへの軍事を含む350万ドルの支援凍結を表明。前日、米国務省のサキ報道官は、「タイへの二国間支援は毎年約1000万ドル(約10億円)にのぼる」と語っている。5月24日、米国防省は、実施中の合同軍事演習や6月に予定していた軍高官の相互訪問の中止、そしてタイ警察を対象とした26日からの火器取扱い訓練の中止を明らかにした。

IMF・世銀・日本の融資と政策押し付け

帝国バンクの調査によるとタイに進出する日本企業数(2014年2月調査)は、3924社にのぼる。2011年11月調査時点に比べ25%増えている。進出企業のうち56%を製造業が占め、完成品を手掛ける大手から部品製造の中小企業まで集積する。
ジェトロ(日本貿易振興協会)によると、2013年に日本企業がタイに投資した件数は686件、金額は20904億9100万バーツ(約9000億円)だった。最近日本からの投資が活発なベトナムより5割多く、インドネシアの倍近い金額である。
この背景には経済危機の際にタイが国際金融機関から融資を受け、その見返りとして各国資本がよりスムーズに収奪ができるような体制構築を強要されたことがある。
タイは、1980年代初めに、IMF(国際通貨基金)と世界銀行に緊急救済融資を要請し合計3億2550万ドルの借款を受けた。融資と引き換えに政策合意の名のもとに、為替の調整(バーツ切り下げ)、公営バスなどへの政府補助金の廃止、1980年当時73社を数えた国営企業の見直しを迫られた。この融資金額は当時の政府歳入の6%にあたる。
1980年代後半になると、世界各国の銀行は、手持ちの資金を金利が低迷する自国の金融市場ではなく、海外で運用するようになる。ただし、新興国はいつ通貨不安や金融不安に陥るとも限らない。そのため、貸し付けにあたっては一年以上の長期ではなく、三か月とか六か月で満期を迎える短期貸しとした。
タイ側からみると、外貨建てで借りて自国通貨のバーツに転換して借用し、短期で借りた資金を、外国銀行の同意のもと「借り換え」を繰り返しながら、実際には長期に運用していった。無論、通貨不安や企業への不信が生じると、短期資金はいっせいに引き上げてしまう。
1990年代半ばまでに、タイの主要企業は例外なく巨額の対外債務を抱えていた。
「1997年末の主要タイ人企業169社の外貨建ての借入金の合計額は1兆5400億バーツ(同年の名目GDPの33%)と推定される。業種は重化学工業と電気通信や不動産に集中し、サイアムセメント、TPI(石油化学)、UCOM(通信)、テレコムアジア(通信)など、タイを代表する財閥グループの中核企業が名を連ねた」(『タイ 中進国の模索』[末廣昭著、岩波新書])。
1997年、タイは、IMF、世界銀行、日本から合計172億ドル(5400億バーツ)の緊急協調融資を受ける。この金額は実に、政府歳入の62%に相当する。国際金融機関は1980年代初めの融資の際は、市場メカニズムの機能を阻害する政府の諸政策の撤廃を意図したが、タイは1990年代前半には、産業投資と金融自由化をほぼ完了していた。そのため、法律や制度の整備を通じて、市場メカニズムが円滑に機能する経済体制の構築を要求した。日本独占など各国独占による収奪をよりスムーズにするためにである。

タクシン一族は タイ最大級の財閥

昨年11月末、インラック政権の打倒を叫ぶ反タクシン派がバンコクの官公庁を占拠し、対抗するタクシン派が政権支持の集会を開いた。米国のアジア財団が二つの集会参加者に聞き取り調査を行なった。「首都に住んでいる人の割合は反タクシン派57%、タクシン派32%。世帯当たりの月収が6万バーツ(約19万円)以上の人の割合は反タクシン派が32%、タクシン派4%であった。都市の富裕中間層と、地方の低所得層が争う構図がはっきりと示された」(『日経』1月30日)。
では、タクシンは首相時代どのような政策を展開したのだろうか。
2001年2月、総選挙で勝利し組閣を終えたタクシン首相は、施政方針演説の中で「緊急経済社会政策九項目」を公表した。①向こう三年間、農民の負債返済を猶予する(この期間、政府が利子を負担)。②村落・都市コミュニティ基金を設置し、一村当たり100万バーツを融資する。③国営企業の民営化を推進する、などである。
タクシン首相の政策の特徴は、国家を企業と同一視し、政治運営に企業経営のやり方をそっくり導入したことである。「国は企業である。首相は国のCEOである」との政治観に端的に示されている。
タクシンは、まだ警察局情報処理センター所長の地位にあった1983年、コンピュータのレンタル事業に進出し、わずか10年で、この事業を携帯電話、ケーブルTV、通信衛星などを擁するタイ最大の通信財閥に発展させた。タクシン一族が所有するAIS社は携帯電話サービスで国内シェア55%を誇り、月間通話料金の形で膨大な利益を日々あげていた。実際、タクシン一族は保有家族別の株式時価総額で一位か二位の地位を維持し続けた(1994年~2004年)。
2006年、タクシン首相は一族が保有するシン・コーポレーションの全株式をシンガポールの政府系投資会社に売却した。その金額は733億バーツ(2250億円)に達し、土地資産を別にすれば、同じ年の王室財産管理局のそれにほぼ匹敵する規模に膨れ上がっていた。タイでは、相続、贈与、土地保有に課税はない。他の資本主義諸国よりもより一層、富める者にはさらに富が集まる社会なのである。
タイの国内総生産(GDP)で農業生産が占める割合は、1980年代までは50%を超えていたが、急速な工業化でその割合は低下し、2011年には、11.7%となっている。しかし、農林水産業就業人口は依然40.1%(2010年)も占めている。
労働組合の組織率は数%と低く、全国レベルの組合組織としては、国営企業労組連合(44労組、17万人)、民間企業労組連合(1300労組、34万人)などがある。
一方、タイ共産党は、1952年以降、非合法下にある。
タイ国内の財閥資本や外国資本は、それぞれの生き残りをかけ遮二無二収奪を進めている。矛盾は深まり、人びとはやむにやまれず声をあげはじめている。組織的な闘いはまだその姿をあらわにしていない。しかし、今回、タイ支配層は、軍部によるクーデターでの解決しか選択肢を選べなかった。バンコクや北部チェンマイなどで、クーデターに反対する抗議行動が拡大している。まだかすかではあるが、タイ支配層に対するタイ人民の闘いの胎動が聞こえはじめている。
かつて、1973年、民主主義記念館前に50万人を超える学生と市民が集まったことに象徴される人民の大きな闘いのうねりのなかで25年間続いた軍事政権は打倒された。
安倍政権は、戦争ができる国へと猛進している。日本独占にとってアジアで最重要な拠点のひとつとなってきているタイは自らの手で「守りたい国」なのである。われわれの壊憲阻止、安倍政権打倒の闘いはタイ人民に連帯する闘いでもある。【沖江和博】

(『思想運動』 938号 2014年6月15日付)