十月社会主義革命108周年記念集会
国際連帯を掴みとる闘争を!
十月革命をいま日本で記念すること
今年も日本で十月革命記念集会を開催できたのは貴重なことだ。日本社会の全体が、すなわち、政治的、経済的、文化的(芸術・学術等)、すべての分野において年々資本主義の側に、陣地を奪われている。その原因は、結論だけを言えば、社会主義の実践と歴史がまるで丸めて屑箱に放り込まれるような思想状況、労働者階級にとっての思想的敗北状況にあるからだ。だからこそ、この日本で「ロシア十月社会主義革命記念集会」を開催できていることが日本の階級闘争の再興のためには必要だとの確信を持つことがきわめて重要なのだ。
集会は、11月8日(土)、13時半から東京・文京区民センターでHOWSと活動家集団思想運動の共催で開催された。12時から準備に取りかかり、諸物品の運搬、物販の陳列、机椅子の配置、映像、音声の確認、これまでさまざまな集会やデモ行進で使われてきた横断幕などの展示が関係者で分担してとりくまれた。
司会者の挨拶では、日本の敗戦80年、それは同時に、アジア・太平洋の諸国にとっては解放80周年記念である。80年前に社会主義ソ連は膨大な犠牲を払いながらもファシズムの脅威を打ち砕いた。いま日本ではファシズムの胎動がはじまっている。この状況に抵抗するためにも、ロシア革命を記念する意義があると強調した。また、会場に展示されている横断幕などは本年9月に亡くなられた思想運動の会員の吉田和子さんが中心になって制作されたこと、その大胆な絵柄は折々のデモで注目を集めたことが紹介された。
主催者挨拶
主催者挨拶を行なった公務労働者の藤本愛子さんは、
NHKの「映像の世紀」でロシア革命が取り上げられていたので観てみた。帝政ロシアの圧政、そして資本家や地主たちの横暴に抵抗して、ロシアの女性たちがパンを求めて立ち上がった。それをきっかけにして兵士たちを巻き込み十月社会主義革命が成し遂げられた。労働者と農民が主体の社会建設をなしとげ、抑圧され続けてきた労働者・人民が解放されたことなどが貴重な映像とともに描かれていた。しかし、最後には、社会主義=独裁、計画経済はまやかしだった、と社会主義の不可能性が結論づけられ、資本家階級の主張でまとめ上げられていた。このように、わたしたちの周りは真実を捻じ曲げ、資本家階級を利し、労働者階級を害する宣伝に満ち溢れている。その虚偽性を暴きながら労働者階級の闘いを繰り広げねばならないと本集会の意義を強調した。
続けて藤本さんは、10月24日に衆参両院の本会議で高市が行なった所信表明演説を取り上げた。「馬車馬発言」、経団連とともに「働きたい改革」をスローガンとして掲げ、搾取を強化する変わらない自民党の姿勢。下がり続ける実質賃金、そのために高まり続ける生活不安を回収し、朝鮮・中国・ロシアを「敵」としてでっち上げ、排外主義を煽ることで、軍事費GDP比2%への大軍拡が加速し、辺野古新基地建設が強行され続け、安保3文書の改悪がなされようとしている。社会保障削減と自己負担増、ベッド数削減を「攻めの予防医療」などと言いくるめ、一方で「政治と金」、消費税減税、最低賃金改善など、かれらに不都合なことにはいっさい触れず、ジェンダー平等と夫婦別姓にはもともと反対。旧安倍派の裏金犯罪者議員7名を重要ポストに起用する厚顔無恥。これらの政治状況を背景にして、株式市場は歴史的活況に浮かれ、資本家階級に空前の富をもたらしている、と資本主義社会の矛盾を浮き彫りにした。
紙幅の関係でここでは触れられないが、他にも重要な事例を引きながら、戦争は全世界の労働者階級の連帯によってしか止められない。そのなかで日本の労働者人民の闘いが不足していることを自覚しなければならない。そして自覚ある日本人民は何よりも職場生産点(学園、生活の場)を基礎にした大衆運動の再構築に努めなければならないと強調した。
映画『戦争案内』
次に、高岩仁監督の映画『戦争案内』(2006年)が上映された。日本企業は戦前も戦後もなく高利潤を求めて東南アジアに侵出し人民を収奪しその生活を蹂躙してきたし、いまもそうしている。そしてそれは直接的であるか間接的であるかは関係なく武力によって担保されている。それは日本の近代が始まったときから一貫している。資本主義というシステムの本質が戦争とファシズムを必然的に要求するのだ。この作品はその真実を多様な資料と圧倒的な映像を使って伝える。
よく「加害歴史」の重要性が言われるが、それだけでは足りず、資本主義というシステムが本質的にもつ加害性を、合わせて訴えていかなければならないと考えさせられた。また無定義の前提であるかのように用いられる「戦前」や「戦後」といった、戦争を起点とした時代区分が、資本主義の犯罪性を隠す役割を果たしていることにも気付かされた。教科書にも、あらゆるメディアのなかでも、あらゆる日常の会話でも疑いなく、この時代区分が用いられている。だからこそ計り知れない負の影響力がある。しかし、逆に転換すれば真実の方向への影響力が大きいのだ。
映画のなかで強く印象に残っているのは、フクバラハップ団(太平洋戦争時のフィリピンの抗日武装組織。日本軍を撤退させた後は、抗米闘争を展開)に参加したアメリカ兵士や、マレーシアで抗日パルチザンに参加した日本兵士を取材している場面だ。
侵略戦争に駆り立てられ、虐殺に加担したであろう帝国主義侵略国の人民が、「真実」に触れることで、国民(あるいは臣民)という観念を捨て、労働者階級・人民としてインターナショナリズムを獲得し、本当の敵との闘争に立ち向かった。そんな姿が描かれていた。いま日本社会でも圧倒的多数が、生活の不安に付け入れられるようにして、わかりやすい、単純な、自信たっぷりの無責任な虚偽宣伝に絡めとられ、ナショナリズムや排外主義、そして差別や人権抑圧、社会的いじめに加担している。この隠蔽された真実に触れることさえできれば、そして労働者階級としての仲間がいれば、人はインターナショナリズムの立場から抵抗に立ち上がるのだと、わたしはこの映画を観て勇気づけられた。主催者挨拶にあったように、そのためには職場生産点からの大衆運動が必要なのだ。
集会ではそのあと、海外から寄せられた6つの連帯メッセージが紹介された。そして最後に参加者全員でインターナショナルを斉唱した。
(藤本さんの主催者挨拶の全文と集会に寄せられた連帯メッセージは、『国際主義』の次号〔12号〕に掲載予定である)
【藤原晃・学校労働者】
(『思想運動』1119号 2025年12月1日号)
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