十月革命108周年記念集会に参加を!
高市反動政権と全面対決しよう

10月20日、自民党と日本維新の会の連立政権が成立し、翌日、高市早苗内閣が発足した。ウラ金議員を含む超タカ派の歴史修正主義者・排外主義者の面々で固められた超反動極右政権の誕生である。
これまで26年間にわたる自民・公明連立政権によって数々の反人民的・反動政策が強行された。とりわけ第二次安倍政権による2014年の「集団的自衛権の行使容認」閣議決定、その実体化である2015年の「安保関連法」(戦争法)強行成立以降の10年間、急速度で戦争国家・治安弾圧体制強化がすすめられてきた。同時にアベノミクスによる金融緩和と独占資本優遇・減税、人民への増税の一方で、「モリカケ」問題をはじめとした利権誘導、裏金政治が横行してきた。そうした政治腐敗の暴露がされた結果、遅すぎるうえに非常に控えめだが、当然の報いとして、自公は衆・参両院選で敗北し少数与党へと転落した。しかし、政府・支配層にあるのは自ら招いた危機を自らに有利にどう乗り切るかという策略だけである。
高市の所信表明演説は、裏金と減税には一言も触れず、「安保三文書」の前倒し達成(26年度中のGDP比2%=11兆円への軍事費増額など)、アベノミクスの継承、改憲・軍拡反対の少数政党一掃をねらう議員定数削減など反動政策のオンパレードだ。維新なる「右バネ」を政権内に補強することで保守・右翼層における求心力を回復しつつ、政治・経済・軍事全方面にわたる日本帝国主義の復活を成し遂げようとするものに他ならない。
高市の初の女性首相就任に何か先進的な意味があるかのように嘯く風潮に対して、〝階級〟という概念を使わずに有効に反論することはできない。高市は何のために外国人を排斥し、何のために夫婦別姓反対や靖国神社参拝に固執するのか。彼女をはじめとした極右勢力の思想とはすべて、米国と共謀しつつ、日本独占を益するための統合軸としてのイデオロギーなのである。その反動思想の根源である資本家階級の階級意識とその狙いを暴露しなければ、彼女らを追及することにはならない。
高市も女性である限りは、男性が多数を占める「要職」のジェンダー割合を微動させることにはなる。しかし重要なのは、高市がどちらの階級の利益のために働くのか︱︱労働者階級のためか資本家階級のためか、である。高市が資本家階級のために「馬車馬のように働く」ことによって、労働者人民をより抑圧し窮乏化させることは火を見るよりも明らかなのだ。

一貫した戦争放火者は資本主義だ

高市反動政権は、トランプ米政権との蜜月関係を深めつつ、米国の一極支配への回帰・植民地主義的野望にもとづく対中国、朝鮮、ロシアの解体・政権転覆までを目論む封じ込め戦略に参画し、アジアへの再侵略戦争に突き進もうとしている。その戦争を「防衛」と言いつのり、自衛隊の増強・実戦化をおしすすめつつ、外国人排斥を通じて貧窮する人民の排外主義を煽ることにも余念がない。止めどなく深まりつづける戦争の危機を阻止するために、わたしたちは何をなすべきか。
100年余という年月を隔てていても、わたしたちはともに帝国主義戦争の時代を生きている。ロシア十月社会主義革命は、第一次世界大戦という帝国主義間の植民地再分割戦争の最中に獲得された。この100年余、一貫して戦争放火者は資本主義であることが実証されている。あくなき利潤追求を原動力とし、その跳梁跋扈を可能にする世界支配を維持しようとする資本主義体制がその根元だ。ソ連・東欧社会主義体制の倒壊から34年。その制肘を逃れた米欧日を筆頭にする世界資本主義は、資本主義そのもののもつ矛盾と反米闘争の前進を前に後退を強いられ、その衰退を軍需産業拡大で糊塗し戦争政策によって延命してきた。そしていま、その蠢動をエスカレートさせファシストの群れを世界中に生み落としている。

継続する日本の植民地主義

こうした現状が示しているのは、「ちょうどいい資本主義」、「よりましな資本主義」は存在しないという事実である。日本が「高度経済成長」を遂げて以後「一億総中流」と言われた80年代がそうしたものとして想起されることがあるが、その間にこそ危機は進行していた。世界資本主義は70年代初期には早くもその「成長」を停滞させ利潤率は縮小傾向に転じ、74・75年恐慌を経て新自由主義政策へ舵が切られていく。日本でも73年をピークにさまざまな経済指標が軒並みマイナスに転化し(たとえば経済成長のバロメーターと言われる一人あたり粗鋼消費量、中小企業・非製造業の資本利潤率など)、合計特殊出生率が総人口を維持できる限界値2・1を下回るのは74年からであり、「先進国」でもっとも早かった。
しかし、そもそも日本資本主義の享受してきた「豊かさ」そのものこそ、追及されるべき代物ではないのか。侵略戦争敗戦後、沖縄を「軍事植民地」化し、米軍基地被害をはじめとした日米安保条約の矛盾を沖縄の人びとに押しつけ、かつ朝鮮戦争やベトナム戦争の被害の上になした「経済成長」。しかも、侵略・植民地支配の加害責任を棚上げし続ける天皇制国家にならって、労働者人民もその加害の歴史認識すら獲得し得ずにきた。さらには日本企業によるアジアへの進出は経済侵略と言われるほどに野蛮でありつづけている。常に自らに都合のよい「外部」をつくりだし、そこから搾取・収奪した労働力・資源を原資とするシステムであるがゆえに、強盗的・侵略的にならざるをえないのが資本主義なのだ。
日本国家・人民の、侵略・植民地支配を是とする植民地主義の継続とは、戦前から戦後への無反省な連続のみを意味するのではなく、敗戦後も、資本主義がつくりだす物質的基盤の上に再生産されてきた反動思想ではなかったのか。労働者階級の階級意識もインターナショナリズムもこの地で育ちづらいのは、「平和国家ニッポン」の自負とは裏腹に、実際は、植民地主義思想を継続、根付かせてきたがゆえではなかろうか。
実体経済から遊離した資本主義が逃れる先はバブル経済であり、土地、IT、住宅へと投機対象を転じながらバブル崩壊と経済収縮を繰り返してきた。そして過剰資本(マネー)が台頭する金融資本の行き着いた先が現在の戦争ビジネスであり、拡大しつづける貧富の世界である。これは日本だけでなく、資本主義世界で共通の現象に他ならない。
現在の大衆運動の脆弱さの思想的・物資的根源は何かという問いに立ち返り、議論と協働を積み重ねていくことが、どんなに遠回りに見えてもわたしたちの運動を再生させる力となっていくと考える。

十月革命の歴史から学ぶもの

倒壊したソ連・東欧社会主義体制が背負った多くの困難、倒壊に至る内的・外的要因の全貌についての認識の共有化は、運動内部においてもいまだ道半ばである。社会主義社会内部においてこそ、資本主義に押し戻そうとするブルジョワ勢力との不断の闘いが必要だった。なかでも、社会主義建設の主体である労働者大衆が資本主義的価値観の浸透をゆるしてしまう日和見主義が、内部から体制を弱体化させる要因になった。わたしたちが同じ労働者としてすくいだすべき教訓の一つは、そうしたかれらの主体的な弱さや過ち、葛藤や挫折のなかにこそあるだろう。
ロシア革命の果実の一つは、第一次大戦を終結させたことである。誕生間もない社会主義政権が真っ先に尽力したのが即時停戦交渉だった。革命の翌日11月8日、全ロシア・ソヴェト第2回大会で、「平和に関する布告」を発し、無賠償無併合、即時停戦即時講和を交戦諸国に呼びかけた。独との戦争続行を望む米英仏は布告を無視し、翌年から社会主義政権を潰すための干渉戦争に乗り出したのだった。そうしたなかでも1918年、ブレヒトリトウスク条約が締結される。金銭的・領土的な犠牲を払っても即時停戦を。それは労農兵士大衆の切願であり、かれらを支持基盤とする社会主義政権だからこそ成し遂げた成果だった。ロシア大衆は、ペトログラードをはじめ各地にソヴェト(評議会)をつくり、職場ストライキと街頭デモ、国会内議会闘争を切り結んだ闘いを展開し、資本主義から社会主義への全般的移行の時代を切り拓いたのだ。人間による人間の搾取を廃絶するための生産手段の私的所有の廃止、民族自決の原則、8時間労働制、女性の社会的権利などの法制化を実現した労働者階級の国家の出現が、世界中の労働者と被抑圧民族の解放闘争をどんなに奮い立たせたことか。
革命を成し遂げた闘いは、当然にも一日にして成らず、1905年の第一次ロシア革命から数えても12年。しかもその闘いは、それ以前の世紀を何度もまたいでのツァーリ圧政との苦闘――農民一揆や貴族・小ブルジョワ階級青年の蜂起、絶望的なテロリズム闘争など――において数限りなく流された人民の血で書かれた教訓の上に築かれたものに他ならない。
帝国主義戦争を無くすることができるのは、社会主義を求める世界の反帝・反戦闘争であること、どんなに長く厳しい闘いのなかでも闘争の火種を絶やさず継承することを、ロシア革命の歴史が教えている。わたしたちはその闘いの端緒に立つ自覚を新たにしつつ、ロシア十月社会主義革命108周年を記念する。ともに集おう! 

【米丸かさね】
(『思想運動』1118号 2025年11月1日号)