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パンと正義を求め、社会主義の旗を掲げよう
清掃労働の現場から
わたしが働く清掃職場の同僚女性は、ガラス壜を製造する工場のパート労働をかけもちしている。年々異常さを増す暑さのなか、室温40度以上にもなる工場内は、サウナみたいに息が詰まるのに、どんなに苦しくてもマスクを外すのは禁止されているという。防護服のような作業着のなかは汗だくで、あせもやニキビがすぐできる。目に汗が入っても拭えなくて痛いのだと。けれども賃金は、その労働の対価にはほど遠い。
それは「スキルがない」から当然とされる。「嫌だったら転職すればいい」、「『スキル』を磨かないのが怠慢なのだ」と、毎日大量に流される転職誘導広告は、「自己責任」を煽りたてる。
しかし、彼女のような労働者が職場・生産点を支えている。コロナ禍でもリモートワークができなかった物流、運輸、製造、建設、介護などの現場労働で、多くの「非正規」雇用労働者も現場で責任を負ってきた。しかし、そうしたことへの不満や怒りよりも、それをまるで「当たり前」のようにこなそうとする意識が、彼女をはじめわたしの周囲には強い。ここ30~40年余の政府・独占による人件費削減、労働者間の分断を狙った政策の推進によって、女性・若年層の「非正規」雇用が激増し定着している。
しかし、だからこそ、各地で「非正規」雇用労働者の組織化の努力がなされ、一昨年からは「非正規春闘」が闘われている。自分自身の足場から、こうした闘いと有機的につながる契機をどう見出せるのか。わたし自身、まずひとりで合同労組に加入し、もうひとり仲間を得ての支部立ち上げを目指している。
わたしの日常の仕事は、役所の清掃労働で、朝一番にゴミを回収し、トイレを掃除する。特にトイレの床は汚れやすく、掃除が半日いや数時間でも滞ったら役所全体が不衛生になる。便器の外に小用をしてしまう人が結構いて、後からそれを知らずに踏んだ人がその足で歩きまわってしまうからだ。だから汚れを見つけ次第即掃除、これぞエッセンシャル(必要不可欠)だ。
わたしたちの仕事は「カンタンで誰にでもできる仕事」と言われるが、それは違う。架空の抽象論だ。それはその時間、その場所にいるその労働者にしかできない仕事だからだ。ここで働き始めて、初めてわたしにはそのことが身に染みた。
「真実は具体的である」という言葉があるけれど、労働こそは具体的な真実だ。だからこそ、その当事者のわたしたち自身が、この労働のかけがえのなさを伝えなければ! 胸を張って、雇い主に、社会に意思表示しよう。この労働がなぜ最低賃金なんだ? だったらもっと最低賃金を上げろ! 労働に貴賎なし! 現場は、そこで働く労働者のものだ! と。
しかしそれとは逆に、労働者自身が「誰にでもできる仕事」という価値観を内面化し、自己卑下してしまう。あるいは、同僚に対して競争心と優越心をもってマウントをとり、偽りの自尊心を満たそうとする。それは、「職業に貴賎あり」のこの資本主義社会のイデオロギーに染まった労働者の、羞恥心と尊大さというコインの裏表の姿なのだ。
本紙の主張などでも度々書かれてきた、身近で些細なことに見える出来事のなかにある真実を手離さず声をあげようという趣旨に、わたしたちは勇気づけられてきた。しかし、その言葉にもう一度照らしたとき、わたしたちは逆に、その大切なものをどれだけ手離してしまっていたかと思う。
わたしたちの労働が買い叩かれていることへの怒りを。労働そのものが侮蔑されていることへの怒りを。不正義を許さない心を。金にならないから、得にならないからと、一時は湧き上がる悔しさも疑問も、ネット動画で憂さを晴らして結局は流してしまう。そしてそのうち何があっても、どうでもよくなる。
こうした精神の行為こそが、労働者自身の欺瞞であると思う。自分で自分に嘘をつきそれを許す。その欺瞞が、エゴイズムが、自分のなかに資本への奴隷根性を育てるのではないだろうか。主体を喪失したこの根性が、選挙ともなれば、正義を振りかざし、道徳や愛国心を声高に叫び、一見ヒロイックに見える候補者への投票に向かい、自分自身が声をあげ、団結することを放棄させる。だから、あらゆる場面を通じて、自分自身の・互いの欺瞞と向き合う葛藤や対話が必要だ。奴隷根性を絶ち、労働者階級としての人間を取り戻すことが。
ファッショ化に抗するヴィジョン
連日垂れ流されるマスメディア・自民党一体となった総裁選報道。わたしたちを底なしの貧困に沈めながら、世界資本主義体制維持によりいっそう尽力することを全世界の資本家・投資家にアピールする格好の舞台がつくり出されている。裏金づくり、統一協会依存、党ぐるみの犯罪が明々白々に暴かれても、「派閥解消」などの「詐欺的」手法でお茶を濁す、いざとなれば居直るのはこの連中のお家芸。おとなしい国民は諦めていっそう政治離れしてくれる。安心して日本企業に投資してください、と。同時に「台湾有事」「日本もウクライナのようになる」と朝中露への排外主義、戦争熱を執拗に煽っている。総裁選から総選挙へ、一気呵成に明文改憲へと猛進しようとする非常に危険な状況がいまつくり出されている。わたしたちはこの流れの前に何としても立ちはだからり抵抗しなければならない。その時掲げる旗は何か。
政権与党に反対する・忌避する声は、巷にあふれている。にもかかわらず、それが運動として、闘いとして燃え広がらないのはなぜか? それはかれらに対して、はっきりとラディカルな変革の道筋を提示できない「野党」、運動体の責任が大きいと思う。
他の「先進」資本主義諸国でも共通した状況がはっきりと見られる。「新自由主義」による貧困を背景に、現体制へ批判的な層のエネルギーが、逆に現体制を補完・強化する極右・ファッショ勢力を飛躍的に台頭させる要因になっている。体制への批判が既成左翼・労働者党支持に向かわなかったのは、かれらが示してきた改良策(格差是正や社会保障問題の解決)がことごとく実現されなかった失望ゆえだ。これは、日本にも当てはまる。
つまり人民は、現資本主義体制下における改良主義の不十分性・不徹底性・不可能性を認識し、NO!を突きつけている。しかし、まだその思考は資本主義の枠内に止まっているから、未来を展望できず、絶望的・破壊的・刹那的・排外主義的な選択に流される傾向にある。そしてそれを極右・ファッショ勢力が巧妙に組織化している。いま人民が求めているものは、資本主義の矛盾を乗り越える社会のヴィジョンとそれを実現するための具体的な闘いの提示なのだ。
わたしたちはそのヴィジョンをいまそうした危機意識を共有する人びととともにつくりあげていきたい。だれの目にも明らかな富の偏在、「聖域」化された資本の蓄積にメスを入れる。つまり、資本主義的生産様式を解体させる目標を定めた上で、貧困と格差、社会的不平等の解消を求める個別の闘いにとりくむことだろう。現在の多国籍化し肥大化した金融資本独占体制をどう解体していくのかは、最大の課題だ。一定規模以上の金融資産の凍結や海外移転の阻止、銀行の統合・国有化、主要産業からなる独占資本の国有化などがあげられるだろう。ただそれは、労働者階級の権力獲得の問題抜きには考えられないし、いまこの地点からは夢物語に見えるかもしれない。しかし、だからこそわたしたちは描き得るヴィジョンをもつ必要がある。
非暴力で戦争を止めよう
資本主義の持つ本質と矛盾、その限界は、絶えることのない戦争、難民・移民の激増、貧困の増大、環境破壊、気候変動など、世界中で差し迫る危機を生み出している。そして米欧日という帝国主義の頭目たちが衰退しながらも「資本蓄積の運動を続けるために行なっている断末魔の足掻き」、その最大の悪行がウクライナやパレスチナでの人殺し、戦争にほかならない。それは利潤獲得のビジネスとしてあると同時に、「中朝露」をはじめ反帝・自主の側に立つ国ぐにを不安定化・弱体化し優位に立つための戦略の一環として展開されている。いまそれを止めるための非暴力の直接行動――武器製造・輸出に反対するストライキ、自国政府やイスラエル大使館抗議行動などが世界中で行なわれている。
わたしたちもその行動に連帯しながら、やはりそこでも、資本主義の野蛮に対峙し、その矛盾を乗り越えるための結集の必要を痛感している。
その結集の旗印を、わたしたちは、社会主義と呼ぶ。
しかし、現在、「社会主義」の意味するものへの無理解、現存する社会主義国家や旧ソ連・東欧社会主義体制に対する批判的認識が、ブルジョワ社会の為にする批判はもちろん、資本主義に反対する運動を共にする仲間のあいだでもさまざまにある。だから、「資本主義の矛盾を乗り越える、それは社会主義だ!」という一点でのヴィジョンの共有化がしにくい状況がある。
ゆえに、キューバや朝鮮といった、現在、帝国主義と対峙しながら社会主義を維持している国ぐにの情報をいっそう具体的に共有化していく必要がある。そして、倒壊したソ連・東欧社会主義体制の経験についても、もっと議論し、教訓化する必要がある。それを清算主義的に歴史のゴミ箱に投げ棄ててきたからこそ現在の誤解や混乱がある。その倒壊にいたる原因・弊害を正確に探り出し、どうしてこの失敗・敗北が防ぎ得なかったのか。同じ轍を踏まないための貴重な経験をわたしたちは受け取り、討論する必要がある。それが不足しているために、ともすると政府支配層がばらまく反共・反社会主義情報にからめとられてしまうのだ。
そうした協働を通じて、わたしたちが目指す社会主義のヴィジョンの創造・共有をめざそう。冒頭に書いた女性労働者が大切にされる社会、その労働が尊敬される社会。それぞれにとっての社会主義の構想を持ち寄ろう。その共同の力でしか、現在の戦争、そして格差と貧困は止められない。社会主義の旗を掲げ、資本主義の野蛮を止めよう。
革命集会に集おう
そうしたいまだからこそ、人類史上はじめてロシアで社会主義国家を創造した経験は、汲めども尽きせぬ泉のようにわたしたちの前に横たわっている。19世紀と見まがう資本主義の野蛮が、パレスチナをはじめ全世界でその猛威をふるう現在、100余年前の経験が古びようはずもない。
人間による人間の搾取を廃止するという崇高な理念の実行、「平和とパンと土地」という、いままさに奪われている人民の権利を闘いとったロシア十月社会主義革命の、
自分たちが必要とする社会主義社会を創造する主体のありようとはどういうものか。それを継続する困難とはどういうものか。それを共有し闘いをともにするために、
ロシア十月社会主義革命集会にこぞっての参加を訴える。
【米丸かさね】
(『思想運動』1105号 2024年10月1日号)