反戦メーデーでイスラエル大使館に抗議
自国の戦争政策阻止の闘いを!
5月1日午後1時半から、労組反戦行動実行委員会主催の「反戦メーデー・イスラエル大使館前行動」が取り組まれた。降りしきる雨のなか、大使館近くの歩道に多くの労働者・労働組合が結集した。全国一般・全労働者組合の庄子書記次長が主催者挨拶を行ない、労働者階級が8時間労働制を要求して闘い、長時間労働の軛を断ち切ったメーデーの歴史的意義を確認し、今日イスラエルの暴虐と闘うパレスチナ人民、万国の労働者と連帯し闘おうと訴えた。
イスラエル大使館前へ移動し始めると、麹町署警察官が道路を封鎖した。社民党の福島みずほ党首と大椿ゆうこ議員が警察との交渉に当たるなか、参加者は抗議の声をあげ続けた。警察は「代表5人なら行かせる」という意味不明な条件を提示し、その不条理な枠のなかにわたしたちの行動を押し込めようとしたが跳ねのけた。階級的な国際連帯行動への違憲・不法な弾圧と断固闘う、その原則的立脚点を明確にした意義ある行動だった。その原則を守るからこそ、目の前の伏し目がちな警察官たちに「わたしたちと連帯してともに闘おう」と呼びかけることができる。行動の終盤「君たちだって労働者だろう」「警察官も労働組合をつくるべきだ」などと声をかける場面があった。ロシア革命やドイツ革命の狼煙が軍隊内という国家権力から起こった史実を想起するならば、そうした呼びかけを今後も強めることが求められる。
帝国主義戦争の現代
現在に至るまで、イスラエルはパレスチナに対する暴虐の限りを尽くし止むところを知らない。米国の後ろ盾、第二次世界大戦以前は英国のそれ、そして追随する日本を含む西側諸国の「支持」がイスラエル国家の存在を可能たらしめてきた。パレスチナ侵略とそれに伴うジェノサイドは、イスラエルを中東の橋頭堡とすることに利益を有する帝国主義諸国が世界シオニスト機構との連合を結び仕組まれてきた階級的攻撃にほかならない。
英国と擬似解放運動としてのシオニズム運動の野合の始まりは1830年代に遡る。中東の利権をめぐり仏国と競合した英国は、シオニストの暴力的なパレスチナ入植・占領を軍隊をあげて支援するのと引き換えに、英国資本の権益を守る「人間の盾」を得たのだ。1897年政治的シオニズムの創始より半世紀以上前のことである。英帝国主義はシオニスト=ファシストと結託し、「ユダヤ人問題」という少数民族問題を利用し、莫大な富をはじめとした侵略的野望を実現してきた。しかもこの英国の手法=国家ごと「のっとり」は、19世紀初めよりアフリカに対する侵略で繰り返した手口の中東への応用である。「のっとり」国家イスラエルは、米国の軍事・経済・外交援助を受け続けながら現在の蛮行を展開している。わたしたちは200年以上その本質を変えない帝国主義戦争・植民地主義の時代を生きているのだ。
日本プロレタリアートの責務
また、英につづき仏、独、伊などの国ぐにも19世紀後半以降アフリカ侵略・植民地支配に乗り出すが、それらの本国労働者の多くが植民地政策に反対できないどころか、容認・肯定していった。この史実は過去ではなく、克服されていない「同時代」の教訓である。「欧州列強による広範な植民地政策がとられた結果、欧州社会全体が……植民地領有的排外主義を感染させる物質的経済的基礎がつくりだされている」(レーニン1907年)。そこからドイツ社会民主党をはじめとする第二インター主流派による帝国主義ブルジョワジーとの「城内平和」までは一直線だった。そして、労働者階級がこうした誤りをみずからの大衆的行動によってただすことができず、その誤りに対する盲従に陥った結果、草の根ファシズムの蠢動から台頭に至るまでを許していく。それは同時期の日本帝国主義と日本人民にも当てはまる過程だ。
現在日本政府・資本は戦前からの植民地主義を継続・強化させ、朝鮮・中国への再侵略を図るアジア版NATO形成を推し進めている。続々と起ちあがり始めた世界の労働者・学生をはじめとする人民諸階層と連帯し、自国の植民地主義を許さず戦争政策の足下をくじくことが、日本プロレタリアートの歴史的使命である。
【米丸かさね】
(『思想運動』1101号 2024年6月1日号)