★『思想運動』11月1日号を宣伝紙として送付します
 『思想運動』11月1日号は、付録を含む全7面の特集として「パレスチナ人民との連帯を」を組みました。ご希望の方に宣伝紙として『思想運動』11月1日号を送付します。
 「宣伝紙『思想運動』11月1日号希望」と明記のうえ、「〒番号・住所・氏名」を記入し、Eメール(ogmt@circus.ocn.ne.jp)、FAX(03-3818-3199)にご連絡ください。

イスラエルはガザ絶滅戦争を止めよ
大義は全面的にパレスチナの側にある

イスラエルの人種主義的な民族浄化戦争

 十月七日のハマスの攻撃に対する「自衛権の行使」として開始されたパレスチナ・ガザに対するイスラエルの攻撃は、人種主義的絶滅戦争の形相を呈している。十月十二日、イスラエル国防軍はガザの北半分に住む一一〇万人に南半分への「避難命令」を発表したが、やむなくその指示に従って移動する車列も爆撃した。『BBC』は十月十七日付の報道で、七〇人が虐殺されたこの殺戮を「ねじれて、ぐちゃぐちゃになった死体があちこちに散らばっている」と表現したが、同様の残虐行為がガザのいたる場所で行なわれている。ガザ保健省の発表によれば、十月十七日には、ガザのアル・アハリ病院がイスラエル軍の爆撃で破壊され、四七一人以上のパレスチナ人が虐殺された。
 現在の戦争は紛れもなくガザの住民全体を標的としており、死者はすでに数千人に達した(『タイムズ・オブ・ガザ』十月二十二日時点の報道によれば、一八七三人の子どもを含む四六五一人以上のパレスチナ人が虐殺され、一万四二五四人が負傷、瓦礫の下で一四五〇人が行方不明)。
 十月九日にガラント国防相が「人間の姿をした動物」、十二日にはネタニヤフ首相が「野生動物」とパレスチナ人を公然と呼び捨てるなど、イスラエルの政治指導者はパレスチナ人への殺戮をゲッベルスやシュトライヒャーのような残忍さで正当化している。
 イスラエルにとって目的はハマスではない。十月十七日にハマスの幹部一人の殺害をイスラエルは発表したが、この前後までにガザの民間人が住まう一四万戸以上の住居が全壊含む何らかの損傷を被っていた(国連人道問題調整事務所十九日付発表)。また、イスラエル軍報道官は十月二十一日、「戦争の次の段階に備えるために」、ガザ北部への爆撃を強化すると発表している。十月十三日、ネタニヤフ政権下で副外務大臣も務めたダニー‐アヤロン元駐米大使は、『アルジャジーラ』のインタビューに答えてエジプト東部シナイ半島の砂漠にパレスチナ人を移動させるイスラエルの計画の存在を示唆した。十月十五日にはシーモア‐ハーシュ(ベトナム戦争のソンミ虐殺の告発で知られるジャーナリスト)も、サブスタック上の記事でイスラエル国家内部関係者の話として、ガザの住民を追放する構想の存在について指摘している。ハーシュも触れているが『AFP』十月十三日付の報道によれば、イスラエルのジェット機はガザ市と北部の周辺で一一〇万人の住民に向けて「避難しなければテロ組織の仲間とみなす可能性がある。生き残りたければ南に進み――必要であれば四〇キロメートル歩いて――、エジプトに通じるラファ国境検問所まで歩いたほうがよい」という趣旨の数千枚のチラシを散布したという。「安全でいたければ移動したほうがいい」というのはそもそも脅迫であり、これは住民の強制的な移送を禁ずる「人道に対する罪」(ニュルンベルク憲章第六条C項目)に該当するし、現に進行しているのはガザの北半分からのパレスチナ人の追い立てであって、残ったパレスチナ人に対する殲滅戦である。
 現地からの多数の報道や証言によれば、この原稿を書き終えた現地時間二十二日夜、イスラエルとの境界線に近いジャバリヤ難民キャンプも含む北部を中心に、ガザ全域を標的とする、エスカレーションが始まって以来最大規模になる夜間爆撃が行なわれた。そもそも一一五の医療機関が攻撃を受けている事実(十月十七日のWHO発表)だけを見ても、イスラエルの軍事作戦がハマスに向けられていると考えるのは幻想でしかない。

否定されると同時に継続するナクバ
 
 占領、空爆・爆撃、民族浄化、住居の取り壊し、捕縛、監禁、先祖代々の土地からの追放、入植地の建設・拡大、果樹園や作物の蹂躙、水をはじめとする資源の略奪、強制的な移住、外へのアクセスの制限・支配――イスラエルがパレスチナ人に対して恒常的に放っているこれらの暴力は、すべて侵略・植民地主義の暴力である。現在の戦争は、イスラエル、そしてイスラエルに軍事的・経済的・イデオロギー的な支援を与え続けてきた西側諸国に一〇〇%の責任がある。とりわけ「歴史の書き換え」や「情報操作」を含むイデオロギー的な支援は重要であって、イスラエルのどんな非人間的で残忍な振る舞いでもすべて公然と許されるかのようだ。
 現在のパレスチナの事態は、一九四八年にパレスチナ人の社会を、侵略者であるイスラエルが「建国」の過程で破壊し尽くしたことの直接の帰結である。この「ナクバ」(破局)と呼ばれる植民地主義の暴力によって、デイル・ヤシンをはじめとする村々で残虐行為が展開され、七五万人のパレスチナ人が故郷を追われて難民となった。「パレスチナ問題」は実際には複雑ではなく単純であり、それまで人びとが住んでいた土地を勝手に奪って追放するという現在まで続くイスラエルの侵略、すなわち「平和に対する罪」(ニュルンベルク憲章第六条A項目)から生まれている問題でしかない。一九六七年の戦争では、ガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムも侵略され、占領、入植地の建設が進められた。それは、ニュルンベルク裁判であらゆる他の悪を生み出す犯罪として、「最悪の国際犯罪」と言われていた犯罪である。この他の悪には、パレスチナを「民なき土地だった」としてパレスチナ人そのものの歴史的・民族的な抹消をはかる「歴史の書き換え」も含まれる。イスラエルだけではなく、西側のいわゆる「国際社会」のなかでも、PLO(パレスチナ解放機構)のヤセル‐アラファトが一九七四年にパレスチナ人として国連の議場に登場し、「今日、わたしは平和の象徴であるオリーブの枝と闘争の象徴である銃をもってきました。どうかわたしの手からオリーブの枝を落とさせないでほしい」と話すまで、「パレスチナ人」という民族は、歴史的にまるで存在しなかったものであるかのように扱われてきたのである。「人類の意見を尊重し……」という独立宣言の文言を忘れたアメリカだけがイスラエル非難の国連総会決議に反対する状況になっても、パレスチナ人はイスラエルによる民族抹殺政策の対象であり、土地や人権に対する主張を捨て去るようにたえず脅迫されてきた。パレスチナ人が反対するのはこうした状況を生み出すイスラエルの侵略に対してであって、イスラム教の信仰のために反対しているわけではない。
 忘れるべきではないのは、イスラエル植民地主義の発端を作ったのが、一九一七年十一月二日にシオニストの指導者に宛てたイギリス外相アーサー‐バルフォアの公開書簡「バルフォア宣言」であり、この宣言による支持を得てイギリスの占領・統治下で本格化したシオニストの入植活動およびその後のシオニスト国家構想が、イギリスのなかで「厩の犬が、たとえ長らくそこに寝そべっていたからといって、最終的に厩についての権利を持たないのと同じである」(一九三七年のピール委員会におけるチャーチルの発言)といった人種主義・民族差別イデオロギーによって正当化されていたという事実である。こうした一九一七年以来の経緯を考えたとき、いま、一九四八年に追放されたパレスチナ人の故郷に存在するシオニスト国家は、六〇〇万人ものユダヤ人を虐殺したヒトラー・ファシストによる迫害から逃れるために生まれたものというよりも、むしろそのユダヤ人迫害の根底にもあったヨーロッパ(そしてアメリカや日本)の植民地主義・人種主義が産み落としたものだと言うほかない。
 ナクバは現在進行形の暴力である。イスラエルの教育相は「アラブ人学校」の教科書に対して、「ナクバ」という言葉の使用を禁止しているが、イスラエルはナクバを否定すると同時にナクバを継続している。第一次インティファーダ(一九六七年の戦争以降の占領に反対して一九八七年に始まった抵抗運動)の最中、ソ連の倒壊によって大きな協力者を失ったPLOの事実上の「降伏文書」(エドワード‐W‐サイード「モーニングアフター」、『ブック・オブ・ロンドンレビュー』一九九三年十月二十一日付)であった一九九三年九月十三日のオスロ合意以降、この非人間的な暴力は永続化されようとしている。サイードによれば、「この文書で主に考慮されているのはイスラエルの安全であり、イスラエルの侵略からのパレスチナ人の安全については何も考慮されていない」。一九九五年のオスロ合意Ⅱも含むオスロ・プロセス下では、パレスチナの人びとにとってもっとも大切な要求のひとつだった帰還権および補償の問題は無視され、一九六七年の戦争によるイスラエルの占領は維持、むしろ入植地がいっそう拡大し、独立国家を建設するはずだったパレスチナ人側の空間はスイスチーズの穴のような形に縮小・分断させられていった。パレスチナに残されたのは国境もみずから管理できず何ら独立の内実なき空虚な「自治」だけだった。この状況に抗議する、当初は非暴力のデモで始まった二〇〇〇年以降の第二次インティファーダもイスラエル軍の残忍な弾圧で敗北に終わり、二〇〇五年以降、イスラエル軍の見せかけの「撤退」のもとでガザは一七年間にわたり陸海空の境界が外側から全面封鎖されるという殺人的な強制措置を被っている(これと並行してヨルダン川西岸では土地の略奪が毎年進む)。二〇一一年にはパレスチナ解放の大義の徹底的な擁護者であったムアンマル‐カダフィのリビアが破壊され、いっそう孤立が深まった。近年でも二〇一二年、二〇一四年、二〇二一年の大規模攻撃に加えて、日常的にガザに対する爆撃が繰り返される。ガザの人びとはつねに次に何が襲ってくるかわからない恐怖のなかで生き続けてきたのだ。モサブ‐アブ‐トーハという一九九二年生まれのガザの詩人(ガザ唯一の英語図書館である「エドワード‐サイード公共図書館」創設者でもある)は、包囲下で育った自分たちの生は巨大な墓地のなかでの引き延ばされた死でしかないと語っていた。アブ‐トーハは、今回の爆撃で数十人の親族を失い、住居も粉々に破壊され、家族とともにイスラエルとの境界線沿いにある北部のジャバリヤ難民キャンプへの避難を余儀なくされている(この難民キャンプもイスラエルは爆撃の標的としており、二十二日夜以降とくに危険な状態に曝されている)。

ハマスの妥協とイスラエルの「過激主義」

 十月七日のハマスの攻撃も、どこまでも虐げられ追いつめられてゆくガザの状況のなか必然的に生じた反撃だった。アイスキュロスの『縛られたプロメテウス』では、「まあそれはやめにしといて、なんとか可責をのがれる道をさがしなさいませ」というコロスの言葉に、野蛮なゼウスの暴力をその身に被るプロメテウスは「手軽なことだ、災難を身に受けない者が、ひどい目にあっている者らに、あれこれと忠告するのは」と返すが、いま、ハマスの「暴力」について語る者たちへのパレスチナの人びとの回答もだいたい似たようなものになるだろう。アパルトヘイトの苦しみをパレスチナ人と共有する南アフリカの人びとも、ハマスの「反撃」について「継続する苦しみへの、予想された、人間の反応だった」(南アフリカ・パレスチナ連帯同盟の十月七日付声明)と述べている。そもそも今回の事態で「自衛権」を主張できるのは、後にも先にもパレスチナ側だけである(一九八二年十二月三日の国連総会決議はパレスチナ解放のための「武装闘争も含むあらゆる利用可能な手段」による抵抗の権利を擁護)。イスラエルが今回の行為を「自衛権の行使」と主張するのは、第二次世界大戦中の日本が朝鮮人・中国人の抗日パルチザンから被った攻撃に対する反撃を「自衛」と主張するようなものでしかない。当然そんな論理は東京裁判では認められなかった。
 また、ハマスは二〇一七年に改訂の綱領では、一種の国際的な合意となっている「二国家解決策」における一九六七年六月の戦争以前の境界線における独立しか主張しておらず、その範囲でのイスラエル存続を認めている――実質的には二〇〇〇年代半ばにイスラエルとの長期休戦を何度も申し入れていた時点で認めていた――。すなわちガザ、ヨルダン川西岸、東エルサレムという歴史的にパレスチナを構成する土地の二二%に対する主権を問題にしているだけであって、一九六七年の侵略戦争による占領地域に限定してイスラエル軍の占領地からの撤退を求める国連安保理決議二四二号の範囲内である。
 「過激主義」を問題にするのであれば、一九四七年の国連憲章に反する「分割」と第一次中東戦争で奪われた土地への主権を永遠に放棄してもかまわないという、パレスチナ側が行なっているあまりにも巨大な譲歩さえ受け入れることができないイスラエルの過激さこそ問われるべきだろう。故郷への帰還権についても、パレスチナ人はイスラエル国家の存続という条件の下で望んでいるだけである。
 二〇〇六年のパレスチナ議会選挙でも、ハマスはガザとヨルダン川西岸の両方で勝利しており、住民の意見を汲んだ地道な奉仕活動もあって、パレスチナ人の大衆的な支持が小さいわけではけっしてない。ハマスの活動は、帝国主義の傀儡としてリビアやシリアを荒らしまわったアルカイダやイスラム国とは決定的に違っている。問題は「テロリスト」や「過激派」といった語の騒音で、事象の内実が覆い隠されてしまうことにあるのだ。こうした言葉は、対話すべき相手の殺人を目的とする暴力体制の現存を蔽いかくすために使用されていると同時に、威圧的に用いられてきた。「テロリスト」すなわち「無法者」とは議論するまでもない、というわけである。「ハマスの実効支配」という言葉もまた同様である。実際には、ファタハとの連立政権も認めていたハマスの政権獲得を承認せず、むしろファタハに武器を持たせハマスをヨルダン川西岸から一掃させるなどパレスチナ人内部の対立も煽りながら、交渉のあらゆる可能性を断ち切ってきた日本も含む西側諸国の態度こそ、ガザを一七年間も「天井のない監獄」と化し、希望なき状況に叩き落してきたものだった。オリーブの枝をへし折ったのはハマスではない。
 第一、パレスチナ人を「ハマスを支持する悪いパレスチナ人」と「ハマスを支持しない良いパレスチナ人」に分けて、前者に対する死刑宣告を容認するような論理を認めるべきではない。ハマスの支持者も含めて、継続する「ナクバ」の犠牲者である、すべてのパレスチナ人の尊厳が擁護されなければならない。
 根本的な問題は、主要メディアのなかでつねに「宗教」や「文化」について語られることで、事態の根本的な原因が神話化されてしまうことにある。しかし、事態の根源はナクバであり、イスラエルの侵略・植民地主義にしかない。

暴力体制の永続化に反対する連帯を

 必要なのは、ハマスではなく、イスラエルの侵略および西側諸国のイスラエル支援を止めることである。一九四八年の国連総会決議一九四号で宣言された故郷に帰還する権利および帰還を選択しない難民が補償を受ける権利、一九七四年の国連総会決議三二三六号で宣言されたパレスチナ人が国連憲章に基づき独立主権国家を建設する権利――こうしたパレスチナ人の諸権利をいっさい認めず、蹂躙し、民族の存在そのものを抹殺しようとするイスラエルの侵略・植民地主義こそ問題なのだ。繰り返すが、イスラエルの軍事行動はハマスを目的にしているわけではない。北半分のパレスチナ難民を標的とするガザ地上侵攻を許してはならないし、地上侵攻があろうとなかろうとパレスチナにおいて続いている暴力体制を永続化させてはならない。
 大イスラエルの支持者と領土上の妥協論者の争いは、本質的には植民地主義的・シオニズム的な目標を達成するうえでの道筋をめぐる争いにすぎず、イスラエル版「征韓論争」にすぎないのが実情である。以前のイスラエルの二大政党だったリクードと労働党のあいだにも、ナクバをめぐる対立はなかった(『ANNニュース』が十月二十日に放映した歴史学者ユヴァル‐ノア‐ハラリの「自衛権の行使」を正当化するインタビューは、イスラエル内のネタニヤフ批判者がいかに植民地主義・シオニズムの論理を共有しているか理解できる点で貴重だった)。しかし、この城内和平的=ファッショ的な翼賛体制のなかで孤立しながらも、現在の事態の全責任がイスラエル政府にあることを臆せず指摘し、ガザのパレスチナ人と連帯しようとするイスラエル共産党をはじめとする人びとがいる。『アルジャジーラ』十月十九日付の報道は、反戦運動に対するイスラエル警察の脅迫があること、「テロ支援」「煽動の疑い」で六三人が逮捕されたことを伝えているが、こうした状況下でたたかうイスラエル国家内部の真に「良心的」な、部分と連帯しなければならない。
 また、アメリカおよび西ヨーロッパ諸国では「反シオニズム」を「反ユダヤ主義」と恣意的に混同する論理によってガザへの暴力に加担することに反対する人びとへの弾圧が強化されている。ドイツでは、まるで六〇〇万人のユダヤ人を虐殺したのがドイツの人種主義者や帝国主義者ではなくパレスチナ人であったかのように、パレスチナ人に対する弾圧までもが行なわれている(たとえばマサル・バティルやサミドゥン・パレスチナ囚人連帯ネットワークなどへの脅迫・弾圧。また、病院爆撃の犠牲者を追悼するためパレスチナ人が立てたキャンドルをベルリン警察が嗜虐的に踏みつける事件もあった)。しかし、ニュルンベルク裁判のロバート‐ジャクソン主席検事が「ある行為または条約違反が犯罪であるとしたら、そのときそれは、アメリカ、ドイツのいずれが犯したものであっても犯罪である」と言ったように、イスラエルが「平和に対する罪」や「人道に対する罪」を犯したとしても、それは犯罪である。ドイツは一見「過去と向き合っている」ようでいて、実際にはニュルンベルクで裁かれたのと同型の犯罪への幇助犯ないしは共犯者でしかない。こうした倒錯がまかり通るなかで自国のイスラエルへの共犯政策に反対するアメリカやイギリス、フランス、ドイツといった国々の反戦・反ファシズム・反帝国主義を貫く平和勢力に連帯しなければならない。西側諸国が与えるイスラエル支援を断たなければ「ナクバ」はたえず継続する。
 十月十八日のアメリカでは、シオニズムに反対するユダヤ人を中心とする数千人がアメリカの連邦議会議事堂に押しかけ、政府のパレスチナ虐殺への共犯に抗議する行動が行なわれた。これは日本でも比較的報道されている動きで、結果的に数百人の被拘束者を出すことになったものの(『BBC』十月二十日付)、実際には非暴力の大規模な抗議行動だった。主催したのは「平和を求めるユダヤ人の声」という反シオニズムのユダヤ人左派の団体であり、わたしたちは、シオニストによって「自己嫌悪的ユダヤ人」のレッテルを貼られながらもイスラエルによるパレスチナ人虐殺を峻拒するユダヤ人の運動にも連帯しなければならない。「平和を求めるユダヤ人の声」は、十月七日に発表した声明で「……パレスチナ人に対する戦争は七五年前に始まった。イスラエルのアパルトヘイトと占領、そしてその弾圧へのアメリカの共犯が、このすべての暴力の根源である」と事態の原因を朗然と指摘しつつ、ステファニー‐フォックス事務局長は十月十三日に『ザ・ネイション』に発表した「ユダヤ人の悲しみを戦争の武器として利用してはならない」というエッセイで、「反ユダヤ主義」と「反シオニズム」を意図的に混同して「反シオニズム」を封じ込め、イスラエルの犯罪を正当化するレトリックを徹底的に批判し、パレスチナ人に対しても〝二度と繰り返してはならない〟と主張している。
 そして、アジア・アフリカ・ラテンアメリカのパレスチナともにあろうとする国々に連帯しなければならない。南アフリカのシリル‐ラマポーザ大統領(アフリカ民族会議〔ANC〕議長)は何ら臆することなくイスラエルを「アパルトヘイト国家」と呼び、かつてみずからがネルソン‐マンデラたちとともに抵抗した南アフリカと現在のパレスチナの状況を重ね合わせつつ、パレスチナの国旗を掲げてパレスチナ人との連帯を示した。現在、南アフリカでは全人民規模でのパレスチナ連帯の声が発せられている。十月十九日、キューバのブルーノ‐ロドリゲス外相が、東エルサレムを首都とする独立主権パレスチナ国家建設の権利および難民の故郷に帰還する権利の擁護について「非同盟運動、G77プラス中国の揺るぎない歴史的立場」と述べていたように、第三世界の立場は鮮明である。アラブ諸国では、サウジアラビアのように反動的で親帝国主義的な政治指導者も含めて、パレスチナと連帯しようとするアラブ人民の意志に突き動かされ、イスラエルを批判せざるをえない状況がある。十月十六日、国連安保理で否決された人道的停戦要請の決議に関して、日本がアメリカ、イギリス、フランスとともに反対票を投じた際には、イランなどアラブの国々で日本大使館への抗議行動も行なわれている。
 何よりも、否定されると同時に継続するナクバの犠牲者であるすべてのパレスチナ人に連帯しなければならない。ガザのパレスチナ人、ヨルダン川西岸のパレスチナ人、他国に離散したパレスチナ人、イスラエル支配領域内のパレスチナ人、抵抗運動を行なったがために投獄されているパレスチナ人、恐怖の前に立ち竦むパレスチナ人、武器をとって抵抗するパレスチナ人、非暴力的抵抗の道を探るパレスチナ人、そのすべてに対してである。わたしたちはパレスチナの人びとが帝国主義による暴力の恐怖から解放されて自分たちの社会を建設する権利、そしてパレスチナの先住民であるパレスチナ人が追放された故郷に戻って現在の「イスラエル」も含む土地で平和裏に生きる権利を、何よりも支持する。パレスチナが解放されないかぎり、植民地主義の時代が終わりの日を迎えることはけっしてない。

グローバルな反帝国主義的展望のなかで

 同時に、イスラエル国家のパレスチナ侵略への反対を、グローバルな反帝国主義的展望のなかに位置づけることが必要である。ガザに対する攻撃と並行してイスラエルは、十月十二日、シリアのダマスカスとアレッポの国際空港を爆撃していた。数百回におよぶ同様の爆撃を近年被り続けているシリアは、一九六七年の戦争以来ゴラン高原をイスラエルに占領されており、現在アメリカによっても北東部の油田地帯を不法占拠され、国内で生産される原油の八〇%を略奪されているのである。イスラエルとアメリカのパレスチナに対する犯罪を問題にするのであれば、わたしたちはシリアに対する侵略犯罪も無視することはできない。
 七五年間にわたるパレスチナへの暴力は、あるジャーナリストによって「希望の抹殺」と表現されたすべての暴力の一環だった。朝鮮に対する南北分断とジェノサイド戦争、国連総会における「植民地独立付与宣言」採択の数年後に行なわれたパトリス‐ルムンバの抹殺やネルソン‐マンデラの捕縛、インドネシアのコミュニスト五〇万人に対する大量虐殺、ベトナムに対する何年にもわたる残忍な爆撃と化学兵器使用、フィリピンの新植民地収奪、五〇年前のチリにおけるファシスト・クーデター支援による「新自由主義」の実験、サンディニスタ革命への脅迫と破壊、何十万人ものイラクの子どもたちに対して「緩慢な死」を強制した経済制裁、ユーゴスラビアにおける血みどろの民族紛争煽動と爆撃、リビアにおける「カダフィのアフリカ人傭兵」とされた黒人に対する大虐殺、……これらはほんの一部である。一連の惨劇を引き起こしてきた帝国主義・植民地主義・新植民地主義の一貫する「シングルスタンダード」の政策は、現在のウクライナにおけるエスカレーションを生み出したものでもあって、諸民族を隷属状態にとどめるための暴力は平和に対する最大の脅威であり続ける。
 いま、何よりも大事なのは、事態を孤立させて捉えるのではなく歴史的観点および時代環境全体のなかでとらえる理性を人びとのものとすることであり、平和の叫びを拡げるための行動に立ち上がることである。そのための協働行動が各グループ間の角逐やセクト主義的な囲い込みの枠を取っ払って追及されるべきだ。協働はそのどんな可能性も大切に汲み上げつつ、多様多彩に組み立てられ、それらをできるかぎり大きく太く合流させていくことをめざして、進められなければならない。

(二〇二三年十月二十二日)
【大村歳一】
(『思想運動』1094号 2023年11月1日号)