ロシア十月社会主義革命一〇五周年記念集会
職場の「なぜ」から社会主義へ
                     

 十一月五日、東京・全水道会館にてロシア十月社会主義革命一〇五周年記念集会がひらかれた。今年はソビエト連邦成立から一〇〇年。そしてその倒壊から三〇年を数える。ソ連邦の七〇年の歴史とその世界史的意義を抹殺し、社会主義を貶める逆風の強まりのなか「わたしたちはなぜ社会主義をめざすのか」という統一テーマの下に集った。

基調報告:職場の可能性から始まる

 基調報告を行なった藤原晃さんは、教員で日教組・神奈川高教組の組合員である。報告は日常のエピソードを通して、子どもの学習権――真理を探究する権利が踏みにじられている現実を浮き彫りにする。政府・教育行政が、子どもを食い物にしてIT産業など独占資本を肥え太らせるのをはじめ、資本主義のつくりだす不幸が溢れ返っている。この現実を根本から変えるには、資本の論理を排除し教育現場の必要を満たすことのできる社会主義をめざさなければならない。 その主体は、現場で働き本質的に現場の支配権を握る学校労働者である。自分たちの力をもっとも発揮しうるストライキの必要を、それが打てない状況のおかしさを同僚に訴える。若い教員との日常の会話は、落語のかけ合いみたいで会場から笑いも起こったが、それこそが思想闘争のひとつの現場なのだ。権力をもつ者に「お願い」「お任せ」する同僚の態度は組合の請負主義にもつながる。真実の追求よりも目先の「得」を取る、資本主義的生産関係に埋もれた思考の根が明らかにされる。そこにダイレクトに批判的に働きかけることによって生みだされる変化の兆しが、ストの主体形成へとつながりうるのだ。
 しかし、そうした職場の可能性が大衆運動を担う人びとに受けとめられにくいのはなぜか。倫理的な善意で国会前や街頭に集まっても、それと労働現場の組織的闘いが結びつかなければ政権・支配層は痛痒を感じない。ゆえにストが、ゼネストが運動の目標・戦術として導き出されるにもかかわらず。
 その理由を報告は「『アベ政治』批判」批判として鋭く指摘する。反社会主義・右翼ナショナリズムは、戦前から一貫した日本支配階級の政治的方針である。しかも、その跋扈を許してきたのは日本の労働者の思想的頽廃である。したがって、ソ連倒壊にいたる社会主義の苦難に対してわれわれは責任を負う。そうした階級対立の歴史・現実を見ようとしない非階級的・非科学的認識が、安倍個人の名を冠するスローガンを許容させるし、ことの本質を見誤らせるのだ、と。
 また、労働者の階級意識形成を頑強に阻むのが反朝鮮報道による排外主義煽動である。十月四日の朝鮮のミサイル実験の際には、国を挙げての大騒動が演出された。報告は、“ものさしではかり単位をそろえて比べる”科学を通じて、瞬時に宇宙空間に飛び立つミサイルが報道とはまったくの別物であることを実証した。この科学とは持たざる者がだれでも平等に虚偽を暴く思考の糸口を見つけ真実に辿り着く方法である。それは労働者が日々身につまされる体験を通じて階級学説を自分のものとするための方法・認識でもあるのだ。
 報告はストの必要性を説きつつ、レーニン著『何をなすべきか』の「石工と水糸」の話を引用した。ひとつの大建築のために、大きな石材から微細な石ころまでが一本の水糸に沿って集められ接合され目的の力になる。今報告はいわば現代の「水糸」であろう。その真っ直ぐな思想の糸を、組織、未・非組織問わず労働者が、自分自身の状況に引っ張ってきてその径庭も含め思考し実践する指針となる。資本主義の止めどない頽廃にからめとられずいまを生きるためにもその糸とつながる必要があろう。参加者アンケートにも「力づけられた」との回答が複数あった。報告が、現場の「なぜ」を突き詰めることによって普遍性に、真理にそして社会主義に到達する道筋を証し立てたからだろう(基調報告全文は『国際主義』六号に掲載予定)。

映画『レーニンの三つの歌』を上映

 次に、井野茂雄さんによる映画『レーニンの三つの歌』の解説とその上映が行なわれた。 解説は、レーニン没後一〇年につくられたこの映画が、生産手段を労働者階級の所有へ移そうとしている人たちの記録であることを説いた。レーニンの遺志を継ぎ、多民族の支持を得て、ソ連の建設を行なった人びとがいかに変わっていったか。
 監督ジガ‐ヴェルトフの手法は、〝いま革命に必要なことをやる”という明快で科学的な、革命への献身的思想に裏打ちされていた。一九一九年頃の対反革命の内戦がもっとも激しい最中、かれはアジプロ列車・船をくりだし、ビラ作成、映画上映、学習会・討論などを通じて革命へ人びとを組織した。また、今作品は三八年当時の時代背景のもと検閲が行なわれ、終盤のスターリンの演説シーン追加等が行なわれた(三四年版は残存せず、上映された三八年版が残存する最古のもの)ことが説明された。
 映画を観て印象的だったのは、革命を通じて解放をかちとった多くの婦人の顔のアップ、白色系、黄色系など異なる肌をした多民族の婦人のモンタージュだった。婦人の解放なくして革命は成らないと、男女の法的平等、家事労働の社会化などを実行し、婦人解放運動の指導者クラーラ‐ツェトキーンにも大きな影響を与えたレーニン。「すべてかれは与えてくれた 血と心を」という字幕は婦人たちの心の声だったろう。集団農場、大工場、電化され近代化された街並みを通して映し出された労働者たちの表情、社会をつくり動かす姿が「わたしたちはなぜ社会主義をめざすのか」の答えを語っていた。終盤、挿入されたスターリンのシーンを観ながら、一九三〇年代、社会主義ソ連を潰そうとするファシズムの脅威・切迫・侵略に抗してソ連が辿らねばならなかった苦闘が想起された。このシーンの挿入自体が苦難の時代のドキュメントだろう。
 つづいて集会へよせられた連帯メッセージが読み上げられた(今号付録に掲載)。かれらとの国際主義的連帯を確認し、『インターナショナル』を斉唱して散会した。
【米丸かさね】