〔反戦平和・反核〕
核戦争の人類的危機に立ち向かう態度
東ヨーロッパと朝鮮半島でのエスカレーションを前に
 
                        

人類共滅の危機としての核戦争

 一九五四年三月一日、南太平洋のビキニ環礁で行なわれたアメリカによる世界で最初の熱核兵器(水爆)実験が、全世界に衝撃を与えた。それは重水素およびトリチウムの熱核反応を利用した核兵器で、一九四五年に広島に投下された原子爆弾の一〇〇〇倍もの威力を見せたのである。
 その衝撃を受けて、一九五五年七月九日に発表されたのがパグウォッシュ会議への呼びかけ文「ラッセル=アインシュタイン宣言」だった。宣言は、もし熱核兵器へと発展した核兵器による戦争が起これば、「死の灰」または「黒い雨」で地球が覆い尽くされ、即死者はわずかであっても地球上に住むあらゆる人びとに長い苦しみとそののちの肉体の崩壊がもたらされ、人類が「全面的な死滅」に至るおそれがあることを指摘した。そのうえで、「将来の世界戦争においてはかならずや核兵器が使用されるであろう」としつつ、世界の諸政府に対して「その目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるように勧告する。したがって、わたしたちはかれらに、かれらのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的手段を見出すように勧告する」という決議を提起した。
 二一世紀現在、約七〇年前のこの提起は、ますます緊急性と切実性を増している。

ウクライナ事態でのエスカレーション
 ヨーロッパで核戦争が起こり、それが拡大し、地球全体をのみこむ危険が高まっている。ロシアがNATOに対してロシアの核の潜在力を忘れるなと警告する一方で、ウクライナは事実上、NATOに核兵器による対ロシア先制攻撃を行なうように呼びかけている。そして、この緊張のなかで、十月十七日から三十日にかけてNATOが、十月二十六日にロシアが、核戦力運用部隊の軍事訓練を行なった。すでにウクライナ事態は、一歩まちがえれば、核戦争としての第三次世界大戦にまで発展しかねないところにまでエスカレートしているのである。
 二月二十四日以降にも、このエスカレーションを避けられる可能性は存在した。三月末から四月初頭にかけてロシアとウクライナとの和平交渉が進行中だったのであり、両者は基本的な条件で合意し、外交的に紛争を終結させる意志があったのである。しかし、このプロセスに介入したのが、イギリスの当時首相ボリス‐ジョンソンだった。この情報を伝えたのはウクライナ現地の新聞『ウクラインスカヤ・プラウダ』五月五日付の記事で、その報道によれば、すでにゼレンスキーとプーチンの会談の準備があったのにもかかわらず、四月九日に首都キエフを訪問したジョンソンが「プーチンと交渉すべきではない」という趣旨のメッセージ(事実上の圧力)をゼレンスキーに送ったことを契機に、交渉が行き詰ったのである。そして、NATO諸国は、可能性のあったプロセスを促進する代わりに、大量の武器を送り、いっそう戦争を拡大するための支出を増やした。火のあるところにガソリンを注ぎ込んだのだ。アメリカの国防長官ロイド‐オースティンは、この戦争での国家目標について、ロシアの「弱体化」(『ワシントンポスト』四月二十五日付)にあると公式に発言している。この「弱体化」の目標のために、すでに膨大な犠牲者を出している戦争は続けられなければならず、和平交渉は許されないのである。
 しかし、いずれの当事国・関与国においても、この戦争の推進者たちが忘れているのは、戦術核戦争や局地的核戦争などというものは存在せず、このエスカレーションの先にいったん核戦争が始まったら、人類の終わり、地球の終わりが待っているということである。その影響が交戦国の住民にとどまるなどということはありえず、少なくとも全人類とその文明に対して幾世代にもわたる壊滅的な打撃がもたらされることは避けられない。一九八三年には、ソ連とアメリカの気象学者が「核の冬」の研究を発表し、核戦争による人類共滅のシナリオをより具体的に提示した。その研究が予測したのは、熱核兵器による戦争で地球規模の熱核反応が起きると、大気中の煤煙が日光を遮り地球の平均気温が大幅に低下し、地球上のあらゆる食料生産が壊滅的なダメージを受け世界的な飢餓が到来するという事態だった。この間接的影響によって、直接的には熱核反応に巻き込まれなかった人も含め、人類は死に絶えるだろう。これが「核の冬」のシナリオである。
 この危機は回避されなければならず、回避するためにはあらゆる当事国・関与国が、国家のインタレストではなく、人類のインタレストを優先しなければならない。今年でちょうど六〇年前にあたる一九六二年のキューバ危機では、ソ連が、キューバへの事前相談なしに核基地を設置した間違いがありながらも、窮極的には、その国家的インタレストをコントロールしつつ矢継ぎ早に諸対応を行なったことで、核戦争は未然に防がれた。
 わたしたちにはまだ時間が残されている。まだ時間が残されているうちに、世界中のそれぞれの場所で、その政府に、その人民に、ウクライナにおける戦争に対して交渉による和平を求めるよう、それを求める声をあげるよう、呼びかける。現在の危機における反戦平和・反核の要求は、労働者階級のみならず、労働者階級をはじめとする人民諸階層の、そもそも人類のインタレストなのだから、核戦争、すなわち人類とその文明の共滅を回避するという点で一致した広範な協力が必要である。。
 
朝鮮に抑止の政策を強いるものは何か
 ただ、わたしたちは危機の構造を単純化してはならない。いま、これはとりわけ現在の東アジアに言えることである。
 十月四日に朝鮮民主主義人民共和国の弾道ミサイルの発射をめぐる、「Jアラート」の騒々しい音に象徴される日本の諸反応は惨憺たるものである。同日、防衛省は、弾道ミサイルが「北朝鮮内陸部から東方向に向けて発射」されたと発表し、「最高高度約一〇〇〇キロメートル程度で、約四六〇〇キロメートル程度飛翔し、……青森県上空を通過した後、……日本の東約三二〇〇キロメートルの我が国排他的経済水域外に落下した」と説明、「我が国上空を通過させる形での弾道ミサイル発射は、我が国の国民の生命、財産に重大な影響を及ぼし得る行為」と述べた。そして、五日に衆院で、六日には参院で政府声明と同じ内容の「北朝鮮による弾道ミサイル発射に抗議する決議案」が全会一致(参院で棄権一名)で可決。各メディアの報道も、政府の反応をそのままなぞるものだった。
 だが、冷静になって考えなければならない。防衛省の発表自体にあるように朝鮮の弾道ミサイルは「最高高度約一〇〇〇キロメートル程度」で移動していたのである。一般に宇宙空間の定義としては、空気がほとんどなくなる高度一〇〇キロメートルを境目とするFAI(国際航空連盟)の定義が採用され、日本のJAXA(国立宇宙航空研究開発機構)もホームページでFAIの定義を紹介している。JAXAによれば、アメリカ空軍はそれよりも下の高度八〇キロメートルから上を宇宙と定義しており、NASAはスペースシャトルの地球帰還時に高度一二〇キロメートルの地点に至ったときに「大気圏突入」と呼んでいるそうである。つまり、朝鮮のミサイルは宇宙を移動したのであり、けっして日本の「上空」を飛んではいないのである。宇宙の領有を禁止した宇宙条約の観点からも、宇宙を「我が国上空」と言うことはできない。この宇宙空間を通過したミサイルでもって、防衛省や衆参両院が「我が国の安全保障にとって重大かつ差し迫った脅威」を云々しているのは、現代の迷信だろう。そして、まるでミサイルが高度一〇キロメートル(飛行機の巡航高度)の高さで移動したかのような図を使ってこの件を報道する各メディアはこの現代の迷信を助長しているのである。
 しかし、より本質的な問題は、先行的に核兵器を保有するアメリカ・日本・韓国という帝国主義陣営に包囲された困難な状況下で、社会主義・反帝自主の道をゆく朝鮮の抑止政策が核実験や弾道ミサイル発射を必要とせざるをえないという状況であり、その結果、朝鮮の強制された抑止政策を口実として、帝国主義の側が軍拡・軍事同盟強化および「核の傘」からニュークリアシェアリングへの移行を含む核政策の案出をいっそう推し進めることによって、すでに火薬庫と化した東アジアにおけるエスカレーションの危険、すなわち核戦争の暴発の危険がくりかえし高まっていくという悪循環にこそある。
 わたしたちは、現代の東アジアが陥ったこの悪循環を、おふざけで双方の「連携プレー」などと恣意的に言うのではなく、真剣に平和を求める立場から悪循環の根っこをつかみだし、そこから抜け出す道を探らなければならない。
 実際、今回の弾道ミサイルについても、やはり九月二十六日から二十九日の演習を皮切りに行なわれた一連の米韓合同軍事演習(九月三十日の日本も含む合同軍事演習も含む)が先行している事実をしっかり見る必要がある。とりわけ、アメリカから兵士を増員し武器や空母を搬入して朝鮮半島で行なわれる米韓合同軍事演習は、朝鮮戦争の休戦協定(第二条一三項三節で「朝鮮国境外から増援・増員する軍事人員を入れることを停止する」、四節で「朝鮮国境外から増援する作戦飛行機・装甲車輌・武器および弾薬の搬入を停止する」と規定)に違反している。現在の一時的な休戦状態を担保するはずの休戦協定さえまったく守る気のない無法な帝国主義の動きに対して、朝鮮は対応能力の存在を示さざるをえないのである。
 これを口実として米韓日がいっそう軍拡を行ない軍事同盟を強化し(早速十月六日にこの三か国の海軍は共同訓練を実施)、朝鮮がまたこれに対して軍事的対応を迫られるのだとしても、わたしたちは悪循環の根っこが帝国主義の無法な振舞いにこそあると、何度でも率直に指摘すべきだ。

法制化された朝鮮の核政策への見方
 核政策についても同様である。最近、朝鮮の最高人民会議第一四期第七回会議で発布された法令「朝鮮民主主義人民共和国の核武力政策について」の第一条は、その核政策について、「敵対勢力に……侵略企図と攻撃企図を放棄させることで、戦争を抑止することを基本使命とする」と規定している。これは、帝国主義者が「自衛」のためと言いながら軍拡を行なうのとはまったく異なる話である。事実、核武装にいたった二〇〇〇年代に、朝鮮は非常に危険な状態に置かれていた。二〇〇二年一月、当時のブッシュ・アメリカ大統領がイラクとイランとともに朝鮮を「悪の枢軸」と名指しし、「危険が高まっているときに何か出来事が起きるまで待つことはしないだろう」と述べ、それらの国に対する先制攻撃を示唆していたのである。これは、「人道的介入」と称した一九九九年のユーゴスラヴィア爆撃、「対テロ戦争」を掲げた二〇〇一年のアフガニスタン侵略と、国連憲章・国際法を無視したアメリカとその同盟国の横暴が続くなかでのことだ。そして、実際、二〇〇三年にイラクが、アメリカとその同盟国による先制攻撃を被り侵略されたのである。そのうえ、東アジアでは、アメリカの同盟国として日本が、朝鮮・ベトナム戦争期の間接的な軍事支援方式を捨てて、直接的な海外派兵を再開し、「周辺事態法」(一九九九年)や「テロ特措法」(二〇〇一年)といった戦争法を通過させ、朝鮮をはじめとするアジアに対する再侵略防止措置であるはずの憲法第九条を空洞化していたのである。
 朝鮮としてはこうした危険な状況に対して何の対応もしないことは不可能だった。
 より決定的な教訓を与えたのは、二〇一一年のNATOによるリビア侵略である。リビアは核開発計画を放棄していたがために抑止力を欠きなすすべもなく侵略にさらされたのであり、大勢のアフリカ系移民と黒人リビア人が「カダフィの傭兵」として虐殺され、アフリカのために尽くした反帝国主義の闘士・カダフィが惨殺され、繁栄した福祉国家が世界の最貧国へと転落させられた。そして、この横暴を西側の世論は「リビアの民主化」と言って支持したのであり、「国際世論」は一定の限界内で帝国主義に対抗する力であったベトナム反戦運動の時代から、その侵略を後押しする力へと変質していた。
 このように帝国主義の横暴がまかり通る状況下で、もし朝鮮が現在の抑止政策を放棄するのであれば、それこそ理性を欠いており、戦争を呼び込んでしまうだろう。このリビアの例からも理解できるように、こんにち、東アジアの緊張関係を見る際に、反戦平和・反核のそれ自体は正当な主張に「反帝国主義」の観点に立った歴史的な因果関係の把握がなければ、それは朝鮮に対する一方的な武装解除の要求となり、かえって帝国主義の介入を助ける戦争イデオロギーと化してしまう。
 問題はわたしたちの反戦平和・反核運動が、リビアで起きてしまったような帝国主義の軍事介入を朝鮮に対して許さない、という方向で結集できるかにある。求められるスローガンは「北朝鮮に民主主義を!」などではなく「リビアを繰り返すな!」である。

終わりに
 朝鮮は、二〇一六年七月六日に非核化の問題について声明を発表して、「朝鮮半島全域の非核化」への意志を示した。その声明で共和国政府は「核のない世界、戦争を知らない平和的で自由に幸せに暮らそうとすることは人類の共通した志向であり願い」であるとしつつ、アメリカの核の脅しを受けてきた朝鮮民族にとって「非核化の熱望はその誰よりも強い」と言う。ここで示された意志は本物である。
 事実、二〇一八年に朝鮮と韓国、朝鮮とアメリカのあいだで進んだ非核化の前提となる敵対関係の軽減のための一連の交渉は、朝鮮がその国家的インタレストを「非核化」という人類共通のインタレストのためにコントロールする理性を持ち合わせていることで進んだものだった。その交渉のなかで生まれた朝米シンガポール共同声明や九月平壌宣言には、共和国政府のみが一方的な履行義務を負う条項が多数あったにもかかわらず、共和国はこれを受け入れたのである。だが、帝国主義の側は朝鮮の一方的な武装解除という国家的インタレストに固執して、「朝鮮半島全域の非核化」プロセスを頓挫させた。
 いま、西側メディアでは、朝鮮に新たな核実験の準備があると報道されている。しかし、もし核実験が行なわれるのだとしても、東アジアの反戦平和・反核運動にとって朝鮮はけっして敵ではない。核武装も含む抑止政策を朝鮮に強制している諸力・諸条件をはっきりと指さすことからはじめよう。批判はそこに集中されるべきである。
【大村歳一】