なぜ社会主義をめざすことが必要なのか
十月社会主義革命記念集会に集おう
                     

 一〇五年前のロシア社会主義大革命は世界の人民が人としての権利を勝ち取るための闘争を飛躍的に前進させた転換点となった。その意義を確認するのが革命記念集会である。
 もちろん革命的情勢とは、暗闇の中で黙って座っていれば、衝撃的な映像ではじまるスペクタクル映画とは違う。一本の基準線にそって、日々われわれの目前にある困難への働きかけを、積み上げることでしか作り出すことはできない。「未来は現在の中にしか芽生えない」このあたり前の事実を自覚しなければならない。裏返せば、今の運動を担おうとする者に、この自覚がないばかりに過去の蓄積と未来の可能性が浪費されている現実があまりに多いようにわたしには見える。
 一例を上げる。神奈川では全国に先駆けて〇八年から人事評価・査定昇給制度が導入され、すでに教員の間に浸透している。これに対してわたしの組合の戦略は「人材育成」「能力開発」「モチベーション・アップ」に繋がるように校長に評価させ、低評価をつけられた場合は当人が苦情を申し出るというものだ。つまり制度自体は認めた形で「正しく」運用させることが目的であり、不当な評価=賃下げ宣告をされたらその個人が声を挙げろということである。もし「職場の分断を許さない」というのであれば、全員の評価を組織的に集約し、そのデタラメを暴露し、全体で賃金差別を許さない行動をとらねばならないはずである。しかし「評価は個人のものだから、現実的でない」と組合執行部はそのような行動を否定している。この行き方では、どんなに労力を割こうとも前進はない、とわたしは言いたい。
 教壇に立たない管理職がどうして評価をできるだろうか、学校に来たこともない教育委員が何を理由にわれわれの賃金に差をつけるのか。そもそも学校組織の労働者には誰一人として特別な存在はいない。ある人は生徒の話を聞き相談に乗る、ある人は間違いを指摘する、ある人は授業で問いかける、どれ一つ欠けてもどの一つも成り立たない。そこに貸金差別を持ち込む矛盾。それはどんな仕事でも同じことだ。しかし、この誰の目にも明らかな矛盾に「モチベーション・アップ」では答えられない。査定昇給制度の目的は、賃金差別の理由を捏造し、労働者の連帯を寸断し、いっそう搾取率を上げることにある。このような階級対立の現実を共有することのみが未来の可能性を作るのだと主張したい。だからこそ六五年前に日教組が文字通り組織を上げたストライキをもって勤評闘争を闘うことができ、導入されはしたもののその後の闘いで「勤評」の形骸化も可能となったのだ。
 学校での人事評価・査定昇給の事例だけでも、たとえばこのように過去の蓄積と未来の可能性が浪費されていることが見てとれる。そしてこのような浪費は他のあらゆる職場で、あらゆる課題でも同様ではないだろうか。逆に言えば階級意識を獲得する機会はいつでもどこにでもあり、日々の些末に見えるさまざまな闘いを契機としてでも社会主義革命をめざすことが必要であり、かつ可能なのだ。
 われわれは、本気で眼の前にある困難を乗り越えようとするならば、人類史上はじめて労働者の国家を闘いとることに成功し、そしてその社会を自ら管理するためのきわめて主体的で創造的な実践から学ばないわけにはいかない。
 ロシア十月社会主義革命記念集会に集おう。
【藤原 晃・学校労働者】