「安倍国葬」の意味
なぜ、かれらは「反共」を掲げるのか

 「安倍国葬」の閣議決定に対して、差し止め訴訟が提訴され、多くの団体が反対声明を出し、集会やスタンディングなどの運動が各地で取り組まれている。それを受けて世論調査でも国葬反対が半数以上に押し上げられた。旧統一教会との癒着スキャンダルの影響も加わり岸田内閣の支持率も急落している。
 しかし岸田は「議員個人の問題」だと党内部の調査すら行なわない。……なにせ三年は安泰だ。「統一教会」ネタにもほどなく飽きるだろうし、国葬は一過性のイベント。当日になれば「要人来日」で盛り上がりすぐに忘れる。支持率はまだ三割以上あり、国葬にも四割が賛成している。戦争法制でも、共謀罪でも支持の割合はもっと低かった。無視してもなんの問題もない。改憲は既定路線どおりだ。……TV画面に映し出される岸田他自民幹部連の顔からはそんな本音が読み取れる。
 ここ三〇年の身の回りを振り返ってみる。消費税は上がり続けるが、実質賃金は下がり続け、OECDの中でも日本だけがマイナスだ。毎日スーパーでは少しでも安い値札に気を配り、添加物に気を配る余裕はなくなった。病院での支払いは三倍になった。既婚率と出生率は下がっているのに保育園すら満足にない。学校に上がると将来への不安で親も子も脅され、テストや宿題が過剰に増えた。いじめと不登校も増えたが、教員数は増えない。大学の学費は八割増しにされ、卒業のときには六〇〇万円もの借金を背負わされている。高層マンションがニョキニョキと生え続けている駅周辺があるいっぽうで、近所には空き家が目立つ。しかし住む家すらない人は増えた。「人不足」のはずなのに安定的仕事は見つからなくなった。退職後のささやかな自由も年金とともに奪われた。子育てが一段落するのも束の間、親の介護がのしかかり「定年延長」で死ぬまで働かされそうだ。事件報道では親殺し子殺し自殺の悲惨な例が増え、差別や人権侵害も増えている。それにもかかわらずに、経済は好調らしく、法人税は大幅減で大企業は莫大な資本蓄積を実現した。
 富は増えているのに、貧困も犯罪も増え、人口も減リ続ける社会体制はすでに腐っているとしか言えない。自民党政治の中でもとくに橋本―森―小泉―麻生―安倍―菅の最近三〇年間。かれらは資本主義社会の腐朽を加速し、かつその腐朽性を衆目から覆い隠すために矛盾を他に転嫁することが使命だった。自己責任に、労働組合に、在日外国人に、中国や朝鮮やロシアに。そして人民にとっての「善」と「悪」を逆転させ、いまや危険極まりない戦争体制(外には軍拡、内には監視と弾圧)の完成にまで至ろうとしている。
 重ねて、アメリカ帝国主義が主導する世界的反共策動を日本で中心的に担ってきたのが自民党・統一教会・勝共連合であり、数限りない組織的犯罪を繰り返してきた。この構造を作ったのが笹川良一、児玉誉士夫、そして安倍の祖父である岸信介だった。この右翼政治の伝統の中で安倍はもっとも長い期間首相として、資本家階級にとっての「功績」をもっとも多く残した。それが「安倍政治」の正体であり、自民党が「安倍国葬」にこだわる意味である。
 つまり、敵の側は戦前戦後、一貫して反共産主義の旗を掲げて階級利害をむき出しに人民を締め上げ、欺き、搾り取ってきた。いまそれが衆目にも見えやすくなっている。にもかかわらず、なぜわれわれ人民の側からは、労働者階級の視点を対置し、共産主義を掲げることができないでいるのか。それが多くの人民が安倍を追悼し「悲しい」と涙しながら列をなして献花する、そんな労働者階級にとって「悲しい」光景を許している理由ではないのか。
 「安倍国葬」は憲法の「思想信条の自由」「信教の自由」「法の下の平等」などに照らして間違っている。それはそうだ。しかし労働者階級にとっての「善」と「悪」が逆転させられている中にあっては、それだけを唱えても人民・労働者階級総体に訴える力は弱いのではないか。必要なのは、その自由や平等は「誰にとっての」ものなのかを問い、労働者階級にとっての自由は、資本家階級にとっての不自由であることを主張すること、つまりわれわれの階級性を前面に出し反駁することではないだろうか。
 敵は憲法を理解しない、あるいは「冷戦」の惰性で反共を掲げる〝愚か者〟ではない。資本家階級にとっての「善」を執り行なう、労働者階級にとっての〝悪人〟なのだ。
                                                        【藤原 晃】

                                          (『思想運動』1080号 2022年9月1日号)