沖縄「復帰」50年を問う5・15銀座デモ
山城博治さん、沖縄をめぐる情勢を明快に語る
午後一時四〇分ごろ、集合場所日比谷公園霞門には人が溢れていた。数えきれないのぼり旗がはためき、デモの活気を感じた。
沖縄復帰五〇年に関する共同通信の沖縄県民調査では、復帰して「良かった」九四%、復帰後の歩みに「満足している」四一%、「満足していない」五五%、このうち四〇%が「米軍基地の整理縮小が進んでいない」。全国調査では、沖縄の基地負担が他の都道府県と比べて「不平等」「どちらかといえば不平等」を合わせて、七九%にのぼった。基地の一部を県外に引き取るべきが五八%、自分の住む地域に移設「反対」六九%。
復帰以来、沖縄の県民所得は全国最下位、子どもの貧困率も全国の二倍が続いている。沖縄県と他の都道府県に経済格差があると思うか、沖縄では「思う」九三%、「思わない」七%、全国では「思う」五三%、「思わない」四七%。これらの数字から見える本土と沖縄の認識の温度差を考えた。労働運動の後退と、天皇の戦争責任を断罪せず沖縄戦の悲惨さを隠蔽する歴史修正主義の広まりがある。こうした意識は、沖縄の問題に無責任・無関心な本土の在りようの反映だ。調査では、「日米安保は今のままでよい」が六五%を占めた。諸悪の根源である日米安保条約とその下での日米地位協定は、いつの時も沖縄の諸々の矛盾を解決するための運動を阻む壁だ。
午後二時、三線の音色と「♪あー君は野の中いばらの花かあーユイユイ」と安里屋(あ さと や)ユンタが響いてきた。二七年間の米軍統治の苦しみから戦争放棄を謳った平和憲法の下へ復帰したこの五〇年は、いったい何だったのだろうと考えさせられる歌声だ。前日十四日も辺野古新基地の工事が強行されていた。K8護岸付近の海に大きな岩の塊が投げ入れられ、生物たちが生き埋めにされている。四月から立て続けにアオウミガメが二頭死骸となって発見された。沖縄県は、政府と共同で式典を行なうというがそんなことで良いのか、怒りがわいてくる。
デモは六五〇人が結集した。主催の沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックのメッセージへの賛同は一二五団体。青木初子さんは主催者あいさつで次のように訴えた。
「日本政府は、沖縄の民意に寄り添い基地の負担をなくす、経済を強化させると言い募っているが、まやかしである。沖縄には、自己決定権はなく、日本政府の二枚舌は、この五〇年間で肝に銘じた。日本国土の〇・六%の沖縄に七〇%以上の米軍基地を押し付けている恥を知らぬ日本国民に訴える、この政治家を選んでいるのは、みなさん方ですよ。五〇年を機に差別政策を止めさせ、共に闘い抜いていこう。戦争NO! 核保有NO! 沖縄を戦争の最前線に立たせることを阻止しよう!」
青木さんの訴えにこたえなければならない。
山城博治さんのアピールは明確だった。
「騙されてはならない。この世界で起きている真実を恐れずに語っていこう。日本政府は、バイデン政権と一体となり、ウクライナの惨状を煽り、中国脅威論を強調し、『台湾有事は日本有事』と叫んで、『敵基地攻撃能力』論だけでなく、『敵中枢攻撃能力』の保有、『核兵器の共有化』、防衛費の対GDP二%への増額、長距離高性能ミサイル開発・配備と、急速に軍事路線に傾斜している。
二月二十四日にロシアがウクライナ侵攻を開始して以来、バイデン政権が続けた支援の合計は、三六七億ドル(約四兆七七〇〇億円)、ウクライナの軍事費の六倍以上、ロシアの年間軍事費の六〇%だ。数字の上からも、もはや米国とロシアの戦争だ。米国の意図は、ウクライナ戦争でロシアを叩き、次に中国・朝鮮に対する包囲網に日本を呼び込むことにある。
中国は、世界の経済大国になるために一帯一路などの経済政策を推進している。みずからの政策の活路を断つはずはない。中国政府は、『台湾当局が独立を明言しなければ侵攻しない』と言明している。戦争を仕掛けることはあり得ない。『台湾有事』で戦争を勃発させるのは、アメリカの陰謀だ。
琉球弧の島々が軍事要塞化され、日米の基地の共同使用や訓練の一体化が進み、『共同作戦計画』では、島々を戦場に見立てた実弾訓練が行なわれている。中国がこわい、中国が攻めてくると言い、日米がミサイル攻撃すれば、当然反撃の対象となる沖縄が戦場となる。米国は、ウクライナでそうであるように、自らは戦わない。血を流すのは、自衛隊であり住民だ。それでもなお日米同盟か? 日米安保は地獄の安保だ。山城博治は、今日そのことを国会の人たちに伝えに来たのだ。再び、沖縄を『捨て石』にしてはならない。戦争は、人びとを狂気に駆り立て、人びとを怨念と怒りと憎しみの塊に変える。軍事国家にしてはならない。参議院選挙に憲法を変えない軍事国家にしない政治家を送り出そう。復帰五〇年、冒涜の限りを尽くされたこのくやしさをぶつけよう!この選挙で結果を出す! 再び沖縄を食い物にさせない!命をかけて闘う! 決して負けない!」
「♪今こそ立ち上がろう 今こそふるい立とう」の大合唱となり、スピーチを終えた。
六五〇人が銀座デモに向かうための移動も整然と進んだ。わたしは、第二梯団の横断幕「沖縄「復帰」五〇年を問う――ウチナーイクサバやナランドー軍事基地は出ていけ!」と大きく書かれた端を持って歩いた。道行くヤマトに「沖縄が戦場になってはならぬ!」 の訴えが届いただろうか。
【大舘まゆみ】
(『思想運動』1077号 2022年6月1日号)
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