ベネズエラ・キューバ訪問の旅(二〇二二年四月九日~五月三日)
革命防衛と社会建設の闘いに連帯

思想運動に招待状

三月十六日、駐日ベネズエラ共和国大使館のセイコウ‐イシカワ大使から「ベネズエラ・ボリバル共和国のボリバル主義政府の名において、今年四月十日から十四日にベネズエラ・カラカスで開催される『反ファシズム国際集会』が開催されるのでご招待します」と≪活動家集団??思想運動≫宛てに書簡が届いた。国際集会は「ウゴ‐チャベス‐フリアス司令官へのクーデター未遂、およびベネズエラ国民による民主主義の救済から二〇年を記念して開催されます。集会では、①ファシズムの新しい側面、②極右と人民権力の抵抗、という二つの大きなテーマが柱として設けられる」「ベネズエラ・ボリバル主義革命への共鳴者、ベネズエラの政治情勢とりわけボリバル主義革命プロセスの大義への国際連帯に関心がある人などが、対面で参加する予定」とのことだった。
イシカワ大使の書簡が届く数日前に、キューバの友好協会(ICAP)からも「二年間のパンデミックの制限後のメーデーを、ハバナの革命広場で始めるのでぜひ参加を」という誘いを受けていた。そこで、わたし村上理恵子と田沼久男が≪思想運動≫を代表して両国を訪問することとなった。

コムーナの人びとと交流

四月十一日の昼にカラカスに到着。午前中に「ファシズムに反対する国際サミット」が開催され、五大陸から約二〇〇名の参加があったが、二人は残念ながら開会式には間に合わなかった。  
午後からは参加者全員で近くの「コムーナ」へ。「コムーナ」とは、ボリバル主義経済計画の一つであり、「生産供給(フラップ)」を行なっている組織である。「コムーナ」はベネズエラ政府が実施している政策ではあるが、人民の組織によってのみ可能な政策であり、このような組織を通じて、全国に四年前の報告では六万トン以上の食料や必需品が毎月供給をされている。委員会を通じて「どこの家庭に食料が無くて困っているか」という試算を行ない、そして食糧省が毎月必要としている家庭に組織的に分配していくという役割を、「コムーナ」のコミュニティーが担っている。国内のすべてのコミュニティーの組織を、変革のための組織に変えるというのが、一番重要なエッセンスとなっているという。
カラカスの中心地からバスで約三〇分離れた所に五・六棟の一〇階だてのアパートメントが立ち並んでいて、その中央広場(テニスコート二つ分ぐらいか)で、大勢の住人たちがわたしたちを待ってくれていた。
「わたしたちのためにようこそ。この部落は五〇〇年前からありますが、石油のおかげで一一年前にこのアパートメントが建ちました。わたしたちの宝物です。トイレ・リビング・部屋が三つです。わたしたちは、子どものために皆のために闘っています。」と挨拶がスタートした。
「来て下さってありがとう!前の時代に戻りたくはないです。ベネズエラはずっと闘っています。わたしも歌手のように他の人のために声を出したいです。」など熱のこもった挨拶が続く。そして発言者は口々に「チャベスのおかげです」と語る。
飛行場からカラカス市内に入るまでの車中からは、道路脇や遠くに見える小高い山々にカラフルだが今にも崩れそうな家々がへばり付いているのが見えた。わたしは不謹慎にも「これぞカラカス!」と思いながらその家々見ていたが、カラカスの住民みんなに、このアパートメントのような行き届いた住宅が届くまでには、まだまだ相当な時間がかかるだろう。

マドゥーロ大統領の演説

四月十二日には、「国民会議」に参加、マドゥーロ大統領の演説を聞く。以下は演説の一部抜粋。
「政府は、とりわけベネズエラ国民の権利、特に社会的平等、表現の自由、情報の権利を擁護している。わたしは、クーデター未遂の間に実際に何が起こっていたかを報道するために勇敢に街頭に繰り出したジャーナリストと、大規模なデモでボリバル政府を擁護した愛国者を称える。二〇〇二年の出来事は、敵の貪欲さを思い出させるだけでなく、忠誠心・団結・抵抗のえがたい教訓を構成している。現政権がチャベスの理想を擁護し続けている」と強調した。「十分な情報に通じた市民と人民政府の能力に自信と信頼を持たなければならない。わたしたちが人びとを組織し、導き続けるならば、わたしたちは勝利するでしょう。」
十三日に、「民主革命から二〇年」という集会に参加し、午後から「二十周年記念行進」に参加。太い道路が会場となっていたが、後が見えないほどぎっしりとベネズエラ人民で埋まっている。
マドゥーロ大統領の演説はなんと力強いことか。内容がわからずとも人びとの歓声で理解ができる気がした。
十四日には、「フェミニズム」についての集会に参加。わたしが日本女性の状況。非正規・貧困・自殺・等々の問題について報告した。東京で「3・5国際婦人デー集会」を開催したことも伝えた。

キューバへ

二十三日にはキューバのハバナに到着し、そのままマタンサスの田沼の友人ミグドレイさん宅にタクシーで直行した。ミグドレイさんの夫は農業協同組合の組合長で娘さんは医学生だ。「二泊三日」お世話になる。
二十四日の午後、二人が働くサトウキビ畑と協同組合を見学。畑では、ナタで切り取ったサトウキビの甘い汁を味わった。事務所には、キューバ共産党機関紙『グランマ』が置いてある。二人は党員だ。
そこでミグドレイさんから協働組合について教えていただいた。
「この協同組合にはサトウキビ専用の一四三三・〇ヘクタールと、食料生産専用の一七・五ヘクタールがある。サトウキビ以外の、食料生産は主に豆、芋、野菜で、これらの生産目的は地域の労働者・住民への販売である。これらの製品の販売は、労働者にとってリーズナブルな価格で行われ、通常の市場の価格をはるかに下回っている。
この協同組合には、一三人の女性と九三人の男性、計一〇六人の労働者がおり、全員が協同組合のメンバーだ。
平均的な組合員の月収は三五〇〇ペソ×一二=年収四万二〇〇〇ペソ。プラス年間利益配分約二万ペソ。そうすると総年収は約六万二〇〇〇ペソになる。公式なレートでは米国ドル換算で、二五八三ドルだ。一見、低そうだが、キューバでは、医療、教育費はすべて無料なので大丈夫だ。」
二十五日には、マタンサスの街にミグドレイさんご夫妻と四人で出かける。
しかし、街についてわたしが思ったことは「アメリカからの経済封鎖がこのような地方都市にも強い影響を与えている」ということだった。道路のコンクリートはあちこちではがれ、店には品物がない。走る車は、ほとんどがデコボコだ(ミグドレイさんが運転している組合の車も)トイレのペーパーがないのは当たり前。水も出ない。三年前に来た時よりさらにひどくなっているように思う。
その日の午後、マタンサスのリゾート「バラデロ」へ四人で出発した。そして、娘さんの恋人(眼科医)がホテルに来てくれたので、情報交換を行なう。「キューバの医師たちは、国がアメリカ帝国主義と闘っていることを誇りに思っている。わたしたちはけっして屈しません」とかれが持っている翻訳機能つきの携帯電話を通じて「会話」を行なった。

メーデー国際ブリガーダに参加

五月一日、メーデーに参加する。キューバの労働者は、指導者フィデル‐カストロによって表現された革命の概念に触発され、五月一日に、革命的活動の継続性に対する支持を示す。わたしたちもその精神と行動に賛同する。
わたしがキューバのメーデーに参加するのは今回で三回目だ。最初に参加した二〇〇九年には、会場入り口で持ち物検査はなかったし、各国からのメーデー参加者と行進するキューバ人民との間に柵もなかった。ところが二回目に参加した二〇一九年には、入り口付近に柵が設置され、入国時に全身を検査する「ゲート」も設置されていた。そして各国の「観客」は指定の席から一歩も出ることができなかった。トランプ大統領時代のアメリカによる敵対政策の影響が、色濃く表れていることが強く感じられたメーデーだった。三年ぶりに開催された今回は、持ち物検査はあったが各国の観客席の前にはガードは無かった。Covid‐19感染を避けるために二年間は規模を縮めて行なわれていたが、今年は大規模に行なわれた。
各国の参加者は、革命の歴史的指導者であるラウル‐カストロ=ルス前キューバ共産党第一書記とミゲル‐ディアス=カネル大統領とともに国際労働者の日を祝う歴史的なパレードに参加することとなった。世界中から集まった一〇〇〇人以上のキューバと連帯しようという仲間たちが、キューバ人とともに祝賀会に参加し、米国の経済、商業、金融封鎖に反対する声を上げたのだ。わたしたちも二〇一九年に創った「UnBlok Cuba」の横断幕に手を加えて、行進するキューバ人民によく見えるように掲げた。
五月二日には、ハバナの国際会議場で開催された「国際連帯会議」に参加した。この会議にはアメリカを含む六〇以上の国から政治組織・労働組合の指導者が参加した。会議の最後、ディアス=カネル大統領が約一時間の演説を行ない、その中で「参加した友人たちと共に、米国による六〇年前の経済的商業的および財政的封鎖とこの間のパンデミック・Covid‐19に対するバイオテクノロジーと健康の進歩をキューバが実現させたこと、そして連帯を強化できたことに感謝する」と述べられた。
五月三日、ミグドレイ夫妻が、ハバナまでお別れの挨拶にきてくれた。四人でICAP「アジア・アフリカ」担当のレイマさんに挨拶をした。夕方、ハバナ国際空港から帰国の途についた。

【村上理恵子】
(『思想運動』1077号 2022年6月1日号)