壊憲「リアリスト」派が導く地獄への道
戦争の根本原因は資本主義だ


反動化する大衆意識

『日経』の世論調査(今年四月下旬実施)では、日本の「防衛費」について、GDP比「二%超」へと増額すべきだとの意見に「賛成」が五五%で「反対」の三三%を上回った。世代別にみると、年齢が若い世代(とくに男性)ほど軍備増強を支持している。さらに、憲法改正で緊急事態条項を創設する案に「賛成」が四九%に達した(「反対」が三七%)。
五月三日の憲法記念日に向けて行なわれた世論調査では、『読売』『産経』は前回調査からあまり変化はなかったが、「リベラル寄り」とされる『朝日』『毎日』の調査結果が数年前と比べて大きく変化したことは特筆すべきことだ。『朝日』では、憲法改正に「賛成」が五六%(前回四五%)、「反対」が三七%(前回四四%)だった。『毎日』では、岸田首相の在任中に憲法改正を行なうべきかを問い、「賛成」が四四%で「反対」の三一%を上回った。安倍政権下では、「賛成」が三六%、「反対」が四六%という結果だったから、賛否がひっくり返ったことになる。
少しデータが古いが、『毎日』の世論調査(今年三月中旬に実施)では、「敵基地攻撃能力」の保有に「賛成」が四六%(「反対」四六%)に、「核共有」の議論に「賛成」が五七%(「反対」が三二%)に達している。さらに、「中国が台湾に軍事侵攻する不安を感じるか」という問いに「強い不安を感じる」と「ある程度の不安を感じる」の合計が八九%である。明らかに、いま好戦的な方向で大衆意識が形作られており、それはいわゆる「リベラル派」も例外ではないことを世論調査のデータは示している。
このような好戦的な大衆意識に便乗しようとしているのか、あるいは世論を(ミス)リードしているのか、『文藝春秋』の鼻息が荒い。五月号には「日本核武装のすすめ」(E‐トッド)を、六月号には「日米同盟vs中・露・北朝鮮」を掲載し、好戦ムードを煽っている。

日本のアジアへの軍事侵略は仮定の外

ここでは、「緊急シミュレーション」と銘打ち、四氏(山下裕貴・阿南友亮・小泉悠・古川勝久)の座談で構成される「日米同盟vs中・露・北朝鮮」に言及する。国際社会を権力闘争の場と捉える「リアリズム」的思考を重視する四氏だが、全体的に「もしも~ならば」という仮定の話に満ち満ちた内容だ。すなわち、「いざという時に」、「台湾が侵攻されそうになった時」、「彼ら(中・露・北朝鮮)が軍事・安全保障面で連携し、『力による現状変更』を図ろうとした時」、「(『剥き出しの力の論理』が)何かの拍子で露顕すれば」、「中国がミサイル攻撃をしてくる場合」、「米中の対決がより決定的になれば」、「『台湾と貿易をおこなう企業とは、我々は今後付き合わない』と中国政府が言い出したら」、「もし北朝鮮が新型ミサイルを大量配備するようになると」、「北朝鮮の核ミサイルが日本に着弾するというシナリオを、現実的なものとして想定して」、「朝鮮半島有事となれば」、「将来的にロシアが打倒アメリカを誓った場合」云々。もう十分だろう。そして、こうした仮定の話がいつのまにか「~である」という事実認定の話にすり替わってしまうのである。
わたしは予見者でも超能力者でもないので、かれらの仮定のおしゃべりをただ聞くだけしか能はないが、不思議に思うのは「もしも日本が中国や朝鮮に侵略したら」という仮定の話がいっさいなされない点だ。
「(日本が北方領土を取り戻すために日米でロシアに攻め込むという話を)日本からすれば唖然とするようなありえない話ですが」とか「日本では誰もそんなこと思いつきませんが」と、古川は能天気なことを言っているが、歴史を繙けば、過去に朝鮮や中国やロシア(ソ連)を侵略したことがあるのは日本自身であって、朝鮮や中国が日本を一度として侵略したことはないことは明白ではないか。少なくとも、わたしは「もし中国が台湾を攻め込むならば」という仮定よりも、「もし日本が中国に攻め込むならば」という仮定のほうにリアリティを感じる。
古川は「中国と違い日本は核兵器を持ちません」とか「(核兵器の保有は)世論や地元の激しい反対も考えると、社会的コストはかなり高くつくでしょう」などと断定するが、先述の世論調査のように、地球の裏側のウクライナで戦争が起きたことで「核共有」の議論に「賛成」が軽く半数を超えてしまうこの国のいまの惨状を考えれば、こうした断言は非現実的だろう。
総じて、「軍事行動を起こした敵国に、その政治目標が容易に達成できないと悟らせる」というのが四氏の軍事プレゼンスの究極目標だとわたしは理解するが、「冷戦」時代、地球を何十回も破壊できるほどの核を保有しながら、核戦争の恐怖に怯え続けていたアメリカ国民の心情をわたしは想起する。しかも、人間は環境に慣れる生き物だということも考慮すれば、一時的な「恐怖」で相手国を一時的に「悟らせる」ことができたとしても、いずれはその「恐怖」にも慣れてしまい、さらにより強度な「恐怖」政策を迫られることになるだろう。また、「安全保障のジレンマ」に陥ることも考えなければならない。つまり、かれら「リアリスト」たちの言動に無批判に従っていけば、人類は出口の見えない袋小路に迷い込んでしまう、という〝リアル〟な認識がわれわれには必要だ。
より問題なのは、先述の仮定の論法はいわゆる「護憲派」にも浸透しているようで、日本共産党の志位和夫委員長は「急迫不正の侵略がされた場合には自衛隊を含めてあらゆる手段を用い(る)」と「自衛隊活用論」を表明し、「九条の会」世話人の田中優子・法政大前総長は「万が一、ロシアが日本に攻めてきた場合、自衛隊は自衛する」と述べているから、事態は深刻だ。憲法第九条の平和主義が失われるという、この仮定の話で支払う〝代償〟はあまりに大きい。
ところで、日本共産党といえば、日米地位協定による米軍の「治外法権的特権」を国会で岸田首相に「これで独立国と言えますか」と質したと自慢している(『新・綱領教室』より)。独立国家としてあるまじき「屈辱的な従属状態」だというのである。いい加減、この自称「前衛党」は、没階級的でナショナルな「国家」意識に訴える手法をやめたほうがいいのではないか。「親米ポチ」の日本から脱するために、「真の独立国家」として反米重武装(核武装を含む)を説く自称「リアリスト」も最近増えてきていると聞く。かつて「日本よ国家たれ!」と叫んだ核武装論者の狂気に日本共産党が接近しているかどうかは知らない。単なる杞憂であればよいのだが、そうとも言い切れない寒々とした現実がある。
壊憲(改憲)派は「イデオロギーから解放され、リアリズムに基づく自由闊達な議論を」と言うが、結局のところ、それは日本が軍国イデオロギー、核(武装)イデオロギーへと回収されていく道ではないだろうか。韓国の尹錫悦大統領は「有事の際、(日本の自衛隊が)入ってくることはあり得るかもしれない」と述べたと報道されている。これをたんに政治素人の発言だと片付けてよいのだろうか。少なくとも、日本政府はこの発言に〝商機〟を見出すだろう。つまり、自衛隊員が朝鮮半島の板門店に立ち、朝鮮民主主義人民共和国に睨みをきかせ、同時に南北融和を志向する韓国世論を牽制するという日がやってくるのも遠くはないのではないかとわたしは危惧する。われわれ日本人は、中国の台湾「侵略」という仮定の話に熱中するのではなく、自分たちが帝国主義的、軍国主義的な振る舞いをしようとしていないか、あるいはすでにしてしまっていないかという歴史的により〝リアル〟な問題にもっと頭を働かせるべきである。
その点では、『朝鮮中央通信』の次の指摘は肝に銘じるべきである。「毎年、史上、最大規模の軍費を支出して自衛隊の攻撃力を世界最高の水準に引き上げている。/今後、日本が『敵基地攻撃能力』の保有のような軍事力増大の重要敷居までまたぐ場合、再侵略の開始は時間の問題である。/戦犯国である日本の武力増強は、自衛のためではなく、敗北の復讐と海外侵略野望の実現を狙った危険極まりない戦争準備策動である」(四月十三日付論評)。

われわれの進む道

では、われわれ労働者階級はこのような袋小路に陥ってしまっている好戦的な「リアリスト」たちと違って、どのような展望を持つべきであろうか。兵士とは軍服を着た労働者である。国境を越えた労働者階級間の国際連帯こそが、各国の労働者同士が殺し合い、軍産複合体を含む資本家階級が肥え太るだけの、(帝国主義間)戦争という愚行を終わらせることができる。戦争の根本原因は資本主義にこそある。真の反戦平和を実現できるのは、この資本主義社会を終わらせ、労働者階級が主人公の社会主義社会の実現によってである。この原則をあくまで堅持することこそが労働者階級の進むべき〝リアル〟な道であると確信しながら、反戦平和の運動を進めていこう。

【安在郷史】
(『思想運動』1077号 2022年6月1日号)