★『思想運動』4月1日号は、特集として「ウクライナ問題をどう見るか」を掲載しました。ご希望の方に、宣伝紙として『思想運動』4月1日号を送付します。
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いま、反戦運動に求められるもの
ウクライナ事態における「われわれ」の責任
 
                        
 二〇二二年二月二十四日、ロシア連邦政府は「特別軍事作戦」を発表し、ウクライナに対する軍事行動を開始した。現代の国際法の目的は国連憲章の前文にあるように、「戦争の惨害から将来の世代を救」うことにある。そのための根本原則は、いかなる国も他国にその政府の同意なく軍隊を送る権利を持たない、というところにあり、今回のロシアの軍事行動はこの原則を破っている。何よりも戦争はそれ自体が悪であり、ウクライナの人民にとって、そしてロシアの人民にとっても何の利益にもならず、壊滅的な損害をもたらしかねない。われわれは即時の停戦および交渉による解決を強く求める。
こうした事態を前に「局外者」がとりうる選択肢には、①破局をエスカレートさせる、②何もしない、③破局を緩和しようと努める、の三つがある。当たり前だが、①よりは②を選ぶべきで、最良は③である。そのためには社会主義キューバの国連常駐大使ルイス‐ペドロソが三月一日の国連総会で述べたように、「武力行使および法的原則と国際規範の不遵守につながった要因」を徹底的に検証しなければならない。その検証なしには、「われわれ」の行動は何の有効性も持ちえないどころか、火のあるところに「ガソリン」を注ぎ込むことにもなりかねないのである。

国際法上の問題

 近年、ロシアはシリア事態での西側諸国とは対照的な対応で顕著だったように国際法の原則を重視してきた過去があり、直近でも二月四日の中国との首脳会談時の共同声明や、二月十八日に行なわれたキューバとの外務省関係者間の協議に際して、日本も含む西側諸国の言う「ルールに基づく国際秩序」ではなく国連憲章の擁護が必要だと表明していた。それだけに今回のロシア軍の行動には驚きを持たざるをえなかった。おそらくそれはキューバや中国も同様であり、両国はロシアの軍事行動を支持しているわけではない。ただ事態の要因を慎重に検証したうえでの対応を求めているだけであり、国連憲章擁護こそが自分たちの立場だと繰り返し表明している。
 ロシア政府の「東ウクライナのロシア系住民の保護」という口実は、一九九九年にユーゴスラヴィアを空爆した際にNATOが使用した「コソボのアルバニア系住民の保護」という口実と瓜二つである。いずれにしても二〇〇〇年四月にキューバ・ハバナで行なわれたサウス・サミット第一回会議のG77宣言・第五四条で、「われわれは国連憲章や国際法に根拠のないいわゆる『人道的介入』の『権利』を拒否する」と宣言されたように、国際法上の根拠はない。
 ロシア政府は、コソボの先例をフル活用しているが、まさにこの点でアメリカおよびその同盟諸国の責任が厳しく問われなければならない。長年忘れていた国際法を突然思い出した西側諸国の「ダブルスタンダード」を指摘したいのではない。問題は、アメリカとその同盟国が長年にわたり違法な戦争を繰り返し、国際法の脆弱化と破壊を行なってきたことにこそあるのだ。
 NATOのユーゴスラヴィア空爆はその始まりだった。以降、国連憲章という明確な文言に則った国連の政治的権威は「国際社会」という曖昧な「道徳的」権威に取って代わられ、国際法秩序(ソ連「崩壊」までは一定の限界内で維持されていた多国間秩序)の完全な解体が進んだ。イラク戦争開戦に際してペンタゴンの諮問機関・国防政策委員会の当時委員長だったリチャード‐パールが国連の死を「神に感謝」(『ガーディアン』二〇〇三年三月二十一日付)したとき、最初に挙げた先例はコソボだったのである。それはアフガニスタン、イラク、リビア、シリアと終わりのない戦争への道を開いてしまった。
 ロシアの軍事行動はこうしたジャングル的状況に乗じたものである。無論、アメリカおよびNATOがユーゴスラヴィアに不当な作戦を行なったことはロシアがウクライナに対して同じことを行なう権利を正当化するものではない。しかし、その両者の関連性を見なければならないし、そこに今回の事態をねいた要因のひとつがある。

ウクライナ危機の発端―二〇一四年

 そもそもウクライナ危機そのものが、帝国主義による国際法違反の政治的行動の結果であった。国連憲章の第二条第一項は主権平等原則を確認している。その詳細は「友好関係原則宣言」(一九七〇年十月二十四日)などの国連総会決議で詳細が確認され、内政不干渉義務を確認し、他国による合法政府の転覆活動とそれへの関与を国連憲章に違反するものと宣言している。
 二〇一四年のウクライナの政変をアメリカは支援した。これは、当時NED(全米民主主義基金)の公式サイトが、ウクライナでの六五のプログラムへの支出を公表していた事実からも把握できる。NEDの会長だったカール‐ガーシュマンはウクライナを「最大の獲物」(『ワシントンポスト』二〇一三年九月二十六日付)と呼んだ。つまり、ウクライナは「レジームチェンジ」の標的にされていたのである。NEDはレーガン政権時代の一九八三年、ラテンアメリカや中東で行なったCIAの合法政府転覆・内政干渉活動が次々に明るみに出た際に、同様の活動を継続するために設立されたCIAの下請け機関である。NEDの共同設立者であるアレン‐ワインスタインは「われわれが今日行なっていることの多くは、二五年前にCIAが秘密裏に行なったことだ」(『ワシントンポスト』一九九一年九月二十二日付)と公言していた。
 二〇一三年十一月以降、実際にウクライナで「反政府デモ」が始まると、その場にヌーランド国務次官補、マケイン上院議員、パイアット駐ウクライナ大使といったアメリカの政治家が赴き「デモ隊」支持を表明するなど、公然と内政干渉行為を行なった。明らかな国際法違反である。ファシストも含む民族主義者が非常に暴力的で過激な言動を行なっていた(『CNN』二〇一四年三月六日付)のにおかまいなしだった。
 ウクライナにおける政変へのアメリカの関与を示す資料として決定的なのは、「反政府デモ」が激化していた二〇一四年二月六日に匿名者によってリークされたヌーランドとパイアットの通話記録である。同日、複数の大手メディアでも報じられ、翌日『BBC』二月七日付に通話内容を起こした記事が掲載された。各メディアはこの通話記録についてヌーランドの発言「EUなんてクソくらえ」を問題にしただけだったが、二人はそこで新政府首相にヤツェニュクが就任することに合意し、新政府のスタッフとしてどの野党幹部を選ぶのかを議論していたのである。
 その数週間後、ヤヌコヴィッチ大統領は「解任」され、二月二十七日、臨時大統領とともに合意通り首相にはヤツェニュクが就任した。そしてウクライナ憲法違反のクーデターであったにもかかわらずアメリカは新政権を早々と「合法的」と認めたのである。だが、その不当性はウクライナの有権者のごく一部しか代表していないのに、ズヴォボダやプラビ‐セクトールといった極右勢力の関係者が不自然に多く政府の要職(副首相、国家安全保障長官、国家安全保障副長官、検事総長、農業大臣、環境大臣)に就いたことからも明らかだった。このような構成をもつクーデター政府はそれゆえコミュニスト弾圧を行なった。各地にあるウクライナ共産党の事務所が襲撃され、共産党員は議会から締め出された。レーニン像その他のソビエトと反ファシズムの記念碑も破壊されてしまった。そのいっぽうで現在のウクライナでは、ユダヤ人虐殺にも加担した対ナチ協力組織「ウクライナ民族主義者同盟」(OUN―B)の創設者ステパン‐バンデラの生誕祭が行なわれているのである。
 アメリカの干渉の背景には、IMF(国際通貨基金)の経済改革案をヤヌコヴィッチが拒否していた事実を見る必要がある。二〇一二年にIMFがウクライナについて作成した九六頁の報告書は、何よりもまず資本投下の障壁となっていた家庭用ガス補助金撤廃を求めていた。気温が氷点下二〇度まで下がるウクライナの人びとにとってこれは死活問題であり、拒否は当然の判断だった。IMFは財政的に苦境にある国に融資を行なうが、条件としてその国の政府に資本にとって有利な政策を採用するように働きかける。つまり融資はアメである。そこで要求されるのは、利潤の蓄積を阻む規制の撤廃、社会保障プログラムの削減などで、ムチのほうは人びとの生活に降りかかる。当時、ヌーランドは二〇一三年十二月の「アメリカ・ウクライナ財団会議」で「ウクライナ政府は国の長期的な経済的健全性確保のためにIMFが提唱する経済改革を実施する必要がある」と言い、「解任」直前のヤヌコヴィッチもIMFとの交渉再開を表明し事態の鎮静化を図っていた。このようにIMFの主張する改革を受け入れるかどうかが表立って事態の争点になっていたのである。その後、クーデター政府は早速三月二十七日には家庭用ガス補助金を五〇%削減し、二〇一六年までの全廃を約束、IMFは二七〇億ドルの融資を決定した。
 このクーデターを受け入れられなかったのがクリミアとドンバスの人びとである。ヤヌコヴィッチの政治的基盤だったクリミアとドンバスのロシア系住民は、自分たちが民主的に選んだ大統領が不法に打倒されたと見なし抵抗したのである。両地域とも独立を宣言し、ロシア連邦への編入を求める住民投票を行なって住民の大多数が支持したが、ロシアはクリミアのものは受け入れたものの、ドンバスのものは拒否した。その結果、アメリカの支援するキエフのクーデター政権は、孤立したドンバスへの「対テロ作戦」を発表し、政変の過程で形成されたバンデラを崇拝しハーケンクロイツを掲げるファシスト(ネオナチ)の民兵「アゾフ大隊」も含む部隊を差し向け、重火器を用いた攻撃を開始した。これが二〇一四年以降のウクライナ危機、「ドンバス戦争」の発端なのである。このドンバス戦争は、一万四○○○人以上の死者(『アルジャジーラ』二〇二二年二月二十一日付)を出しており、ウクライナにおける戦争は決して今日始まったわけではない。
 ドンバス戦争におけるマリウポリに拠点を置くファシストの存在は、早い段階で独立系ジャーナリストが報道したが、クーデターの数か月後には多くの大手メディアも報道し始めたことである。『ニューヨークタイムズ』二〇一四年八月九日付で若干触れられたのを発端に、九月になって『NBC』や『ワシントンポスト』でも言及されるようになった。二〇一五年七月七日付の『ニューヨークタイムズ』はアゾフ大隊と同盟を結んでイスラム過激派がドンバス戦争に加わっている事実も報じている。ウクライナにおけるファシストは何もロシアのメディアにだけ出てきていたわけではないのだ。ウクライナのファシスト勢力はあくまでも少数派にすぎないが、突撃隊的役割を果たす「効率的な」少数派として存在しており、ナチ協力者の生誕祭が数千人規模で開催されていることからもウクライナにおけるファシズムの影響力は過小評価できない。
 いずれにしても重要なのはアメリカの支援したウクライナクーデターがドンバス戦争をもたらしたという事実である。二〇一四年以降のウクライナ危機は、アメリカが国際法の基本原則に違反して動いた「レジームチェンジ」活動の直接の結果なのであり、これは第二次世界大戦後、何十年間にもわたってアメリカが世界各地で試みてきたことの一環である。火元はここにあるのであって、現在の事態の発端が二〇一四年にあることを理解しなければならない。

ミンスク協定の破綻

 加えて、ミンスク協定の履行をウクライナ政府がサボタージュし続けていたことも今回のエスカレーションの要因であることを見る必要がある。
 二〇一四年九月に「ミンスク‐1」、二〇一五年二月に「ミンスク‐2」が結ばれたが、今日一般に「ミンスク協定」と言う場合、「ミンスク‐2」のことを指す。ドンバス戦争を穏当に終結させるためのミンスク協定は、停戦、重火器の引き揚げ、OSCE(欧州安全保障協力機構)による停戦監視、捕虜交換および紛争関係者全員の恩赦、そしてドンバスの高度な自治権の保障(外交、教育制度、司法、軍事の独立性)に合意したもので、キエフとドンバスの紛争当事者間の直接交渉による法律制定・憲法改正によって実施されることとなった。その実施後はじめてウクライナはドンバスのロシアとの国境支配権を回復する。しかし、ウクライナ政府がドンバスとの直接交渉を拒み続け攻撃を継続、ロシアとともに協定に署名していたドイツやフランスがこれを黙認していたため、ドンバス戦争は八年間も続いていたのである。

NATOの東方拡大

 アメリカのウクライナ干渉はNATOの東方拡大過程の中で行なわれたものである。
 NATO諸国は、一九九〇年から一九九一年にかけてゴルバチョフに対して、NATOの東方拡大を行なわないと繰り返し口頭で約束していた。二〇一七年十二月十二日に機密解除され、ジョージ‐ワシントン大学の国家安全保障アーカイブで公開された資料集(会話メモと電報)は一連の約束の存在を証明している。
 一九九〇年二月九日、アメリカのベイカー国務長官はゴルバチョフとの会談で西ドイツが東ドイツを併合しても「NATOの管轄区域を一インチとて東方に拡大することはないだろう」と約束した。この約束は、一月三十一日にバイエルン州でのドイツ統一に関する大演説で「NATOの領土を東に、つまりソ連に近づけることはしない」と公言したドイツ外相ゲンシャーの言葉を踏襲したものであった。翌日二月十日には、西ドイツのコール首相がゴルバチョフとの会談で「NATOは活動範囲を拡大すべきではないと考えている」と表明した。公開された資料はほかに、フランスのミッテラン大統領、イギリスのサッチャー首相が同種の約束をしたことも証明する。一九九一年七月一日にはNATO事務総長のヴェルナーが、ブリュッセルのNATO本部を訪問していたロシア・ソビエト最高評議会の安全保障委員会メンバーに対して、自身とNATO理事会が拡大に反対していると強調していた。旧ソ連の国際法上の地位はロシア連邦が継承しており、これは現在、ロシアとの約束として意味をもつ。
 しかし、NATOは東方に拡大した。一九九九年、二〇〇四年、二〇〇九年、二〇一七年、二〇二〇年とNATOは合計五度にわたる東欧における加盟国拡大を行ない、加盟国は一六か国から三〇か国に膨れ上がったのである。
 NATO設立の目的はヨーロッパにおける帝国主義列強をひとつに束ねて共通の利益のある貿易協定・多国籍企業・金融機関に有利な政治・経済秩序の拡張を推進することにあった。「ソ連の脅威」を口実にしていたが、ソ連「崩壊」後も解体されず、むしろ活動範囲も加盟国も含めて拡大したのはそのためである。アメリカとそのジュニアパートナーであるNATO主要国は事実上ソ連「崩壊」後の東欧に対する支配権を主張し、ソ連なき後の状況に乗じてIMFなどの機関も使い民間投資に有利な条件を創出するように各国政府に介入し、社会保障プログラムといった社会主義の「残滓」を一掃していった。その過程の多くは政治的・経済的な干渉による転覆という方法をとったが、ユーゴスラヴィアでは空爆という方法がとられた。そこでの軍事組織NATOの役割は資本の拡張を下支えする「拳」として機能することにある。セルビア人への七八日間の空爆は、当時まだNATOに加盟しておらず国民がNATOの行動を支持していないブルガリアやルーマニアといった国々のNATO主要国の要求への臣従を促し、NATOに侵攻されない保障としてNATO加盟交渉を進めることになった。つまりそれは脅しとして機能したのであり、以降、東欧各国のNATOへの統合が進む。NATO主要諸国の資本主義的・帝国主義的利害こそがNATOの東方拡大をもたらしたのである。
 NATOの東方拡大がゴルバチョフに対して行なった約束に反するのは明らかである。たしかにNATO諸国が行なった約束は口約束であり、あらたに機密解除された文書も口約束の存在を示すものにすぎない。しかし、「これは口約束だから守らなくてもいいもの」となれば、ただでさえ不安定な国際関係のなかでだまし討ちでも何でもありになってしまう。こうした口約束の理解は、「善良な隣人として互いに平和に生活」するためにあるという、国連憲章の目的にも合致しない。
 近年、アメリカおよびNATOは軍隊と軍事基地を次々にロシア国境へと近づけ、「シーブリーズ2021」のような大規模軍事演習をウクライナ軍も含めて行なうなど、対ロシアの軍事的包囲網を形成していった。それをロシア側が脅威と認識したことには何ら不思議はない。このような同盟関係の拡大は一九九九年のイスタンブール首脳宣言、二〇一〇年のアスタナ首脳宣言に盛り込まれた「不可分の安全保障原則」にも反している。二〇一五年以降、「NATOウクライナ委員会」の活動は活発化し、アメリカはウクライナのNATO加盟という次の拡大を示唆し続け、東方拡大の停止を求めるロシア側の外交的合理的な安全保障上の提案も一蹴してきた。こうしたアメリカおよびNATO主要国の挑発的言動が今回のエスカレーション、つまりロシアの反発をまねいたことは否定できないだろう。

ドイツ共産党員メリーナ‐デイマンの総括

 もちろん以上のことがあるからといってロシア連邦軍の行動が正当化されるわけではない。資本主義ロシアの国家的選択にも、異なる支配階級の利害が働いているだろう。今日のロシアはソ連ではない。
 しかしながら、より重要なのは「われわれ」の責任がどこにあるのかということである。ドイツ共産党機関紙『ウンゼレ・ツァイト』三月四日号掲載のエッセイで、一九七九年生まれのドイツ共産党員メリーナ‐デイマンは、「ウクライナでの戦争は敗北である。何よりも西側とりわけドイツにおける平和運動の敗北である」と言う。つまりデイマンにとって、今回の事態はNATOの拡張を止められず、自分たちが自国の帝国主義とのたたかいに敗北した結果なのである。彼女はそのうえであらためて事態をまねいた自国帝国主義とのたたかいを呼びかける。かつてローザ‐ルクセンブルクやカール‐リープクネヒトが言ったように敵は自国政府なのだ。
 彼女たちは「プーチンを支援している」と言われ、事務所には「ロシアの糞尿」という落書きも受けている。だが、いま、「城内和平」下の自国ドイツでプーチンやロシア人を悪魔化し告発する声は、単に自国の帝国主義を免罪しいっそうの軍拡、そしてウクライナへの武器輸出を助長しているだけであり、戦争を止める力になるどころかエスカレートさせる燃料でしかないのである。彼女たちは、かつて「ツァーリを支援している」と言われたプロレタリア国際主義者たちのように、そのことを明瞭に認識している。

日本の「われわれ」は

 では、日本の「われわれ」は今回の事態に対してどのように向き合えばよいのか。
 忘れてはならないのは、日本の「われわれ」は西側帝国主義諸国の一員であるという事実である。これがすべてを説明すると言っていいが、そもそも「日米同盟」(日米安保)が存在する。そのうえで二〇〇七年一月にNATO理事会に出席した安倍晋三が日本の首相として初めて演説したことを皮切りに、二〇一四年に「日・NATO国別パートナーシップ協力計画(IPCP)」が締結され、二〇二〇年十二月に発表された報告書「NATO2030」が日本も含むパートナー諸国の関係者との面談も経て発表されるなど、NATOと日本政府が関係強化を進めてきた事実を見なければならない。二〇二一年以降はアメリカ以外のNATO主要諸国との東アジア近海での軍事演習が活発化し、「シーブリーズ2021」にはオブザーバーとして日本も参加しているのである。
 安倍の訪問に先立って二〇〇六年五月四日、日本の外相としてNATO理事会に出席した麻生太郎(二〇一三年に「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言した人物である)は演説を行ない、そこで二〇〇一年のNATOによるアフガニスタン侵攻作戦「不朽の自由作戦」への参加などを例にあげつつ、「日本とNATOの協力はすでに始まっているのです」と述べたが、これは事実を述べている。そうした日本の軍事行動、海外派兵は日本国憲法第九条に違反するものであり、麻生の言うようなNATOとの協力を進めるなかで日本政府は憲法第九条の空洞化を進めてきたのである。考えなければならないのは、憲法第九条の空洞化を進める軍事行動が今回の事態の要因のひとつである国際法秩序の脆弱化と空洞化にも貢献してきたことであり、今回の事態に対して日本政府と日本の「われわれ」が責任を問われるとすれば何よりもまずそこである。アフガニスタンの次のイラクでも、派兵はしなかったリビアやシリアでも、日本政府はアメリカの軍事行動に支持を表明し続け、日本の人びとはほとんどこれに反対してこなかった。
 国際法、国連憲章の基本原則に反する点で一貫したアメリカおよびNATOの政策・行動こそが今回のウクライナの事態の最大の要因なのであり、これに「われわれ」は加担し続けてきたのである。
 このように見たとき、ウクライナ事態を前に憲法第九条の擁護をあらためて訴えるべきであることは明白だが、何よりもまず問うべきはみずからの国とその同盟国が進めてきた諸々の軍事・外交政策だ。
 そうした問題の文脈を見ずに、いま日本においてやみくもに「反プーチン」「反ロシア」を叫ぶことには慎重でなければならない。そもそも「われわれ」が発言し書くものは、基本的に「われわれ」の側で聞かれて読まれるのであり、そこで生み出される効果がどのような作用を生み出すかを忘れてはならないのである。仮にそこでの「敵」の悪魔化が戦争中に稀に得られる正しい情報に基づくとしても、事態の文脈を見失わせると同時に、いっそうの軍事的なエスカレーションを求める好戦的憎悪をかき立てる方向にしか作用しない。それはまたこれまで以上の日本とNATOの関係強化および核武装も含む日本の軍国主義化への貢献にもなりかねないし、事態に対する中国の立場が誤解にさらされ台湾とウクライナの誤った類推がしきりに行なわれる現状では東アジアにおける軍事的エスカレーションの煽動にもつながりかねない。
 二〇一四年のウクライナのクーデター時も、日本政府はNATO諸国とともに「G7」の一員として声明を出し続け、アメリカの干渉にも事実上支持を与えてきた。そのうえ漁夫の利を得ようとして、二月二十四日に当時安倍政権下で外相を務めていた岸田文雄がウクライナの「市場経済化」を語ったことに始まり、三月二十四日には「IMF等を中心とした国際的な支援枠組みの下」円借款を表明、七月十七日にはクーデター政府との間で「経済改革開発政策借款」で合意した。翌二〇一五年二月五日には日・ウクライナ投資協定も結び、一連の過程に乗じてきたのである。今回、日本政府が「G7」の一員として非常に強力な経済制裁を行ない、三八トンもの自衛隊装備品を日米物品役務相互提供協定に基づきアメリカ空軍C17輸送機でウクライナに輸送し事態のさらなるエスカレーションに加担している事実ほど、いま、「われわれ」がどこに立っているのかを物語るものはない。
 現在いたるところで聞かれる政府および「世論」の「ウクライナとの連帯」の声も、NATO諸国および日本も含むその事実上の同盟国によるこのような大規模なウクライナへの軍事物資輸出を支えている。しかし、これは事態をいっそうエスカレートさせることにしかならない。解決策は戦争ではなく交渉であり、外交にチャンスを与えるように要求しなければならない。
 もっとも大切なことは、「われわれ」が何者で、「われわれ」が何に責任をもっていて、「われわれ」が発する言葉がだれに届くかを忘れずにいることである。「われわれ」は決して真空に立っているわけではない。このことを忘れずにいる反戦の訴えと運動こそが真に平和に寄与することになるのではないだろうか。
 現在のエスカレーションは第三次世界大戦にまで発展する危険をはらんでいる。すでにダイナマイトの導火線に火は点けられているのであって、それが炸裂するまえに火の点いた導火線をばっさりと断ち切らなければならない。そして、諸国人民の自国帝国主義とのたたかいだけがそれを断ち切ることができるのだ。
【大村歳一】