コロナ禍による医療崩壊にいかに立ち向かうか
労働者がみずからの持場で闘うしかない
                        
新型コロナ感染症の流行に対応できない保健所

 福岡市の二月十四日現在の新型コロナ感染症患者の自宅療養者は三万二〇〇〇人に達した。福岡市民の五〇人に一人である。一月二十六日、市教育委員会が保護者あてに発した文書には、「保健所の業務が逼迫し、当面の間重症化リスクのある方が多数いる場所である医療機関、高齢者施設、障がい者施設等を優先して保健所の調査が実施されることとなり、(学校では、保健所の調査は実施されません)」とあった。オミクロン株の陽性者の四分の一が一〇歳代以下であり、福岡市でも学級閉鎖が広がっていたが、学校での流行情報が家族にも地域の医療機関の発熱外来にもじゅうぶん伝わってこない状況だ。さらに二月三日、市医師会が関係医療機関に発した文書では、「現在、保健所は陽性者への連絡や濃厚接触者の調査、健康観察等で業務が逼迫しており、まさに危機的状況に陥っています。会員各位には……自宅療養者への対応についてご協力いただきますよう……」とあった。これに先立って、福岡市では、新型コロナウイルスに感染し、宿泊療養施設に入る予定だった六〇歳代男性と連絡が取れなくなり、九日後に自宅で死亡しているのが見つかった事案が公表されていた。
 福岡市の第六波の状況は、どんなに保健所の労働者が頑張っても対応できない領域に達していた。それでもこの事態を不可抗力だったと済ますわけにはいかない。新型コロナ感染症の流行はすでに二年を超えて、現在は第六波をむかえている。流行が下火になれば経済を優先し、次の流行の波がくれば感染抑止に右往左往する、そこに感染流行から労働者人民を守るという首尾一貫した政策はない。にもかかわらず、岸田自公政権の支持率は五〇%を超えている。コロナ禍を突破し人民を守る意志はこの政権にはない。コロナ禍を突破し、労働者人民の生活を守るためには、労働者人民自身が立ち上がるしかない。そうでなければ、コロナ禍をこえても、さらに労働者人民には貧しい世界が続くことになるだろう。

新自由主義がパンデミックに脆弱な社会つくった

 日本共産党の志位和夫委員長が「新自由主義を転換して『やさしく強い経済』をつくろう」と提案し、そこで「『新自由主義』の『自由』とは、人間の自由ではなく、大企業がもうける『自由』です」と言っている。わたしは、労働者の「働く自由」ではなく、資本家が労働者を「搾取する自由」と言いたい。
 二〇〇一年に発足した小泉政権のもとで、竹中平蔵金融・経済財政担当相(当時)が中心ですすめた小泉・竹中「構造改革」が日本における新自由主義経済の本格的始まりであった。かれらの「自由」の中身は、雇用破壊と社会保障の削減の自由であった。竹中平蔵は労働者派遣法を改悪し、正規雇用を破壊して非正規雇用を(多様な働き方とか女性の社会進出とかの詭弁を弄して)どんどん広げ、労働者の低賃金構造を固定化した。しかも、竹中自身はパソナという労働者派遣業の経営者としてその利を欲しいままにした。
 社会保障の削減は、労働者にとって悲しみであるが大企業にとっては喜びである。企業は労働者の社会保険料の半分を負担している(米国では一〇〇%負担するところもある)。社会保険料は社会保障費と連動することになっている。社会保障費が膨らむと企業の社会保険料負担が膨らむ(もちろん労働者の負担も膨らむ)。その企業の負担を減らすために、経団連は労働者の社会保障費を削減せよというのである。さらに社会保険自体のない非正規の労働者を増やせというのである。小泉・竹中「構造改革」では、高齢化にともなう「社会保障費の自然増」を毎年二〇〇〇億円削減した、その結果医療費の自己負担の増加や介護保険料の増加となり、現在にいたるまで労働者人民を苦しめている。二〇〇一年小泉政権から現在の岸田自公政権まで日本資本主義はその延命をかけて、日本経済の「構造改革」=「新自由主義経済」の道を突き進んでいるのだ。労働者の安全ネットが切り裂かれている、その時にコロナ禍が襲ってきたのだ。
 新型コロナ感染症流行下の医療崩壊は、起こるべくして起こっている。世界で例を見ない少子化高齢化社会の到来は一九七〇年代(五〇年前)から予想されていたことだ。日本の資本家階級を代弁する自民党の長期政権は、この予想される少子化高齢化社会の対策を、第一に大企業の利益を守り、労働者の権利を奪い社会保障制度を破壊するという方法で行なってきた。その結果が日本社会の現在の姿である。

保健所を縮小し病床削減にまい進する自民党政権

 歴代自民党政権は公衆衛生政策を軽んじ、全国の保健所数は一九九〇年の八五〇から二〇二〇年には四六九まで半減された。職員数も削減され、保健師の地域活動は制限されてきた。全国二〇の政令指定都市は、一市一保健所に統合され、七区に七保健所がある福岡市は唯一の例外である。一九八四年に一万五〇〇〇床あった感染症病床は二〇一五年には一八〇〇床まで縮小された。主に結核病床の閉鎖にともなうものとはいえ、二〇〇九年をこえる新型インフルエンザのパンデミックを予想しながら世界でも類を見ない貧弱な感染対策専門機関とその人材を育てず、感染症病床をいたずらに縮小してきた政府の罪は重い。政府の罪の重さは、さらにこの窮状の中でも、医療と社会保障の貧困化政策をあらためようとしないことにある。政府が再編統合・病床削減の対象と名指している公立・公的病院は四二四施設もあり、それはコロナ禍の現在も推進されている。東京都は、民営化の一里塚としてすべての都立病院の独立行政法人化を強行しようとしている。このような自公政権の蛮行は、いかなる行動で止めうるであろうか。

勝利のカギは戦闘的労働者の決起である

 日本共産党は、「やさしく強い経済」をつくろうと呼びかけた。野党に投票して、国会の多数派になれば、日本の「やさしく強い経済」が実現するだろうか。資本家は黙ってそれを見過ごすだろうか。第一に、労働者による激しい広範な闘いなしに国会で多数派が形成できるであろうか、予想される資本家階級の激しい抵抗を抑え込めるであろうか。労働者は、誰かに代弁してもらったり、誰かにお願いして自らの社会をつくることはできない。労働者が、自ら起ち上がり、職場で、街頭で声をあげるのでなければ決して活路は開かれない。労働者階級は、一五分でも、一時間でも集団的行動で闘うことではじめて前進する。
(二〇二二年二月十五日)
【岡本茂樹】