年頭座談会
歴史の歯車を回すものは誰か
階級的・歴史的・国際的な情勢把握こそが未来をつくりだす


座談会出席者
渥美 博(日本近代文学研究 七〇代)
安在郷史(HOWS受講生 四〇代)
逢坂秀人(東京・自治体労働者 七〇代)
大村歳一(編集者 二〇代)
大山 歩(『思想運動』編集部 六〇代)
広浜綾子(出版ネッツ 五〇代)
広野省三(活動家集団 思想運動 六〇代)
藤原 晃(神奈川・学校労働者 五〇代)

 臨時国会冒頭の所信表明演説で首相岸田は、歴代の政権が違憲としてきた「敵基地攻撃能力」の「現実的検討」を口にし、憲法に関しては改憲に向けた国民的論議の加速を訴えた。十二月十六日には「日本会議」議連が主導する憲法審査会の開催が強行され、二十日に成立した補正予算によって軍事費は当初予算と合わせて初めて六兆円を突破した。二〇二二年は、改憲と軍拡、日本社会全体のファッショ化の流れが、「中国脅威論」をテコにした民族排外主義のイデオロギー攻撃に裏打ちされながら急速に強まることが予想される。こうした流れをいかに止めるか。年頭にあたり、本紙執筆陣に集まってもらい、こんにちの日本の政治や社会の状況、運動主体の在り方等について論議してもらった。 【編集部】

労働運動の視点から

藤原晃 今回の選挙については、野党共闘による政権交代の可能性はないとはいえ、多少は議席を伸ばすのではないかと思っていた。現実には野党は議席数を減らし、維新を含めた改憲勢力が躍進する結果に終わった。ただ、中身については共産党が言うような「追いつめた」とまでは言えないまでも、地域の具体的な課題と結びついた社会運動があるところでは勝っている。それは逆に言えば大衆運動の基盤が存在しなければ野党共闘の成功は難しいということを示している。
今回、共産党もふくめて野党が掲げたのは「命とくらし」と並列させて「ジェンダー」「気候変動」といったスローガンだった、これらに好感をもつ若年層も多いという調査もある。しかし、投票行動ではそれらも優先順位が低くなることがうかがえる。どうやって食べていくか、どうやって安定した生活を送るかといった個人的な、しかし生活に根ざした課題のほうがどうしても優先順位は高くなる。ある意味で、それにうまく訴えかけたのが維新・自公であり、訴えられなかったのが今回の野党共闘の側ではないか。
 今後の政治課題として改憲の発議を止めねばならないが、焦点を憲法九条だけに限ってしまっては不可能。まず優先すべきは、憲法は勤労人民の生活を守るためにあるべきもので、そのために生存権があることを強調する必要がある。護憲運動の主張も「生存権を守れ」ということでなければいけない。そこから「憲法九条も」とならなければならない。しかし現実には、そうはなっていないところに、護憲運動、ひいては選挙ではなかなか支持が広まらない原因があるのではないか、と改めて考えた。
広浜綾子 わたしが活動している組合「出版ネッツ」の会議でも今回の選挙の話をした。みんな政治に不満を持っていると思っていたが、実際に蓋を開けてみたら投票率も低く、今回の選挙、とくに野党共闘に注目していたのは労働運動とか市民運動の活動家とか、あるいは与党や維新を支持している人たちしかいなかったのではないかということをわたしは話した。首相が変わって頭のすげ替えをしたことで、一般の人たちが、自民党が変わったと勘違いをした結果ではないか。わたしの住んでいる横浜市都筑区の話だが、選挙の立候補者が自民党と立憲民主党からの二人しか出ておらず、これでは、よほど意識のある人でなければなかなか行こうとならないのでは。
藤原 今回投票した人のなかで「安倍・菅政権がよくやっていた」と約六割が答えたとのアンケート結果が『東京新聞』十一月二十六日付に出ていたが、なぜそんな評価になるのだろうか。たとえば広浜さんの周辺で、賃金や労働条件を改善しようと運動をする人のなかに、世の中の見方の変化というものが感じられた具体的な事例があれば聞きたい。
 わたしの経験でいえば、たとえば職員会議に校長なり何なりが不合理な行事案を提示したのに対して、ちょっと待てと言って覆そうとする職場であれば、何の抵抗もなく受け入れる職場とちがって、職場をコントロールしているのは自分たちだという意識が出てくる。そうでないと自分たちがコントロールされるばかりで、何をやっても駄目である、投票に行ったってしょうがない、という意識になる。そういった事例はないか。
広浜 ネッツに入っている時点で、自民党には入れないであろう人たちだと思う。しかし、そういう人たちが投票に行かなかったから、こうした結果が出てきたのではないか。行ってもどうせ変わらないというようなあきらめというのがある。一部の出版社をのぞけば、やはり出版業界はどこも景気が悪くて、ほとんどがコロナ禍でさらに悪化している。もう酷すぎて諦めている気もする。
渥美博 千葉の高教組の話だが、職場に三〇、四〇人いても一人しか組合員がいないという状況もあると聞く。自分も若いころ、中小企業で組合を作った。自分がその意思をもってやるときに一人仲間を作るわけだ。そして、その人と協力して、もう一人仲間を増やす。三人になる。そこから組合作りを始めた。このように最初から組合をつくるような感じで、一人、二人と仲間を作って、何か職場の細かいことでもいいから不満があるはずだからそれを組織して、飲み会やレクリエーションをやりながら仲間意識をつくっているところから始めないと、今の状況は突破できないのではないか。
広野省三 一日八時間正社員で働くのはもう古い、九〇年代はじめごろから「働きたいときに、働きたい時間だけ働く」、「海外旅行にも気がねなく行ける」、個人が自由に労働時間を選ぶ働き方がこれからの新しい働き方だというキャンペーンがはられた。いっぽう、九五年には日経連が「新時代の『日本的経営』」路線を打ち出し、雇用形態を「長期蓄積型」「高度専門型」「雇用柔軟型」の三グループに分け、「雇用柔軟型」のパート・アルバイト、それも女性の労働力を「活用」する政策がとられた。それまでもいろいろな形で正規・非正規の労働者がいたが、これ以降、急速なパソコンの普及などもあり、職場で会話したり食事をしたりする基盤そのものが変えられていった。
 独占の側が一〇年、二〇年先を見据えて、職場で労働者が闘えない状況を作っていくという明確な方針を持って攻撃を仕掛けてきたのに、労働者側がこれにほとんど抵抗できなかった。その結果が、いまの労働者をとりまく格差・貧困の拡大の根底にあると思う。ただ、抵抗がまったくないわけではない。JALやユナイテッドの争議団は不当な解雇と闘っているし、伝統のある労働組合もその成果を守るため闘いつづけている。
 先日、三〇年以上にわたって国鉄闘争、とくに北海道の稚内闘争団を支援し交流をつづけてきた千代田区労協・中央区労協、中部全労協の仲間が、三人の元稚内闘争団員とその家族を招いて三〇名ほどの交流会を開いた。そこに東京清掃労働組合の二〇代の二人と三一歳の青年労働者が参加していたが、かれらは「自分たちはこの職場であと四〇年働くのだから、労働組合は自分たちの労働条件を守っていくためにぜひとも必要だ」と言っていた。まだそういうふうな発想が残っている職場がある。清掃事業はもともと都営だったものが区に移管されて、諸手当などがとられ労働条件が切下げられた。賃金を聞くと、区移管後採用されたかれらは手取りだと一八万ちょっとだと言う。同席した五〇代の組合員は自分が職場に入ったときの先輩たちの退職金はいまの二倍はあったと話す。そのように状況が厳しくなってもかれらは同席し酒をくみかわしている。そしてその場にJALやユナイテッド、全労の仲間が参加している。そういう席をつくって人を集め、飲み、交流する。こういうことを一つずつやって仲間づくりをする。コロナ禍のもとでもリモートだけではなく、直接会い、話をすることの大切さを痛感した。
藤原 その、仲間を作るときの目的意識があいまいになっているのが現状なのではないか。東京清掃の事例とはちがうが、「仲間意識」だけになると、ただ資本の利益に奉仕する仲間意識もあり、こちらの方が歓迎もされ、流行りもしやすい。今のように労働組合が厳しい状況だと、目的意識性をもって仲間を作っていくということが必要になる。今でも遊び仲間というものはある。それを運動を通じた仲間意識へとつなげていくことが必要だが、そもそも運動を組むという発想がなくなっているのが問題ではないか。だから労働運動の低調は非正規化だけの問題ではないと思う。一つひとつの個別的な現場での運動を組織的統一的に取り組めるような指示を出して運動をつくるという発想そのものが、組合からなくなってしまっているのではないか。そこに問題があると考える。
渥美 わたしは民間の印刷会社だったから、藤原くんたちの高校の教員を組織化するのとは少し違うかもしれないが、組合を作って組合員がみんな政治意識をもっているかと言えばそうでもない。経済闘争はやるが、政治の話になるとそっぽを向く人が圧倒的に多かった。そのなかで賃金問題とか個別の問題で現れる階級性のことを説明していく。何十年も前の話をここでしてもしょうがないが、そういうことからはじめるしかない気がする。組合を組織しようとする人は最初から階級意識形成という高い目標を持っていなければならないが、それをあまり前に出しても組織できないと思う。
藤原 「階級意識」を高い目標とは考えていない。それはごく当たり前の実感に即した意識のはずで、たとえば若い組合員が「藤原さん、今回賃金上がりますかね」と聞いてくるが、「現状上がることはないね」と答える。それに「楽になっているどころか、仕事は増えているのにおかしいじゃないですか。なぜですか」と聞き返されるが、そのとき「それはわれわれが搾取されているからだよ。もちろん学校で働いているのはわれわれ教員であり、われわれが働かないかぎり授業は回らないよね。にもかかわらずなぜ一方的に賃金が減らされるのか。それはわれわれが弱いからであって、強くなるために組合をつくって働く側は団結して強くならなければならない」というように話す。こういう単純な話であればすっきり伝わるし、階級意識の形成につながるのではないかと思う。しかし、組合の執行部はそういう言い方はしない。人事院勧告があり、こういう制度があって、こういう法律があるという難しい話をしてしまう。そうして話の中には「階級」が出てこない。
広浜 ネッツでも以前は出版社の前でオルグのビラを配ったりしていたときもあったが、今はできない。労働相談を組織化の手段としている。相談は年間約二〇件だが、その半分くらいが組合員になる。やはりフリーランスが相談する窓口が少ないので、相談したら組合に入っていっしょにトラブルを解決したいという人が多い。フリーランスの人たちは繋がるところが少なく、人と話せる場所ということで、重要な役割も果たしているのではないかと思う。

維新の躍進について

安在郷史 最初に藤原さんが、生活にかかわる問題に「ある意味で、それにうまく訴えかけたのが維新」と言った。二〇一八年のものだが、「維新政治の本質―ーその支持層についての一考察」(『住民と自治』二〇一八年十一月号)という冨田宏治・関西学院大学教授による興味深い分析がある。それによれば、維新の支持層について「税や社会保険などの公的負担への負担感を重く感じつつ、それに見合う公的サービスの恩恵を受けられない不満と、自分たちとは逆に公的負担を負うことなくもっぱら福祉、医療などの公的サービスの恩恵を受けている『貧乏人』や『年寄り』や『病人』への激しい怨嗟や憎悪に身を焦がす『勝ち組』・中堅サラリーマン層」と説明している。もちろん、冨田氏のいうような「中堅サラリーマン層」だけが維新を支持したわけでもないし、「中堅サラリーマン層」のすべてがそのような内面世界を持っているとは限らないだろう。しかし、冨田氏がモデル化した心性は、「中堅サラリーマン層」の枠を越えて、多くの有権者のなかに広く内面化されてきているように思われる。パイ自体がいま以上に急激に大きくなることは今後もないことを、有権者は身に染みて実感しているのだろう。「パイの総量が大きくならない以上、自分のところにパイが配分されるためには、他人のパイを減らさなければならない」。そういう有権者の逼迫した心性が、「身を切る改革」を訴える維新の政策と共振したのではないだろうか。
 われわれは維新の施策を「教育・医療・社会保障の切り捨てだ」と問題視するが、維新の支持者から見ると、むしろ逆で、歳出を減らすという点から、すなわち「他人のパイを減らすことにつながる」という点から歓迎すべきものと映っているのだろう。経済的な弱者への正当な分配をめぐる議論に対しても、「(与野党とも)国庫には無尽蔵にお金があるかのような話ばかり」(財務省・矢野康治事務次官)している、と不安に感じる有権者が維新にすがるという構図があるのではないか。
藤原 そこから維新が「革新」に見えるという倒錯が出てくる。それで思い出したのは、九〇年代にソ連の崩壊がテレビで報道されていたときに、マスメディアがそろって崩壊にもっていく勢力を「革新勢力」と盛んに伝えていたことだ。このような言いまわしに真っ向から反論していかなければならない。それから排外主義的ナショナリズムの浸透という問題がある。生活に関わる問題について「おまえたちの仕事がなくなったり、賃金下げられているのは中国や東南アジアのせいだ」「あっちにパイがもっていかれているんだ」と訴えたことも維新の躍進につながっている。
広野 自民党が選挙で強いのは伝統的な保守基盤があるからだが、維新の出自は最初、ほとんどが自民党の右派だった。その第一世代が自民から受け継いだ選挙方法、「どぶ板」選挙を展開し、それがいまは「改革派」として「政策通」の若手を集めている。安倍・菅と橋下・松井のもたれ合いは公然の秘密だ。よく維新は自公政権の「補完勢力」と表現されるけれども、日本社会を戦争とファシズムに引きずりこむ「突撃隊」と捉えるべきだ。
渥美 維新の議席数増加について共産党は、前回総選挙の希望の党と維新とを合わせた票数は今回の維新の獲得した票よりも多く、実際には減っているという分析(第四回中央委員会での志位委員長の幹部会報告など)をしている。共産党の分析にしたがえば、維新的なものは今回増えたのではなく減ったということになる。これはどうなのか。
大山歩 志位委員長は四中総の幹部会報告のなかで、「『与党の補完勢力』は、維新の会が勢力を伸ばしましたが、四年前の希望の党と維新の会の合計との比較では、比例得票で五〇一万票減らし、議席も二〇減らしました。一方、『野党共闘』は比例得票で二四六万票増やし、議席も四二増やしています」と述べている(『しんぶん赤旗』十一月二十九日付)。ここでは前回二〇一七年の総選挙の時の「与党の補完勢力」(維新+希望の党)と今回のそれ(維新のみ)を比較しているのだが、この数字の比較だけで「補完勢力」が後退し「野党共闘」が延びたと結論づけることには無理がある。思い出してほしい。前回の総選挙前後は、旧民進党、希望の党がからんできわめて複雑でドラスチックな政党再編の動きがあった。同じ年の七月に行なわれた東京都議選で小池の「都民ファースト」圧勝、九月、小池らはその勢いに乗って全国政党、希望の党結成、前原(当時の民進党代表)は、衆院選では民進党として公認候補を擁立せず希望の党に公認申請を依頼、実質的な希望の党との「合流」を提案、小池の「排除」発言、これに反発した枝野らが立憲民主党結成、希望の党の人気は急落し、十月二十二日の選挙の結果は、希望五〇議席、立憲五四議席。その後も紆余曲折、複雑な過程を辿るが、この選挙に希望の党で出馬した者の多くは現在の国民民主と立憲に移り、希望の党は消滅する。
 そうした非常に流動的な再編過程の一通過点で行なわれた前回選挙における希望の党や立憲の獲得議席数・得票数を今回の数字と比較しても意味がない。この再編が落ち着いた段階と今次の選挙結果とを比べるならある程度意味をもつだろうが。

共産党の選挙総括

藤原 十一月二十七日に行なわれた共産党の第四回中央委員会総会における志位委員長の報告では、今までの路線は正しかった。追い込んだけれども反撃を食らった。それは「政治対決の弁証法」の表れであって、それも含めて共産党は前進しているのだと強調している。そのなかでトークイベント開催やプロモーションビデオ作成、SNSの活用までが主張されている。とにかく問題は選挙戦の方法論と「政策の魅力を伝える」ということしか出てこない。現場の運動を一歩一歩進めていくなかで階級意識を作っていくような文言が見当たらなかった。これは共産党だけではなく、「野党共闘」のすべてがそうした方向に進んでしまっているのでは。
大山 本来、四中総の総括は、共産党の活動全般に対する総括(とりわけ労働運動をはじめとするさまざまな大衆運動の強化のために何ができて、何ができていないかの点検、それぞれの現場に即した改善策の提起)であるはずだが、項目立てが主要には二つあって、一が「総選挙の総括と教訓について」、二が「参議院選挙の勝利・躍進にむけて」で、もう選挙の話しか出てこない。
 そのなかで「労働者のなかでの活動と組織の発展に力をつくしましょう」という総括がほんの少しあるが、とってつけたようなもの。わずかしか出てこない。そして、「都議選と総選挙では、『職場支部をカヤの外に置かない』を合言葉に、職場支部への援助が強められました」とある。ここからは、おそらく職場支部(昔の細胞)がいつもはカヤの外に置かれていることがうかがえる。さきほど渥美さんや広野さんから出た、職場で仲間を作り組織化する活動を、基本軸から外している。これはもう数十年前からのことだが、共産党はもう指導しない。
逢坂秀人 共産党がいかに選挙本位の党づくりをしてきているか。「労働者のなかでの党づくりの二つの努力方向」といった項目の中で、「『労働プロジェクトチーム』を立ち上げて系統的にとりくみ、公務職場の党が『集い』に繰り返しとりくみ入党者を迎え入れている」とあるが、昔の党活動の基礎としての「細胞」を重視していた時期の共産党とは、まったく違った指導がなされている。
渥美 われわれの組合は地区労に入っていた。共産党系と社会党系があって、わたしたちはそちらが主流でもあった社会党系の組合といっしょに活動した。共産党系に加わると選挙の集票のための下請組織にされてしまう。それがいやで社会党系の組合とともに活動した。共産党の選挙オンリーの組織体制は昔からある。共産党はもう職場ではたたかわないという前提でわたしたちはやってきた。ずっと昔からある問題だ。

「新しい課題」の問題

藤原 「報告」に書かれているのだが、演説している志位委員長に「わたし共産党が好きです」と話しかけた女子高校生がいたそうです。理由を尋ねられると「老舗であるけれども新しい課題に取り組んでいる党だから」と言ったという。その「新しい」課題とは、たとえば「ジェンダー」とか「環境危機」とか。そして、志位は嬉しかったと。
広野 でも多くの若い人たちは自民党に入れている。それと関連するが、いまあるジェンダー論の多くには、労働者という発想が抜けているのではないか。労働の実態がジェンダーの問題を発生させているという捉え方が必要なのに、逆転してしまっているのでは。
広浜 やはりフリーランスの女性はセクハラを受けるケースが多い。フリーランスは立場が非常に弱い。「いやなら仕事を回さない」と言われてしまう。ネッツでは、セクハラと報酬未払いに対して声をあげたフリーライターのAさんの裁判を支援している。
藤原 フリーランスへのセクハラの事例が多いとの話が出たが、それはジェンダーの意識が弱いからなのか、それとも正規雇用の労働者よりも非正規雇用の労働者のほうが生産手段の所有者に対して圧倒的に力が弱いからなのか、そのどちらで説明するのかその違いは重要だ。
広浜 正規の女性よりも非正規の女性が権利的に弱い立場にあるというのはたしかだが、藤原さんが言われたことについてなら両方だろう。
藤原 当然両方の要因があろうが、主要因は働く側と働かせる側の力関係にあるのではないか。しかし、今の流行はそれをジェンダーの問題だけで片づけてしまうところに大きな間違いがある。
広浜 もちろん出版ネッツが取り組んでいるのだから、働き方の問題を強調している。十一月十七日に原告のAさんと被告の社長の証人尋問があった。そこでもネッツのトラブル相談員がフリーランスの状況について証言するつもりで証人申請をしたが認められなかった。共産党のなかでも現場の人たちは状況がよくわかっていると思うが、選挙の総括を書くような幹部の人たちはわかっていないと思う。
藤原 わたしはそこに可能性と不可能性の分岐があると思う。出版ネッツは労働組合だから、当然にジェンダー論に引きずられるのではなく、労働関係、雇用される者と雇用する者、生産手段を持たないものと持つ者という関係のなかで闘わざるをえない。ところが、その現場にいない人たち、たとえば大学の教授だとか一生懸命ジェンダー理論の研究をやっている人たちがそれを見ると現実とは違う論点に変えられてしまう。そういう事例が世の中にあふれているのではないか。だから志位委員長は喜んでいないで、「老舗」であるなら「それは決して新しい課題ではなくて……」と階級の話をすべきだと思う。

東アジアの情勢と、現代日本の政治状況

広野 「野党共闘」側は今回の衆院選でも、結局、いまの安倍・菅・岸田政権がひどいからもう少しましな政府をつくろうと言ったが(それ自体は過渡的なものとして当然ありうる)、問題の本質、資本主義の持つ根本矛盾、社会的生産と私的所有の矛盾をはっきりと指摘しない。岸田たちとどちらが分配できるかで争ってしまった。選挙民にはどっちもどっち、そうなると自民党のほうがまた一〇万円くれるかもしれないという話になる。本当は「労働者の要求を実現する方向で闘いますが、それには議席も必要です」となるべきなのに、そうはならないで、「選挙で自民党に勝てば世の中変わる」という話をずっとしている。そして「新しい」「新しい」と付け加えるけれども、岸田も「新しい資本主義」と言い出すから、何が新しいのかわからなくなる。
 日本共産党にいたっては、中国や朝鮮については人権問題等をとりあげ、自分たちはこうならないと批判し、とどのつまり日本政府の弱腰を批判し北京オリンピックへの政府代表の派遣をしない「外交的ボイコット」を要求し、自分たちの「先見性」を売りこむ。そうして結局、中国や朝鮮の人びとと平和的な関係を築いていくことが大切なのだ、という話にならず、政府・マスコミの反中・反朝キャンペーンに追随・加担する構図になっている。
大村歳一 今年、四月に「対北朝鮮制裁措置」の二年間延長が閣議決定されて、六月に全会一致で国会の承認を得た。これは在日朝鮮人人権協会の発表した文書でも、在日朝鮮人を標的にした人権侵害政策であると厳しく批判されているが、それが全会一致で承認されている現状の問題は考えないといけない。それで、今度、日朝青年で日朝の平和友好のための会をつくろうとしている在日朝鮮人の青年とそのことについて話したときに、「日本はそういうところだと思ってもう気にならないようになっている」というようなことを言われた。そういうふうに在日朝鮮人が諦めざるをえないような日本の現状がある。この状況をもって既にもうファシズムや翼賛体制が成立していると言うべきかはわからないが、東アジア情勢との関係で今の日本の政治状況を見たときに、こうした問題も押さえる必要がある。中国・釣魚島(尖閣諸島)の領有権問題について、すべての議会政党が反ファシズム戦争勝利の成果物であるポツダム宣言に対する違反でしかない日本の領有権を主張している問題もある。
藤原 中国や朝鮮にはもう二度と帝国主義の植民地にはならないという決意がある。しかし、日本では左派からもそうした議論が展開されない。
大山 改憲や軍拡の問題もここに関わってくる。自民党はこれまで憲法改正推進本部という部署を持っていたのが、憲法改正実現本部と名前を変えた。そして本部長に日本会議国会議連会長である古屋圭司が会長に就任した。事務局長が新藤義孝で、日本会議議連の副会長。こういうように日本会議を基軸にして、憲法審査会を毎週にでも開いて改憲をどんどん進めていこうとしている。軍拡についても、今年度の補正予算というものが閣議決定されて、年度当初の軍事費と合わせると六兆一一六〇億円に到達し、軍事予算がはじめて六兆円をこえた。改憲や軍拡に向けての動きは中国脅威論、朝鮮脅威論をてこに行なわれている。対抗するために抑止力が必要なのだ、と。
逢坂 それに関連して警戒しなければならないのはいまの「台湾有事」キャンペーンだ。バイデン最初の外国首脳の対面会談として菅が招き寄せられ開催された日米首脳会談(四月)では、中国の人権状況への懸念とともに日中国交正常化(一九七二年)以来初めて「台湾海峡の平和と安定の重要性を強調する」「台湾条項」が盛り込まれた。日米安保条約は条約成立七〇年を経て反中同盟の性格を色濃くしたと言ってよい。この流れが、台湾問題を使って「中国は一つ」の原則の揺さぶり、空洞化が狙われている、そうした現状をつくりだしている。そのことへの危機感を感じる。一〇〇年前の半植民地の中国を帝国主義列強が押し寄せて分割支配したように、南中国海、台湾海峡を欧米六か国の軍艦が群游するさまを他者感覚で見る視点がほしい。戦後アメリカは、極東アジア戦略のなかで中国沿岸部に同盟国であった台湾と提携して「防空識別圏」の線を引いた。十月台湾上空の防空識別圏に中国軍機が四日間に一四九機が進入し「軍事挑発」したというメディア報道も、尖閣諸島のEEZ内に中国公船が進入したという喧伝と同じで、メディアによる悪宣伝の犯罪性は大きい。そうした矢先の昨年末のひとつのエピソードを紹介したい。安倍晋三が十一月三十日に首相官邸を訪れ岸田と会談したが、その後、十二月一日に安倍は台湾の民間シンクタンクのオンライン・シンポジウムに参加してそこで明日にでも中国が台湾に対する「侵略」をはじめるかのような勢いで発言している。そこで「尖閣諸島や与那国島は、台湾から離れていない。台湾への武力侵攻は日本に対する重大な危険を引き起こす。台湾有事は日本有事であり、日米同盟の有事でもある」とも言っている。来年は日中国交正常化五〇年の年であるが、日中共同声明以降、四つの政治文書で日本政府は「一つの中国」原則について誓約・確認している。日本側は「ルールに基づく国際秩序」と言っているが、実際に反故にしようとしているのは日本側だ。
大村 もし台湾有事があったとしてそれに日米同盟が介入すれば、日本は四つの基本文書で「一つの中国」原則を承認し、アメリカは三つの共同コミュニケで「一つの中国」原則を承認している以上、日米は「侵略者」としか呼びようがない地位になる。ラッセル法廷(ベトナム戦犯国際法廷)のときサルトルが「北ベトナムの侵略」というアメリカの主張を批判して「みずからの国家に対するみずからの侵略が行なわれるなどということは、どう考えても理解できない」と言ったが、それとまったく同じことがこの問題にも言える。
逢坂 ちなみに、日中国交正常化五〇周年ということで、習近平は日本とのあいだでこの四つの文書に続く第五の政治文書を考えている、と巷間伝え聞く。だけれども、日本のほうには安倍の言動に見られるような台湾有事を政治利用し軍備拡大と憲法改悪に繋げようとする危険な動きがあるし、経済安保戦略と人権担当補佐官の設置、「敵基地攻撃論」と防衛費二%目標を容認し、憲法改悪に前向きな岸田政権も安倍・菅政権の追随とみる以外にない。
広野 ヨーロッパも含めて艦隊を組んで中国をとり囲み本当にアヘン戦争や義和団戦争を思わせるようなことをやっているが、帝国主義者は植民地主義・帝国主義の歴史を反省していない。しかし、中国政府、中国人民は日本帝国主義の問題も含めて歴史的な記憶を継承していて、当然これを警戒する。日本では、アメリカ帝国主義との関係で日本国憲法がつくられたことの意味が十分理解されていない。戦争放棄と天皇制維持、そして沖縄の切り捨ては米日支配階級の対社会主義戦略として明確に位置づけられていた。この観点が抜け落ちるから、「左派」やリベラル派も含めて、これだけ反中国反朝鮮イデオロギーが振りまかれても、これと正面から闘えない状況がある。とは言っても、支配階級が本気で中国と戦争する気でいるのかはわからない。日本単独ではありえないだろうが、アメリカが中国との戦争はやらないとなったときに、こんな莫大な軍事予算と装備を持ってどうするのか。中国の経済発展の水準も日中の経済的な結びつきも支配階級はよく理解している。すでに購売力平価GDPでは、中国は日本の五倍近くに達している。喧嘩する格好だけしているようにも見える。輸出入にしても中国が一番大事な相手であることは経済界や政府も理解している。
 だから、その意味では、中国と戦争することは考えておらず、もっと別の目的があるのではないか。つまり、日常の生活に苦しみ、未来への展望が持てない日本の人民に中国や朝鮮という敵を作りあげ、この脅威と闘うことが自分自身と「国益」を守ることなんだと徹底してナショナリズム・排外主義を注入し、人民の不満が社会主義の実現に向かわないように工作しているのだ。もちろん、米国産・国産兵器の購入という「経済事情」もあるのだろうが。ただ、「くるぞ、やるぞ」と狼少年みたいにやっていても、これだけ排外主義が煽られていると、偶発的な事件(謀略も含めて)が起きると後戻りできず実際に戦争になる可能性は否定できない。こうした事件を利用・計画して戦争に突入・拡大した歴史を日本は持っているし、アメリカは現在もこうした戦争政策を世界各地で展開しているのだから。
大山 実際に中国とドンパチやるということは考えていないかもしれないが、中国の「脅威」を軍事面でも経済面でも煽り、軍拡を進め、今以上に自由に海外派兵ができるように法整備なども進める、いっぽうで反対運動を抑え込めるように治安弾圧体制や人民の思想をコントロールできる体制の強化をはかる。経済面でもそれを煽ることで、もっと大胆に規制緩和をして、国内外でより強力に人民収奪ができるような体制を作ってしまおうと意図している。これは帝国主義国として実現しておきたいことだ。
大村 国外に対する収奪ということについては具体的な目的、標的についても考える必要がある。ひとつは現に進行しているプロセスだが、中東における石油輸入ルート確保(海上交通路確保)においてこれまでアメリカが担ってきた軍事的役割を担うため、というのがある。そして可能性としては、ジブチ基地を拠点にしてアメリカ・アフリカ軍(AFRICOM)とともにアフリカの事態に介入することも考えられる。同じ東アジアでも本当の標的が朝鮮半島である可能性も考えなければならない。二〇一七年くらいから日本政府は「北朝鮮には、勤勉な労働力と豊富な資源がある。日本と北朝鮮で一緒に明るい未来を描いていきたい」というように、再三にわたって朝鮮の「資源と労働力」について言及し続けている。もちろん内実は「おまえたちが言うことを聞くならその資源と労働力を使わせてやってもいい」というものでしかない。「使わせてやる」どころか、収奪をもたらすだけなのは明らかである。こうしたかたちの愛他主義は「大東亜共栄圏」の悪夢を思い起させるし、新植民地主義の構図そのものだ。国内での動きは帝国主義国家としての行動をいつでもとれるようにしておくという意味があるというのはそうだと思うが、具体的に起こりうる事態を考えておく必要がある。

沖縄について

大山 今回の総選挙の結果はオール沖縄勢力にとって厳しいものとなった。議席数は前回の三議席から二議席に減った。十一月三日付の『琉球新報』によると、沖縄選挙区で、自民四候補の総得票数がオール沖縄四候補のそれを上回った。二〇一四年に故翁長知事の下でオール沖縄が結集して以降、全県規模の選挙では初めてという。そうしたことの要因のひとつには、国による「兵糧攻め」の効果が出ていることがあるだろう。政府は二〇二二年度の沖縄振興予算に関して、一〇年ぶりに三〇〇〇億円を下回る額とする方針を固めた。『東京新聞』によると、政府関係者は「沖縄振興策と基地問題がリンクしているのは当然で、選挙を見据えた対応になる」と財政面から基地反対の玉城県政に揺さぶりをかける狙いを露骨に語っている。
 今年は沖縄の「本土復帰五〇周年」ということで、七月に復帰五〇年式典を沖縄と東京とで同時開催することが予定されている。一月二十三日には名護市長選があり、参院選や地方議会選挙、秋には県知事選挙も控えている。
広野 十二月五日に菅前首相は沖縄を訪問し、名護市の渡具知市長ら県北部の一二市町村の首長と会談して「一議員として沖縄問題にライフワークとして一生懸命に取り組む」と述べている。菅は自民党沖縄振興調査会の特別顧問に就任している。菅では選挙が闘えないとした自民党内での菅評価は、選挙後急上昇し、菅派結成の動きも伝えられる。また、茂木前幹事長も十月二十七、二十八日訪沖し、沖縄の選挙イヤーへのテコ入れを活発化している。
 沖縄の選挙は、その結果が直接基地建設の是非・進行につながる。その意味で「絶対に負けることのできない」闘いだ。本紙によく寄稿いただいている沖縄在住の金治明さんは、自身が営むリサイクルショップ「ジュゴンの海」に名護市長選で「辺野古新基地建設を認めない」岸本ようへい候補ののぼりを立てて選挙運動の先頭に立っている。「ゴーゴー洋平!名護市民の会」事務所は、その近所に十二月末に開設された。
 話は変わるが、大阪朝鮮中高級学校の高校三年生が、今年もコロナの影響で朝鮮民主主義人民共和国への卒業旅行ができなかった。そこで今年は沖縄を訪問するということ(学生・同行の先生を合わせて総勢七〇名余)で大阪朝高の先生から、現地を案内してもらえる人を紹介してほしいとの依頼があった。金治明さんはもちろん話をしてくれると言う。そこで沖縄在住読者に連絡し、平和市民連絡会、平和ガイドの人を紹介してもらい大阪朝高とつないだ。スペース伽耶で出版した『フォトエッセイ ヤマトゥから沖縄を見つめる』(佐々木辰夫編)を三〇冊ほど送って事前学習にも使ってもらった。その後大阪朝高の先生からお礼の電話があり、学生はとても感動し、平和ガイドの方との別れを惜しみ、とりわけ同行した教員が自分たちの問題として沖縄と朝鮮の問題をもっと深く考える機会をもらえたと話してくれた。
 金さんは在沖米軍基地撤去、在韓米軍基地撤去を勝ち取り、朝鮮統一、朝日国交回復を迎えるために沖縄に移住して闘い、一七年を数える。
 金さんは、沖縄の反基地闘争を担う人びとの間でも、戦争と差別の根源にある天皇制への批判的視点の弱さ、朝鮮・中国への批判的意見が見聞きされると言う。沖縄戦の悲劇は語られても、朝鮮、台湾、中国、東南アジア、南洋諸島での日本の戦争責任、植民地責任を追及する声は少ない。もちろん反戦地主会の方がたは、そうした歴史も踏まえ、以前から自分の土地から朝鮮、ベトナムや中東に攻撃機が飛び立ち、人民を殺すことを許せない、と闘ってきた。
 そのようななかで、沖縄で在日朝鮮人の金さんが反基地の活動を続けることの意味を考えると、金さんの悩み、悲しみ、怒りが胸にささる。
 『思想運動』二一年十一月号で朝鮮総聯大阪本部宣伝文化部長の崔権一さん(崔さんは前職として大阪朝高に勤めていた)が、講演の最後に、辺野古でカヌー隊の一員として闘っている同胞友人の言葉「辺野古の闘いは、わが祖国朝鮮の統一にしっかりと結びついているんだよ……」を紹介している。プロレタリア国際主義の精神と実践の一例がここにある、とわたしは思う。