横浜市長選を振りかえって
多くの課題が浮かび上がった市長選
高梨晃嘉(神奈川二区(西・南・港南)市民連絡会)                        

 有権者数が三一〇万人をこえる横浜市長選挙は、〝横浜をコロナとカジノから守る〟を掲げた市民と野党の事実上の統一候補・山中竹春氏が、投票者数約一五〇万人のうち五〇万票を獲得し、四選をめざした現職市長と菅首相が全面支援し自民公明が事実上応援した候補者を破り、勝利した。

勝利の背景に地道なカジノ誘致反対運動

 横浜市長選は、「コロナ・パンデミック」で世界も日本も経験したことのない社会、政治状況のもとで誰もが「これまでの生活、これまでの政治ではいけない。変わらなくてはならない」といった雰囲気が拡がっていた中での選挙であった。また、横浜では、この市長選挙を迎えるまで、〝カジノは博打!〟、〝ギャンブル依存症と犯罪の発症・発生で家庭と社会を壊す!〟、〝横浜を博打・カジノの街にしてはならない!〟と野党を含めたカジノ誘致反対運動が足かけ二年にわたり取り組まれ、カジノ誘致反対派にとってはカジノ誘致〝撤回〟に向けて最終的な決着をつけるためのリングとしての横浜市長選であった。
 二〇一九年八月に市長が二〇一七年の市長選での「カジノ誘致は白紙」との言動を覆して突然「誘致発表」を行ない、市民を蔑ないがしろにした。この市長の〝裏切り〟で誘致反対の取り組みは勢いづき行政区ごとに反対組織が立ちあがり、〝なぜカジノに反対するのか〟、広報紙で市の〝税収の確保のため〟という誘致説明について〝その問題点や欺瞞性〟などについても学習集会や市民への宣伝・広報活動を重ね、さらに行政区ごとに行なわれた「市長説明会」へ参加して誘致反対の市民の声を届けるなど多様な取り組みを経て、地方自治法による二つの直接請求(住民投票条例制定と市長解職・リコール)の準備をすすめ、コロナ禍で開始時期の先送りを余儀なくされたが、二〇二〇年秋口から立民・共産・社民・新社会の野党とともに住民投票条例制定要求等の市民署名の取り組みをスタートさせ、住民投票条例制定の直接請求の賛同署名は法定数約六万筆を超える約二〇万筆が集まり、二〇二一年一月の臨時市議会に条例案が諮られた。しかし自民・公明の多数によって否決された。したがって八月の市長選は国への誘致申請手続きを止める取り組みでもあった。
 〝カジノを止める〟市長をともに誕生させた野党の議員は横浜市議会では少数である。いま、この少数与党の壁をどう乗り越え、新市長の市政運営をどうあと押しし、公約実現・市政改革につなげていくかは新市長を推した個人・団体の共同の責務であり、そのための行動が問われている。
 そうした点から、あらためて市長選の全プロセスを振り返り、その中で散見された不十分さや弱点などにしっかり目を向け、その改善・解消・克服に向けた討議をしっかり行ない、選挙後の市政改革課題に取り組まなくてはならない。
 市長選告示(八月八日)の直近の八月一日投票の仙台市長選の投票率は二九・〇九%であった。八月二十二日投票の横浜市長選の投票率は前回の投票率を約一二%上回り四九・〇五%、そして無党派層の四割が「山中支持」(出口調査)という事実について、投票率のアップの背景は何であったのか、有権者の中のいわゆる無党派層の人びとがなぜ今回、これまでになく投票所へ足を運んだのか。そして、そのうえで、今後、実現したカジノ反対市長とともに市民のための市政をどう作っていくのか、分析ととともにこれからの方針が問われている。

選挙戦の二つの特徴

 横浜市長選の特徴の一つは、横浜出身である菅首相が市長選の全面に出たことである。IR推進から誘致反対に転じた小此木候補者(国務大臣を辞しての立候補)への菅首相の全面支援の姿に多くの市民は驚きと強い違和感を持った。誘致を推進してきた人(菅首相と小此木候補者)が誘致反対に転じたのはなぜか、十分な納得のいく説明はなかった。自民党は誘致反対に転じた小此木氏を公認にできず、小此木氏と現職林市長に分裂して市長選をたたかうことになった。こうした市長選での菅首相の豹変への不信と、コロナ感染急拡大での菅政権の無策へのいらだちと怒りが市民を投票(所)に向かわせたといえよう。
 特徴の二つめは今まで経験のしたことない候補者の乱立(八名)である。しかも誘致反対で名乗りを上げたのは、作家で前長野県知事の田中康夫氏、前神奈川県知事の松沢成文氏など、実に六名。自民の分裂と候補者の乱立の背景や原因は、カジノ反対の市民運動の存在にあった、と言える。住民投票条例の直接請求が市議会で否決されてもなおも半年以上にわたって〝市長選で決着をつける〟として、集会、街宣活動を継続して実施してきた。そうした一連の取り組みの結果が「市民の七〇%がカジノ誘致反対」という『神奈川新聞』等の市民意向調査結果(七月)につながり、自民の分裂と候補者の大半が誘致反対を言わざる得ないことにつながった。不十分さや問題点が多く散見されたといえども「市民と野党との共闘」の成果として正しく評価しておくことは必要だ。そのうえで、山中の獲得票は投票総数の三三%であり、投票者数一五〇万人のうち一〇〇万人は山中氏以外の七人に投票していること、自民系獲得票(小此木+林)は山中候補を上回っていること、などは看過できない。少数与党の壁を乗り越えて市政の改革に向けて進むためには獲得票五〇万を大きく超える数と力の結集を作り出すという課題にわたしたちは挑戦し続けなければならないからである。

新市長の資質

 他方で、新市長となった山中氏の資質に疑問なしとは言えないという懸念も存在している。選挙戦を通して山中氏の政治信条や情熱、人柄が選挙民に伝わってきたとは必ずしも言えない。
 山中氏の公約(「三つのゼロ」と「八つの重点施策」)をみれば、カジノ撤回、オペラ座建設中止、中学校給食の全員実施以外は抽象的な施策に留まっており、GIGAスクールの徹底推進や市政のデジタル化推進などの新自由主義的施策も含まれており、さらに前市長による米軍跡地のゼネコン型テーマパーク誘致計画や水道料金値上げなどの企業奉仕や市民の負担増につながる重要施策を継続するのか中止するのかについて触れていないのも資質への疑念を抱かせる理由の一つだ。
 自治体の首長選や市会議員選挙においては、わたしたちがどのような市政を望み、その具体的な実現に向けたビジョンとプログラムを持つこと、そしてこれらについて市民との共通の認識づくりが常に求められ、そのためにわたしたちが意識的に取り組まなければならないことをあらためて再確認する必要がある。
 今回の市長選では当初から〝カジノ反対だけでは勝てない〟と言われたが、どのような市政をめざすのかの提案や議論は一部にとどまり、「住民自治を取りもどす」という抽象的で曖昧なスローガンが掲げられるだけであった。
 『神奈川新聞』のカナロコ編集部子は「選挙戦ではコロナ対策やIR誘致の是非がクローズアップされた一方、待機児童や中学校給食、少子高齢化など、生活に根差した議論がどこかかき消された印象が否めません」と報じた。こうした市政へのビジョンとプログラムについての議論が今選挙では不十分であったこと、そしてこの問題をいつまでも中途半端にしておくわけにはいかない。住民投票条例の制定を求めた直接請求は、住民自治への入り口に過ぎない。
 「住民自治をとりもどす」ではなく、「住民自治をつくり出す」ための行動こそがわたしたちの課題ではないのか。

「市民と野党の共闘」の問題点

 神奈川二区市民連絡会は結成以来、反アベ・スガ政治と反カジノの街宣活動や集会などには立民・共産・社民・新社会の代表者に必ず参加してもらい「市民と野党の共闘」を具体的に市民の眼に見えるようにして取り組みを実施して来た。市長選でも街宣のたびごと立民と共産の議員がわたしたちといっしょに〝カジノストップの市長を!〟と訴えた。立民と共産の議員がいっしょになって市民に呼び掛けたのは横浜一八区中で南区だけであった、と共産党の議員が選挙後教えてくれた。どこの区でも立民は立民だけで、共産は共産だけで、市民団体は市民団体だけで有権者への呼びかけを行なっていたのだ。「市民と野党の共闘」は、地域ではまだまだ掛け声の域を出ていない現実をあらためて知ることとなった。
 また、メディアは選挙結果について無党派層の動向を大きく取り上げた。「無党派四割、山中氏に」と。市民運動団体の一部も無党派層を持ち上げている。しかし、いわゆる無党派層とは何か。そしてこの無党派層をこの先も無党派層のままにしておいていいのかがわたしたちに問われてはいないか。無党派層をどう組織化していくのかを含めて、決して見過ごしてはならない課題がいくつも浮かび上がった横浜市長選であった。