統一戦線への途
労働運動強化以外の近道はない 
                        

 今日の日本の支配権力はファシズムだろうか? なるほど、一九三五年のコミンテルン第七回大会でのディミトロフ報告がいうように「権力をにぎったファシズムは、金融資本のもっとも反動的、もっとも排外主義的、もっとも帝国主義的な分子の公然たるテロ独裁である」から、顕著な特徴であった「野蛮なむきだしの暴力」という点で異議が出されるのは首肯できる。
 しかしディミトロフは続けて各国のファシズムのスローガンに言及した。「公益は私益に優先する」(ドイツ)、「わが国家は資本主義国家ではなく、組合国家である」(イタリア)、「搾取なき日本を」(日本)、「富の分配を」(アメリカ合衆国)と。どれも聞き覚えがありそうである。
 「公益」の名のもとに、沖縄の辺野古基地建設があり、核兵器所有の願望を懐に忍ばせた核エネルギー開発があり、新しい投資先のクリーンエネルギー開発がある。忘れてはならないのが、「平和」という「公益」をかかげている日米安全保障条約であり、今年で七〇年というのを契機にしたわけではないだろうが、中国・朝鮮を想定した敵基地先制攻撃までもが、「積極的平和主義」の名の下で俎上に上がっている。
 「むきだしの暴力」とはなんだろうか? たとえば、関西生コン委員長の尋常ならざる長期の拘束と裁判はどうなのか? 韓国サンケン労組の闘争支援行動で逮捕、五か月近く拘束されている尾澤孝司さんのことは? 沖縄の反基地闘争で闘っているひとたちへの国家権力の暴力は? 土地の強制収容は? デジタル顔認証システムを刑期満了者監視に使おうとしたJR東は? 表現の不自由展開催をめぐる妨害や行政側の偏向は? 何よりも朝鮮学校に対する国を挙げた差別は? そして労働者の三分の一を低賃金で不安定な雇用に追いやっているのは? 一九三〇年代のドイツのようにデモ隊が発砲されることはないが、これらはまぎれもない暴力である。
 ディミトロフは、「反ファシズム統一戦線」という戦術を呼びかけた。それに応え、スペイン、フランス、チリで人民戦線政府ができた。その三つの国は労働者が大規模かつ連続したストライキ闘争を打ち抜いたという共通点があった。だが一方、労働運動がヨーロッパで一番活発であったドイツでは、ナチスが権力を掌握する前から、共産党が社会民主党に統一戦線の申し入れをしていたが、社会民主党が拒否し続けたうえに労働運動と共産党の弾圧に加担し、統一戦線がついにできなかったという経験もある。
 ひるがえって日本の現在、選挙での政権獲得だけをめざした「統一戦線」が企図されているが、野党と、原発や兵器生産でブルジョワに尻尾を振るばかりで労働者の運動を一顧だにしないナショナルセンター幹部のトップのみの談合による「統一戦線」にどれだけの支配力と持続力があるのか? 多数派の意思に従うことを踏み絵にする「統一戦線」は「戦術」ではない。
 「野合」か「茶番」か、これから開幕する「衆院選」の一幕劇を、われわれは「プロレタリアートの『益』になるかどうか」で判断するだろう。われわれは連合、全労連、全労協の統一戦線を望んでいる。現状では一笑に付されるだけだろう。しかし労働者の巨大な隊列ができなければ、ファシズムと闘うことも、ましてや社会を変えることなどできはしない。トップが組合員を選ぶのではなく、組合員がトップを選ぶ(変える)のだ。振り向けば、実らなかった努力が敷き詰められている。けれど近道はない。「左へ、二、三! 左へ、二、三! きみの場所はそこだ。連帯の隊列を組め、労働者だから」(ブレヒト、『統一戦線のうた』)

【柴田清】