本質伝えないメディアのアフガン報道
四月革命の歴史を忘れてはならない                         

 米国およびNATO諸国は、カタールのドーハ、米国メリーランド州の大統領別荘キャンプ・デービッドで行なわれた秘密取り引きに基づいて、つい最近、タリバンと他の操り人形たちの連合体に、アフガニスタンを譲り渡した。
 タリバンのアフガニスタン全土掌握、米軍の撤退をめぐり、マスメディアはかの地での対立の構図を米国およびその傀儡政権(ガニ政権、その前のカルザイ政権)とタリバンとの対立と描き出している。しかしその本質はまったく違う。タリバンもタリバンに倒された前政権(以前の北部同盟主体)も元をただせば、アメリカ帝国主義が、アフガニスタン四月革命(一九七八年)とソ連の支援に対抗し人民民主党(PDPA)主導の政府(アフガニスタン民主共和国)の転覆をはかるために育成したムジャヒディン(イスラム聖戦士・イスラム主義と王政支持の保守反動の政治勢力から成る)を出自としている。
 本紙二〇〇三年三月一日号で佐々木辰夫は次のように述べている。「そのご(四月革命以後)の歴史は、このように教えている。すなわち、タリバンは、ムジャヒディンの胎内ではぐくまれ、純粋培養されたものに他ならない。両者に共通して流れているのは、黒いテロの思想である、と。四月革命以降、人民民主党を中心にすすめられていたアフガニスタン人民の生活の向上、社会の民主化と平和回復の流れを圧殺するために、アメリカをはじめとする帝国主義勢力とパキスタン、サウジアラビアなどの反動政権が育てあげたのがムジャヒディンたちなのである。アフガニスタンに内戦をひきおこし、長年にわたる戦禍をもたらした元凶なのである。ソビエト軍のアフガニスタン軍事支援は、このムジャヒディンら反革命勢力から四月革命の成果をまもるためにおこなわれた、プロレタリア国際主義にもとづく正当な支援行為であった」(「ハミード‐カルザイ政権を問う︱︱ムジャヒディンこそ平和の破壊者」より)。米国の傀儡政権の汚職と腐敗にまみれた政治支配に抵抗するタリバンがアフガン民衆の一定の支持を得ているという側面はあるし、現実のタリバンの統治は西側メディアが描くほど頑迷固陋なものではないとも言われるが、その本質は佐々木が指摘するように反動的・反革命的なものだ。タリバンが一九九六年九月二十日にカブールを制圧したその翌日に、アフガニスタン民主共和国の最後の大統領だったナジブラを正当な法的手続きなしに処刑(惨殺)した事実を忘れてはなるまい。
 米軍のアフガン撤退は今に始まったことではなくオバマ政権の頃から検討されてきた既定の路線であるし、その背景には中国に対抗するために、中東・西アジアから東アジア・太平洋地域に米の軍事戦略の軸足を移すという方針がある。トランプ政権の時から米とタリバンは交渉を持っており、今回の事態は両者の合意のもとに進んだであろうし、そこにはカルザイら旧支配勢力もからんでいると思われる。
 もちろんタリバンが政権に就いてもアフガニスタンに安定がもたらされることはない。むしろ帝国主義としては、中国とロシアの「柔らかい下腹」といわれるこの地域により「不安定な状況」が創り出され、そこがイスラム主義者ら反革命勢力の両国への出撃拠点となることを望んでいるのである。かれらにはアフガニスタンの平和の回復や人民の生活の安定など端から眼中にないのだ。
 四月革命と民主共和国の治世が培った平和と人民民主主義の精神は現在でもアフガニスタンの人びとの間に生きている。われわれはそうした人びとを支持し連帯する。関連記事四~五面。
【大山歩】