「少子化問題」の真因は何か
金儲け第一の政策で子どもは守れない


 七月末の炎天下、九州にある保育施設の送迎バス内で、五歳の園児が一日置き去りにされ熱中症で死亡したという、なんとも痛ましい事件が起きた。送迎バスを運転していたのはこの園の園長で、二歳未満の子どもも数人乗っていたにもかかわらず、ほかに添乗員はいなかったという。そして何と、この状態が一年も前から続いていたというのだ。
 「人手不足」だったというが、管理者であった園長はもとより、この園で働いていた保育者たちに対しても「子どもの安全を守るのは、直接かかわる保育者の義務である」ことを強く言いたい。そして政府は「少子化」を嘆く前に行なうべきことがあることを、この事故から学ぶべきだ。園児の死亡事故など二度とあってはならない。

婚姻数・出生率の減少が止まらない

 六月四日、厚生労働省は二〇二〇年の日本における「人口動態統計」を発表し、六月二十五日、総務省も「令和二年国勢調査の速報値」を発表した。これらの報告によると、日本の出生数は前年より二万四四〇七人減少し八四万八三二人となり、日本の人口統計が行なわれた一八九九年以降、過去最少であった、という。一昨年からの新型コロナ感染拡大の中での生活不安や、母子感染を懸念しての出生率減少も考えられるが、原因はもっと構造的だ。
 まず、少子化の原因として以前から指摘されているように「未婚率」の増加と「晩婚化」がある。二〇二〇年の生涯未婚者率は、男性が二〇%・女性は一五%であり、二〇二〇年の婚姻数は前年より一二・三%減の約五二万組で、戦後最少であった。そして合計特殊出生率(一人の女性が生涯に子どもを産む人数)の低下だ。二〇一九年の合計特殊出生率は一・三六だったが、二〇年は一・三四となり、五年連続低下している。
 厚生労働省は「婚姻数減少の要因」を、平成から令和となった年号変更によって増加した「令和婚」の反動によるものなどと能天気なことを言っている。が、直近の状況との関係では、コロナ禍で人と人との交流が減ったり職場が倒産して解雇されたりと、若者の生きづらさの現われであると、わたしは考える。そして、若者の自殺者が昨年から一一年ぶりに急増していることを考えると、若い人びとの孤独な様子が浮かんでくる。しかし、より根本的な原因は、一九七〇年~八〇年代に人口の多い団塊ジュニアたちを氷河期世代として低賃金・不安定雇用に追い込み晩婚化・非婚化が進んだことにある。かれらは、すでに四〇代から五〇代だ。そして、この労働者の非正規化、不安定雇用増大の傾向は現在も変わらない。
 新型コロナウイルスの猛威の影響を見てみよう。国立社会保障・人口問題研究所は「推計では出生数が八〇万人を割るのは一〇年後と予想していたが、コロナ禍で、一〇年待たずして八〇万人を割り込むことが目の前に迫っている」と、危機感を募らせている。

コロナ禍でも金儲け優先の政策

 東京都では、五〇〇〇人を超える「新規感染者」が出ているような状況にもかかわらず、政府はオリンピックを強引に推し進めた。政府・自治体が、まず第一に取り組むべきことは、人民の生命を守ることではないのか。わたしたちは昨年の五月から「九六条壊憲NO!」の仲間とともに「政府の責任で全住民にPCR検査を行なえ!」と訴えてきた。が、いまだに実行されていない。
 二五年前の一九九六年には、日本では感染症にかかった患者を収容できる病床が、約九七一六床あった。それが一昨年には、八割以上削減されてしまった。さらに、保健所の数も、一九九二年には全国で八五二か所あったが、一昨年では四七二か所となり、半分に減らされている。これは、歴代の自民党政権、そして民主党政権も含めて進めてきた金儲けのための医療制度改革がもたらした悲劇である。人の命より金儲けが第一、コロナ感染拡大の今も、小池都知事は都立病院の独立行政法人化を狙っている。

少子化対策メニュー三項目

 ところで、昨年の九月、菅は首相就任演説で「安心して子どもを産み育てる環境をつくる」と述べ「少子化対策三項目」を打ち出した。
 その内容は
 ① 不妊治療への公的支援の拡大:不妊の原因調査など一部に限られている公的医療保険の適応対象を二〇二二年から拡大する。
 ② 待機児童の解消、保育の受け皿整備:待機児童ゼロに向けて、三年後の二四年度までにさらに一四万人分の保育の受け皿を整備する。
 ③ 男性「産休」の創設:新たに出産直後の一定期間に限った枠組みで取得を促す新制度を創設。
 というものだ。
 現在もマンションの一室か庭のない線路下の園舎、未熟な保育士とギリギリの数の保育士人数、などなど相変わらず「子どもが健やかに育つ」環境・安全などを無視した保育施設が横行している。先に上げた「バス取り残し事故」はそのことを象徴している。菅政権は、安倍政権の「安上り保育」を踏襲しているだけだ。
 さらに新たな問題として、コロナ禍でゼロ歳児が集まらず、経営が悪化している保育施設も現われだした。少子化と親が家で仕事をするようになった、あるいは仕事がなくなり預けられなくなった、などの原因が考えられる。そうしたなか、「保育者の解雇」問題も起きている。今こそ、保育者も組合に結集し、自身の働く権利と子どもが健やかに育つ権利を守る闘いを組む時である。
 国の子育て支援の予算が、国内総生産(GDP)の一・八%のみという状況も少子化につながる重大な要因だ。OECD(経済協力開発機構:三八か国)の子育て予算は平均二・三%であり、日本は、首位フランスの半分でしかない。

少子化は若者の生きづらさの表れ

 さらに、小学生向けの学童保育が不充分であること、男性の育休取得が低く女性の負担が大きいことも問題だ。男性の「出産直後の一定期間に限った育児休業」で、子育てが終わるわけではないのだ。女性の多くが「非正規」労働者であり、妊娠・出産・育児のための休暇がとれる職場は、無に等しいこと、妊娠すれば即「解雇」となるのが現状である。
 アメリカや日本からの経済封鎖を受け厳しい経済状況にあるキューバや朝鮮民主主義人民共和国などの社会主義国は、子育て・教育はすべて無償で受けられる。「わたしたちから吸い取った税金は、人民のために使え!」と、何度でも現政権に「NO!」を言わなくてはならない。
 厚生労働省や総務省は、「人口問題」は、出生率や婚姻率だけではなく「高齢者の問題」でもあることを強調する。四四年後の二〇六五年には「国民の約二・六人に一人が六五歳以上になる!」と「危機感」を煽り「まずは自助で」と連呼する。そして、七五歳以上の「医療費窓口負担」の引き上げを行ない「全世代型」の理念で、高齢者も社会保障の支え手に回るように画策している。
 新自由主義政策によって、子育てにも医療にも介護にも「受益者負担」論がまかり通るなんて、まっぴらごめんである。
【村上理恵子】