今日版「暴支膺懲」論への抵抗事例
組合大会で議案書批判、支持する意見も
                    

 わたしが所属する教職員組合の定期大会(例年七月初旬にあるもっとも大きな機関会議)の議案書に「アジアでの民主主義破壊に国際的批判高まる」との見出しで「…中国政府による、新疆ウイグル自治区で数百万人が拘束されているともいわれるウイグル族に対する抑圧・人権侵害、香港で二〇二〇年六月に制定・施行された『国家安全維持法』の下での民主主義破壊・言論弾圧・人権侵害、台湾及びその周辺地域での強圧的な行動に対して、国際社会からの批判が高まっています」と書かれているのを見つけた。

わが組合の良き伝統と矛盾する内容

 近頃は多少の間違いは見送るようにしているのだが、これはさすがに見過ごせないと思った。基地県神奈川の教職員組合ということもあって軍拡反対・平和擁護を比較的熱心に取り組んできた良き伝統もある。今年の定期大会でも拡大し続ける日本の軍事費と壊憲の危機、日米安保の再強化への抵抗が宣言されてもいた。しかし、最近の急速な戦争準備の動きは、中国・朝鮮の「脅威」を大々的に宣伝することを梃に進められている。つまり、今日版「暴支膺懲」論の立場に無批判に立つことはわが組合の良き伝統とも矛盾するのである。
 そこで、情宣印刷物を作って定期大会で全分会の代議員に配布し、この情勢認識の間違いを大会で指摘することにした。わたしが属する分会(各学校ごとにある)からの「号外ニュース」の体裁をとり、A3版両面刷りにした。表面はこの間、本紙で展開している帝国主義列強による中国包囲網という情勢分析を拝借しつつわたしが書き、裏面には本紙六月一日号で「ウイグル族弾圧」の虚偽を実証的に反論している村田忠禧氏の論文を抜き刷りした。
 実は昨年の大会議案でも「香港市民の不満の矛先は今や、改正案にとどまらず、市民に暴力を振るう警察や香港政府、その背後にいる中国政府にむかっています」などと書かれていたが、これへの批判は大会当日の発言だけにしてしまい反応も乏しく後悔をしていた。
 そして次のように訴えた。
 アメリカでは、フロイド事件で誘発された米国各地の抗議デモ活動中に昨六月までで少なくとも一三人が警察に殺され、数百人が負傷し、一万数千人が逮捕されている。ちなみに米国警察による射殺は二〇一九年だけで一〇〇四回に達している。まるで内戦状態だ。かたや昨年の香港デモ参加者が警察隊の法執行で死亡したニュースは一つも聞かない。これも「独裁国家」中国の報道規制の賜物なのだろうか? これだけ注目され、これだけネットを通じた情報流布が充実しきった世界で。
 パレスチナに目を向ければ、五月十日より連日イスラエル軍がガザ地区の住民に爆撃を続け、二百人以上が殺され、五六〇〇人が負傷させられた(五月十八日時点)。アメリカはこの大虐殺を行なうイスラエルの最大の支援者だ。国連安保理ではイスラエルへの非難決議も一五か国中アメリカだけが反対したために見送られた(五月十九日)。『アメリカの国家犯罪全書』(ウィリアム‐ブルム著、益岡賢訳、作品社、二〇〇三年四月発行)には一九四五年から九九年の間だけもアメリカによる他国への重大な介入が六七件、選挙介入は二五件の事例が列挙されている。
 日本はどうか? 「強制収容」を言うならつい先日も入管施設でスリランカ人女性が見殺しにされた。中国、フィリピン、タイ出身者などの「奴隷労働」が「外国人研修制度」という国策により続けられている。コロナ禍を口実に解雇・賃下げが当たり前となり感染症よりも自殺や虐待死が急増している。感染を防ぐためと県外への遠足・修学旅行は延期や中止なのに全世界からの大移動を前提とするオリンピックはなりふり構わず実施する。しかも金儲けのために。原発事故の被害者の人権は無視されわれわれから巻き上げた「復興予算」すら巨大企業が吸い上げている。たまりにたまった放射能汚染水は公海に垂れ流し国際社会(同盟国以外の)から非難を浴びても「カエルの面に汚染水」。ヘイトスピーチ、「無償化」排除に象徴される在日朝鮮人への差別弾圧をエスカレートさせ、国・行政は黙認するどころか無償化政策除外など差別を助長している。そこには在日朝鮮民族自体を、すなわち日本帝国主義の侵略の歴史自体を抹殺しようとする政策が見える。「従軍慰安婦」「領土問題」をめぐるヒステリックな歴史教科書の改竄とは侵略戦争責任への背信以外の何物でもない。
 そんな日米「ならず者」同盟がいくら「人権」だ「平和」だと叫んだところでわたしは信じる気にはなれない。
 こう主張しても、たとえば池上彰のように「日本にもアメリカにも人権侵害はあるだろうが共産党独裁の中国と違って報道の自由があり、そこが決定的に違うのだ」という反論に出くわす。しかしそれならなぜ、われわれの耳目に入るのは日本やアメリカの人権侵害ではなく中国のそればかりなのだろうか。
 日米を中心とした軍事同盟国の合言葉は「民主主義や自由、平等などの価値観を守っていく」である。しかし、本当の「民主主義の破壊者」は誰なのかをもう一度、事実論として考えるべきである。

求められるインターナショナリズム

 もちろん二分半の発言枠ではすべてといかないまでも、おおむね以上のように喋った。
 すると思いがけず別の分会からわたしの発言を補強する人が立ってくれた。
 この議案の文言はアメリカの主張そのものであり、非常に不満だ。われわれの先輩(組合の)たちはベトナム戦争反対で随分闘ってきたはずだ。
 かれらはどう思うだろうか。
 アメリカはベトナム以降だって常に戦争をし続けている、対して中国は一度も戦争をしていない。国際社会からの批判というが、その「国際社会」とはどこの国のことなのか? 国連でアメリカを批判し中国を支持する国の方がどれだけ多いか調べたのか? 
 組合の反戦平和運動の歴史に相反する情勢認識だと。
 大会が終了したあと、その発言者が「ニュース」を読んでまったくその通りだと思い発言してくれたと語ってくれた。また大会に参加していた別の知人からも励ましの声をかけられたり、裏面抜き刷りの『思想運動』についての質問もされた。そしてまたこのような「ニュース」をまっていると促された。帰り際に、出口近くに置いてあった余りの「ニュース」を数枚とっていく人もいた。
 共産党も含めた日本の「左派」全体が今日版「暴支膺懲」論にのみ込まれている状況を念頭にして、今回の発言に些かも躊躇がなかったかと言えば嘘になる。しかし真実は多数決では決められない(わたしの数学の授業中の口癖)。これこそ、ささやかながらの「インターナショナリズム」の実践だとみずからを励ました。その結果、反響がいくらか感じ取れてわたしは前進を促された。どんなにささやかではあってもこんな状況だからこそ可能性はあるのだ。
 【藤原晃・神奈川学校労働者】