状況2021・労働 ベーシック・インカム論をめぐって
社会保障制度解体を許さない闘いを!

いま支配階級が進めようとしているBIは資本主義の延命策だ
                       

 二〇二〇年来のコロナ禍のもと、ベーシック・インカムについての議論が盛んになっている。『週刊エコノミスト』二〇二〇年七月二十一日号、『世界』二〇二〇年九月号はそれぞれベーシック・インカムを特集した。最近の出版物で、たとえば橋下徹は堀江貴文との共著『生き方革命 未知なる新時代の攻略法』で新時代の「公助」はベーシック・インカムだと(右から)主張し、経済学者の井上智洋は『「現金給付」の経済学 反緊縮で日本はよみがえる』でベーシック・インカムの考えに基づく現金給付は可能だと(左?から)述べている。日本維新の会は四月十七日の党大会で今夏の衆議院議員選挙に向けて「ベーシック・インカムの実現」を公約に掲げることを決めた。
 なぜ、いまベーシック・インカム(以下「BI」)なのか。われわれはBIをどう評価すべきか、歴史的かつ階級的観点から批判的に検討してみたい。

資本主義の危機とベーシック・インカム論

 BIとは「ミーンズテスト(資力調査)や就労要件なしに、すべての人に・個人単位に・無条件で提供される定期的な現金給付」(BIEN(ベーシックインカム地球ネットワーク)の定義)である。BIの着想自体は新しいものではない。一六世紀のトマス‐モア『ユートピア』や一八世紀のトマス‐ペイン『土地配分の正義』にはBI的な構想がみられる。また、イギリスで一七九五年から一八三四年まで施行されたスピーナムランド制度(後述する)はBIの先駆形態といわれている。
 現代でも、たとえば二〇〇四年にブラジルのルラ政権下で「市民BI法」が制定され、第一段階として低所得層に向けて所得制限付き児童手当「ボウサ・ファミリア」が導入されている。ただし、「すべての人」が対象ではなく収入要件のある条件つきBIであることは確認しておきたい。逆に、昨年この国で行なわれた一律十万円の特別定額給付金は「すべての人」を対象としていたが「定期的」ではない一回限りのBIだったと見ることもできる。いずれにしてもフルスペックの完全なBIは、まだどこでも実現していない。
 BIが二〇世紀後半以降に現実の政策課題として検討されるようになった背景には、一九七〇年代以降の先進資本主義国の高度成長の終焉、経済成長率の傾向的低下がある。
 「福祉国家プラス完全雇用」体制から新自由主義への転換が進み、レーガン、サッチャー、中曽根による戦闘的な労働組合運動つぶしと公的部門の縮小・民営化・私有化、雇用形態の多様化=不安定雇用の拡大と低所得世帯の増加などが、賃金と社会保障という社会的セーフティネットの根幹を蝕んだこと。女性の労働力化、男性稼ぎ主型モデルの小、単身世帯の増加が、福祉の供給主体としての家族機能を減退させていること。さらにデジタル化やAI(人工知能)の進展が、総体として雇用の縮小に拍車をかけると予想されること。こうして生じている既存の社会保障制度の困難、機能不全に労働者人民の不満や不安が拡大しつつあり、支配階級の側も、利潤を確保しつつ資本主義体制を維持・延命するためにどのように社会保障制度を再構築するかを構想している。そこでBIが有力な選択肢のひとつとして浮上している、と見ることができるだろう。

コロナ禍でショック療法狙うBI論者

 新自由主義的なBI論者の主張は明快だ。
 山崎元(経済評論家)は「私がベーシック・インカムを支持する大きな理由の一つは、これが『小さな政府』を実現する手段として有効だからだ」「賃金が安くてもベーシックインカムと合わせると生活が成立するので、安い賃金を受け入れるようになる効果もある」と述べ、堀江貴文(ホリエモン)はもっとあけすけに「働くのが得意ではない人間に働かせるよりは、働くのが好きで新しい発明や事業を考えるのが大好きなワーカホリック人間にどんどん働かせたほうが効率が良い。そいつが納める税収で働かない人間を養えばよい。それがベーシックインカムだ」「ベーシックインカムがあれば、解雇もやりやすいだろう」と主張する(いずれもブログ記事)。
 橋下徹は前掲書で「全員に一定額だから、所得や資産で支給額を分けるといった役所の手間も不要だ」とその意図を隠さない。
 菅政権のブレーンでもある竹中平蔵(東洋大学教授、パソナ会長)は「新型コロナウイルスの感染拡大前から日本社会は大きな変動期を迎えていた。……チャレンジにはリスクがつきもので、『究極のセーフティーネット』が不可欠だ。……BIを導入することで、生活保護が不要となり、年金も要らなくなる。それらを財源とすることで、大きな財政負担なしに制度を作れる。……少しずつ制度を変えようとすると、絶対に実現できない。既得権益を守ろうとする人たちが必ず出てくるからだ。社会主義国が資本主義にショック療法で移行した時のように、一気にやる必要がある。今がそのチャンスだ。」(『エコノミスト』二〇二〇年七月二十一日号)と、「なぜ、いまなのか」をはっきり述べている。
 社会保障制度の解体と支配の側に都合のよい自己責任的「セーフティーネット」再構築がその狙いなのだ。

支配層の狙いは社会保険制度の解体

 生活保護は貯金や資産などの資力調査を受け、一定の基準以下でなければ受給できない。稼働能力の調査の結果、就労不能であると認定されなければならない。日本では、生活保護基準以下の収入で暮らす世帯のうち実際に生活保護を受給できているのは二割程度と言われる。受給者の恥辱感(スティグマ)の問題も避けられない。働いて賃金所得を増やすと給付を打ち切られるおそれがあるため、受給者は就労の意欲を失いがちである。
 「生活保護が選別的であるのに対してBIは普遍的であるから、BIはこうした問題を解決できる」とBI推進論者は主張する。「なるほど」と思ってはならない。
 現行の生活保護の制度と運用に課題があることは言うまでもない。しかし、生活保護(公的扶助)は社会保障給付費全体の三パーセントに過ぎない。約九割は医療、年金、介護等の社会保険である。社会保険とは、病気や失業、退職(引退)などさまざまな生活リスクに直面したときに可能なかぎり従前の生活を維持できるための負担と給付のしくみであって、所得階層を問わずすべての人民にとっての防貧機能を果たしている。仮に医療保険制度がなければ、医療費が月額一〇〇万円かかるとしたら月額一〇万円のBIがあっても医療を受けることはできなくなる。
 BIを検討するには、印象操作されやすい生活保護だけではなく、社会保障給付全体との関係を考慮しなければならない。社会保険料の二分の一が事業主負担であることの意義は重い。社会保険制度の解体がだれの利益か、火を見るよりも明らかだ。

BIは労働者の階級形成を阻害する

 BIの先駆とされるスピーナムランド制度について、権丈善一(慶応大教授)の的確な論説を紹介する。
 「一七九五年、バークシャー州の治安判事たちはスピーナムランドで総会を開き、貧困と低賃金への斬新な対策を全会一致で採択した。その対策とは、働いていても最低所得を下回る家庭には教区(キリスト教会を通じた行政単位)が最低生活費の不足を支給する制度であった。……ところが、この制度の現実の機能を見ると、……賃金がどれほど生存費水準を割り込んでも、経営者は差額給付を当てにできるので労務費削減を図り、不要となれば躊躇なく労働者を放り出す始末。他面、労働者も、稼得の少ないほど扶助が多くなるので、働く意欲を失い、人々の自尊心と自立心をもむしばんでいったのは自然であった。……善意が裏切られたときの、納税者たちの反応はどうであったか。「補助金によって増大する人口」を攻撃したマルサスの『人口論』が広範囲に支持されていく。一八三四年、スピーナムランド制度は廃止され、劣等処遇原則(保護される者は自立して生きる労働者の最下層の生活よりも劣るべきとする)を徹底させた新救貧法が誕生する。……新救貧法の時代に生きたエンゲルスは、「プロレタリアートに対するブルジョアジーの最も公然たる宣戦布告は、マルサスの『人口論』と、それから生まれた新救貧法である」と論じて悔しがった……」(「『市場』に挑む『社会』の勝算は?」『週刊東洋経済』二〇一〇年三月六日号)
 カール‐ポランニーは『大転換』で次のように述べている。
 「みずからの労働によって生計を立てることができないとすれば、彼は労働者ではなく貧民である。労働者を人為的にそうした状態に陥れてしまったことが、スピーナムランド法のもっとも忌まわしい面であった。この法律のあいまいな人道主義は、労働者が一つの階級へと成長していくことを妨げ、それゆえに経済のひき臼の中で定められた破滅の運命から逃れうる唯一の手段を、労働者から奪ってしまったのである。」
 解説は不要であろう。
 スピーナムランド制度の教訓は、二世紀も前のものであって、現代のわれわれとは無縁であろうか。否、そうではない。
 総合サポートユニオン共同代表の青木耕太郎のレポート「特別定額給付金は労働者の権利向上につながるか?」は、昨年の事態をこう振り返っている。
 「昨春の緊急事態宣言下では、労働者からの相談が激増し、権利行使へと繋がるケースも比較的多くみられた。……労働相談窓口には「不当解雇を撤回させたい」「雇用主に対して小学校休業等対応助成金を利用するよう促したい」「休業手当を全額支払うよう求めたい」などと、「権利」の行使を志向する相談が数多く寄せられた。総合サポートユニオンでは、二〇二〇年四月から五月にかけて、新規の団体交渉申入れ件数が普段の一〇倍近くにのぼった。……ところが、特別定額給付金の給付の前後で、そうした権利行使の勢いが急に衰えてしまった。相談窓口に寄せられる相談の内容や質が変化したのだ。……「権利」の行使に向かうベクトルの相談が一気に減り、「自分が特別定額給付金の対象に該当するか」「いつ頃にいくらもらえるのか」などといった政府の「恩恵」にあずかることに期待を寄せるベクトルの相談が増えていった。……恩恵への期待が、権利意識を希薄化させていたのである。」(『POSSE』第四七号)
 闘いによって勝ち取ったのではない「給付金」が、労働者の団結と階級形成をいかに阻害したか。スピーナムランド制度の教訓は、いまなお有効だ。

再分配の手直しではなく共産主義社会を

 BI論者には、新自由主義的ではなく、福祉国家再編の手段としてBIを位置づける、いわば社会民主主義的なBI論者もいる。国際組織であるBIENは「恵まれない、不安定な、低収入の人々の状況が悪化するような社会事業や給付の変更には反対する」としている。われわれはそのことを承知している。また、子どもについて、親の財力によって教育機会や職業選択に格差が生じることを避けるために子ども手当や高等教育無償化などBI的な政策がとられることは合理的だ。
 しかしながら、いま政策として押し出されようとしているのは、社会保障制度の解体と市場化を真の狙いとする、資本主義を延命させるためのBIだ。われわれは、こうしたベーシック・インカムに反対する。われわれが目指すのは、再分配の手直しではなく「能力に応じて働き、必要に応じてとる」共産主義社会の実現である。この旗幟を手放すことなく、労働運動、大衆運動を通じて、社会保障、社会福祉の供給者及び受給者、つまりすべての労働者・人民とともに、社会保障制度の解体を許さない闘いを強めよう。
【吉良寛・自治体労働者】