『大資本はなぜ私たちを恐れるのか』(武建一著)
荒っぽく理知的な階級闘争
セメント資本からは高値で売りつけられ、大手ゼネコンには買い叩かれ、建設業界でも「谷間」と評される生コン業界。その中でもっとも搾取されている労働者は一九六五年、著者を含めた若手活動家たちで産業別組合を立ち上げた。「企業の枠を超え」、個別企業への対峙だけでなく同じ労働者として「背景資本への闘い」を掲げ、統一した「要求、交渉、行動」を原則に実践し続 けた。その当時の要求は、粗悪な運転席(酷い腰痛の原因だった)の改善、トイレットペーパーの取り付け、盆の有給休暇……などだった。まさに人間としての権利の要求だ。解雇されても、やくざや警察を使った弾圧にも屈せず、スト、集会、デモを打ち、ビラをまき、集団交渉を繰り返した。「不況」と「合理化」攻撃にあっては「労働運動の腕の見せ所」と取り組みを強め、対立関係にあるはずの中小経営者をも組織(協同組合)して巨大資本と対峙し、確実に労働環境と賃金の上昇、組織拡大を勝ち取って来た。まさに「闘いなくして成果なし」の原則を実証して見せた。
この原則的な産別労働運動は「関西生コンの運動は資本主義の根幹にかかわる運動をしている」(八一年当時、日経連会長・セメント協会会長の大槻文平)と巨大資本を恐怖させ憎悪させた。だからこそ、警察をしてでっち上げ事件で逮捕させ、やくざをして文字通り命をねらわせる。最近ではレイシスト(差別主義者)と公然と手を組んだ弾圧を加え、まさに血みどろの闘いを強いられてきた。
大資本はその闘いを過激で野蛮であるように描き出し、正当な要求を「恐喝」、ストライキを「威力業務妨害」にでっち上げてきた。これをメディアや他の多くの労組でさえ鵜呑みにし非難さえした。まさに壊憲策動の最前線である。
著者は言う「ではどうすればよかったのか?」と。ヤクザがナイフをチラつかせ、実際に殺された仲間すらいた。そんな時に上品に「お願いします」とさえ唱えれば自らの権利を守れたのかと。
本書には階級闘争のアクチュアルがある。「荒っぽい」のではなく、むしろ逆に労働運動を真摯に、理知的に原則的に追求し今現在も貫いている典型だとわたしは思う。
そして、帝国主義列強に対峙する社会主義国をわたしは想起した。その革命家たちは同じ主張をしてきたし、いまもしている。「ではどうすればよかったのか」と。大小のちがいはあれ、巨大資本と対峙する構造は同じだ。階級闘争は国家間の対立として描かれる「大舞台」だけに在るのではなく、いまわたしたちの目の前にあるのだと理解させられる。ここにインターナショナリズムの必然性すらも含まれている。
今は「階級対立」どころか階級の存在すらも否定する言い方が横行し、進歩的と言われる知識人や労働組合までが階級学説に確信を持てずにいる。それは「社会主義」や「マルクス」を口にしているとしても、「協同組合」や「政策提言」をすれば厳かに「新しい時代」の幕が上がるかのごとくに語られている。
関生支部の闘いは、そんな物語がなんの現実味もないことを突き付け労働運動の可能性を確信させる。そんな実践の教科書である。
【藤原晃】