「骨 還せ」訴訟から見えるもの(下)
訴訟の先に広がりを見せる京大「学知植民地主義」批判とは

木原健一(京都在住)                         

記事後半にあたる今号の報告は、遺骨返還請求の裁判に焦点を合わせた「弁論は明らかにする」において、争点になっている問題を詳しく報告し、あわせて訴訟活動の広がりを紹介する。最後に、「わたしの課題」と題して、わたしの課題の在処とその道筋の入り口を再確認するつもりである。

弁論は明らかにする

七月三十日の第六回口頭弁論は原告側主張に終始した。以下に、その様子と内容について報告する。
当日午前の京都地方は梅雨明け直前の空模様で、開廷前には雨がつよく降った。裁判所前には早くから大勢の原告側支援者が詰めかけ、傍聴のための抽選時刻まで待機した。新型コロナのために、開廷される一〇一号大法廷の通常傍聴席八八は二九に減席されたが、わたしは抽選に残った。大法廷前に進むと、通路で訴訟側事務局より配布された裁判所提出の要旨陳述書を記したコピー資料をうけとり、丹羽訴訟代理人が同資料を読みあげる半時間におよぶ弁論を傍聴した。
その配布資料にもとづいて、当日の弁論内容を紹介する。「原告ら第五・六・八・九準備書面要旨陳述書」と題された資料のとおり、弁論は第五以下の準備書面四通によって行なわれた。その要旨陳述書の概要をわたしなりの理解にもとづいて括弧内の項目にまとめた。その方法で、四通の準備書面内容の概要を報告する。

1)第五準備書面
準備書面の表題は「本件において判断されるべき本質的事項及び戦後も継続する学知植民地主義の実態について」

本質的事項とは
事柄の本質面が三点とりあげられている。すなわち、①盗骨当時の本件百按司墓(ムム ジャ ナ バカ)は墓所であることがあきらかだったこと、②盗骨当時の一九三〇年前後の沖縄の文化や慣習に、門中制が確固として定着していたこと、③当時も今も、百按司墓は沖縄の人びとにとっては聖地であること。
したがって、裁判では本質的事項として、京大保管の琉球人骨が、①収集ではなく「窃盗」によって入手されたもの、②当時の沖縄文化・慣習を蔑ろにする立場で行なわれた「収集」によるもの、③その人骨が葬られていた場所は今も聖地のように巡拝を受ける百按司墓から持ち去られた人骨であること、などについて判断されるべきと原告側は論告する。

継続する学知植民地主義
まず学問世界における植民地主義的対応である行動や意識の過去の例が示され、現在においてもそのような「学知植民地主義」が継続している実態が述べられる。すなわち、戦前の例証について 、金関丈夫が盗骨した「人骨収集」は本人が著したように人種主義や優生思想にまみれた動機によっていること、東京帝大坪井正五郎によって博覧会企画された「学術人類館」は生身の人間を見せものにする陳列であったことが提示された。
そのような戦前の学知植民地主義が、京大保管の琉球人骨を「古人骨」であると強弁して、研究対象だと主張する「日本人類学会」――この組織は坪井の「じんるいがくのとも」研究会の後継組織である――の会長が京大に保管継続を要望するできごとが昨年に起きたこと、さらにその主張について意見をもとめられた山極京大総長―かれは日本学術会議議長とともに日本人類学会の要職を務める―が提訴した一人の原告について発言した誹謗中傷的な差別内容が明らかになり、戦前の学知植民地主義が継続していることが明らかにされた。

植民地的社会構造
陳述は、当時の沖縄の植民地的社会構造の実態の理解をもとめる。すなわち、①琉球を強制的に併合したのちの一八八一年に赴任した上杉県令が当時の琉球人を「土人」と呼び、琉球の葬制・墓制を「野蛮」と評していることから窺えるように、琉球・沖縄が本土・内地の植民地的位置関係におかれていた事実。②遺骨「収集」する京都帝大金関は植民地統治側であり、かれの収集手続きの協力のために紹介された県庁や県警の要職者も「本土・内地」出身という植民地統治側である事実、③墓に祀られている第一尚氏系統者や地域共同体の墓関係者からの同意・承諾を得ないで本件墓の人骨収集した事実。これら事実は、被告京大が主張する「手続き」が植民地統治手法によってなされたものであることが明らかにされた。

祭祀継承権
被告京大は原告に対し、①原告は本件遺骨の祭祀継承者とみなされない、②したがって、被告は原告側に返還する法的義務はない、と主張している。原告弁論は次のように反論を展開した。すなわち、日本の法体系において返還請求を基礎づける法規範として原告は民法八九七条一項の条文「系譜、祭具及び墳墓の所有者は、慣習に従って祖先の祭祀を主宰するべきものがこれを継承する」を取り上げる。原告側は同項の「慣習」内容の判断の仕方が重要だと弁論し、同項の「継承する」が「相続」と切り離された法規範であることに注意を促し、「継承する」が戦前の日本では家制度の枠組み内で行なわれた慣習の継承であることを指摘する。慣習の継承が、日本では「イエ本位」にもとづく枠組みのなかで考えられているが、琉球・沖縄では地域共同体という「ムラ本位」にもとづく枠組みのなかで考えられるとする、波平恒男鑑定意見書を参考にするならば、民法八九七条一項は、そのような琉球・沖縄の精神的・社会的基層を十分に踏まえた判断方法、すなわち人権保障の基本原則を示した憲法第一三条、信教の自由の憲法第二〇条、マイノリティの信仰や言語使用の権利保護をうたった自由権規約第二七条や先住民族の権利宣言などの国際人権法にもとづいて、深く、広く解釈されるべきと弁論した。
第五準備書面、最後の言及は、「学知の植民地主義」を研究倫理上の問題にとどまらない国内法や国際法違反の政策や対応、犯罪行為の総体であると定義し、琉球遺骨盗骨による研究という「学知の植民地主義」は戦前の帝国主義、植民地主義下において正当化されていたが、被告・京大はそうした正当化を現在においても継続しようとしていると次のように結んでいる。墓からニライカナイ(あの世)へ旅立った琉球人は、残してきた骨を植民地主義者に奪われ、その遺骨をいまも京大に持たれつづけ、ニライカナイにいてもなお学知・京大の植民地支配を受けつづけているのだ、と。

2)第八準備書面
準備書面の表題は、「琉球固有の精神文化における遺骨の存在」

葬制および墓制の風習
①古琉球時代から、沖縄では、死者を洞窟、岩陰に安置して風葬する習慣がある。肉体はやがて現世から消えるが、肉体から解き放された魂は残りつづける。風葬は、魂が昇華して「神」になってゆく神聖なプロセスである。
② 先祖が「神」となった「祖霊神」は子孫の幸を願い守護すると信じられ、子孫も「祖霊神」に頼り、敬う。琉球社会は共同体性格が強い。村民の「祖霊神」は、したがって子孫だけでなくすべての村民を守る村の守護神となる。
③ 亀谷原告は、清明(シー ミー)祭や七夕などの「神」が遺骨の場所に戻る特別の日に、子孫は墓参し、先祖と共食し交流すると教えられて育ってきた。玉城原告は、遺骨を拝むと先祖の魂がその遺骨に宿り、目の前に現れると教えられて、遺骨自体を骨神(フニ シン)としてあがめ、骨神を安置する墓地は彼岸との懸け橋の場であり、先祖と交流する場だと教えられて育ってきた。
④ このように、琉球民族にとって、遺骨自体が拝む対象である骨神であり、墓地から遺骨がなくなる事態は先祖とのつながりを絶たれることである。
③ 百按司墓は骨神を祀る神聖な風葬地である。そこから「骨」を奪う京大の行為は許してはならないことである。

3)第九準備書面
準備書面の表題は、「琉球民族の先住民族性について」

先住民族とは?
① 国連の自由権規約委員会、人種差別撤廃委員会は、日本政府に対して、日本にはアイヌ民族、琉球・沖縄民族などの先住民族がおり、その存在と権利を認めるよう求めてきた。しかし、琉球・沖縄民族については一貫して先住民族として認めていない。
② 先住民族性認定ポイントは、国際基準を記したILO一六九号条約や国内司法がアイヌ民族を初めて先住民族と認定した二風谷ダム判決から、次の三点が重要と弁論する。第一に、近代国民国家成立時の植民地支配の結果、支配的集団から民族性を否定され同化を強制された民族集団ないしその子孫であること。第二に、自己の社会的、経済的、文化的および政治的制度の一部または全部を保持していること。第三に、そのような自己認識があるということ。以上の三点である。

琉球民族の先住民族性
① 琉球王国は一八七九年に明治政府に武力併合されたが、併合以前の近世期からの期間、ヤマトとは別の独自の社会・経済・文化をもつ社会的集団として琉球列島に存在し続け、他国との伝統的関係を有してきた。
② 言語文化として、ユネスコから「危機に瀕している少数言語」認定を受けた「しまくとぅば」または「うちなーぐち」と呼ばれる琉球言語をもつ。
③ 百按司墓は、琉球民族にとって特別な意味をもつ墳墓であり、沖縄の人びとが門中単位で巡礼に訪れる聖地であり、そこにある遺骨は琉球民族独自の精神文化に根付く神聖なものである。本件遺骨は琉球・沖縄人のアイデンティティの核心部分と直結する重要性をもつものであり、遺骨返還を求めることは琉球民族のアイデンティティの回復を求めることでもある。
④ 琉球・沖縄人のアイデンティティ調査をみると、二〇一一年のアンケートでは八割以上が自己をウチナンチュだと思うと回答し、二〇一六年の県民調査では沖縄は独立を含め沖縄の権限を現状より強化すべきと考える人の増加がみられる。

琉球民族は請求権主体
前段の検討内容により、琉球民族は先住民族認定ポイントの三点に当てはまり、先住民族であることがあきらかである。よって、琉球民族は遺骨返還請求権の主体であると主張する。

4)第六準備書面
準備書面の表題は、「三宅宗悦による百按司墓からの遺骨盗取」
板垣教授鑑定意見書記載の分析・評価にもとづいて、訴状記載の遺骨盗掘に次の事実を追加して主張する。
① 金関に続き、一九三三年十二月二十五日~同月二十八日までの期間、清野門下の三宅宗悦が百按司墓をふくむ国頭、中頭および島尻等から、その子孫や門中および地域住民の了承を得ることなく、七〇体の遺骨を持ち出し、被告京大に送付したこと。
② 三宅は収集した遺骨に対して、後に「清野蒐集人骨」標本番号に該当する標本番号を割り当てるが、百按司墓から盗んだ遺骨についても一七個の一〇四二~一〇五八号の番号を付した。
③ 三宅は金関と講座の壁を越えて深く交流する関係にあり、三宅の遺骨収集に先行して百按司墓遺骨を収集した金関から「見つけた骨を首尾よく持って帰れるか否か」は「官民諸方面の有力者に、できる限り渡りをつけておく必要」があり、それが収集の成否をきめると伝授された。三宅が百按司墓から遺骨を持ち帰ったのは、三宅が伝授された金関と同じ方法であることは明らかである。
④ 以上から、三宅の遺骨収集および三宅が収集した遺骨を現在も占有する被告京大にその占有権限がない、と結論する。

次回の法廷審議
弁論後の進行協議の内容が御所公園での報告集会で知らされた。次回弁論は十一月十九日一四時三〇分開始、内容は亀谷正子原告の祭祀継承者資格についてである。

訴訟活動の広がり

第六回口頭弁論を傍聴して、「学知の植民地主義」が現在も息絶えることなく、京都大学という大学機関に脈打つ現実を目の当たりにすることとなった。と同時に、この記事を書くにあたって原告団の訴訟活動に寄り添う形で展開された多種多様な活動――学習会開催、ブログやフェイスブックによる活動紹介と情報発信、マス・コミ広報体制の整備、全国各地結成の支援組織との連携、「人骨問題を考える連続学習会 京都大学」公開学習会、等――のひろがりを知った。実に、広い範囲でさまざまな立場の人から支持されてこの訴訟活動は担われているのである。
最後に記した「人骨問題を考える連続学習会 京都大学」の活動内容はそのホームページから知ることができる。それによれば、「連続学習会」は、実行委員会形式で運営されていて、昨年五月に第一回が開催され、今月九月に第九回が予定されている。その第一回の司会役を務めた駒込武京大教員の開会挨拶のなかで、「問い合わせや遺骨の実見を拒絶した京大に対する批判と同時に『遺骨問題』のもつ世界史につながるようなとてつもない広がりを考えたい」と、学習会開催趣旨が語られ、さらに、植民地主義やマイノリティの問題性を共有する議論の場の形成でもあると挨拶されている。
その議論テーマを列挙すると、第一回「琉球併合一四〇年の今、学知の植民地主義を問う――琉球人遺骨は誰のものか」、第二回「収集と権力:京都帝大人類学研究室の『南島』調査」、第三回「略奪と返還:ドイツ=アフリカ間の植民地遺骨」、第四回講演「知と骨」、第五回「アイヌ遺骨返還問題の本質」、第六回「台湾の人骨問題と日本――琉球」、第七回「南アフリカの遺骨返還問題――歴史と現在」であり、第八回はわたしも聴講した「京都帝大収集の琉球遺骨問題再考」である。そして第九回「歴史的謝罪と遺骨返還――イギリスの場合」が告げられている。
このように、「事実関係を学び、認識を共有しながら、一連の事態が持つ問題の在処と射程を考え、議論する場をつくりたいと思います」と呼び掛けて、連続学習会が開催されてきているのである。読者の方で「骨 還せ」訴訟に興味を抱かれたのであれば、末尾にブログやフェイスブック名称を記載したのでこれを入力して訪れてみられてはいかがであろう。

わたしの課題

被告・京都大学を相手とする「骨 還せ」訴訟は、裁判でどのように結果するのか、見えない。しかし、「見るべきもの」とされる原告側の立場は見えてきた。そのひとつは、日本の「植民地支配及び歴史的・構造的差別」の実態を明らかにし、歴史事実を再度あきらかにする営為である。と同時に、過去究明以上に大切なこととして、現在における「植民地主義」の実態に人々の目を向けさせる営為である。その今日的「植民地主義」の意識や実践にたいする「学知」的、社会的批判活動の構築にむけての姿勢なのである、そのようにわたしは考える。
翻って、わたしの課題意識は何であるか、「骨 還せ」訴訟を原告側立場に立ってその概要をわたしなりに知ろうとしてこの拙稿をまとめてきたが、この意識から離れることはなかった。
まず、世界史的展望のなかで押さえるべき視点についてである。近・現代史の社会は、国民国家の登場を促した資本主義制的社会の展開として存在してきたという前提条件は、いささかも揺らぐことない歴史的事実であると考える。登場してきた国民国家は、人々の思考を「国民」、「国家」の枠組みのなかに、すなわち日々実感を強いる形の「国民」、「国家」意識のもとで感じさせ、思考するように仕向けている。この事実から、わたしは目を離せない。しかるに、近・現代の社会は、その「国家」、「国民」という枠組みに従って展開してきたことも事実である。歴史はそのなかで、「国民」意識、「国家」意識、さらには「民族」意識、「人種主義」意識等――を形づくってきた。すなわち、近・現代史の社会は支配・被支配構造の上に成立する国家のもとでその歴史を展開するのであるが、国家の内部にあっては、支配階級と被支配階級という関係性があり、国家の国外的関係にあっては、支配国家と被支配国家、宗主国と植民地の関係が存在する。その歴史のもとで、被支配の関係におかれたさまざまな社会的階級が存在してきた。それは国家内であったり、支配国家内部であったり、あるいは植民地社会内部での存在であったりするが、である。
そのうえに立ってのわたしの問題意識についてである。
被支配の関係におかれたこのようなさまざまな社会的階級は、やはり「国民」意識、「国家」意識、「民族」意識という日常的・感覚的に日々形成される意識にもとづいて、被支配関係にある所与の状況の認識をする、すなわち独立国家を希求する意識や民族解放意識やマイノリティ意識やジェンダー意識やさまざまな意識として、被支配や従属という関係から逃れようとする意識として形成される。しかし、これらの諸意識が、最初から「国民国家」という近・現代の軛からのがれてかたちづくられるということは困難至極である。言い換えると、階級支配の歴史が資本主義社会のなかに再構築されてわたしたちの意識の母斑になっているからである。それほどに、日常性のなかの意識はわたしたちがそのなかで生の営みを続ける資本主義体制のもつ力が影響するのである。
とはいえ、わたしたちの歴史は、その日常性という軛から脱する革命という行動も起こすのである。それは、一八七一年のパリで、一九〇五年の労働者代表の自治組織ソヴィエトをはじめて結成したロシア・ペテルブルグで、一九一七年の労働者・兵士・農民によるボルシェビキ革命の成功に見ることができる。それ以後の一〇〇年間においても、その階級闘争の姿は「民族解放的」であったり、反ファシズム闘争のなかの「国家・国民的」であったり、反帝国主義からの解放闘争のかたちをとって、朝鮮、中国、キューバ、ベトナムのように社会主義革命を標榜する革命として、またはA・A・LAの民族独立闘争や反帝国主義闘争としてあらわれた。しかし、これら被支配下におかれた諸階級の闘いの前に、巨大で圧倒的に強力な帝国主義の存在がたちふさがり、階級闘争はこれに対峙しなければならなかった。革命で誕生した諸国家でさえ、「国家」、「国民」、「民族」という枠組みのなかにあり、それゆえ、時にはその枠組みの日常性という軛のなかにある〈被支配階級〉の意識はみずからの階級意識にもとづいてではなく、枠組みにとらわれた意識におちいることも現出する。これは帝国主義国家における〈被支配階級〉の意識がその枠組みに強固に縛られた意識ほどではないにしても、帝国主義勢力の野望から祖国防衛を強いられる状況におかれた状況の生み出す事態でもある。わたしたちが生きる現代帝国主義は、そのような混迷深き、錯綜を極めている世界を日々つくりだしているのだといえる。
わたしが課題とすべきなのは、そうした、世界の混迷を深め、錯綜をより錯綜させるような視点に与することではなく、被支配階級が繰り広げている日々の闘いのなかに、階級闘争的観点をもってその闘いの性格を見極め、その闘いを階級闘争に転換できる情勢判断と行動を見いだすことにある。それらは、常に隠蔽され、歪曲されてわたしたちに伝えられる、それに惑わされない知的営為として大切であると考えるからである。
したがって、この「骨 還せ」訴訟を報告するにあたっても、そのような視点で再構成できるとよかったと思う。しかし、そのためには力量が備わっていない自分を見いだすしかなかった。それであっても、いま、求められているのは戸坂潤が果たした『日本イデオロギー論』のように、時代精神の在処をみきわめ、それにたいする仮借ない批判精神をもってする批評活動であると思う。そのような批評活動がなせることを望みながら、今後のわたしの課題としたいことを申し添えて、拙稿を締めくくることにする。

*1〈ご案内〉
「骨 還せ」原告側の活動に興味のある方は下記の名称をネット検索してください。
①『琉球遺骨の返還を求めて』
②『琉球遺骨返還請求訴訟支援 全国連絡会』
③『人骨問題を考える連続学習会@京都大学』
*2〈訂正のお願い〉
前号で記載間違いがあり、読者の方からお葉書でご指摘いただきました。感謝です。訂正すべき個所は新聞九ページの上から六段目〈坪井五郎(一八六三―一九三五)〉は〈坪井正五郎(一八六三―一九一三)〉の誤記です。