日本学術会議任命拒否問題が突き付ける課題
学園内に抵抗すべき組織の思想を 
                         

教育の不自由

高校生が進学を希望していれば、まず家庭の収入に十分余裕があるかを確認する。勉強が出来るかしたいかは二の次である。まず、一〇〇万円ほどの初年度納入金(入学金と授業料)を合格発表から一、二週間以内に入金しなければならない。その後も毎年授業料だけで六〇万から一五〇万円、これに諸々の教材や実習費。そして授業料は年々上がり続けている。「奨学金」という名の高利教育ローンか厳しい条件付きの修学支援金に頼るしかない。アルバイトに精を出さざるを得ないが学習時間は削られる。そして金に苦労していない周りの友人との格差を見せつけられる。卒業するころには数百万円もの借金を背負っている。大学卒業時の就職活動の困難さは、数十社も受験し続ける大学生の姿がよく報道されているとおりだ。それをすべて一人で乗り越えなければならない。
一方高校生の就職活動なら、高校が職業安定所の出先機関となり、教員が会社との連絡調整、求人票の見方、会社見学、履歴書の書き方、面接などを手とり足とり指導する。そしてほぼ全員が正規雇用を得る。
本人が進学を希望し、それに見合うだけの学力があっても進学をあきらめさせることは当たり前にある。そんな残酷な選択を勧めることはできないのだ。わたしも以前はこころを痛めたが今は慣れてしまった。それは「自由意思」を疎外する人権無視の指導であろうか。
金がなければ教育や学習の自由も、ましてや「学問の自由」などないのである。

学問の不自由

では運よく大学に進学できた場合はどうだろうか。わたしが大学院生だった二〇数年前は「産学共同」が盛んに言われ始めた頃だった。ある友人は企業との「共同研究」を卒論にしていたが、「良い実験結果が出れば特許の手続きに入るから実験は中止」、「実験データは会社の物になる」とその企業派遣の「研究員」に言われたそうだ。かれは高い学費を払って企業の下請けをやらされているようだと愚痴をこぼしていた。企業にとって研究開発部門は金食い虫だ。実験結果がヒット商品に結び付くことは稀で、特許申請で競争相手に負ければ膨大な投資が水泡に帰す。しかし大学にやらせればそのリスクを下げられる。
当時わたしは学生寮の廃寮反対運動の只中にあった。全国で進められた自治寮廃止の背景には政府・文部省の学生運動つぶし、教授会の形骸化策があり、それは「大学自治」を破壊し、大学を掌握しようとする日本資本家階級の悲願に沿ったものだった。そして「競争的環境の中で個性輝く大学」(九九年の大学審答申)それに続く国立学校設置法の改正(九九年)、とくに国立大学の独立行政法人化(〇四年)によって「大学自治」を掲げて抵抗し得る大学内の組織はほぼ潰されて(自ら売り渡したともいえる)しまったように見える。
その結果どうなったか。あらゆる大学からの学生スペースや立て看板などが縮小・撤去され、学生運動以外でも自主的活動全般が縮小された。〇四年以降の国立大学への運営交付金は毎年約一%削減され、一兆二四〇〇億円から一兆一〇〇億円へと、この一五年間で約一四〇〇億円が削られた。さらに国立大約九〇校の内たった二校(東大と京大)に全交付金の一三%が集中している。私立大学への運営補助費の現状はさらに酷い。国立大のそれと比べると、一校当たりで平均換算すれば私立は国立の約三五分の一に過ぎない。この三〇年間で大学本務教員は約四割から二・五割にまで減らされ、教授、准教授は毎年一〇〇以上の項目を査定され給与を決められている。若手研究者の雇用形態はほとんど非正規であり二、三年後の身分保障もない。当然、大学に残る学生・院生は年々減り続けている。発表論文の量と質ともに落ち、被引用頻度も低下しているという。
先日、中曽根康弘の葬式に合わせて弔旗を掲げろとの文科省からの「通知」に対し、国立大八二校(大学院大を除く)のうち、五六校(約七割)が弔旗や半旗を掲げたという。中曽根と言えば臨教審をつくり、教育の民営化論に先鞭をつけ、現在の大学の荒廃に大きな役割を演じた人間である。その葬式に半旗を掲げるところに「大学自治」の悲惨な内実が象徴的に表れている。
「学問の自由」は崩壊の一途をたどっている。
今回の日本学術会議に対する菅政権の攻撃は、その予算が年間一〇億円程度とはいえ象徴的な意味を持つ。上述した状況下にある日本の学者・研究者への脅し効果は抜群だろう。「日本学術振興会(JSPS)」には年間約二六〇〇億円が「科学技術振興機構(JST)」には年間約一〇〇〇億円が投じられている。任命拒否と同じ理屈で研究費の「効率化」がより加速するだろう。しかし、「産学共同」は当たり前になったとはいえ、さすがに「軍学共同」は思うように進んでいない。防衛省助成制度はいまでは年約一〇〇億円の予算が組まれているが大学からの応募は少ないという。軍ともなれば企業の特許競争の秘匿性とは桁が違うからだ。今回の事件には、世界的市場競争や軍備競争での立ち遅れに対する日本資本の苛立ちが透けて見えてくる。

われわれの弱点を乗り越えるために

「学問の自由」とは何か。日本では天皇制国家の軍国主義体制下において、教育機関や研究機関が国家権力により掌握され、それを通じて大資本に掌握され、戦争政策の遂行に絶大な役割を担わされてきた。その反省に立って国家権力や大資本からの教育・研究機関の独立が宣言された。それが戦後に求められていた「学問の自由」「教育の自由」である。日本学術会議だけでなく、多くの諸学会、学術団体が一貫して学問と軍隊の結びつきに対し反対を掲げてきたことや、今回のような学者の国家権力への追従を強いる露骨な策動に対しても多くの学者や団体が一斉に反対の声を上げるなどには、この戦争協力への反省が受け継がれている。
その一方で日本学術会議任命拒否への反対の論調には、憲法の曲解、国会無視の不当性、そして「学問の自由を守れ」が主な論調となっている。それらの主張は正しくはあるが、上述した大学や教育現場の切実な現実と照らしてみると曖昧である、とわたしは思う。
七〇年前、日本学術会議の発足に際しては、日本帝国主義の戦争政策、侵略戦争に日本の学者が追従した責任を根本的に反省するべきだとの方向が確認されていた。しかしその痛切な反省は「これまでわが国の科学者が(傍点)とりきたった態度(傍点)について強く反省し…」(一九四九年一月「日本学術会議の発足にあたっての科学者としての決意表明」)という曖昧表現にとどまってしまった(『自伝的戦後史』羽仁五郎)。この態度の曖昧さが今に至ってもわれわれの弱点として克服できていないと思うのである。
「独立独歩の方針を貫きたいのなら、国から一切の資金援助を受けるべきではありません。」「国のために役に立つ研究(ここでは軍事研究のこと)をなぜ率先してしようとしないのでしょうか。」(百田尚樹『偽善者たちへ』)とか「学問の自由や独立を叫ぶ前に、まずは金の面で自立しろ。」(橋下徹十月十六日のTwitter)との言い方が多数の支持を受ける現状がある。日常生活の中で「受益者負担」を自明とさせられ、資本主義社会での不自由さを受け入れさせられている層は、その不自由さをもたらす原因や、それに抵抗する術からも疎外されているのだ。生存が危ぶまれ自由から疎外された者の目には「自由」の主張が特権に映る。「あんたは自由を言える立場にあるんだね」と。
「学問」とは何かを論じるつもりはないが、少なくとも「特別な存在」の否定から出発するとわたしは考えている。一方で支配階級は多数を支配するために「特別の存在」を捏造する。それが王や神、それに類するものである。科学の歴史が宗教との闘争、国家権力への抵抗の形をとる所以である。つまり「学問の自由」即ち「人民の自由」である。
今日の左派の主張の多くは「学問の自由」と「人民の自由」とを結び付けられていない。つまり眼前に在る階級対立を認識できない弱点を突かれているのだ。支配階級とその代弁者たちはわれわれの弱点をよく知っているのである。
われわれの課題は、正しいことを言うだけではなく、反動を覆せるだけの現実的力量をどうしたら持てるかである。七〇年前の反省の曖昧さを反省しなければならない。そのとき「学問の自由」が一部学者だけの自由とする認識は否定されなければならない。前半に報告したような学校、大学の不自由な現状との闘争が呼び掛けられねばならない。資本主義社会の原罪的搾取や貧困との闘争が呼び掛けられねばならない。そのために、学園内の抵抗すべき諸団体が再組織されなければならない。
抵抗運動を通じた内部的議論によって弱点の克服が意識的に追求されなければならない。そして議論はわれわれの意思の問題である。
【藤原 晃・学校労働者】