ブルジョワ独裁の「権力継承劇」に鉾をおさめるな
合言葉は「Them & Us(やつらとわれら)」だ!                          

八月二十八日、安倍晋三はみずから首相の座をおりることを表明し、九月十六日、その跡を内閣官房長官の菅義偉が引き継ぎ首相の座についた。

仕組まれた辞任劇

われわれは、自民党の総裁選も含めて周到に準備されたこの「権力継承劇」を連日否応なく目の当たりにさせられてきた。なぜ「劇」と言うのか? そうでなければ、大名行列のように黒塗りの車列をひきいて安倍が慶応病院にのりこむはずがなかろう。ブルジョワ社会において一国の首班の健康問題は機密中の機密に属する。それを、マスメディアも事前に配置して病院への入出現場を撮影させるのを「劇(ショウ)」と言わずして、なんと言うのか!
こうした「辞任劇」に対して、ブルジョワ議会の野党議員たちはお定まりの「フェアプレイ」精神を発揮して、本心かどうかは別にして、まずは安倍の病状に対する「お見舞い」の言葉を述べる、さもそれが徳のある人としての良識であるといわんばかりに。それに釣られて市井の民までが「安倍さん、かわいそう」「安倍さん、よくがんばったね」と言いだす始末。こうして、ブルジョワ独裁の「継承劇」は波乱なく終了し、支持率三割台にまで落ち込んでいた安倍政権の跡を継いだ菅政権は六割~七割台の高支持率を得た。残されたのは、階級性を去勢され、「国民」という鋳型に嵌め込まれた日本人民の無惨な姿である。こんな「フェアプレイ」精神など犬にでも食われてしまえ! と心底わたしは思う。

人民の変化の兆し

われわれは、ひとり高みに立ってこんなことを言っているのではない。壊憲NO! 96条改悪反対連絡会議の仲間とともにわれわれが東京・新宿駅頭でPCR検査要求署名に取り組んだ七月三十日の時点では、九〇秒に一人の割合で、老いも若きも男女の別もなく、道行く人びとが足を止めペンを握って署名に加わり、口々に安倍政権の人命軽視=資本家防衛の経済優先政策を批判する姿があった。そのかれら彼女らの不平や不満の口吻のなかには原初的ではあれ、ブルジョワ・イデオロギーに絡めとられた「国民」意識を突き破って人民意識に生成転化する契機があったのである。
さらに組織された労働者が今回のPCR検査要求署名に果たした役割も特筆すべきだ。東京清掃労組と全水道東京水道労組だけで同署名第一次集約分五二七三筆のじつに三分の二近い署名を集めたのである。さらに、長期にわたる警察・検察権力からの弾圧にさらされながら団結して闘い抜く全日建関西生コン支部からも組織的な署名が寄せられた。ひとたび労働組合の執行部が方針を決定し、組合員がこれに応えて起ち上がれば、組織された労働者はこうした力を発揮する。たかが署名というなかれ。われわれはこの夏、この署名活動の実践をつうじて、コロナ禍における人民の変化の兆しと組織された労働者の力を学んだのだ。
支配階級はこうした人民内部の変化の兆しを階級的に察知したからこそ、それが成長するのを未然に封じ込めようと、(おそらくは米帝国主義の了解も得て――菅は昨年五月に単独訪米し官民要人と会談している)「安倍辞任劇」という予防反革命を筋書きどおり実行に移したのだ。

百鬼夜行の世界

モリ・カケ・桜とジャパンライフ詐欺・賭博検事長にIR担当副相秋元の汚職事件、元法相河井夫妻の贈収賄事件などなど、日本の積弊とも言うべき権力型事件が安倍政権下で続発し、これにコロナ禍での持続化給付金事業をめぐる電通・パソナ(会長は竹中平蔵だ)などへの資金還流、「GoToトラベル」キャンペーン(自民党の二階幹事長は全国旅行業協会の会長職に三〇年近く就いている)など、人命を犠牲にして金儲け第一の景気浮揚策が続く。こうした政策が打ち出される度に、その利権にありつこうと背広を着た盗賊どもがハイエナのように群がり百鬼夜行の世界が広がる。
そればかりではない。安倍はこの「権力継承劇」が遺漏なくすすめられているのをみて、九月十一日「ミサイル阻止に関する安全保障政策の新たな方針」と名付けた首相談話を発表し、「敵基地攻撃能力」の保有を次期政権に託した。それは中国の国際的な台頭を見越しての日米合作のあらたな対中国そして対朝鮮攻撃にほかならない。二〇一四年の集団的自衛権行使容認の閣議決定から翌一五年の安保法制の国会通過強行、そしてこの度の「敵基地攻撃能力」の保有は一つながりのものだ。菅新政権が引き継ぐこの攻撃をわれわれはけっして許してはならない。

問題はどこにある

繰り返すが、われわれはこの夏、「国民」意識を突き破って人民意識に生成転化する契機を垣間見、学んだ。そして、その人民内部の変化の兆しは、支配階級をして「権力継承劇」をとらざるを得ないところまですすめた。それは、辺野古新基地建設反対の闘いに示されているように、決して屈せず日夜つづけてきた全国無数の闘いがあったればこその現段階の到達点であったともいえる。だが、その闘いの到達点が、「安倍辞任劇」の発動によって一夜にしてひっくり返される事態も、われわれは目撃した。
では、問題はどこにあるのか? それは、人民のこのような自然発生的な不平や不満を物質的な力にまとめ上げ、全国的な政治闘争を起こしていく政治指導部がこの国に不在であることだ。次に、どうしたらこの政治指導部を形成できるか? それは本来であれば、日本共産党が担うべき任務だ。だが、二年後に党創建一〇〇周年を迎えるこの伝統ある党は、インターナショナリズムを「自主独立」の旗印に変え、ブルジョワ議会主義に埋没して「野党連合政権」を夢見、労働者階級を基礎に労働運動を基軸にすえた大衆闘争を起こすことから遠ざかって「市民と野党の共闘」に走っている。また理論的には、レーニン主義を否定してカウツキー主義(すなわち、第二インターナショナル路線)に落ち込んでいる。
われわれはこうした路線ではなく、しっかりとした階級観・国家観にたった活動家の集団が労働運動と結びついて大衆闘争が形成されることが不可欠と考える。それには、現在の党指導部の方針に対して批判意識をもつ日本共産党員とも課題を共有し活動をともにすることも可能だし、じじつ協力しあう党員もいる。
かく言うわれわれも、集団結成五一年を経てなおその任を果しているとは言えない。しかし、ソ連邦の倒壊から三〇年になろうとしている現在も、社会主義、インターナショナリズム、労働運動強化、この三つの旗幟はいまも高く掲げて活動している。
いま、安倍の去った跡には人民の血のりと怨嗟がこびりついている。近畿財務局の赤木俊夫氏の無念の自死しかり。コロナ禍のさなか、PCR検査を拒まれ自宅待機を余儀なくされたあげく体調に異変を覚え病院に向かう途中の道端で野垂れ死にした埼玉の高齢の男性しかり。はっきり言うが、かれらは安倍によって殺されたのだ。
血まみれの安倍は政権の座から降りたが、安倍政治を木で鼻をくくったような態度で平然と補佐して人民殺しを執行してきた菅が、いまその跡を継いだ。菅もまた、労働者・人民の無数の生き血をあびて血まみれなのだ。われわれは、無念にも斃れていった無数の屍を前に、階級的復讐心をもって報復を誓う。
「Them & Us(やつらとわれら)」――これこそ、階級闘争に対する基本的構えだ。やつら(ブルジョワ階級)とわれら(労働者階級)の間にはけっして和解はない。
【土松克典】
(『思想運動』1057号 2020年10月1日号)