労働運動時評
階級的思想に立つ賃金闘争の構築を
経団連「日本型雇用見直し」は賃金制度改悪と一体だ
自発的従属を強要する経労委報告
三月十一日、今春闘の大手企業の一斉回答は基本給の一律引上げ=ベースアップ(ベア)要求に対するゼロ回答、低額回答が相次いだ。連合の第一回集計では定期昇給分込みの賃上げ率が一・九一パーセントと、七年ぶりに二パーセントを割り込む結果となった。
一昨年からベア要求額、妥結額を非公表としてきたトヨタ自動車は、月一万一〇〇円(定期昇給、手当など含む)の賃上げ要求に対し八六〇〇円を回答したが、うちベースアップはゼロとあえて公表した。マツダもベアゼロ、ホンダはベア五百円。鉄鋼では日本製鉄、JFEスチール、神戸製鋼の大手三社が労組の求めた月三千円のベアを見送ると回答した。ヤマト運輸、日本郵政もベアゼロだった。
そもそも、企業別に組織された日本の労働組合が、企業間競争を意識した要求自粛などの弱点を克服するため、同時期に同水準の要求を掲げて交渉し、企業・産業を超える賃上げをめざしたのが春闘方式だった。しかしながら、今春闘で明らかになったのは、総額人件費管理の下、支払能力の範囲内で、個別資本の事情に応じて賃金決定するが「相場形成」などは許さないという独占の固い意志と、春闘相場をリードし形成する役割と意志を放棄した民間大単産、単組の姿であった。
自動車総連は二年連続でベアの統一要求を行なわなかった。トヨタ、日産、マツダ、スバルなどがベア要求額を示さない総額での要求に切り替えている。そればかりかトヨタ労組は、ベアの配分を職能個人給に一本化し、査定によるベアの格差づけすら要求していた。
電機連合はこれまで主要一三社の労組が同じ要求を掲げ同じ回答を引き出す統一交渉・統一回答にこだわってきたが、今春闘では回答のばらつきを容認するに至った。日立製作所が一五〇〇円のベアを回答したものの、パナソニックとNECは一千円の回答に企業型確定拠出年金(DC)の掛金増額分を含めるとして、ベアは一千円を下回った。
日本経済新聞をはじめとするブルジョアマスコミは、こうした動きを「脱一律」と大々的に報じて独占の攻勢を後押ししたのだった。
一月二十一日に公表された経団連の経営労働政策特別委員会(経労委)報告は、「ソサエティ五・〇時代を切り拓くエンゲージメントと価値創造力の向上」の副題のとおり、付加価値の高い製品やサービスを生み出し新たな価値創造を目指すことを喫緊の課題とした。求められる能力や知識・経験の変化に対応した教育・職業訓練の強化、労働市場の流動化の促進に加えて、これまでのインプットの効率化(労働量の削減)からアウトプットの最大化(質の向上と多様化)による飛躍的な労働生産性の向上を目指し、そのためには「働き手のエンゲージメント」すなわち「働き手にとって組織目標の達成と自らの成長の方向が一致し、組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢」が重要だとした。
目新しいことは何もない。労働者に「経営者のように考える」こと、「強制された自発性」(熊沢誠)の発揮を求めているのだ。
また経労委報告は、最適な「メンバーシップ型」と「ジョブ型」の雇用区分を組み合わせ、「自社型」雇用システムを確立するとしており、昨年の報告と比べても、日本型雇用慣行の見直し、すなわち新卒一括採用の縮小と中途・ジョブ型採用の拡大、年功的な賃金体系の見直し・縮小、解雇の金銭解決導入等によるいっそうの雇用流動化、裁量労働制の拡大などを強調している。
いっぽう安倍政権は、経団連など独占の意向を踏まえながら、経済財政諮問会議や未来投資会議を使って、新たな成長戦略実行計画の策定に向けて当面の検討課題や重点政策を整理しつつある。二月七日の未来投資会議では、
●企業のスピンオフ(事業分割)や不採算部門の営業譲渡など、事業再編促進のための環境整備
●兼業・副業の促進に向けた労働時間管理方法の検討
●フリーランスなど雇用によらない働き方の環境整備
●労働市場の「分極化」(中スキルの製造・販売・事務の職が減り、低賃金の個人向けサービスと高賃金の技術・専門職に二極化していくことを指す)に対応した大学教育と産業界、社会人の創造性育成などが課題として挙げられた。
三月十日の経済財政諮問会議では複数の民間議員が、今回のコロナ感染症対策を機にリモートワーク、オンライン授業(在宅学習)や遠隔医療、オンライン投薬などのデジタル化と中小企業での生産性向上対策を推進すべきと発言した。竹中平蔵は雑誌のインタビュー記事で「日本で感染者の移動経路が特定しにくいのはライドシェア、配車アプリが認められていないからだ」「抵抗勢力が邪魔して実現しなかったことをこの際やりましょう」と語った。惨事便乗型と呼ぶにふさわしい、唾棄すべき「有識者」たちがこの国の政策を決定している。
新型コロナウィルスの世界的大流行の背景に、たとえばイタリアにおいてはEU指令に基づいて進められた医療の営利化、民営化と公的医療の縮小があったことが、いずれ明らかにされるだろう。ウィルスよりも資本主義体制こそが労働者人民の命と健康にとって脅威なのだ。
危機に立つ多国籍資本トヨタ
トヨタは、現在、株式時価総額で世界五〇位以内に入る唯一の日本企業だ。生産台数の六割を海外生産し、八割を海外で販売している多国籍企業でもある。
その二〇一九年上半期決算の営業利益は前年同期比一一パーセント増の一兆四千億円、純利益は二・六パーセント増の一兆三千億円と過去最高益を記録している。しかしこれは連結決算の話で、単独決算(国内事業)を見ると、営業利益は五三〇〇億円(九パーセント減)、経常利益は一七パーセント減、当期純利益は一四パーセント減だ。過去最高益にもかかわらずトヨタが賃金抑制と合理化をすすめる理由のひとつがここにある。
しかし、重大なのはトヨタがCASE対応に出遅れたことだ。
自動車産業は一〇〇年に一度の変革期、CASE革命に直面していると言われる。CASEとは、
C:コネクテッド(インターネットとの接続)
A:オートノマス(自動運転技術)
S:シェアリング(所有から共有、利用へ)
E:電動化(ガソリン車から電気自動車EVへ)
を意味する。つまり、トヨタのような既存の自動車会社が優位とは限らないのだ。さらに、中国やヨーロッパ、米国などが強力な排ガス規制の実施を決め、電気自動車への速やかな移行が不可避となった。
もちろん、トヨタも手は打っている。電動車両の普及目標五五〇万台を二〇三〇年から二〇二五年へ五年前倒し、車載電池の供給確保では中国企業と手を組んだ。
また、ソフトバンクと提携してモネ・テクノロジーズを設立し次世代移動サービスのプラットフォームづくりに着手。さらに、二〇二〇年末に閉鎖予定の東富士工場の跡地に「ウーブン・シティ」と名付ける自動運転の実証実験の都市をつくる構想を発表した。当初は従業員と関係者ら約二千人の居住を見込むという。
二〇一八年度、日本自動車工業会(自工会)は国民政治協会へ八千万円、トヨタを含む自工会会員企業一二社は計二億四千万円を献金している。その成果か、二〇一九年度税制改正で自動車税一三〇〇億円規模の恒久減税措置が行われたほか、公道での自動運転技術実用化を法的に可能にする道路交通法改正も行なわれた。国家戦略特区制度を活用するスーパーシティ特区法案の国会提出も準備されている。政府与党から自動車産業への手厚い保護を確保しつつ、かつて豊田織機からトヨタ自動車に事業転換を果たしたように、Maas(=総合的な移動サービス提供者)への転換をなし遂げようとしているのだ。
しかし、トヨタ資本の危機感は強い。二〇一九春闘では豊田章男社長が「組合、会社とも、生きるか死ぬかの状況がわかっていない」と一喝、冬の一時金要求への回答を留保して、労使で「全員一律賃上げの見直し」協議を始めた(『思想運動』二〇一九年七月一日号既報)。今春闘の労使協議会では、会社側と労組側が向き合う通常の席配置ではなく、机が三角形の形に並べられ、一辺には組合員、一辺には組合員でない管理職層が座り、「労使」の協議に加えて社長ら経営トップが中間管理職層とも協議する異例の形をとった。中間管理職層に対する生産現場労働者や下層ホワイトカラー労働者の不満を取り込む形で、組合員のみならず中間管理職層にも「働き方」を変えるよう迫ったのだ。まさしく経労委報告のキーワード「エンゲージメント」の強制にほかならない。
トヨタ労組は、トヨタ資本の求めに応じ今春闘で人事評価によるベアの傾斜配分を要求するに至った。しかしトヨタ資本は冷徹にもベアゼロを押し通し、ベアのみならず定期昇給でも人事評価で格差を広げるよう労資協議を始めている。
二〇一八年からトヨタ労組はベア要求額を明らかにせず、ベア回答額も非公表としてきた。トヨタは労資で「ベア回答が中小企業の賃上げの上限になってしまい格差是正の障壁になっているから」とうそぶいてきたのだが、にもかかわらず今春闘ではトヨタ資本はあえて「ベアゼロ」と声高に公表した。語るに落ちるとはこのことだ。ベースアップという仕組みをなくし、賃金制度そのものの改悪を押し広げることがトヨタを尖兵とする独占の狙いなのだ。神津連合会長が十四日の会見で「経営側がことさらにベアゼロと言ったのか、釈然としない。世の中に向けていう必要はない」と憤ったのも無理はない。
トヨタだけではない。三菱UFJ銀行労組はベア要求をやめ、給与プラス賞与の総額の増額要求に切り替えた。行員ごとの賃上げに人事評価で格差をつけることを容認するものだ。NECは二〇二一年から新卒初任給の一律同額支給をやめ、役割に応じて報酬水準を変えるという。日立は専門能力に応じた処遇の「ジョブ型」雇用を四月からスタートする。日立幹部は「近い将来、職種や職務によって報酬体系が異なり、一律ベアの意味は無くなる」と語っている(三月十二日付日本経済新聞)。
雇用者の恣意によってバラバラに賃金が決定されるとは、いったいいつの時代の話か?
階級的な運動の前進を!
中小労組の春闘はまだ続いている。春闘は大手・民間大企業だけのものではない。連合の春季生活闘争方針の「底上げ(定昇相当分+引上げ率)、格差是正(=企業規模間、雇用形態間、男女間の格差の是正)、底支え(=企業内最賃協定締結)」はそれ自体は間違っていない。しかし、生産性基準原理や支払能力論、支配階級のイデオロギーにからめ取られない、労働者自身の・労働組合としての階級的思想と階級的立場を確立する大衆的な学習と、スト権の行使を含む実力行使がなければ、それは言葉だけのスローガンに終わるほかはない。
階級的な(階級志向の)運動を一歩でも二歩でも前進させよう!
【吉良 寛(自治体労働者)】
(『思想運動』1051号 2020年4月1日号)
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