12・3安和海上大行動に準備から参加
カヌー66艇も参加し陸と海を結び連帯確認


十一月二十九日から十二月四日まで、辺野古へ海上座り込みに行った。冬の海は連日強風波浪警報が出て荒れていた。十二月三日に「安和海上大行動」の計画があった。カヌー申し込みは六六艇だ。
一昨年十二月三日、政府は当初土砂搬出を宣言していた塩川港桟橋が台風で破損したため琉球セメント安和桟橋からの運搬を強行した。この土砂投入以降も抗議船団とカヌーチームは安和―辺野古・大浦湾でひるまず粘り強く、黙々と座り込みを続けている。辺野古東海岸から安和西海岸へカヌーや物資を運ぶ大がかりな準備を労を厭わず行なう姿勢とチームワークには学ぶことが多かった。カヌーに乗ったことがない人、ブランクのある人のために連日カヌー教室も開催された。
十一月二十九日(金) この日は安和行動の日。朝のミーティングで安全確保について厳しい確認があった。雷がきたら逃げなければならない。身を守るため、すぐにカヌーを離れて移動できるように自分たちはハサミを携帯する、運搬船付近は波の衝撃で桟橋に挟まれる、海保も危険は同じだ、どこにカヌーを結わくか考慮する、などを確認した。辺野古テント2から一〇艇のカヌーを安和へ運ぶ。
この日、土砂運搬作業を始める様子はなかったが、安和の海を知るために海に出た。桟橋の下は満潮時で頭をぶつけないよう身を折り漕ぐ。稚魚たちが群れ泳ぐさまは本当に美しい。名護湾の自然の豊かさを感じる。浜へ帰る時、向かい風でうねりが強く流された。抗議ボートが「牽引します」と近づいて来たが、なんとか自力で浜へ。その後、琉球セメント門前抗議デモに合流する。琉球セメント敷地内は、大量の赤土が所狭しと山積みだった。それでもダンプが切れ目なく土砂を運び込む。この状況を県は知っているのだろうか。三日の準備のため、横断幕設置場所の草刈り、カヌー置き場(六六艇分)確保のための浜の整備を終え、塩川港へ行った。一帯は琉球セメント鉱山で、山をいくつ切り崩すのだろう。削られた山々が痛々しかった。塩川港は県の許可で昨年四月から土砂運搬を始めた。塩川は外海であるため、波が荒い。今日は船が接岸できず、誰もいない閑散とした桟橋だった。
十一月三十日(土) カヌー一〇艇と抗議船三隻が辺野古浜からK―8護岸へ向かう。K―8では台船から土砂が陸揚げされ、埋め立て作業が進められている。波のうねりが強く、K―2護岸付近で引き返した。
十二月一日(日) カヌー教室に二五名参加。浜テント前の湾内で練習。荒波だったが、三日に向けて皆真剣だった。夕方、カヌー教室責任者の金治明さんらと、兵庫辺野古ブルーの人たちで安和村落全戸へ「海上大行動」のビラを配った。小さな静かな村落で行き交う人に声をかけた。受け取り良好。
一人の若い男性が走ってきて「話したいから家に来てくれ」と言う。「そんなもの配るな、迷惑してるんだ、あんたらのために道路が渋滞する、仕事が進まない、日当はいくらもらっているんだ。中国や朝鮮から米軍が沖縄を守っているんだ」とどなる。「新基地建設に反対するのは沖縄だけの問題ではない、自分や子や孫の平和を願っての行動だから運賃や宿泊費を使ってでも沖縄に来るのだ」と話す。しかし堂々巡り。父親が来て「道の真ん中で大声出すんじゃない、それぞれの考えがあるんだ」と興奮した息子を連れ帰った。
十二月二日(月) 強風波浪警報のため辺野古・大浦湾の抗議行動は中止。一〇名がカヌー教室に参加、六名が抗議船で監視行動、他の人は翌日の準備だ。わたしは抗議船に乗った。
四か月ぶりのK8護岸は、先端部に波消ブロックが山のように積まれていた。高波のため、オイルフェンスのおもりが海底の草を削る。工事を進めることは海を殺すことだ。海上は寒風と強いうねりで抗議船は長島、平島の前で引き返した。作業はない様子だった。陸に上がり、準備作業に加わる。わたしは横断幕設置チームで安和までブロックを運ぶ。警官が「ブロックで何をするのか」としつこく質問し、公安が六~七名やって来た。翌日の準備の時に通行人の安全な場所をどう確保するかを互いに確認した。
十二月三日(火) 海上大行動当日。早朝の沖縄は真っ暗で寒い。強風波浪警報は出たが、雨の心配はなし。集合七時の浜テント2に各地からカヌーメンバーが結集した。安和桟橋では琉球セメントの石炭船が日曜日から作業中だ。今日は土砂搬出作業を止めた。阻止行動は中止で、海と陸からの「連帯行動集会」決行のため、安和へ向かう。
九時半、琉球セメント門前デモに合流、一〇〇名を超える機動隊員がダンプを阻止するデモ隊と揉みあう激しい状態の最中であった。高圧的にデモ隊を押さえつけ、赤信号でも道路に並んだ四〇~五〇台のダンプを次つぎと入れる。デモ隊も負けていないが数の力で制圧してきた。海の搬出を止めても、土砂のストックはダンプ七〇〇台ぐらいあるとのことだ。琉球セメントに土砂置き場を許可した県の姿勢を問いたい。
一一時から始まった連帯集会には、陸が一五〇名、海がカヌー六六艇、それに抗議船で二三〇名が参加した。互いに討論し、不屈に闘おうと確認し合った良い集会だった。
十二月四日(水) 安和行動の日。カヌー乗り手二三人が集まる。ミーティングで琉球セメント石炭船が引き続き作業中のため、阻止行動は辺野古に変更された。が、われわれの力を見せた次の日だからこそ安和で抵抗の意志を示すべきとの強い意見が出て、安和で監視行動となる。カヌー二三艇を車二台に分け運ぶ。道路にカヌーが散乱しないよう、後方車がロープの異状を監視する。わたしは助手席無線でカヌーを載せた車と連絡をとりあう。琉球セメント石炭船が出港した。その日、運搬作業はなく、カヌーで思い切り伸びやかにカヌーの腕を磨いた。
「怯むことなく寡黙に、そして、愚直に座り込み、しなやかに闘い続けている」と金治明さんは言う。ゆっくり隊でカヌーの仲間が増えることがこの闘いを左右する。ぜひカヌーに乗ってみよう。【大舘まゆみ】

(『思想運動』1048号 2020年1月1日号)