労働現場こそが階級闘争の主戦場だ
「働き方改革」を蹴散らし、「闘い方改革」を!


こんにち、トランプ・安倍らをはじめする極右ポピュリズム、民族排外主義、歴史修正主義政権とその支持母体の政党・政治グループが、全世界で跋扈している。
帝国主義諸国は、相互に対立しつつも、また中国をはじめとする新興諸国の猛追に脅威を感じながらも、共通の利害を維持するために、各国の労働者階級人民が団結し社会主義に向けて前進しないよう、金融支配を徹底的に強化し、国連・世界銀行・IMF(国際通貨基金)・WTO(世界貿易機関)などの国際機関をつうじて、また議会、司法、警察・軍隊、権力の手先の国際情報機関・マスコミを使って、社会主義運動、労働組合運動をはじめとする社会変革に向けた動きを弾圧し、虚偽宣伝をばらまき、分断策動を推し進めている。その最たるものが、いまも「国際正義」「自由と民主主義」の名のもとで継続されている侵略戦争だ。
しかし、これと対決すべき労働者階級人民の陣営は、一九八九~九一年のソ連・東欧社会主義体制の倒壊以降、ギリシャ共産党のイニシアチーフによる年一回の共産党・労働者党国際会議の開催、キューバ、朝鮮、ベネズエラなどの社会主義建設にむけた苦闘、またささまざまな矛盾を抱えつつも進められている中国・ベトナムなどの社会主義市場経済等々の実践があるものの、世界はいまなお資本主義陣営に優位な状況にある。
日本共産党をはじめとする先進資本主義国の共産党の大多数は、民族主義、議会主義、大衆追随主義にはまり込み、帝国主義・自国独占資本との対決を回避し、同時に自国の労働者階級人民を社会主義に向けて鍛えあげる任務を放棄している。とりわけ日本では、腐敗・堕落しきった安倍長期ブルジョワ独裁政権との対決の視点が、「野党共闘」、議会選挙、議会や国会前での「闘い」に切り縮められたままで、労働組合運動の強化・再建の課題は投げ捨てられ、階級闘争、社会主義という言葉はいまや死語と化している状況にある。
労働組合の組織率は一七%を割り込み一六%台に落ち込んだ。それよりなにより、資本家階級の長期的視点に立った労働政策によって多種多様な非正規雇用労働者が大量に作り出され、いっぽう連合の主流は大企業正社員クラブと化し、それすらいまは各種審議会の委員にさえ呼ばれない状況で、社会的影響力は地に落ちている。
しかしながら、まったく闘いや展望がないわけではない。日米支配階級からの長年にわたる差別と弾圧を受けながらも、沖縄県民、そして在日朝鮮・韓国人民は決して諦めることなくその闘いを継続しているし、解雇撤回や劣悪な労働条件を改善するための闘いは、各地で果敢に闘われている。視野を世界に広げれば、キューバ、朝鮮、ベネズエラ、さらにフランスやチリで、そして韓国で、労働者階級人民は自らの未来を切り開くために連日奮闘している。
困難は冷徹に見つめなければならない。しかしこういうときであるからこそ、いま、われわれ自身が社会主義をはるか彼方のものとして捉えていないか、を自問してみるべきではないだろうか。その上で、たとえ粗削りでも、失笑を受けてでも、ブルジョワ世界の「常識」や「良識」ではなく、われわれ自身の考え、闘いの方針を提出すべきなのだ。
多数が正しいとは限らない。日本社会に根強く存在する「ほかに代わりがいないから」という理由でのほぼ四〇%代を維持する安倍政権支持率、その改憲・戦争指向のアベより「護憲・平和」志向の天皇明仁の方がいいという倒錯した意識の広がり、安保・自衛隊容認、本土の沖縄認識の低さ、植民地支配責任の無自覚などをみれば、このことは明らかだ。
いずれにしても、その困難や問題を、自分自身の闘い・運動の課題として捉えない限り、それは単なる「知識」でしかない。「学者・知識人」・評論家と、われわれが目指す活動家・運動族の違いはそこにある。そうした考えから、そして人民の主体的政治参加といった観点から、われわれは、選挙中心のものの見方から大衆闘争中心のものの見方への転換を提起してきたのだ。
モリカケ、関電・敦賀原発、かんぽ保険、いじめの続発、桜を見る会等々、日本社会の規範の崩壊、忖度政治の蔓延は目を覆うばかりだ。
われわれは、資本主義の生み出す矛盾と闘うすべての運動を支持し、ともに闘う。しかし同時に、われわれはこれらの矛盾の根底に、生産手段の私的所有と資本家による労働力の搾取、全面的な金持ち優遇政策があることを常に宣伝・暴露し、その廃絶を目指して闘う。
その闘いの過程では、運動内部での批判と自己批判、論戦の展開こそが、運動に緊張感をもたらし、これを前進させる源泉だ。批判を恐れ、仲間内での論争を控えることは、百害あって一利なし。「大衆の多数が持つ考えに後ろからついていけば大衆からの支持は失わない」といったさもしい根性を振り払い、「資本主義では現代が抱える問題は決して解決できない。社会主義こそが労働者人民の目指すべき社会だ」という認識、そしてその闘いの主戦場は議会でも、街頭でもなく、労働現場にあることを肝に銘じ、二〇二〇年の活動をスタートさせたい。
〈活動家集団 思想運動〉常任運営委員会

(『思想運動』1048号 2020年1月1日号)