求められつづける闘う主体の形成
カネ万能の資本主義を打ち倒す歴史観の獲得を!

  広野省三(〈活動家集団 思想運動〉常任運営委員会責任者・本郷文化フォーラムワーカーズスクール事務局責任者)

以下に掲載する文章は、十月六日に開かれた〈活動家集団 思想運動〉第五一年度第二回全国運営委員会における「内外情勢の特徴点とHOWS(本郷文化フォーラムワーカーズスクール)二〇一九年度後期講座の計画と課題」と題する、〈活動家集団 思想運動〉常任運営委員会責任者でHOWS事務局責任者の広野省三の報告をまとめ、補正したものである。
二〇一九年十一月から二〇二〇年三月の、ほぼ半年間のわれわれの活動(その中軸となる新聞編集)に深くかかわるため、読者に公開する。積極的な意見・批判を期待する。
【編集部】

戦争の危機はどこまで進んだか――着々と進む「ファシズム法体制」

戦時体制下の法整備を研究している九州大学名誉教授の内田博文さんが、「改憲すれば戦時体制完成 今は『昭和3年』と酷似」と発言している(『毎日新聞』九月二十四日付・夕刊)。内田さんの専門は刑事法学で、著書に『治安維持法と共謀罪』(岩波新書)などがある。
第二次安倍政権発足(二〇一二年)以降、特定秘密保護法制定(一三年)、集団的自衛権行使容認の閣議決定(一四年)、自衛隊の海外での武力行使を可能にする安全保障関連法(一五年)、そして一七年には共謀罪の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪法が成立させられた。そのたびにわれわれは声をあげ、これに反対したが、ことごとく、成立を許してきてしまっている。
なぜか? それを考えるときに内田氏の指摘は重要だと思う。インタビューの最後の部分にある、闘いの方法として「違憲立法審査権を国民の最大の武器にすべき」との指摘には、運動族をめざすわたしには、それだけが闘いかな? という思いもあるが……。
内田氏が言うには、「(一九二五年に制定された治安維持法は、その三年後の)昭和3年に緊急勅令および議会の事後承諾という形で大幅に改定されました。国体の変革が厳罰化され、最高刑は死刑となりました。結社目的遂行罪も新設され、労働組合や文化団体などの取り締まりに威力を発揮します。当初、この法律が対象としたのは無政府主義者や共産党員でしたが、次第に労働組合員や反戦運動家らにも広がり、太平洋戦争直前の41年の改正時には『普通の人たち』の『普通の生活』が国の監視や取り締まりの対象となりました」。
記事は続けて、「内田さんによると、国が戦時体制を推し進める際には①治安体制 ②秘密保護・情報統制 ③国家総動員法制 ④組織法制などをセットで整備する。戦前も改正軍機保護法(37年)や国防保安法(41年)制定によって秘密保護・情報統制が進み、国家総動員法(38年)により、国家のすべての人的・物的資源を戦争遂行のために統制運用できるようにした」と述べている。
内田氏は「この流れの中で、満州事変(31年)が勃発しました。その後、日本は戦線拡大に走り、太平洋戦争になだれ込みます。昭和3年の段階であれば、治安維持法を廃止し、引き返す選択もできた。しかし当時の世論は軍部にくみし、後戻りできない状況に進んでいったのです」と説明する。その結果、われわれの先達は弾圧され、あるいは時代の流れに抗しきれずに、アジアの人民二〇〇〇万人、日本人三一〇万人にのぼるぼう大な犠牲者を出したアジア・太平洋戦争に引きずり込まれたのである。
わたしは、安倍を政治的代理人とする日本のブルジョワ支配階級は、そういう歴史の流れをきちんとみて、それを学習・教訓化しながら、いま着々と手を打ってきているのだと考えている。しかし、われわれ労働者階級人民の側が、とりわけその指導部たるべき部分が、この歴史を順序立ててつかまえ、現在何が起きているのか、これに反撃する論理と行動は何か、を提起できていないのではないか。わたしはこの記事を読んでそう強く感じた。
いま大阪府警、滋賀県警は、労働組合の関西生コン支部に対して、昨年七月からこれまで、のべ八七名を逮捕し、現在もまだ五名を勾留している。武健一委員長は一年以上にわたって不当な拘留が続いている。保釈された組合役員の多くは保釈条件により組合事務所への出入りも制限され、組合役員同士で会って話をすることすらできない状態にある。
関生支部は、産別労働組合として組合員の地位、賃金、職場の安全確保などを追求し、あわせて中小生コン企業を糾合して中小企業協同組合を結成させ、共同して大手セメント資本、建設ゼネコンと闘ってきた。
それを威力業務妨害や恐喝としてでっち上げ、大資本・警察権力が一体となって組合つぶしを大々的に展開しているのだ(『思想運動』八月号「財界・国家権力一体となった組合潰しに負けない」全日本建設運輸連帯労組・書記長小谷野毅参照)。しかし日本最大の労働組合・連合(日本労働組合総連合)などは、この闘いを積極的に支援しないし、マスコミもほとんど報道しない。
さらに国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」においての企画「表現の不自由展・その後」が一時右翼勢力の脅迫・いやがらせ行動によって中止に追い込まれ、さらに交付が内定していた七八〇〇万円を文化庁が不交付を決定するという事態が発生した。また、朝鮮高校への無償化適用裁判に対する最高裁の原告敗訴の決定。それにつづく朝鮮学校やインターナショナルスクールなど各種学校が行なう幼児教育施設への幼保無償化からの除外。かんぽ生命保険の不正販売問題を報じたNHKの番組への日本郵政グループの介入等々、こんにちの日本社会には、憲法と人権に反する出来事が続出しているのだ。
さらに「防衛省は三十日、総額五兆三千二百二十三億円に上る二〇二〇年度予算の概算要求を決定した。概算時で過去最大を六年連続で更新し、一九年度当初予算の五兆二千五百七十四億円からは1・2%増加した。短距離離陸・垂直着陸が可能な米国製ステルス戦闘機F35Bの購入費を初めて盛り込み、これらを搭載するため護衛艦『いずも』を改修して事実上の空母化をするための費用も計上した」(『東京新聞』八月十三日夕刊)。
辺野古新基地建設。与那国、奄美大島、宮古島、石垣島等南西諸島への自衛隊配備が、住民の反対の声を一切無視して強行されている。そしてつい最近では、「中東に海自独自派遣」が報道された。
日本社会にあらわれてきているこれらの現実を直視するとき、誰が「今は『昭和3年』と酷似」はしていない、と言えよう。
ブルジョワ支配階級の側は、米中逆転、朝鮮半島情勢の変化、国内の高齢化・人口減、有効な投資先の決定的不足など、国際・国内情勢が大きく変化しているなかで、どういうふうにして自分たちの権益を守っていくのか、を必死に研究している。
実際に戦争をしないで金儲けができるのであれば、戦争はしないだろう。しかし戦争しなければ金儲けができないとなれば、あるいは戦争する方が決定的に儲かるとなれば、戦争するだろう。資本主義は金儲けが第一なのだからその準備は当然やるということだ。
この資本主義の本質の把握・理解が労働者階級人民の側に弱い、というのが、わたしが『思想運動』八月号一面に「選挙中心のものの見方から、大衆闘争中心のものの見方へ転換を!」を書いたときの問題意識だ。

ブルジョワ議会選挙の本質とわれわれの闘いの基本姿勢

七月の参議院選挙では、山本太郎党首の「れいわ新選組」(以下、「れいわ」と表記)が大きな話題となった。わたしは本紙八月号第一面と、九月号付録のHOWS校務委員会座談会で、参議院選挙、そして「れいわ」の登場をどう考えるのかについて、われわれが踏まえるべき、基本的な認識について記した。この間、この二つの記事を読んで読者からの疑問も寄せられているので、これについて若干補足しながら、わたしの基本的考えを再提出したい。
八月号を読んでの意見の多くは、「れいわ」の姿勢や行動を評価すべきではないか、というものだった。これについては九月号付録のHOWS校務委員会の座談会の方で若干触れているが、わたしは「れいわ」の掲げた消費税廃止、沖縄反基地、反原発、教育問題等の政策は、いまの日本の人びとの気持ちを代弁していると考えている。
もう一つの疑問は「議会選挙をどう考えるのか」ということだ。八月号の一面を書いた後に、「わたしたちは選挙運動を一所懸命に闘った。それにもかかわらず、広野の主張は選挙なんてどうでもいいと言っているように読める」という意見が寄せられた。そのことについても、補足する意味を込めて座談会で発言した。
よく、ブルジョワ議会における選挙の勝利、つまりは「政権交代が民主主義の根幹である」と言われるが、小選挙区制の問題を含め、選挙制度そのものが資本家階級にとって非常に有利な状況で行なわれている。このことをまず、押さえておく必要がある。そしていま、選挙運動に労働組合が関与することを非常に厳しく制限するような政策がとられているし、またより深刻な問題として、労働組合自身が選挙をはじめ社会的発言機能を喪失している状態がある。そこには古くからある、労働組合は「政治」に関わるな論の拡大という面もあろう。
選挙に過度の期待を抱くなというわたしが言うのも変かもしれないが、今度の参議院選挙でも、大手の単産が推薦した全国区の候補は、立憲民主党も国民民主党も、それなりに通っている。その意味では労働組合にまったく力がないとは言えない。このことはこのこととして、労働者階級人民の力をどう結集するのかという観点からきちんと見ておく必要がある。しかし過去のそれと比べると、その弱体化は歴然としている。
二〇一八年十二月に発表された厚生労働省の調査結果によると、一八年六月三十日現在、労働者全体に占める労働組合の組織率は一七%(地方直加盟の組合員数を加えた数は、連合六九九万、全労連七四万、全労協一一万人である、連合発足時の八九年の組織率は二五・九%であった)。総務省の労働力調査によれば、二〇一七年の労働者全体に占める非正規労働者の割合は三七・八%。今年六月十八日の『朝日新聞』デジタルは、非正規労働者の七五%が年収二〇〇万円未満と報じた。
第四次までになった、超右翼日本会議系・統一協会系が支配する「カルト内閣」とも言うべき安倍長期政権は、参議院選挙を乗り切ったことにより、今年の十一月二十日には桂太郎を抜いて憲政史上最長となる。その安倍らは、選挙を自分たちの政権延命の手段に使っている。朝鮮民主主義人民共和国を〝日本の脅威〟として使ってみたり、憲法の「改正」を問うと言ってみたり。安倍たちは、安倍自身のモリカケ問題、その他官僚たちの不祥事、デタラメ発言などで自分たちに都合が悪くなると、選挙に打って出て、非常に低い投票率・得票率でも過半数以上をとる。そうすると、「信任を得た」と強弁、居座るのだ。うまみを知ってか、もうこれを定法にしていると言ってもいい。
マスコミは一応の批判はするが、安倍らの力、圧力を恐れて不徹底極まりない。これも戦前、ブルジョワ支配階級の戦争推進政策を全面的に支えた姿と重なる。
しかしこれが一定の効果を発揮していることは、世論調査に表われている。第四次安倍内閣が発足した後に共同通信がアンケートをとったところ、内閣支持率は八月から五・一ポイント増加して五五・四%、不支持が二五・七%だ。小泉進次郎に期待するというのが七〇数%あって、その効果もあろう。しかし前々から言われているように、代わる政党もなければ、自民党のなかでも安倍に代わる政治家がいない。だから仕方がないというのが、日本国民、あるいは日本国民のなかで投票した人の大方の意見なのだろう。
そういった、閉塞し出口が見えない状況を選挙で変えようというのが、日本共産党、立憲民主党をはじめとした野党共闘の考え方だ。
しかしわたしは、選挙のみに人民の政治参加を切り縮めることは、闘いによって歴史を切りひらいてゆくという労働者階級人民の権利意識、主体性の強化、主権者としての自覚をうながすことにはならないと思う。
もちろん、わたしも参議院選挙で自公政権に三分の二を獲得させなかったことはよかったと考えている。しかし野党共闘の側は、参院選後すぐに「さて次は衆議院選挙だ、そこへ向けて共闘を強化しよう」という考え方をいっそう強めている。「れいわ」にしても、あくまで国会議員を増やすことが目標で、大衆運動をつくり出すという方向ではない。
わたしが八月号で訴えたかったのは、選挙を中心に労働者階級人民の闘いを考えていく考え方自体を変えないと、安倍政権によって蟻地獄にひきこまれたようないまの状態からは抜け出せない、ということだ。
小泉純一郎が首相のときだったと記憶するが、国会での発言で「そんなに共産党が正しいのなら、なぜ議席が増えないんですかね」と茶化していた。
ブルジョワ支配階級は、選挙制度はもちろん、マスコミ・司法・警察・軍隊、そしてぼう大な官僚組織を握って、「俺たちは準備万端だぞ」と勝ち誇っているのだ。
もちろん、安倍政権がいつまでもつづくわけではない。しかし安倍が降りたからといって、安倍よりマシな政治家が出てくるとは限らない。現在の国際・国内情勢をみると、そして彼我の力関係をみると、このままではもっと悪い政治家が出てくる可能性の方が高い。
その意味でも、われわれ労働者階級人民の闘いは、選挙闘争中心主義ではなく、労働運動を中軸とし、大衆闘争を基礎において総資本と対決するという考え方に、転換しなければダメなのではないか。
沖縄では、県民の反基地の闘いが選挙結果にもつながる形で表われている。それは、沖縄では大衆実力闘争を根底において議会選挙が闘われているからだ。そのことの意味を、われわれはもっと考えるべきではないか。

欠落する階級闘争の視点

九月号の座談会では、「れいわ新選組」という党名の問題や天皇制の問題、植民地支配責任の問題、総じて、戦前・戦中・戦後をつうじた戦争責任の問題、アジアに対する視点の弱さを指摘した。それはいまの日本社会では大衆受けしない(票に結びつかない)という判断をしたからだろう。しかしそれは日本共産党にしろ、立憲民主党にしろ、どこの党でも弱かったので、「れいわ」だけの問題ではないのだが。
そしてここで、わたしが一番問題にしたかった点は、資本主義の矛盾がこれほどまでにあからさまになっているのに、「左翼」と目される政党、またどの運動団体も、未だ「資本主義か社会主義か」という根本的対決軸を打ち出しえていないことだ。わたしはここに、いまの日本の、あるいは世界の労働者階級人民の運動の弱さがあると考えている。
座談会でも発言したが、先進資本主義国でかけられている攻撃は共通している。賃下げ、正規職から臨時・パートへの雇用形態の変更。労働時間の改変、医療制度、年金・福祉、社会保障制度の改悪、公共企業の民営化、教育予算の削減、奨学金の教育ローン化。高止まりを続ける若年労働者の失業、ストライキへの弾圧と、労働組合解体攻撃、低賃金労働者としての移民労働者の利用……。
各国の資本家は肩を並べて同じ攻撃を仕掛けている。日本の場合はこのすべてにおいて最悪だ。二〇二〇年度予算の概算要求では社会保障費の伸びを一三〇〇億円圧縮するという。
座談会では「一九九七年から二〇一八年の民間部門時給の変動率」という資料を挙げた。これを見てもわかるように、主要先進資本主義国、たとえば韓国で言えば、その伸びは一六七%になっている。イギリスで九三%、アメリカ八二%、フランス六九%、ドイツ五九%、とつづき、日本だけがマイナス八%となっている。この数字にも端的に示されているように、日本の労働者階級人民の状態は非常に悪化している。否、その実態は最悪だ。
社会主義国の無償教育の経験、その現実が反映されていない弱点はあるが、九月十日、経済協力開発機構(OECD)は、二〇一六年に加盟各国が小学校から大学に相当する教育機関に対して行なった公的支出の国内総生産(GDP)に占める割合を発表した。その結果は、比較可能な三五か国のうち、日本は三年連続で最下位(二・九%)だ。ちなみに一位がノルウェーの六・三%。OECD平均は四・〇%。
財務省が二日に発表した二〇一八年度の法人企業統計調査によると、資本金一〇億円以上の大企業(金融・保険業を含む)の内部留保は同年度末四四九兆一四二〇億円となり、過去最高を更新した(『赤旗』二〇一九年九月三日付)。
日本共産党をはじめ、多くのグループの人びとが企業にこれを吐き出させるのだと言っている。しかしそれをどうやって吐き出させるのかという運動の問題になると、国会で議席をとって立法を通すということでしかない。カネが全て、カネこそ命と考える資本家・大金持ち連中が、これに唯々諾々と従うと思うのは、幻想と呼ぶほかない。
職場、地域での闘いをどう強化していくのか、という問題提起がどこからも出てこない。わたしはここに、いまの議会中心の物の見方に縛られている運動と、日本社会の閉塞状況を生み出す原因があると考えている。

権利は闘いの中で勝ち取られる――いまこそ労働者階級人民が闘うとき

日本ではまったくと言っていいほど、労働者が闘えない、労働者を闘わせない状態が作りだされている。それは先に見たような政府・警察一体となった関西生コン労働者への大弾圧と、マスメディアがこの闘う労働組合つぶしを黙殺していることからも明らかだ。
しかしその厳しい状況のなかでも、東部労組・大久保製壜支部などは、職場の労災事故という具体的な問題の追及をとおして粘り強い闘いをしている。大久保製壜支部はストを構えて闘っている。また東部労組・メトロコマース支部は不当解雇撤廃を闘う全労・ユナイテッド闘争団と共闘しデモを計画、十月十八日に東京・上野で行なわれたそのデモには、争議組合・中小企業の労働組合を中心に約三〇〇名が参加した。わたしたちはこのような日本の労働者の闘いに注目し、支援し、そしてそれに積極的に学ばなければならない。
沖縄、韓国・朝鮮、在日朝鮮人の人びとの闘いには「決して負けない、負けられない」という強固な歴史認識が共通してみられる。それは二度と植民地にはならないという考え方だ。キューバを先頭とした反帝国主義の闘いも、明確にこの意識を掲げて闘われている。
日本の労働者階級人民自身が、具体的に自分たちの権利獲得のための闘いを開始することなしには、この閉塞した資本主義社会、寄生性・腐朽性の特徴が社会全体を覆っている日本社会の現状を変えることはできない。われわれはこのことを継続して訴えてゆかなければならない。

HOWS二〇一九年度後期カリキュラムをめぐって

それでは次に、以上の基本的考えを踏まえ、HOWSの次期講座の特徴点と、補足的説明を行なう。

社会主義を求めて

二〇一九年度後期のHOWSの講座は、十一月九日の「ロシア十月社会主義革命一〇二周年記念集会」でスタートする。今年は一九八九年十一月九日のベルリンの壁崩壊から三〇年目にあたる。ブルジョワマスコミはこの機会をとらえて、大々的に社会主義=悪、社会主義=過去の遺物キャンペーンを展開するだろう。われわれはこうした宣伝に抗し、日本社会の変革・社会主義の追求が労働者階級人民にとっていかに重要かを訴えてゆきたい。
先にあげた低賃金、長時間労働、不安定雇用、社会保障費の切り下げ、四〇〇万、五〇〇万円にものぼる教育ローンといった日本社会の現実と、それが完全に達成されていたとは言えないまでも、社会主義が目指し実現し、それがいまも継続されている完全雇用、八時間労働、男女差別のない賃金、女性労働者の保護、無償の教育・医療、無償ないし低料金の住宅などの政策の優位性をくり返し、丁寧に説明してゆく、その力と意志がわれわれに問われている。集会では『地の塩』の上映を通じて、その基礎には労働者の団結と闘いが必要不可欠であることを、ともに確認してゆきたい。
今期のHOWS講座では、千葉大学名誉教授で、ユーゴの自主管理社会主義を研究されている岩田昌征さんを講師に、東欧社会主義の倒壊過程について学ぶ。タイトルは「社会主義体制『崩壊』の意味(仮)――ポーランド・ユーゴスラヴィアの具体例にそくして」だ。この企画は、岩田さんがHOWS講座に参加された折、中国の人権派弁護士を高く持ち上げる風潮が日本にはあるが、たとえばミロシェビッチが自分は重い病気にかかっているのでロシアで治療させてくれと言っても当局は聞かなかった。それで殺してしまった。それが人権か。やはり物事を事実に即して、かつ階級的な視点から見なければいけないのではないか、という趣旨の発言をされた記憶があったからだ。
ユーゴの社会主義というのは自主管理社会主義で、東欧社会主義のなかでも異彩を放っていた。それでも社会主義という概念が、現実にどういうふうに適用されていたのか。それを岩田さんは身をもって経験されている。それをお聞きしたい。
八九~九一年のソ連・東欧政権の倒壊後は、そもそも社会主義制度は労働者階級人民にとって害悪そのものでしかなかったという宣伝がつづけられている。これから先、こんにちの日本社会の状況をわれわれがどう変えていくのかを考えたときに、そのデマゴギーと対決し、これをひっくり返していく闘いがどうしても必要になる。それは中国やベトナムの社会主義市場経済の本当のプラス面マイナス面を見ることにもなるだろう。くり返し言うが、朝鮮は「金王朝」で言論の自由がないという悪宣伝、キューバ・ベネズエラの苦闘をねじ曲げるといった問題を、われわれ自身が日本社会の変革をどう進めていくのかという問題と併わせて、考えていく必要がある。それを抜きに「民主主義とか自由」とか言っても、中身がない。あるいはその中身は、一皮むけばブルジョワジーが作った枠組みのなかでつくられ、踊らされているものに見える。
資本主義を批判する側には、その根底にソ連型社会主義批判、二〇世紀型の社会主義批判、ロシア・マルクス主義批判を据えている人が多い。それとも重なるがユーロコミュニズム、福祉国家論、第三の道、マルチチュード論などが大きな潮流としてある。資本主義・帝国主義と徹底的に対決して社会主義路線を追求する考え方は硬直している、「一党独裁だ」、「民主主義がない」という形で否定される。そのなかでいろいろな形で言われるのが、〝資本主義は修正できる〟という考えだ。いまの資本主義がおかしいのだ。それが資本主義のルールから外れているのだから、それを正せばよい。その方が社会主義を掲げる中国や朝鮮よりよっぽどいい、というのが、いま資本主義を批判するという人びとの主流の考え方なのではないか。
こうした人びとは資本主義体制のなかで政権交代を追求していくのだろうが、ギリシャのSYRIZAを見ても、結局はそうならない。それは日本の民主党政権でもそうだった。一時的に自民党政権から民主党ということはあり得たけれど、米国と資本の力が圧倒的に強くて、また選挙で議席を獲得しても、それを支える思想なり、運動なりが弱かった。民主党の議員がなんとかしてくれるだろうということで、自分たちの主体は預けっぱなし、結局鳩山たちはがんじがらめにされて何もできなかった。そうしたら今度は失望して、政治に期待しても仕方ないという雰囲気が一段と強まった。その結果が安倍たちの長期政権の維持につながっている。
ブルジョワ階級は、「絶対に労働者階級を社会主義の道には行かせない」という政策を徹底的にとっている。われわれは敵のイデオロギー政策にのらないで、大衆闘争を基礎に、思想闘争と階級闘争を追求していこう。

朝鮮・東南アジアの歴史をめぐって

「古くは三国時代・高麗時代の倭寇から朝鮮時代の壬辰乱を経て、近くは日本帝国主義の植民地支配に由来した韓・日間の民族問題は、このような歴史にもとづいて、両国の支配階級が自分たちの利益のために絶えず再生産しているものなのです」(『思想運動』九月号付録、金解人「最近軋轢を増す韓日間の緊張に際して――プロレタリア国際主義のために」)。わたしはこの論文全体を非常に優れた分析として読んだ。これはHOWSでの〈シリーズ〉「朝鮮半島からみた日本の歴史」の康成銀先生にも共通する歴史認識だ。元々古代には国家などという概念はないし、民族などという認識もないのだから、対立ということはない。それを近代以降の国家という概念で、問題を立てる。そしてそれ以前の神功皇后の三韓征伐や秀吉の朝鮮出兵のような問題を使って人民内部に分断をもたらす政策が、日本の支配階級によって意識的に取られている。
それぞれの国の支配階級を打ち倒すのはそれぞれの国の被支配階級である。それが連帯して共通の敵を打ち倒す。その時にはじめて真の連帯が可能なのだ、と金解人氏は言う。それは一見、非常に遠い道のように見える。しかしそうではない。目標を正確に見据えない一時的な策ではどうにもならないのだ。日韓請求権協定や徴用工の問題あるいは日本軍「慰安婦」問題にしても、根本的に問題を解決しようとしないから、常に問題が噴出する。日本の支配階級、あるいは日本の労働者階級人民が過去の歴史ときちんと向き合わないから、いつまでも問題が残る。そして日本の支配階級はこれを利用し、日韓・日朝人民の連帯にくさびを打ち込んでいるのだ。
香港の「逃亡犯条例」の問題については、明治大学教授の丸川哲史さんに話してもらう。丸川さん自身がわれわれの考えとピッタリ一致しているということではないと思う。しかし台湾の問題も含めて丸川さんは歴史的に追ってこられている。香港をめぐる歴史的な問題を含めて学びたいと思う。
東南アジアの問題は、中原道子さんを講師に「日本の近代化とアジアの女性」というテーマで全四回の講座を予定している。この間、康成銀先生の連続講座に毎回参加されている中原さんに、講座の前にわたしの疑問をぶつけた。いま、香港のデモが盛んに報じられているが、アジア・太平洋戦争で日本が香港を占領したときに、香港で日本帝国主義と闘っていた人たちは、当然中国本土と連携をとっていたはずだ。その歴史がまったく報道されないし、いまもそれがどうなっているのか、ということに意識がいっていないのではないかと。そうしたら中原さんは、「本当にそうだ!」と即答された。中原さんは大学院を出たあとすぐ一年か二年、香港で先生をされていた。
アジア・太平洋戦争下、イギリスも反ファッショで闘っているから、非常に複雑なのだけれど、香港は中国本土で弾圧された革命家の隠れ場所になったという歴史的な関係があるのだ、と。
中原さんの話を聞き、少し香港の歴史をみてみると、日本との関係抜きにわれわれがこの問題をとりあげることの安易さに気づかされる。いまのマスコミの報道、そして日本で香港の若者の行動に拍手喝采する人びとには、日本帝国主義が三年八か月におよぶ占領下の香港で何をしたのか、という問題意識がまったく抜け落ちている。東南アジア全領域で行なったことだが、香港でも暴行・虐殺、軍票の乱発による現地経済のかく乱・搾取、現地住民の強制労働への狩り出し、中国本土から戦火を逃れてきた人びとの強制疎散などがあった。そして香港にも日本軍「慰安所」が設置されていた。
そういう犯罪を日本人は香港でたくさんやっている。けれど、香港を訪れるたくさんの日本人の観光客は、そんなことがあったことなど何も知らずに新婚旅行などで行っている。こうした日本帝国主義の犯した犯罪の歴史がきちんととらえられない限り、アジアとの真の友好はない。それは朝鮮、韓国との連帯という問題とも通じる。歴史に学ぶということは、そういうことなのだ。当然香港には、いまでも中国本土と連繋・統一しようとする人たちがいると思うが、報道にはそういう人たちの声は全然出てこない。
自分たちはどちらにも片寄らず中立である、あるいは、「平和と民主主義で暴力はいけない」、「中国は一党独裁でいつ戦車を出すかわからない」などと言い、また香港では若者が立ち上がった、日本ではなぜそうならないのかという視点だけからで、香港問題を見る皮相さ。そういうものを、われわれは批判的に見ていかなければいけない。

沖縄の闘いに学ぶ

『琉球新報』の九月二十六日「読者と新聞委員会」のページで、『琉球新報』の天皇代替わりをめぐる報道がどうであったか、という項目を含めた座談会が行なわれている。そのなかで那覇市自治会長会連合会事務局長の寺田征という人が発言していて、「元号は天皇の時間であって、国民の時間ではない。これを重要視することは憲法の精神に反する。元号や天皇制において、沖縄はもっとも遠くにいる。本土のフィーバーはすごかった。沖縄が冷静だったかというと、そうでもなく、琉球新報も巻き込まれていた。」とズバッと言っている。一言、平成の天皇は誠実と思うとも言ってはいるのだけれど、天皇制がつづくことへの問題性を明確に指摘している。われわれは、天皇制は差別と戦争、反社会主義の根源であると主張する。「平和と微笑み」を偽装した天皇制の継承を許してはならない。
寺田氏はそこでもう一つ注文も述べていて、四月十一日の紙幣全面刷新に関する『琉球新報』の社説に渋沢栄一批判がなかったと発言している。われわれの新聞紙上の「写針詩」で笑い茸氏が書いているが、渋沢栄一が朝鮮で何をやったのか、ということについても、その視点が日本社会全体に欠落している。
自治会長会連合会の事務局長でこれぐらいきちんとした意見を持っている人がいる。そしてそれを「オール沖縄の流れなのだからあまり言わないでおこう」ということではなく、きちんと自分の意見として言う。そういうことが沖縄の闘いの強さにつながっているのではないかと思う。
九月十七日、在沖米海兵隊が、伊江島補助飛行場でのパラシュート降下訓練のために必要ということで、沖縄北部の民間港の本部港から救助のための小型船を出港させようとしたが、作業着姿の沖縄全港湾の組合員数十人を中心に市民一〇〇人以上が抗議・座り込み、搬入を阻止した。
九月二十二、二十三日に沖縄で開かれた全国地区労協議会大会で講演した沖縄平和運動センター議長の山城博治さんは、その大きな力に、初めて“勝った”、と感慨深く話し、労働組合の力の結集が重要であることを強調した。

究極のイデオロギー操作・ブルジョワマスコミの犯罪性

韓国で曺国法相を支持する集会が開かれ、一〇〇万、二〇〇万の規模でデモが行なわれていることを、わたしはまったく知らなかった。わたしがテレビを見ないこともあるのかも知れないが、近くの国で起こっている問題を伝えず、それでいて朝鮮が〝ミサイルを発射した〟というニュースは大騒ぎして報道する。香港での逃亡犯条例問題は連日報道しているくせに、新聞もこの集会のことを一行も報道しないというのはどういうことか。
結果的に曺国法相は辞任したが、その本質・背景がよくわからない。今期は康宗憲さんを招き「クナリオンダ(その日が来る)の時代と今日の朝鮮半島情勢」、土松克典さんを講師に「日韓条約の問題点」を企画した。この講座を通じて「国家保安法」をはじめこんにちの韓国の政治体制が抱える問題を歴史的に考えてゆきたい。
もう一つは、十月三日付『琉球新報』で沖縄に新中距離弾が配備される計画があることが一面トップで報道された。中距離核戦力(INF)廃棄条約が八月二日に失効したことにより、条約が製造を禁止していた中距離弾道ミサイルの新型を、米国が今後二年以内に   沖縄はじめ北海道を含む日本全土に大量配備する計画があると報じられた。
中露関係は経済だけではなく、軍事面でも協力関係が随分進んでいるらしい。それに対抗するために、沖縄に射程五〇〇~五五〇〇キロの中距離ミサイルが配備されれば、ロシア・中国・インドの半分以上が射程に入る。米政府関係者がその計画を持っていることを、水面下の情報交換のなかでロシア側に伝達したという。『琉球新報』では一面トップの扱い だが、本土のメディアではほぼ黙殺された。後追いの記事さえ出ない。
われわれはメディアを通じて、世の中の現実をほぼ把握していると思っているが、実際は意図的に情報が隠されている。五〇年前の〈思想運動〉出発のときには、ブルジョワ虚偽イデオロギーの暴露、ブルジョワマスコミの批判を鮮明にしていた。アフガニスタン四月革命、ソ連・東欧の社会主義体制の倒壊の問題、朝鮮、キューバ、ベネズエラの問題、そしてシリア、イラン、イエメンなどでどういうことが起きているのかも含めて、ブルジョワ資本家階級は自分たちにとって都合がいいかどうかによって、情報を出すか出さないかを決めている。
シリアの問題などもアサドが全部悪いことにされている。実際の動きは中東のニュース局では報道されているが、わたしたちは現地の情報を全然知らされない。本当に意識的に見ないと何も見えない。やはり現場で闘っている人たちの声を最初につかまえて報道する。あるいは考えることが重要だ。
アメリカをはじめブルジョワ先進国の流す情報だけが「人権」に合格した「事実」として大量に流通している。香港の問題についても、よく事実を示せ、と言われる。しかし「事実」というのは、アメリカが示した「事実」が「事実」なのだ。小さい国などが、自分たちの情報こそが事実だと言っても、そんなことは「国際社会」、世間一般では通用しない。巨大マスコミが流す情報が、一番「公正」な情報だと信じ込まされているから。われわれはそこからもう一度考えなければいけない。
さいごに、ここ十数年近く、大地震、台風、大雨などの自然災害が多発し、さらに福島での原発爆発事件による巨大災害が発生している。亡くなられた方々、甚大な被害にあわれた方々に、深い哀悼の意を表し、お見舞い申し上げたい。とりわけ、最近関東・信州・東北等広範囲を襲った台風19号の被害は、その後も大雨が連続し、復旧作業がなかなか進まない状況が続いている。われわれは会員・読者・協力者の方々に問い合わせを行ない、できるかぎりの支援を行ないたい。
公務労働者の削減・非正規化が、これらの災害への復旧・支援の遅れへの大きな障害として指摘されている。安倍政権・ブルジョワ支配階級が掲げる「国土強靭化」政策は、労働者階級人民の生活を第一に考えたものではなく、徹底した金儲け主義に基づくものである。われわれはこの観点からも災害・復旧の問題を見てゆく必要がある。
同時にわれわれは、災害の問題を考えるとき、労働者階級人民にとっての最大の災害が戦争であることを肝に銘じる必要がある。そうした意味からも安倍政権による憲法改悪・人権無視・戦争遂行政策阻止が、われわれの最大の課題である。 (十月二十四日記)